まほろば旅2016.3 2日目

March 12 [Sun], 2017, 21:18

ノロノロしてるうちに年明けてしまいました。
2016年は奈良に3回行ったので、追いつくためになるべく写真ブログのみにしますね。

では、2016年3月奈良の史跡旅2日目になります。

この日は柳本方面と橿原考古学博物館に行ってきました。



午前中は、柳本公園周辺と二つの巨大な天皇陵を目指します。





JR桜井線、柳本駅。
駅に着くと、ワクワクするようなウェルカムボードが。





風情のある石畳の道をのんびり歩いていると、見えて来ました黒塚古墳!
綺麗に整備されているので、形状がはっきり分かります。
穏やかな日差しの中、静かに佇んでいて、とても平和な雰囲気。





天気も良いし、3月末なので桜も五分咲きくらいになっていました。
平日の午前中、私以外は誰も訪問者がいないので、じっくり眺める。





桜道を抜けると、古墳へ橋が架けられていました。
失礼しますと心の中で呟いて、橋を渡ります。





古墳のくびれに沿って歩ける公園。





前方部分の端っこからの眺め。
古墳って長いなあと実感しますね。





ぐるりと一周したところで、墳丘部に登ってみる。





足元から約2メートル下に石室が埋蔵されているそうです。
石室と副葬品の復元施設は、この次に行く展示館にあります。
ちなみに、古墳自体は東西を軸に造られていますが、石室は南北の方位に向けて設置されているそうです。
被葬者は北側を頭にして横たわっていたそうで、古代から北枕の風習があったそう。
今と同じだ。





北側、天理方面の眺め。





南側、桜井方面の眺め。
桜の木の向こうに箸墓古墳が見えます。





後円部から下りの眺め。
満開の時期にあの桜並木を眺めてみたい。





柳本公園内にある黒塚古墳展示館。
石室のレプリカと、出土品の三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡、鉄製の出土品が無料で見学出来ます。
撮影もOKとのことでしたので、ばっちり写メに収めて来ましたとも!
こちらの資料館はとても静かで、いつまでも鏡を眺めていたくなるような不思議な魅力が漂う空間でした。





次に向かう先はここからすぐの崇神天皇陵(行燈山古墳)。





また見つけた。山の辺の道標、天理市柳本町。





長い砂利を歩くと、宮内庁の看板がありました。





階段を上がります。
登り切った先の風景に期待が高まりますね。





【崇神天皇陵(行燈山古墳)】 =全長約242m、後円部径約158m(3段)、前方部幅約102m=
代10第天皇、崇神天皇の陵墓として宮内庁が管理しています。
綺麗な拝所の向こうに、崇神天皇陵の雄大な前方部分が広がっている。
空気が美味しく、緑の景観も素晴らしくて、非常にのどかで平和的。
とても心地の良い場所に感じ、一目で気に入ってしまいました。
崇神天皇陵は土手に沿ってほぼ一周することが出来るので、撮影スポットも多いようですね。






崇神天皇陵の培塚アンド山古墳。
結構大きい。





南アンド山古墳。
なんか可愛い。





振り返ると、素敵な眺め。





真っ直ぐ伸びただだっ広い道。その向こうに、龍王山が見えます。
360°すべてがダイナミック。





歩きながら右を見ると、崇神天皇陵が飛び込んで来て、その雄大さに圧倒されます。
今にも丘の向こうから巨神兵が現れそうなくらいのダイナミックさ。
とても高い場所に造られていると思いましたが、龍王山麓から伸びる丘陵を利用して造られているそうです。
こうして別角度から全体を見ると、いかに崇神天皇陵が巨大なのかを実感出来ます。
しゅごい。





かなり高さのある土手を思い切って上ってみました。
高所恐怖症の私にとって手すりのない簡易階段は恐怖ですが、現地に来ている興奮のおかげで何とか登りきる。
この高さと雄大な崇神天皇陵と立派な周濠。古代からワンダフルな建設技術大国ニッポン!






少し歩くと、後円部に続く渡り土堤がありました。
もちろん先へは進めませんが、少しだけ行ってみたい気になりますね。






のんびりぐるり。






段を降りて、石が埋められた細道を歩きます。
左は土手の崖っぷち。






道はそのまま、櫛山古墳と崇峻天皇陵の間を通ってます。
櫛山古墳の中に入っていけるようです。
木陰になってて涼しいので、ちょっと足を止めて休憩しました。





櫛山古墳の周濠で、カメさんが泳いでる。





古墳なりに歩いて行くと、ぐるっと一周して拝所付近に戻ります。
カーブが見事。





拝所には戻らず、道標を確認してこのまま道を進みます。





見たかった有名な景色。
幸せ。





畑と花畑の間を歩く。





さっきより少しだけ進みました。





いきなり民家の小道になる。
山辺の道で間違いないよね、と思いながら進みます。





民家を抜けたら、また広大な景色が広がります。





てくてく歩くと、大きな景行天皇陵が見えて来ました。
昨日拝所から拝見したので、今日は後円部から失礼いたします。
後ろの方は木が生い茂って、少々ぼうぼうとした景観でした。

ここから珠城山古墳群を経て巻向駅までの間、動画を撮って歩いたため写真がないという。。。





電車に乗るため巻向に来ましたが、やっぱり今日も会いに来てしまった箸墓ちゃん。
今日も美人ですな。





昨日より天気が良いので、ここにももう一度。





午後に向けて、お昼休憩。やっぱりここに来てしまった。
昨日とデザートを変えました。そうめん本当に美味しい。





橿原考古学研究所附属博物館。
巻向駅→桜井駅→近鉄畝傍御陵前駅下車徒歩5分。入館料は大人400円。
旧石器時代から室町時代まで、たくさんの出土品が展示されている、夢のような博物館。
端から端までたっぷり堪能し、2時間ほど滞在しました。
ミュージアムショップも書籍や可愛いオリジナルグッズが売っていて、お土産もたんまり購入。

とめどない興味心を十二分に満たしてくれる、それはもうもう楽しい博物館でした。



3日目に続く。



まほろば旅2016.3 1日目〜その2

June 07 [Tue], 2016, 22:44
ちょっと間が空きましたが、前回の続きです。

そういえば5月中旬頃のニュースで、橿原で弥生末期の前方後円墳発見という大きな報道がありましたね。
次の奈良旅を決めた矢先の話題だったのでとても嬉しいです。
直後に行われた現地説明会に行かれた方が羨ましい。。

では1日目の後半です。





次の目的地は、今旅のメインスポット箸墓古墳。






【箸墓古墳】  =全長約280m、後円部径約155m、前方部長約125m=
雄大で、神秘的で、美しい箸墓。
明らかにこれまでの古墳とは別のオーラを放っているように感じました。
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓として陵墓指定され、宮内庁管理にある古墳。
また、邪馬台国女王「卑弥呼の墓」とも言われています。
私の好きな先生は卑弥呼の次代「台与の墓」とお考えのようです。(学生社『箸墓古墳』)
左側が後円部5段、右側が前方部4段。
横から一望するとこのように綺麗なラインで、うっとり見惚れてしまいます。
周濠の溜め池も見事で、日本のため池百選に選ばれているそうです。







歌碑がありました。
『大坂に 継ぎ登れる 石群を 手遞傅に越さば 越してむかも』
「大阪山に人々が並んで登って たくさんの石を手渡していけば 渡せるだろうか」
箸墓古墳を作る時の歌のようです。
日本書記にある箸墓の由来は非常に痛かっただろうな・・・という悲劇のお話ですが、昼は人が作り、夜は神が作ったという伝説の一幕を歌ったものですね。
そしてさっきまであんなに晴れていたのに、急に雨雲と冷たい風に吹かれて・・・天気雨。






後円部の端を辿って拝所まで行けるようでしたが、遠くから見るために国道沿いを道なりに歩きます。
さっきと見え方が違って、ちょっとした防風林みたいですね。






これが、陵墓に必ず立てられてある有名看板ですね。
大市墓として指定され、宮内庁に管理されています。
字を読みつつ、小雨が強くなって来たので雨宿りをさせていただきました。
その奥にある拝所で手を合わせてご挨拶をしました。






さて、いよいよ念願だった古墳沿い歩き開始です。
箸墓古墳はくびれに沿って歩くことが出来る、とても貴重で素敵な古墳なのです。
木の茂みの向こう側に何か見えないかと期待しながら、段をじっくり眺めて歩きます。
野鳥の住処となっているようで、絶えず鳥の声や羽ばたきの音が聞こえている。
木の根元に、上の方から落ちてきたらしき幹の一部がごろんとあちこち引っかかっているのが見えました。
土器かと思ってドキドキしましたが・・・そんなわけありませんでした。






前方部と後円部の中間にあたるくびれの部分にさしかかった所で振り返ると・・・
こんなに道路が古墳に沿ってうねっている!
素晴らしいくびれの眺めです。






後円部にさしかかった所に進入禁止の柵がありました。
古墳の中に続く道のようなものが斜めに通っているように見えますが、これが有名な昔の農道ですね。






後円部と前方部を切断するように通っているらしいです。
古墳の向こう側まで周るのが面倒だから近道を作ったと言うのですが、陵墓ですよ・・・涙






道路にこんな可愛い卑弥呼ちゃんがいたのでしっかりと写メ。






ぐるっと道に沿って歩き、北西側から見た後円部。
すぐ脇を歩けるのはここまで。
この辺からまた古墳が遠ざかります。
最初の画像の所までで一周となりますが、そのあと気が済むまでぐるぐる回って歩きました。
その間、残念ながら天気雨が止むことはありませんでした。。






次は線路を越えた向こう側のエリア。






箸墓古墳の後円部付近にある細い道を歩いて抜けると、道標がありました。
矢印に従って左側に進みます。






【ホケノ山古墳】 =全長約80m、後円部径約55m、前方部長約25m=
ゴロゴロと石が埋め込まれているのが見えますが、これがあの有名な葺石です。
3世紀中頃の築造。
埋蔵施設は前方部と後円部にそれぞれ検出されていますが、後円部の石室は2つあって、一つは古墳築造時期に造られたもの、もう一つは6世紀末に新たに造られたものらしいです。
『纒向その後』という書籍を読むと、その辺の話が読めて面白いです。
ここは樹木が生えていないので、私にも登れそうです。
お墓ということを忘れずに、「失礼いたします」と心の中で挨拶をしてから、初・古墳登り。






前方部に復元されている木棺。
木棺付近に丸い玉状のものが2つ埋め込まれていますが、壷のようです。
ホケノ山古墳の出土品は、画紋帯同向式神獣鏡も有名ですね。
しかし、見れば見るほど不思議です。






3段築成の盛土の感触を両足で感じつつ、後円部の墳丘部まで登りました。
箸墓古墳が遠目にどーんと居るのが見えました。少し離れてもやっぱり大きい。
ここは天晴れですが、あの辺はまだ雨が降っているのでしょうか。
その手前にある緑のかたまりも古墳で、堂ノ後古墳という5世紀後半頃の古墳。
地中レーダー探査の結果から、こちらも前方後円墳だということが分かっているようです。
この時期の纒向遺跡を考える上で鍵となる堂ノ後古墳、今後の調査に注目ですね。






箸墓方面から後ろを振り返ると、三輪山の見事なパノラマ風景が広がっていました。
2枚の写メをくっ付けて、パノラマ写真風にしてみました。今は便利なアプリがあるらしいですね。
墳丘に立って、吹き上げる風を受けて、古代の風景を妄想する。
至福の時でした。






ホケノ山古墳から巻の内方面へ、畑一面の道をのんびり歩いてみました。
かなり離れた所から、やっぱり気になる箸墓古墳。ナウシカに出てくるオウムのように見えます。
道すがら、これ絶対古墳だよね、という小山がポコポコ見えました。
後で調べたら、やっぱりちゃんと名前が付いている古墳でした。
それどころか、地表で確認出来ない未発掘の古墳もあるようで・・・
奈良にはどれだけ古墳が眠っているのでしょう。






【巻野内石塚古墳】 =全長約60m、後円部径約40m、前方部長約20m=
測量調査以外は、築造時期や埋葬施設など未確認の多い古墳。
ホケノ山古墳と同時期くらいの古い古墳と考えられていて、こちらも今後の調査に注目です。
調子づいて案内板のある所まで登ってみましたが、足場が狭くて急斜面で・・・難易度高めでした。
降りる時、支えがないため足を挫くかと思うくらいスピードがつくので注意です。






予定より時間が余ったので、明日の旅程を一つ前倒しして景行天皇陵を見に行くことにしました。






上ッ道を北上して、住宅地を過ぎた辺りにある道を右折すると、真っ直ぐに伸びる長ーい道が。
遥か視線の先に見える森の中心にある小さな四角い入口のようなもの、天皇陵と拝所です。
小さいのにくっきりはっきり見えて、遠くから吸い込まれるような気分になりました。






【景行天皇陵(渋谷向山古墳)】 =全長約310m、後円部径約168m、前方部幅約170m=
明日は山辺の道を少しだけ歩く予定なので、今回は拝所側を軽く歩いて眺めるのみに留めました。
しかし、大きい。






いつものように宮内庁の看板。
以前は崇神天皇陵と考えられていたようですが、現在は景行天皇陵に指定されています。
実のところは定かではないということらしいですが、謎や妄想が広がる一方ですね。
景行天皇と言うと、大和尊ヤマトタケルの父。
古事記の天皇記が面白いです。






周濠に沿って南側へ進みます。
写真などで上空から見ると、横幅があって箸墓古墳のようなくびれが少なく男性的な古墳の感じです。
地上から見ても、なんとなくその形が分かりますが・・・しかし大きい。
周濠から道へ降りる時、結構な傾斜がありました。その辺も箸墓古墳と大きく違います。
古代、木が生い茂っていない造りたての時代は、この辺一帯どんな風景が広がっていたのか。
創造するだけでドキドキします。






さて、日暮れまでにまだ時間がありそうです。
雨の降っていない箸墓古墳を何が何でも見てやる、という気持ちが上昇。
というわけで、ここから再び箸墓を目指します。






上ッ道を南下、巻向駅を過ぎて箸墓古墳後円部に続く道を歩く。
夕日の反射する地面に山辺の道の道標が。
さっきの卑弥呼ちゃん道標とこれで2種類目。
きっと他にもあるのでしょう、今後は足元の道標チェックも欠かせませんね。






夕日色に染まった箸墓古墳を見ることに成功。
天気が違うと見え方が全然違って、今は悠々と佇んでいるように見えます。
20分ほどじっと眺め、気が落ち着いた所で心の中で挨拶をして、駅に向かいます。






夕飯は、大和野菜のビーフカレー。
半日歩き通したので、空腹に最高でした。

奈良の古代旅、一日目終了です。




まほろば旅2016.3 1日目〜その1

May 09 [Mon], 2016, 21:51
3月末に奈良へ史跡旅に行って来ましたというブログを書こうと思うのですが、
とても長くなりそうなので、おもに写真ブログにしようと思います。

それでも長いとは思いますが・・・

どうぞ写真を見て下さった方も、あれこれ妄想して下さいね。






JR桜井線、巻向駅。
2両編成、奈良駅から7駅。のんびりとした風景が続きますが、名だたる名所を眺めることに忙しい。
無人駅ですが、出口付近にIC用の簡易改札機がありました。






駅には可愛らしい案内板。気分が高揚します。
今回本で一番読んだ場所なので、最初に向かいます。






駅からまっすぐ歩いてきた道を振り返った風景。
時間は正午くらい。天気に恵まれ、静かで、鳥の声と川の音が響いている。
写真は切れてますが、右側には見事な三輪山の姿が見えます。






少し歩くと、さらに詳しい案内板がありました。
今日の散策は全ルート。現在地・・・ここはもしかしてメクリ1号墳付近でしょうか。ドキドキ・・・。






古墳時代バージョン案内板。
オレンジの所が今から向かう最初の目的地、纏向遺跡居館域。






おお、ここが・・・と思ったら、もう少し向こうの畑部分のようでした。
住宅地をぐるりと回りつつ居館域の発掘場所へ向かいます。






今は埋め戻されていて普通の野原にしか見えませんが、纏向遺跡居館域。
看板の図だと右が南で左が北。上が東で下が西。
緑色の建物群は上から下に並んでいるので、東から西へ一直線に並んでいる。
東西に並ぶということは、太陽信仰に繋がるそうです。
そしてその直線をさらに西に伸ばしていくと、纏向古墳群の石塚古墳と矢塚古墳の墳丘中心付近を見事に通っているようです。
もの凄い計画性です。どうしたって優れた建設者と権力者の存在を感じさせられます。
三世紀の日本列島では異質な建築列で、国内最大規模の建物群らしい。
この時代は邪馬台国時代に相当するらしいので・・・色々と妄想が広がります。




【纏向遺跡】 桜井市立埋蔵文化センター「纏向へ行こう!」より

桜井市域の北部、JR巻向駅周辺にひろがる纏向遺跡は初期ヤマト政権発祥の地として、
あるいは西の九州の諸遺跡群に対する邪馬台国東の候補地として全国的にも著名な遺跡である。
この遺跡は広大な面積を有する事や、他地域からの搬入土器の出土率が全体の15%前後を占め、
かつその範囲が九州から関東にいたる広範囲な地位からである事、箸墓古墳を代表として、
纏向石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳・ホケノ山古墳・南飛塚古墳、前方後円墳である
メクリ1号墳などの発生期古墳が集中して築かれている事、農耕具が殆ど出土せず、土木工事用の
工具が圧倒的に多い事等々、他の一般的な集落とは異なる点が多く、日本最初の「都市」、あるいは
初期ヤマト政権最初の「都宮」とも目されている。
遺跡の発掘調査は1971年以降、才くらいし教育委員会と県立橿原考古学研究所によって現在までに
180次を超える調査が継続的に行われ、2013年には一部が国史跡に指定されたものの、調査面積は
南北約1.5km、東西約2kmにもおよぶ広大な面積の2%にも足りず、未だ不明な部分も多い。





発掘率2%未満のロマン。

纏向遺跡は土地がほぼ私有地のため、諸事情によりなかなか発掘が進まない・・・とのことですが、
古代から現在までずっと人の営みが続いて来た場所、という事なので尊いですよね。
幸運な機会に恵まれ地元の方から伺った話だと、現在も発掘OK待ちの場所が所々あるそうなので、
今後の調査結果がとても楽しみですね。






次の目的地はオレンジの所、纏向古墳群。






【纏向石塚古墳(国指定史跡)】  =全長約94m、後円部径約64m、前方部長約30m=
初めて見た古墳は遠くから見ても大きくて、圧倒的な存在感。
3世紀初頭、最古の前方後円墳として注目されているそう。
古墳時代初期、あるいは弥生時代後期・・・?
墳丘の上部が平らになっているのは、第二次大戦中に高射砲陣地を作るために大きく削平されてしまったからだそうです。んー勿体ない。






纏向石塚古墳の出土品と言えば、鶏形木製品・弧文円板。
祭祀用具らしい。
弧文円板は桜井文化財センターのビニールショッパーにも描かれてましたが、デザインとしてとてもカッコいい模様だなと思いました。
鳥さんはニワトリに見えます。上の赤い部分はとさか?
資料によるとこれらの出土品の発見もあって、結果的に住宅開発から古墳群が守られたというのですから良かった。






【勝山古墳】  =全長約115m、後円部径約70m、前方部長約45m=
纏向小学校沿いに歩いた所にある立派な周濠を持った古墳。
木が伸び放題だけど、不思議と上品な佇まい。
墳丘や周濠からは土器や木製の加工品や馬具など・・・沢山の物が出土したらしい。
古墳から出たヒノキ板の年輪測定の結果、築造時期は3世紀前半とも言われているそう。
それは西暦200年頃になるらしいですが、古墳時代の始まりが今よりももっと早くなる可能性があると言うのですから、驚くべき調査結果ですよね。







【矢塚古墳】  =全長約96m、後円部径約64m、前方部長約32m=
勝山古墳から小学校の方へ戻ろうとした途端に視界に飛び込んでくる、矢塚古墳。
ぐるっと回ると角度によって見え方が違う不思議な古墳。南国風の木が見える。
後円部の墳頭まで行くと石室の板石が散乱しているらしいですが、虫が怖いので入れず。
築造は3世紀中頃。埋蔵施設などまだまだ不明な部分がほとんどで、今後の調査に期待ですね。





このエリアの振り返り。
纏向小学校(纏向大溝あたり)を囲む古墳群。
資料などで読んでいましたが、こうして実際に風景を目にしながら歩いてみると、3つの古墳が三角形に配置されている意味は分からなくても、この時代の権力だとか鎮魂的な何かだったりとか、間違いなく重要な場所だったのだという雰囲気を明確にビシバシと感じさせられました。
改めて全体を見ようと古墳群から少し視線を動かしたら、一番に飛び込んでくる三輪山の姿。
この風景は、とても不思議な感覚。
三輪山と古墳群含めた纏向奇跡全体が、何か確かな関係があるのだと自然に思うのです。
素人の私です。
それなのに、ここの位置関係の計画性の高さを実感して、しばらく一人で興奮していました。






道すがら、こんな風景に出会えるので、それがまた楽しい。






【東田大塚古墳】  =全長約120m、後円部径約68m、前方部長約50m=
畑の中にぽつんと佇んでいるのでとても目立つ。大きい!
まるで庭園みたいな、盆栽みたいな造形美。整備されると古墳はこんなにお洒落になるんですね。
築造は3世紀後半という事がほぼ確定されている、築造時期が限定できる貴重な古墳だそう。



お天道様が中天を過ぎ、結構日差しがキツくなってきました。
喉も乾いてきたので、メインイベントの前にどこかで休める場所はないか。
箸墓方面へ歩いている時にちょうど良さそうなお店を見つけて、昼休憩。






そうめん。






箸墓が目の前にあるという素敵なロケーションです。
店内は静かで落ち着いた雰囲気。のんびりとしていて居心地がとても良い。
私が感じる奈良のイメージそのもののお店。






『山の辺(冷やしそうめん)+抹茶わらび餅』
そうめんを、これほど美味しいと思ったのは初めて。
細いのに、歯ごたえがしっかりしていて、味わいも確か。
プリッとした海老とさやえんどうの涼しげな味。
後で知りましたが三輪はそうめん発祥の地。知らず知らず、天下一品を口にしていたのですね。

このあと足を運んだお土産コーナーも素敵な場所。
思い切って奈良に来て、本当に良かったと思いました。

次の目的地は、今旅最大のロマン〜箸墓古墳〜ですが、ちょっと長くなったのでまた次回にしますね。

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