毛利元就を中心とする安芸・毛利一族を探求します。同時に、元就研究家・福原雅俊の独自の史観から世相を斬る。そして、天衣無縫の旅遊記・映画・文芸評論・作品集。

2005年07月
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青春18切符2005(その3) (2005年09月05日)
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東広島市高屋地区の谷戸地形 / 2005年07月21日(木)

東広島市高屋地区には、鉄器が使用され、人口が急増した頃の弥生遺跡が、そこかしこの丘陵に集中する。

天武天皇が、壬申の乱の戦死者の英霊を祀らんと、全国のクニに一箇所づつ祭祀施設を作らせたことが日本書紀に記録されるが、その記録と符合する遺跡が、そうした団地の一つを造成する際に発見された。

つまり、この一帯は、大和時代における安芸国の中心地であったと考えられる。

中心地で有りえた理由は、当然、農業生産力に求められるべきであるが、この一帯は、決して広大な平野部ではない。

むしろ、緩やかな丘がそこかしこに隆起する盆地である。丘陵には、谷川が葉脈のように枝分かれしながら、斜面を奥深くまで削っている。こういう地形を谷戸地形と呼び、関東平野(山の手)でも多く見られる地形のようである。

これは勝手な憶測だが、丘の緩やかな斜面をさらさらと流れる谷川こそ、天然の灌漑施設であったのであり、農耕の初期段階では、手間のかからない好立地条件だったのかもしれない。

 
   
Posted at 21:34 / Z軸 東広島市内 / この記事のURL
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