世界史第二弾「14世紀の世界〜第二章、中央ヨーロッパ、北、東ヨーロッパ、西アジア、中央、北アジア」

October 11 [Thu], 2012, 1:55
第二章文化は広がる。
文化は続く。
よりよいものは、周囲を育てる。
西ヨーロッパが、イスラム教徒からの国土回復運動、ローマ教会との争い、英仏百年戦争で混乱していた時参照、中央ヨーロッパには、教会と結びついていた瑞ケローマ帝国、ローマ教会、イタリア諸邦が存在していた。
このころの瑞ケローマ帝国は、シュタウフェン朝が支配していたが、前世紀の大空位時代を経て、ルクセンブルク家のカール四世が即位し、ルクセンブルク朝がそれに代わった。
このころになると、市民たちによる自治が行われていた、自由都市が出現しはじめていた。
一方で、ヨーロッパ全土ではペストが流行していた。
カール四世は、大空位時代の反省から、1356ひと見込む年金印勅書を発令、七選裏スタービーチ帝侯を選び、その中から次代瑞ケローマ皇帝を選出する体制を敷いた。
ベーメン、ブランデンブルク、トリール、マインツ、ファルツ、ケルン、ザクセンの七つの地区から選ぶ。
これで、皇帝位が空く事はないだろうカール四世は自信に満ちていた。
そのころのローマ教会は、フランス王、フィリップ四世との争いで、ボニファティウス8世が憤死、クレメンス五世がアヴィニヨンに移されると、対抗して独自に教皇を選出した。
1378悲惨悩む年、アヴィニョンとローマ、二つの教会が並立することとなり、これが収束するまでの状態を、教会大分裂大シスマと呼ぶ。
ローマを中心とした世界が分裂による混乱を迎えているとき、イタリア処方では、ルネサンスの片鱗が現れていた。
テが遂ネを書き、人文主義詩人、ペトラルカが現れ、画家のジョットは聖フランチェスコの生涯を描いた。
ボッカチオは、デカメロンを記し、この作品は、イングランドのチョーサーらに影響を与えた。
このころ、北、東ヨーロッパには、多数の国が存在していた。
主だったものを上げると、ビザンツ帝国はまだ存命であり、西アジアのオスマントルコの猛攻にさらされていた。
モンゴル帝国のバトゥが建国したキプチャクハン国は、このころになると衰退し、モスクワ大公国にクリコヴォの戦いで敗北、一気に崩壊へと向かう。
ポーランドではカジュミェシュ大王が即位。
リトアニアと合流し、ヤゲウォ朝ポーランドリトアニア王国が成立した。
このころの西アジアは、全盛を誇っていた初期イスラム勢力の王朝はマムルーク朝くらいしか残っていなかった。
代わって大帝国を作り上げていた、オスマン帝国は、デウシルメ制を導入し、キリスト教徒の捕虜を使ったイェニチェリ軍団を組織した。
オスマン帝国のバヤジット一世は即位時、こんな事を言った。
ビザンツ帝国はイスラム勢力にとって邪魔な存在だバヤジット一世はビザンツ帝国に攻撃を仕掛け、ニコポリスの戦いで圧勝した。
同じころ成立していたイルハン国は、北のキプチャクと同じような運命をたどり、この世紀中に事実上滅亡、中央アジアのティムール朝に征服された。
この国では、歴史家ラシードウッディーンアッディーンでも可が集史を記した。
中央アジアに存在していたのは、チャガタイハン国であったが、国内の混乱により衰退。
武将のティムールが国内を統一し、1370人見直す年、ティムール朝を建てた。
都はサマルカンドであった。
イブンハルドゥーンは世界史序説を記し、歴史について考察を行った。
これらの地域は、こののち、勃興と衰退を繰り返し、争いの歴史へと向かっていくことになる。
続く。
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