みなさんおはようございます。
朝から、ブログを更新しています★
今日発行の「タウン情報」をご覧下さい。中央の紙面に、私達が撮ってきた写真とともに
カンボジアララバイツアーの活動のあらましが載っています。
今回色んな人たちに会いました。
人身売買を繰り返されたうえ、両親に捨てられて、エイズ治療もうけているこどもたちのおうちや
地雷被害で手も足もうしなっても、そんな子供達を引き取って育てているエイズ患者支援村の村長さんや
出稼ぎに行ったり経済的に養えない状況で、こどもセンターでくらすこども達や
毎日、こどもたちの教育環境にこころを砕きながら奮闘する校長先生や
小学三年のときに雨で学校が倒れ、それから学校に行かないまま、27歳になっていま、日本語がぺらぺらの通訳のタイさんや
ジャイカの職員として派遣され、就労期間がおわってからもボランティアで現地に残って子供たちに音楽教育をしている田中千草先生や
日本からカンボジアに来て、言葉も解らない中で必死でくらし、現地の支援施設を管理しているまだ20代の高田さん
学校にも、こどもセンターにも、日本からボランティア体験しに来たという日本人の、わかものがひとりずつ
それはそれは多くの人に合いました。
どなたも、環境や立場はそれぞれだけど、私達をあたたかく受け止めてくれて、自分達を卑下したり、さげすんだりというようなマイナスは雰囲気はなかった
ただ
寂しげだったり
ことばには出来ないようないろいろなおもいが、笑顔の影にあるのを感じた。
私はクメール語ぜんぜんわからないし、彼らも日本語がわからない。
それでもね。
笑顔や、音楽は通じるんだなーーー。
カンボジアは、長年、国際社会に見捨てられていました。
カンボジアという国は、ベトナムとタイにはさまれていますが、長い歴史のなかで、隣国タイとは、ずーっと犬猿のなかだったそうです。
フランスの植民地だったり(インドネシアとかもそうでしたが)
いろんなことがありました。
そして、ポルポト政権が、内戦で自国民のいのちを奪い続けた間、たくさんの難民が、国境をこえて隣国に流れ
終戦のあとも、ものごとはそう簡単には行かず
民主的な選挙を、明石さんが国連にいた頃に助力して実現し、
それが、1990年代のこと。。
まだ、政治自体も未熟です。
だから、役人の賄賂もまかり通っています。
今、外資がはいり、ベトナムやタイは飛躍的に発展し、ベトナムでもインフラが超特急ですすんでいますが
カンボジアはまだ、生活インフラさえも、農村部は整っていません。
私達が滞在した第2の都市シェムリアップは、人口百万人、農家が8割。
そして、こどもセンターも、地雷被害者自立支援村でも、上下水道はとても遅れていて、井戸で水を得ていました。
その水も、茶色いのです。
小学校では、ようやく出来た保健室に、どうにか買ったという一台の体重計と身長計がありましたが、棚は空っぽで、医薬品も、包帯一つ、ありませんでいた。
5000人もの子供が通うのに、保健室ないのかーー
日本の小学校なら、毎日保健室に誰か居て、フル稼働だろうなぁ、と思ったものです。
日本の戦後は、アメリカなど諸国が支援してくれたこともあり、奇跡の復興と高度成長時代を迎えました。
私はそのなかで生まれたので
戦争のことは、母や祖父がちょっと話してくれるだけでした。
カンボジアでは、まだまだ、爪あとが残っています。
地雷がまだ沢山埋っているし、毎日のように被害者も出ているそうです。
今回の旅の主目的は、音楽でだれかを励ます事。
友だちをつくること。
それが、出来てうれしかった。
こども達に、ピアニカをプレゼントした時、そしてギターを上げたときには
「キャー」とか「ギャー」というような、悲鳴が上がりました。
そんなにも、そんなにも、喜んでもらえたのです。
自分達の足で行って、よかったな、と思いました。
たしかに、この手で届けたのですから。
まいにちのように
今日のおかずは何にしようかとぼんやり悩み、
散らかす子供達を追い掛け回して宿題させ
家計簿を見ながら溜息をつき
ときにはどうしようもなく落ち込んだり、嘆いたりしながら暮らしています
なぜか今回は
直感的に、行かなくてはいけないと感じたから、出かけてきました。
私の行動に理解を持ってくれた家族に感謝ですし
おうえんしてくださったたくさんの市民のみなさんたちと
これから、どんな風に活動をデザインしていくのか、たのしみに考えていきたいです。
これからもみなさんからの応援を必要としています。
おうちに眠るピアニカを是非ぜひ、お寄せ下さい。フリマ会場で回収をしています。
こども達の輝く笑顔をひとつでも、増やせるように、プレゼントをしてあげて下さい。
日本で出来たピアニカ、日本でいらなくなったら、直ぐに必要で直ぐに使えるところへ、まわすって極自然な事だと思います。
プロダクツは、ひとの英知が形にした、地球上の資源です。
文明の生産品は、母なる地球がもっている資源と、人の夢の力と手により、形になったもの。
それを、大切に活かしていくことは、イカしてると、思います。
このツアーが実現できるようにと、ご協力いただいたたくさんの皆さんおひとりおひとりに心より御礼申し上げます。
カンパや餞別までくださったかた、ありがとう。
フリマ会場で、チャリティにご協力くださったみなさん、ありがとう。
ピアニカをよせてくださった、120人の方々。
記録映像の為の、カメラをくださったかた。
20万本のペンを寄贈してくださった方。
倉庫を無料で貸してくださったかた。
こども達へのお土産に、たけとんぼをつくってくださたNさん。
応援していただいた全ての皆さんに、敬愛と、感謝をお送りします。
正直、こんなにたくさんの方からご理解をいただけるとはおもっていませんでした。
次に待っているのは、いただいた動力型井戸掘削機を、現地に届ける事です。
コンテナ船便が高いのと、関税をどうにかできないか、ということ、現地にもって行ってからの機会のメンテナンスや管理の事や
でもね
現地では井戸は手掘りなんですよ。
だから、ガソリン式の掘削機は、ほんとに、たくさんの人たちをラクにしてあげられるんです。
そして文具の発送もありますしね。
引き続き応援を、お願いします。
週末のフリマは、花時計公園のサンデーフリマ!http://furimanet.com/
朝から、ブログを更新しています★
今日発行の「タウン情報」をご覧下さい。中央の紙面に、私達が撮ってきた写真とともに
カンボジアララバイツアーの活動のあらましが載っています。
今回色んな人たちに会いました。
人身売買を繰り返されたうえ、両親に捨てられて、エイズ治療もうけているこどもたちのおうちや
地雷被害で手も足もうしなっても、そんな子供達を引き取って育てているエイズ患者支援村の村長さんや
出稼ぎに行ったり経済的に養えない状況で、こどもセンターでくらすこども達や
毎日、こどもたちの教育環境にこころを砕きながら奮闘する校長先生や
小学三年のときに雨で学校が倒れ、それから学校に行かないまま、27歳になっていま、日本語がぺらぺらの通訳のタイさんや
ジャイカの職員として派遣され、就労期間がおわってからもボランティアで現地に残って子供たちに音楽教育をしている田中千草先生や
日本からカンボジアに来て、言葉も解らない中で必死でくらし、現地の支援施設を管理しているまだ20代の高田さん
学校にも、こどもセンターにも、日本からボランティア体験しに来たという日本人の、わかものがひとりずつ
それはそれは多くの人に合いました。
どなたも、環境や立場はそれぞれだけど、私達をあたたかく受け止めてくれて、自分達を卑下したり、さげすんだりというようなマイナスは雰囲気はなかった
ただ
寂しげだったり
ことばには出来ないようないろいろなおもいが、笑顔の影にあるのを感じた。
私はクメール語ぜんぜんわからないし、彼らも日本語がわからない。
それでもね。
笑顔や、音楽は通じるんだなーーー。
カンボジアは、長年、国際社会に見捨てられていました。
カンボジアという国は、ベトナムとタイにはさまれていますが、長い歴史のなかで、隣国タイとは、ずーっと犬猿のなかだったそうです。
フランスの植民地だったり(インドネシアとかもそうでしたが)
いろんなことがありました。
そして、ポルポト政権が、内戦で自国民のいのちを奪い続けた間、たくさんの難民が、国境をこえて隣国に流れ
終戦のあとも、ものごとはそう簡単には行かず
民主的な選挙を、明石さんが国連にいた頃に助力して実現し、
それが、1990年代のこと。。
まだ、政治自体も未熟です。
だから、役人の賄賂もまかり通っています。
今、外資がはいり、ベトナムやタイは飛躍的に発展し、ベトナムでもインフラが超特急ですすんでいますが
カンボジアはまだ、生活インフラさえも、農村部は整っていません。
私達が滞在した第2の都市シェムリアップは、人口百万人、農家が8割。
そして、こどもセンターも、地雷被害者自立支援村でも、上下水道はとても遅れていて、井戸で水を得ていました。
その水も、茶色いのです。
小学校では、ようやく出来た保健室に、どうにか買ったという一台の体重計と身長計がありましたが、棚は空っぽで、医薬品も、包帯一つ、ありませんでいた。
5000人もの子供が通うのに、保健室ないのかーー
日本の小学校なら、毎日保健室に誰か居て、フル稼働だろうなぁ、と思ったものです。
日本の戦後は、アメリカなど諸国が支援してくれたこともあり、奇跡の復興と高度成長時代を迎えました。
私はそのなかで生まれたので
戦争のことは、母や祖父がちょっと話してくれるだけでした。
カンボジアでは、まだまだ、爪あとが残っています。
地雷がまだ沢山埋っているし、毎日のように被害者も出ているそうです。
今回の旅の主目的は、音楽でだれかを励ます事。
友だちをつくること。
それが、出来てうれしかった。
こども達に、ピアニカをプレゼントした時、そしてギターを上げたときには
「キャー」とか「ギャー」というような、悲鳴が上がりました。
そんなにも、そんなにも、喜んでもらえたのです。
自分達の足で行って、よかったな、と思いました。
たしかに、この手で届けたのですから。
まいにちのように
今日のおかずは何にしようかとぼんやり悩み、
散らかす子供達を追い掛け回して宿題させ
家計簿を見ながら溜息をつき
ときにはどうしようもなく落ち込んだり、嘆いたりしながら暮らしています
なぜか今回は
直感的に、行かなくてはいけないと感じたから、出かけてきました。
私の行動に理解を持ってくれた家族に感謝ですし
おうえんしてくださったたくさんの市民のみなさんたちと
これから、どんな風に活動をデザインしていくのか、たのしみに考えていきたいです。
これからもみなさんからの応援を必要としています。
おうちに眠るピアニカを是非ぜひ、お寄せ下さい。フリマ会場で回収をしています。
こども達の輝く笑顔をひとつでも、増やせるように、プレゼントをしてあげて下さい。
日本で出来たピアニカ、日本でいらなくなったら、直ぐに必要で直ぐに使えるところへ、まわすって極自然な事だと思います。
プロダクツは、ひとの英知が形にした、地球上の資源です。
文明の生産品は、母なる地球がもっている資源と、人の夢の力と手により、形になったもの。
それを、大切に活かしていくことは、イカしてると、思います。
このツアーが実現できるようにと、ご協力いただいたたくさんの皆さんおひとりおひとりに心より御礼申し上げます。
カンパや餞別までくださったかた、ありがとう。
フリマ会場で、チャリティにご協力くださったみなさん、ありがとう。
ピアニカをよせてくださった、120人の方々。
記録映像の為の、カメラをくださったかた。
20万本のペンを寄贈してくださった方。
倉庫を無料で貸してくださったかた。
こども達へのお土産に、たけとんぼをつくってくださたNさん。
応援していただいた全ての皆さんに、敬愛と、感謝をお送りします。
正直、こんなにたくさんの方からご理解をいただけるとはおもっていませんでした。
次に待っているのは、いただいた動力型井戸掘削機を、現地に届ける事です。
コンテナ船便が高いのと、関税をどうにかできないか、ということ、現地にもって行ってからの機会のメンテナンスや管理の事や
でもね
現地では井戸は手掘りなんですよ。
だから、ガソリン式の掘削機は、ほんとに、たくさんの人たちをラクにしてあげられるんです。
そして文具の発送もありますしね。
引き続き応援を、お願いします。
週末のフリマは、花時計公園のサンデーフリマ!http://furimanet.com/
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