Face book 東アジア倶楽部 2012年9月25日(多分)火曜日

September 28 [Fri], 2012, 16:22
東アジア倶楽部2012年9月25日多分火曜日反日デモは終息したが、中国の外交戦はこれから本格化するだろう。
覚悟も戦略もないのに、政権維持のためだけに記者会見まで開いて火に油を注いだ野田首相には、何の手立てもない。
今日は尖閣諸島に、台湾の漁船と監視YYC 攻略船が現われた。
こういう映像をトップニュースにするマスコミは、そもそも今回の騒動は誰が始めたのか忘れたのか。
今ごろは高笑いをしているだろう、あの男である。
何しろ総理大臣になれなかったことが悔しくて、何かにつけて国に喧嘩を売り、困らせることが生き甲斐なのだ。
今回は総理大臣の愚かさも手伝って、大成功だった。
世の中には時々、根っから病んだ人間がいる。
どうしてなのかはわからないが、ブラックホールのようなものなのかもしれない。
あらゆる闇と憎悪の根源で、全てを破壊する。
それで石原慎太郎Aその二である。
戦後、アメリカの後光を背負って登場した石原兄弟は、若者たちの目にまぶしく輝いて見えた。
石原慎太郎にとってアメリカは第二の父であり、世に送り出してくれた恩人である。
昭和27年、サンフランシスコ講和条約の発効で日本が独立するまで、占領軍のトップだったマッカーサー司令官は当時、天皇を凌駕する存在だった。
みずからの命運を握られた昭和天皇は、ひたすらアメリカに擦り寄った。
アメリカ軍による永久占領を望み、沖縄を差し出したのである。
昭和天皇は、それまで命を捧げてきた日本人を裏切った。
湘南でアメリカ人のようにヨットに乗り、アメリカ人並みに足の長い弟とセットで売り出した石原慎太郎は、垂フ似姿ならぬアメリカの似姿だった。
それは当時、誰も逆らえない絶対の権威だったのである。
石原の支持層の中核を成している高齢層には、今もあの頃のまぶしい姿が焼き付いているのだろう。
かつて石原はNOと言える日本という本を書いて反米的に見える素振りをした。
だがそれは、息子が父に噛み付いてみせて、喝采を浴びようとしただけなのである。
あの時はそれがウケる時代だったからだ。
だが時代が変わりアメリカに睨まれると、すぐに対米従属の本性を現した。
そもそもアメリカを抜きにして、石原慎太郎は世に出られなかったのだから続く
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