あいのり 

July 20 [Thu], 2006, 21:24
 「やらせ」という文字で私が真っ先に思い浮かべたテレビあいのりフジテレビ系列で月曜日23:00〜23:30、久本まさみと今田耕司が司会の「あいのり」という大人気番組だった。この番組は一般の男女がラブワゴンという車に乗り各国を周る間にそれぞれ本物の恋愛を探す、という身近でリアル、新感覚のテレビである。前回(7月17日)はこの番組の旅に参加しているある1人の男性の秘密がその人に恋をしていた女性によって暴露されるという、番組・視聴者的には目が離せない内容であった。
 
 このテレビを批評する前に触れておくことがあるが私はmixiをやっている。mixiの中にはこの「あいのり」のコミュニティがあり、実際にその人たちを知る人・元番組関係者によってテレビでは放送されていない事実が日常的に暴露されている。

 17日の放送内容は何も知らず、テレビだけを見ていた人にとっては衝撃的で秘密がばれた男性に不信感・不快感を持っただろうと思う。テレビの中で男性は完全な悪者であった。秘密を暴露した女性も気違いだと思った人もいただろうという放送内容だった。しかし先に触れたコミュニティによると放送されている内容と実際にメンバー間で起こっていた論争内容は異なっていたという。台詞にしても一部だけが取り出され、本当は他の内容も話していたにも関わらずあたかもそれだけが言われたかのようになっており、再現と捨象は当たり前だそうだ。過剰演出も日常茶飯事で私たちが見ている内容のほとんど全てが編集され加工された内容なのだという。私としてはテレビのテロップで頻繁に「番組至上最も〜な出来事が!!!」などという言葉も頻繁に目にするのも気になる。放送内容も一方の側からしか(番組的におもしろい方からしか)放送されていない。
 そもそもこのあいのりは一般人だった参加者が「見られる」番組である。旅の間ずっとカメラがついて回り、メンバー同士の話の内容もカメラに収められるのだ。自分が全く知らない不特定多数の人間に果たして本音をさらけだせるのだろうか。また本当に自分の日常・素顔をさらけ出せるのだろうか。この番組はメンバーの素顔・本物の恋愛模様が売りだが実際は編集とバイアスに囲まれた滑稽な番組なのだと思う。この番組はいっそのこと「ドラマ」として扱えば問題なくなるのではないかと思う。

メディア関連で活躍するNPO 

July 05 [Wed], 2006, 9:16
はじめに
 NPOを「継続的・自発的に社会貢献活動を行う営利を目的としない団体」とし、世の中で行われていう活動を広く、NPOとして認めるならば、世の中には多くの「NPOの活動」があると思う。文化芸術大学の生徒によって作られているフリーペーパーも営利を目的とせず、自発的に街中の情報を自分たちの観点から宣伝している。私の地元で毎月発行されていた「広報がまごおり」という冊子も営利を目的としていなかった。そう考えると以前授業で取り上げられた「janjan」は完全なる「メディア関連で活躍するNPO」であろう。実際janjanのホームページでも「janjanはNPO型市民メディア」と明言している。この課題はNPOを「完全に申し込みなどの手続きをとった団体」として定義するのか、NPOの性格「継続的・自発的に社会貢献活動を行う営利を目的としない団体」を満たしていればNPOとして認めるかによって答えることは異なってくると思う。私は後者のNPOの性格を満たしているものをNPOの活動として認める、として「市民型」NPOであるjanjanに注目した。
 janjanはこれまでのメディアの発想を一新する「市民の、市民による、市民のためのメディア」を宣言している。
 実際janajanの活動はいわゆるプロの記者ではなく、一般市民である記者が記事を書き投稿している。市民記者によって書かれる記事は会社や企業にとらわれることなく比較的「自由に」書かれているといえる。 1人の人間が書く時点で公平性は薄れるが、市民が記者として投稿できる点で多くの記者が存在可能であり、あらゆる観点で様々な記事を載せることができていると思う。janjan自身も先で公言しているように「既存マス・メディアのニュース価値にかかわりなく市民の視点に立って良質な言論を創り上げること」を基盤とし活動している。記者についても「すべての市民は記者である」と公言している。 http://www.janjan.jp/



NHKについて 

July 04 [Tue], 2006, 16:31
 私個人の意見だがはっきり言ってNHKに受信料など払いたくない。それはほぼ間違いなく一昔前のニュースの影響だろう。今まで当たり前のように払っていた受信料は用途が思いがけないことで、私はわけのわからない他人の贅沢のためになぜ自分がお金を払わなければならないのかという考えを持った。あのニュースを見てNHKは国民を裏切ったのだと思った。
 
 今のNHKに足りないものは「説明」と「透明性」だと思う。NHKには以前の不祥事を消し去る必要がある。今まで通りの「透明」性では国民は「透明」とは思わないだろう。透明と思っていた状態でNHKは国民を裏切っていたのだから。では国民が求める透明性とはどんなものか。極端なことを言えばNHKの重役が職を失い路頭に迷えば国民は「本当に反省した」と解釈し同情し受信料を払うのではないかと思う。重役が路頭に迷うという状態が、国民から徴収した受信料を不正に使用していないということの最も分かりやすい表現だと思う。太った長が「この町は貧困で食べるものがない」といっても誰も信じないだろう。同じ台詞をがりがりの人が前に出て言えば国民はこの国は貧しいと信じるだろう。今のNHKはがりがりの人が出ていない。太った人が偉そうに貧乏だから金を出せと言っているように思えてならない。がりがりの人はNHKに足りないもの、誠実さと状況を説明している。体という名の態度で表しているのだ。

 NHKに対して正直親近感とか身近性は全く感じない。ニュースを除いて、NHKはむしろ私たちの日常生活に遠い番組と感じる。だからといって国民に「私たちのNHK」と感じさせるにはどのようにすればいいのか分からない。NHKが参加させていないとは思わないからだ。NHKも「のど自慢」や「天才テレビ」のように国民が参加して主役になっている番組を持っているからだ。そうなると国民が参加すれば「私たちの」と感じるとは言えなくなる。一体何がNHKを遠い存在として見せているのだろうか。


「参加・合意・説明・透明性・包含性・実行・効果・合法性」

会社は誰のものか 

July 04 [Tue], 2006, 15:24
 会社は誰のものか。理想論を言うなら会社は国民・市民のものである、ということだろう。国民がいるからこそ会社が成立するわけだし、例えばその会社が物を作り出す会社であるならば物が売れなければその会社は存在することはできないからだ。国民の側としても会社は国民のために努力してほしいと思うし、国民を第一に考えてほしいと思う。
 だが会社は確かに国民のものである部分もあるが、その会社のもの、もっと言えば財力のある者のものだろう。今の世の中ははっきり言って金がものいう時代であり財力のあるものが生きていける時代である。弱いものはどんどん消えてなくなり強いものが残る。会社を支える国民を見てもそうであろう。財力のないものは職場をなくし家をなくし学力をなくしさらに低層の世界に消えている。会社が求めるものも要は生き残るための財力で、金を得るために必死になっている。それは当たり前で当然のことだろう。国民もそれを当たり前のこととして受け入れていると思うしそれでもいいと思っていると思う。問題になるのは金銭だけを求めて国民の存在を完全に無視した状態の時であろう。一昔前に雪印が起こした食中毒の問題も国民を無視して自分の会社の利益だけを求めた結果である。会社が自分たちの利益だけを求めてそれが「ばれた」時、メディアにたたかれ営業停止という事態になったこの出来事は「会社は会社のものであり国民のものである」ということを端的に表していると思う。
 
 

ガバナンスをどう捉えているか 

July 04 [Tue], 2006, 14:40
 参加・合意・説明・透明性・包含性・実行・効果・合法性の性格を持つガバナンスは、「成功すれば」国民も納得できる最も理想的な合意形成だと思う。話し合いの関係の中に上下があり、上の立場の人の意見ばかりが通るようでは全員納得の意見とは言えないだろう。実際中学・高校時代の話し合いの中でも誰かが強引に決めた意見には必ず反論や反発があった。「成功した」ガバナンスにはそうした反発も起こさない力はあると思う。
 けれど私が言いたいのはこのようにみんなが納得する意見が構成されるのは「成功した」ガバナンスがなされた時である。実際完全に成功したガバナンスが出来るのかは疑問である。正直私にはあくまでもガバナンスは理想であって、現実的とは言えないように思う。
 数回の講義を受けた中で私が感じたことはガバナンスの性格が自ら完全に成功したガバナンスから遠ざけているのではないかということだった。ガバナンスは強制力を持たない。それはメリットでありデメリットでもあると思う。参加の面を見ても強制力を持たないガバナンスは人をむりやり参加させることができない。授業の中での話し合い(ガバナンス論の演習)は本当の意味でのガバナンスではなかった。少なくとも私は授業でなかったらその話し合いには参加しようと思わなかったから。そして強制力を持たず決定力を持つ人がいない話し合いは結果・話し合いのぐだぐだ感が否めない。その結果結論を出すために私たちのグループでは数回多数決という方法をとった。それはガバナンスなのだろうか?
 話し合いが目指すものは究極ある意見を形成することではないのだろうか。理想ばかり求めてきれいごとばかり言っていて意見をまとめることなどできるのだろうか。誰もが納得できて誰も妥協せずに合意を形成すること。それは不可能に近いものではないのかと数回の話し合いの中で感じた。

図書館 

June 30 [Fri], 2006, 9:40
 図書館は自主的に行く場である。誰かに強制されていく場所ではない。行きたければ行けばいいし行きたくなければいかなければいい。それだけだ。 
 図書館を不要な場所だと言う人はおそらく浮浪者の休み場所になっている点、費用の面で不要だといっているのだろう。確かにそれは図書館を必要としている人にも多少なりとも引っかかる点である。だが図書館が公衆的であることを守る以上、それらに対しては目をつぶる以外ないと思う。理想を言えばきりがない。だが現実的に考えて今の図書館の性質を残したままそのような問題を解決することは無理だと思う。浮浪者を排除しようとすれば許可性になり公衆性はなくなる。費用の面で例えば利用者からお金を集めれても今の性格とは離れたものになる。
 国がそのような公共の場でかかった費用をないものとできるとしたら、費用の面で悩むことはなくなるのにと思う。


 

パブリックアクセスについて 

June 26 [Mon], 2006, 18:23
 パブリックアクセスが浸透しなかったのは日本人の性格とメディアによると思った。日本人は「ことなかれ主義」で、今ある意見・多くの意見に反論しようとする人が少ないように思う。雑誌やテレビを見ても批判的内容が海外のものに比べ少ないこと、昔からのことわざに「出る杭は打たれる」というものがあることでも分かると思う。けれど私たちが守ろうとしているその「今ある意見」「多くの意見」自体がメディアによって作られたものである。メディアは企業あってのものだからだろう、いわゆる「都合が悪いこと」は絶対に報道しない。編集されたことが私たちに届き、それが私たちの価値観を形成している。
 自由に反論できる環境が必要で、それが実現するには正直古い考えを持った人がいなくならなければ難しいのではと思う。

ジャーナリズム 

June 06 [Tue], 2006, 16:09
 私が今回見比べてみたのは秋田小1児童殺害事件についての記事です。
 同じ事件について書かれている2つの記事を見比べてみてまずなにより強く感じたことは、既存のジャーナリズムは大衆向けで「比較的」客観的であるということ・無難な言い回しが使用されているということ、逆にパブリックジャーナリズムは主観的で既存のジャーナリズムが出した意見に鋭く反論していて個人の感情が「より」強くでているということでした。今回私が取り上げた記事が特に「既存記事の問題点を読む」という形をとっていたためかもしれませんがパブリックジャーナリズムは大衆向けの情報というより一視聴者の意見という印象を受けました。
 パブリックジャーナリズムは私のような何の知識を持たないものでも記事を書く(言う)ことができます。その意見はプロの記者が持つ、会社や社会からの「制限」をもたず自由で直接的で視聴者の同意も得やすいかもしれません。しかしその意見はあくまで個人の意見であり、自由という分、個人の感情が暴走しがちという問題を持つような気がします。逆に「比較的」一般的で「比較的」大衆向けの意見を述べる既存のジャーナリズムは個人の意見がパブリックジャーナリズムより反映されにくい分、「比較的」公正な立場での報道ですが、それはあくまでも比較的であり、完全に記者の意見が入っていない記事ではないでしょう。
 2つの記事を読み思ったことは、世の中での出来事を記事として報道として切り取った時点で、その記事には公平さ・平等さはなくなっているということです。私たちは自分が体験したこと以外、世の中での出来事を知るにはニュースやジャーナリズムに頼るしかありません。けれどそこから得た情報は決して全てが「真実」ではないのです。多かれ少なかれ編集という手が加わったものが私たちに届けられているのです。パブリックジャーナリズムにしろ既存のジャーナリズムにしろ、そこからの情報全てを鵜呑みにするのではなく、そこから真実を読み取ることが必要であり重要だとおもいました。 
 メディアリテラシーが今の時代を生きる私たちに最も必要なものだなと思いました。


http://www.janjan.jp/living/0606/0606015343/1.php(janjanの記事)

ブログで合意形成 

May 23 [Tue], 2006, 19:36
 話し合いをする前までの私の意見は「他の人の意見を聞くまで、誰の意見に流されることなく自分の意見を書けるブログは合意形成も可能ではないか」というものだった。ブログでは自分の意見を冷静に文章にすることができ、周りからの干渉なしに自分の思いを書くことが出来る場である。自分の意見を言うには最適な場だろうと思う。しかし他者の意見を聞き、合意を形成するとなるといろいろな問題が生じてくることに気がついた。まず1つは時間の差だ。そしてもう1つは関心の差である。どんな話し合いにおいても言えることだがブログとなるとその差は歴然となる。現にこの授業のブログもこまめに更新している人もいれば開設以来の人もいる。また合意を形成するとなるとやはりある適度の人数は必要であるし、参加しているからにはその人を無視することはできないであろう。面と向かっての話し合いであれば司会者が指名したりすることで全員が意見を言うことができるがブログとなるとそうはいかず、こまめに更新した人の意見ばかりが集まる結果になる。また今実際そうであるがたくさんの人のブログを読むことがめんどくさいと感じてしまう。ブログで合意形成となると全員分のブログを読み、さらにそれを文章でまとめる必要性が出てきてしまう。
 しかし先に述べた通りブログにはブログの利点があり、私たちはそこを生かして「ブログを補助的に利用する」という意見でまとまった。ブログを「資料」として扱い、他者の意見を知る手段とする。話し合いはパソコンを使わなければならないというならばチャットやメッセンジャーのように時間差が出来ないものを使う。その後また話し合いをした後での自分の意見をブログで書き、またそれを元に話し合いを行う・・・という方法である。実際それでも問題はあるだろうし先生からいろいろ言われるだろうが今の私の意見としてはそれがいいのではないかと思う。

合意形成 

May 10 [Wed], 2006, 9:21
 合意形成について、私個人の意見としてはムリに合意形成する必要性はないのではないかというものです。
 昨日授業の中で「理想的な合意形成」と聞かれたらそれは「みんなが妥協することなく1つの考えにまとまること」だと思いますが、それはムリなことなのではないでしょうか。人それぞれの考えがあり人によって物事に対する姿勢・受け取り方は異なってきます。その中で全員が全く自分の意思を殺すことなく妥協することなく意見をまとめることは大変なことだと思うのです。合意形成を行ううえでは誰かが何らかの形で「妥協」することが必須なのではないかと思うのです。理想はあくまでも理想であり、現実問題そんな合意形成は存在するのか不明です。
 このことも含めて、合意形成について私が思うことは最初に述べたとおりムリに合意形成する必要性はあるのか、ということです。最初から「○か×か」「やるかやらないか」というように答えや結果がいずれかになるのも・するものであれば話し合い、合意の結成という「結果」を出さなければならないと思うけれど、いつも毎回合意を形成する必要はあるのか私にはその必要性がまだわかりません。
 
 また班の話し合いの中でも言ったけれど今の合意形成の改善点で重要なことはそもそも「興味のあることに参加する」ことだと思います。自分が興味のないこと・題材になぜ論議する必要があり、しかも半ば強制的に意見をいう必要があるのか、と思ってしまいます。興味のない話題に「むりやり」参加してもいい案はでてくるとは思えないのです。そんなこといったら参加者がいなくなると思われると思いますが電子会議室はそんなムリにでも人を集めたい会議だとは思わないし「意欲のある人が」「立場関係なく」参加できる場、それが電子会議室の発足当初考えられたことだと思います。
2006年07月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
アイコン画像ヨシダ
» あいのり (2006年08月01日)
アイコン画像ヨシダ
» あいのり (2006年08月01日)
アイコン画像赤尾晃一
» あいのり (2006年07月21日)
アイコン画像赤尾晃一
» メディア関連で活躍するNPO (2006年07月05日)
アイコン画像赤尾晃一
» 会社は誰のものか (2006年07月04日)
アイコン画像赤尾晃一
» NHKについて (2006年07月04日)
アイコン画像赤尾晃一
» ガバナンスをどう捉えているか (2006年07月04日)
アイコン画像赤尾晃一
» パブリックアクセスについて (2006年06月26日)
アイコン画像赤尾晃一
» ジャーナリズム (2006年06月13日)
アイコン画像赤尾晃一
» ブログで合意形成 (2006年05月23日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:furansowa44
読者になる
Yapme!一覧
読者になる