いつか求めるもの。 

June 30 [Thu], 2005, 14:05
人は誰でも、先のことを知りたがるもの。
この人と上手くいくだろうか、結婚できるだろうか、とか。
恋愛の過程でも、必ずと言っていいほど自分の価値観との差で相手に対して気持ちが離れてしまうときがある。

そんなとき、人はどうやってまた相手に対しての恋愛感情を復活させるのだろう。
そのまま終わりにするか、それとも目をつぶって妥協し、中途半端な愛のまま付き合うのか、それとも思い切って相手を変えてしまうか。

世の中の男女のそういった恋愛社会における競争は、未だに健在なのか。

身近に、対照的な友人2名がいるので例に挙げてみる。
恋愛と人生は別だと考える友人B。
彼女は、自分の人生の中で恋愛は利用するべきものだという価値観を持っている。
男の紹介でまず最初に「金を持ってるの。」
つまり、彼女にとって愛情=自分のもの。
夜中の3時に平気で男を呼び出しては、送り迎えさせてそのままセックスなしの別れ。
使えるものは、トイレットペーパーのように使い、あっさりと捨てる。
自分の人生こそ1番であり、恋愛はその味付けみたいなものだそうだ。

対して、恋愛至上主義のC。
彼女は、結婚こそゴールであり、人生の中心。
3流映画であるような夢の家庭を求め、日々男を追いかける。
それは、逆に言えば男の言うがままの恋愛と言うことだ。
自分の夢さえ諦め、レストランでウェイトレスをやるような、言われるがままに自分を妥協して生きていく。
傍から見れば大変見苦しく、がっかりする女の1言に尽きるが。

こうやって見て、じゃあ自分は?
この中間なのだろうか。
いや、傍からみれば自分もアホみたいな人間なのかもしれない。
だからこそ、自分がいつか求めるものが何なのかを見極めなければ。
恋愛、結婚、仕事、人生。
相手に対しての想いが冷めたときこそ、動くときなのではないだろうか。

はじめに。 

June 28 [Tue], 2005, 13:07
人間とは、欲望と感情のままに行動するもの。
恋愛もその1つ。

最近、まじめに恋愛について考えてみて、人の心理とか、行動パターン、それによるリスクの差などを感じているうちに、1つの結論に行き着いた。

所詮、人は人で、その人のその時間、感情、タイミング。
全てにおいて、相手に自分をどのくらい妥協できるかで決まると感じた。
どう悩もうと、相手のことを考えようと、答えは出ているのにそれを直視しようとしないだけなのだ。

人は感情が相手と同調することによって、親近感が増したりするもの。
愛という感情を携えて、情熱的でいられるうちは恋人として存在するが、それが奉仕的な愛に変わると家族という立場になる。
果たしてこのままでいいのだろうか。

映画やドラマなんかでも、障害があり、それを乗り越えようとする過程に愛を求める。
じゃあその乗り越えた後は?
「めでたしめでたし」で締めくくった言葉の後に残るのは、ただ一緒に生活するだけで幸せな、そんな平凡で、かつての燃えるような感情を思い出としか感じない、そんなつまんない日々に満足して生きていくだけなのだろうか。

人は、いつでも自分を変える力がある。
それは、リスクを伴うとても危険なものだけど、このままでいることに飽きたなら、それこそ最善の道なのではないだろうか。
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