2005年12月14日(水) 0時08分


とても彼の現代のドイツにユダヤ人の、そして、オーストリアにユダヤ人の同僚の多くとFruedを区別することは彼が自分がjewであると認識して、偏見のない科学のチャンピオンとして決してためらわなかったということです。
この点で、Fruedは自己が嫌いなユダヤ人のまさしくその正反対です。
その上、ManモーセとMonotheistic Religionの最も基本的な議論はモーセの困った遺産の不可欠の、そして、永続的な達成がまた、啓蒙の時代理想によって表される知的な伝統への貢献であるということです。
Fruedする、すべてからの遠ざけ自体が愛国心を形成しますが(ユダヤ人の愛国心を含んでいて)、KwameアンソニーAppiahの非常にしやすい用語を使用するために、aがコスモポリタンを根づかせて、これが彼がどんな道によっても誇らしげにユダヤ人とした男性とした身元を明らかにすることができないどんなコネもしなかったということであった、Science、-、だれ、彼が設立した科学(phychoanalysis)が成功して、合理的な批評の最も厳しい規格に耐えると信じていたか。 「偏見のない科学がaのままで残ることができないという1つの彼の読者が中にいる信念が新しいJewryのスプリットにより奇妙であったなら、私は、Fruedが彼が1時にいるというしかしながら、作者の望みを宣言するのによるこの基本的な信念の彼がいつ序文をTotemのヘブライの翻訳に結論づけるか、そして、TabooとTabooを確言しているのを理解しています


だれか正しく翻訳してくれる神のようなお方の登場を待ってみるテスト。エキサイト翻訳うんこ

 

2005年12月14日(水) 0時03分


What distinguishes Frued from so many of his contemporary German-Jewish and Austrian-Jewish colleagues is that he never hesitated in identifying himself as a jew and as a champion of unprejudiced science.
In this respect, Frued is the very antithesis of a’’ self-hating Jew.’’
Furthermore, the most basic argument of The Man Moses and the Monotheistic Religion is that the essential and enduring achievement of the vexed legacy of Moses has been its contribution to the intellectual tradition that is also represented by Enlightenment ideals.
Frued was to use Kwame Anthony Appiah’s very apt term, a ’’rooted cosmopolitan’’ Although the distanced himself from all forms of nationalism (including Jewish nationalism), this did not in any way prevent him from proudly identifying himself as a Jew and as a man of Science-who believed that the science that he founded, phychoanalysis, would triumph and withstand the most rigorous standards of rational criticism. I understand Frued to be affirming this basic conviction when he concludes his preface to the Hebrew translation of Totem and Taboo and Taboo by declaring ‘’The author hopes,’’ however, that he will be at one with be at one with his readers in the conviction that unprejudiced science cannot remain a stranger to the sprit of the new Jewry’’.


12月11日2 

2005年12月11日(日) 16時27分


・『人間モーセと一神教』何故書いたのか?



・また無神論者のフロイトは、『幻想と未来』において、「宗教は脅迫的な神経症である。」と記したが、
晩年になり、モーセとその宗教という題材を例にそれを証明しようと試みたのではないだろうか。
モーセの境遇に、自らの境遇と複雑に共感を感じ、自身の個人的な境遇をこの作品に投影したのではないだろうか。

[内輪で「ドイツ・マルクス主義の法王」というあだ名をつけられていたカール・カウツキーは、フロイト理論を猥褻な汎性欲主義として嘲笑し、悪態を浴びせかけた。「フロイトを読めば、人はすべての人間を生殖器官の付随物として考えてしまうかもしれない」。

12月11日1 

2005年12月11日(日) 15時29分


・『モーセと一神教』、ある意味支離滅裂にも関わらず、何故魅力的かを考える



・普遍性があるから
・フロイトの人気故に、フロイトの個人的な心情がおもしろいから、フロイトの言動ひとことひとことに誰もが興味を持つ。
・フィックション小説としておもしろいから



キーワード
・人間は幸福になろうとする、しかし人間が幸福になるのは難しい。
・『幻想の未来』において、フロイトは宗教を神経症という。

・フロイトは宗教に対して否定的であり、無神論者であった。
彼の友人、牧師のフィスターとは仲がよかったが、決してキリスト教を信じるということもなかった。
しかしフィスターは、フロイトを、誰よりもキリスト教的だとのたまった。
ピーター・ゲイ『神無きユダヤ人p83』
「あなたは無信仰者(ゴッドレス)ではありません。なぜなら『ヨハネ伝』四・十六によれば、神のうちに生きる人、愛の解放のために闘う人は、神のうちにとどまるからです。」「あなた以上に善きキリスト教徒はこれまでいなかった。」

12月9日5 

2005年12月09日(金) 19時47分


『芸術論』p157
「私はこれまでに、何度美しくないコルソ・カヴールの急な階段をのぼり、ひっそりと立っている礼拝堂を訪れて、モーセの侮蔑と憤りとを浮かべた眼差しをわが身に受けたことであろうか。そしてそんな時、あたかも私自身彼の怒りの眼差しが向けられている愚共の一人ででもあるかのように、内陣の薄明かりの中から外へ遁れ出たこともいく度もあった。」

12月9日4 

2005年12月09日(金) 18時38分


フロイト:『芸術論』より
「私は自分が芸術研究家でなくずぶの素人であることを予め断っておきたい。私はしばしば自分が、芸術作品の形式上・技術上の特色(芸術家が第一に重要視するのはいうまでなくこれだが)よりも、その内容に一層強く惹きつけられることに気づいてきた。芸術の数多くの手段や色々の効果に対して、元来私には正確な理解力が欠けている。」(p153)


だがフロイトは音楽は嫌い。
音楽に惹きつけられるとき、その感情が説明できないから!!

12月9日3 

2005年12月09日(金) 1時10分



ああああああああああああああああああああああああああもう!

12月9日2 

2005年12月09日(金) 0時56分



フライベルクを去る際、初めて母の裸を意識し、エディプスコンプレックスを経験したと
フロイトは語っている(小此木さん・フロイト)
これこそ出エジプト

幼少のフロイトは秀才、秀才、秀才、秀才、Spark and Spark
おそらくこんな幼少の自分を、エジプト人の高貴なモーセと重ねていたのでは???

精神分析の確立。世界へ広まる。
これこそ十戒の石版いただく。

ユングやらその他弟子らと大喧嘩、これこそモーセ殺害。

ああよくわかrなn幼稚ぐだぐだ
進まん死にたい

12月9日1 

2005年12月09日(金) 0時19分


今日はほとんど進んでない・・・。

ジグムントのフライベルク時代のヤコプに対する印象がわからん。

・『人間モーセと一神教』で、神経症の説明で、子供の父に対する去勢恐怖の例を用いて説明してる箇所を挙げる



・神経症の説明に去勢恐怖の例を用いるのは一般的だとはいいにくいのではないか?
去勢恐怖というのはユダヤ教の割礼から連想されるのではないか?
すなわちフロイトの個人的な記憶の中から神経症を説明したのであって
このような個人的な動機で説明したのは
ヤコプとモーセの境遇を重ねるためなのではないか。
フロイトともあろうものが、去勢恐怖などという処罰を普遍的なものとしてとらえたなど考えににくい。

12月7日6 

2005年12月07日(水) 21時45分


そしてモーセ殺害説である。
ヤコプが死んだ時、ジグムントは夢を見た。
罪悪感にさいなまれてるっていう。
それはイスラエルの民がモーセを殺害したときの心境と似通っているだろう。

それと同時に
殺害されるモーセと自分を重ねもした。
自らが、精神分析の原父となった今
その終わりはくるとわかっていたはずである。

またフロイトが、モーセを
・エジプト人の高貴な、気性の荒い暴君モーセ
・ミディアン人の卑賤な羊飼い、穏やかなモーセ
と二人いたと主張するのは
父ヤコプの姿に重ねていたのではないか
フライベルク時代の偉大な父は前者
ウィーンごろからの父は後者

最初のアトン教の神が後になりヤハウェ神を征服してしまったという件について
フロイトが説明している、「子供はやがて父そっくりになる」という説明をうかがわせる。

ユダヤ人以外の弟子、ユングとの決別でフロイトは
やっぱユダヤ人以外はうんこだ!と思った
すなわち古いアトン教の理念が回帰されたのだ。

んんんんんん!??
なんかわからんくなってきた
P R
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