同年4月、WJプロレス崩壊に伴

July 15 [Sat], 2017, 20:08
「最強レスラー数珠つなぎ」――毎回のインタビューの最後に、自分以外で最強だと思うレスラーを指名してもらい、次はそのレスラーにインタビューをする。プロレスとはなにか。
MCM iphone7カバー激安強さとはなにか。この連載を通して探っていきたい。
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⇒【写真】中嶋勝彦

「なんでよけるかなあ!」

 大歓声に紛れて、そう叫ぶ客がいた。超満員の会場に、白けた空気が漂った。
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 6月4日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会。GHCヘビー級王座チャンピオンである中嶋勝彦が、5度目の防衛戦に勝利した直後のことだ。
ルイヴィトンiphone7ケースおそらく挑戦者モハメド・ヨネの必殺技・キン肉バスターを、中嶋が受けなかったことを言っているのだろう。

 ノアを創設した三沢光晴は、「受けの天才」と呼ばれた。
シャネルiphone7ケースどんな技でも受ける。受けきった上で勝つ。
ルイヴィトンiphone7ケースそんな三沢のプロレスを愛するファンが、今でも多くノアを応援している。三沢の付け人だった丸藤正道、三沢が亡くなる直前までタッグパートナーを務めた潮ア豪……。
ルイヴィトンiphone7ケー三沢イズムを継承するレスラーたちの中で、昨年ノアに入団したばかりの中嶋を、ひょっとしたら受け入れていないファンもいるのかもしれない。

「なんでよけるかなあ!」――たった一人の客が叫んだこのひと言が、なにか大きな意味を持つように感じられ、胸が締めつけられる思いがした。
ルイヴィトンiphone7ケース自分と重ね合わせていた。

「プロレスを分かってねえな」

 そう非難されたことを、私は思い出していた。
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【vol.12 中嶋勝彦】

――鷹木信悟選手のご指名です。15歳9ヶ月、史上最年少でデビューして、意志が強かったんだろうと。
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中嶋勝彦(以下、中嶋):光栄ですよ、嬉しいですね。鷹木選手とは同年デビューで、とても刺激をもらっている選手の一人です。
ルイヴィトンiphone7ケースドラゴンゲートでも試合をしましたし、健介オフィスの後楽園ホール大会でもシングルをやらせてもらいました。それ以来かな。
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――6月4日の後楽園ホール大会、素晴らしかったです。三沢さんの追悼セレモニーも感動的でした。
シャネルiphone8ケースあの日のメインイベントで、モハメド・ヨネ選手のキン肉バスターを受けなかったのはなぜですか。

中嶋:だって、受けたら負けちゃうじゃないですか(笑)。
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――どんな技でも、受けきる選手もいますよね。

中嶋:僕もどちらかと言うと、受けきりたいタイプです。
シャネルiphone8ケース受けきるほうだと思います。でもキン肉バスターは危険な技ですし、彼の一番得意とする技でもあるので。
シャネルiphone7ケースきっとヨネさんも、僕のヴァーティカルスパイクを受けないようにしていたと思いますよ。受けたら、それで試合が終わってしまう可能性がありますから。
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――「受けの天才」と呼ばれた三沢さんの団体の選手として、三沢イズムをどう捉えていますか。

中嶋:僕はノアに入ってまだ2年目なので、丸藤さんや潮アさんのように、三沢イズムを言葉にできるほどではないんですけど。
グッチiPhone7ケース三沢さんとはシングルで2度、戦わせていただいて、やっぱり全ての技を受けきってくださいました。プロレスの奥深さをすごく学べた気がします。
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――追悼セレモニーのとき、どんなことを感じましたか。

中嶋:三沢さんが作られたベルトを僕が今持っているので、「大事なベルトを持たせてもらっています」という気持ちでした。
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――昨年10月にベルトを獲ってから、心境の変化は?

中嶋:ノアをより盛り上げたいという気持ちが強くなっています。今V6ですが、防衛する度に思いますね。
ヴィトン iphone7ケース今年のノアは「NOAH THE REBORN」を掲げているくらいなので、本当に一からの再生というか、これから新たに作っていこうとしています。親会社も去年11月に新しくなりましたし。
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――会社が新しくなって、選手にも変化はありましたか。

中嶋:選手は変わっていないと思います。
シャネルiphone8ケースリングに上がることに関しては、ブレてないですね。僕だけじゃなく、他の選手もみんな。
グッチiPhone7ケースノアに上がっているという誇りは、すでに持っているので。

――昨年12月、2年間ノアで抗争を繰り広げた鈴木軍が撤退しました。
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中嶋:今までは鈴木軍に対して、みんなで頑張ろう、倒そうという図式だったんですけど。鈴木軍がいなくなって、個の力というか、考えというか、そういうのが目立つようになってきていると思います。
ルイヴィトンiphone7ケース純粋なノアに戻ったというか。

――観客動員数に変化はありましたか。


中嶋:あったと思いますよ、やっぱり。だから本当に、これからなのかなと。
シャネルiphone7ケースお客さんが一番、これからノアはどうなっていくのか楽しみにしてくれていると思うし、今までが今までだったので、不安要素もきっとまだあると思う。そういうのを払拭できるような戦いを見せられるように、僕自身も努めていきたいなと思ってます。
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――不安要素と言うと?

中嶋:簡単に言えば、お客さんを裏切るようなことがないようにしたい。期待に応えるのはもちろんですけど、期待以上のものを見せられるように。
ルイヴィトンiphone7ケースこれまでもノアという団体は、そういう団体だったと思うので。

――中嶋選手と言えば、パワフルなキックです。
シャネルiphone8ケース小学校3年生のとき、空手を始めたんですよね。

中嶋:強くなりたかったんですよ。
グッチiPhone7ケース幼稚園の頃、喧嘩をしても負けて、いつも泣いて帰ってたんです。それが悔しくて。
ルイヴィトンiphone7ケース当時、兄が空手をやっていたので、自分もやりたいと言って、道場の門を叩きました。それ以降は空手に打ち込んだので、喧嘩はしなくなりましたね。
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――中学校1年生のとき、全国大会で優勝されました。

中嶋:極真会館松井派の大会です。
シャネルiPhone7ケース全国からいろんな選手が集まって、僕も町道場からエントリーして。よく「極真だったんですか?」って聞かれるんですけど、僕は極真ではないんです。
ルイヴィトンiphone7ケース大会が極真ルールだったんですよね。フルコンタクトっていう、素手で殴り合うやつ。
ルイヴィトンiphone7ケース防具をつけて顔面ありというルールもあるんですけど、僕は顔面は蹴りだけで、パンチは首から下だけでした。

――その頃の活躍が、前田日明さんの目に留まったとか。
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中嶋:前田さんと会ったのは、中学校2年か3年のときです。当時は格闘技のほうに行きたくて、一番最初にご縁があったのが前田さんでした。
ルイヴィトンiphone7ケース横浜文体でリングスの試合があったときにご挨拶に行って、リングスに入りたいという旨を伝えたんです。そしたら「上を脱げ。
シャネルiphone8ケース背中を見せろ」と言われて。脱いだら、「じゃあ、来い」と言われました。
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――でもリングスは解散した。

中嶋:中学を卒業したら入る予定だったんですけど、卒業する年の12月にリングスは解散したんですよね。
グッチiphone7ケース前田さん、覚えてるのかな? 覚えてないと思うなあ。もう15年前ですよ。
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――プロレスは好きだったんですか?

中嶋:何回か観戦したことはありました。空手の先生がプロレス好きだったんです。
グッチiPhone7ケースそれこそノアも観に行きましたし。初めて観たのは、小学校4年か5年くらい。
ルイヴィトンiphone7ケース愛知県に全日本プロレスが来るということで、先生に連れられて。先着100人、レスラーと写真撮影ができたので、先生と一緒に並びましたね。
ヴィトン iphone7ケースでもそんなに興味もないし、全然分からなかったです。すごい体だなあ、くらい。
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――中学校3年生のとき、長州力さん率いるWJプロレスにスカウトされて、入団されました。中学生にとって、すごい決断です。
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中嶋:ずっとプロの世界に行きたかったんですよ。高校なんて行ってらんねえ、と思ってました。
シャネルiPhone7ケース勉強するよりもお金を稼ぎたかった。母子家庭で、めちゃくちゃ貧乏だったんです。
シャネルiphone8ケース空手から帰ってくると、家が暗いんですよ。電気が止められてるから。
シャネルiphone8ケース奥のほうからローソクを持った母親が「お帰り」って出てきて、最初、お化けかと思って、まじビビりました(笑)。そういうのが何回か続くと、慣れるんですね。
ヴィトン iphone7ケース「あ、今日は電気切れてんだ」みたいな。

中嶋:ガスも止められてるから、水風呂です。
ルイヴィトンiphone7ケースそれこそお金がないから、夜ご飯もないし。給食でたらふく食ってましたね。
ヴィトン iphone7ケース月に一回、学校で僕だけ茶封筒を渡されるんですよ。給食費払ってないから。
グッチiPhone7ケースだからもう、自分のためにも、親のためにも、この生活をなんとかしたいっていう気持ちでした。僕にとっては、高校に3年間行くよりも、外に出てお金を稼ぐ3年間のほうがよかったんです。
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――就職は考えなかった?

中嶋:まったく考えなかったです。プロしか見ていなかった。
シャネルiPhone7ケース中学校って、部活に入らなきゃいけないじゃないですか。でも僕はプロに行くから、部活なんかやってられませんって言って。
ルイヴィトンiphone7ケース空手の先生を学校に呼んで、校長先生に直談判(笑)。だから僕、帰宅部だったんです。
ルイヴィトンiphone7ケース学校が終わったらそのまま道場に行って、空手の練習をしてました。

――空手のプロになりたかったんですか。
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中嶋:当時はK-1です。アンディ・フグ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルド、ピーター・アーツ。
ルイヴィトンiphone7ケースその4人が主軸になっていて、すごく華やかに見えたんですよね。アンディ・フグさんは極真の出身なんですけど、180cmでK-1の中ではすごい小さいほうなんです。
エムシーエムiphone7ケースそれでもグランプリで優勝とかしていて、僕も体が小さかったので、そういう活躍に憧れて、プロの道に行きたいと思いました。

――WJプロレスに入団してすぐ、X-1で総合格闘技デビューされました。
グッチiPhone7ケース58秒でレフェリーストップ、KO勝ち。その頃、プロレスは?

中嶋:受け身の練習とかはやってましたね。
エルメス iphone7ケースプロレスデビューするための練習は、その頃からしていたと思います。長州さんに、「コスチューム作っておけ」と言われて、翌年の1月にデビューしました。
ルイヴィトンiphone7ケースデビュー戦の相手は石井智宏選手。でも覚えてないんですよ、緊張しすぎて。
Michael Kors iphone7ケースなんの技をかけたとかも、あんまり覚えてない。必死でしたね。
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――2004年にWJプロレスが解散になって、健介オフィスに入団されました。健介オフィスを選んだのはなぜですか。
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中嶋:WJのときに、長州さんを始め、越中詩郎さんとか、保永昇男さんとか、鈴木健三さんとか、いろんな方々に練習を見てもらったなか、佐々木さんの練習が一番厳しかったんです。厳しいところに行けば、間違いないなと思った。
グッチiPhone8ケースそれだけの理由ですね。佐々木さんがWJを辞めてフリーで活躍されていた頃で、2年半くらい一緒に住まわせてもらいました。
ルイヴィトンiphone7ケースお子さんの幼稚園の送り迎えもしましたし、すごく仲良くしてもらいましたね。

――かなり厳しいところだと聞きます。
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中嶋:厳しかったです。プライベートは全然優しいんですけど、仕事に関してはすべて厳しかったですね。
エルメス iphone7ケース練習だったり、礼儀だったり。礼儀が一番厳しかったかもしれないです。
ルイヴィトンiphone7ケースお辞儀の角度とか、そういうところまで指導されました。「頭をここまで下げろ」みたいな。
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――全日本プロレスの宮原健斗選手と同門ですが、宮原選手はどんな方でしたか。

中嶋:年齢は健斗が一個下で、後輩です。
ルイヴィトンiphone7ケース努力家でしたよ。練習メニューとか、ひたすらメモってたのを覚えてます。
ヴィトン iphone7ケースすげえなと思って。僕はそんなに計画性はないです。
エルメス iphone7ケース自分の体調とかを含めて、その場で決める。イヤなときはやらない。
グッチiPhone7ケース健斗は下手したら、「何時にはこうしてなきゃいけない」とか、そういうタイプです。ああ見えて、細かい奴ですよ(笑)。
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――健介オフィスには、16歳から27歳までいたんですよね。11年間、辞めなかった理由は?

中嶋:僕の中で、ここしかないと思っていたからですね。
シャネルiPhone7ケース自分で選んだ場所だから。団体という枠で捉えたときに、健介オフィスって本当に小さな団体なんです。
グッチiPhone7ケース所属選手も6人くらい。だから興行をやるにしても、みんなでリング設営をしたりとか。
エルメス iphone7ケース人数が少ない分、喜びをみんなで分かち合えたっていうのはありましたね。

――一昨年、退団されたのはなぜですか。
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中嶋:佐々木さんに、「独立したらどうだ?」って言われたんです。佐々木さんの言葉がなければ、辞めてなかったと思います。
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――健介オフィス時代から、他団体にも多く出場されていました。

中嶋:最初は新日本ですね。
ルイヴィトンiphone7ケース(獣神サンダー・)ライガーさんと東京ドームでやりました。2004年1月にデビューして、その年の5月に。
エムシーエムiphone7ケースドームの大きさとかも知らなかったですし、そんな大人数の中で試合をしたこともなかったので、すごく貴重な体験をさせてもらいました。花道も走ったんですよ。
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――デビューして5か月で東京ドームとは、エリートですね。
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中嶋:全然エリートじゃないですよ。しょっちゅう挫折してました。
グッチiPhone7ケース何回もプロレス辞めようと思いましたよ。健介オフィスのときは月に10〜15試合していたので、体力的にも精神的にもキツかったです。
ルイヴィトンiphone7ケースプロレスって、なかなか思い通りにいかないですしね。ベルトが獲れないとか、試合展開とかも。
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――新日本プロレス以外だと、全日本プロレスとノアに上がることが多かった?

中嶋:そうですね、全日本、ノア。でもDDTもそうですし、みちのくプロレスも。
グッチiPhone7ケースほとんどの団体に上がってますね。ZERO-1も上がってました。
ルイヴィトンiphone7ケース大阪プロレスも上がったかな。

――フリーになるにあたり、たくさんの選択肢がある中、なぜノアに入団を決めたんですか。
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中嶋:健介オフィスにいた後半は、ノアを主戦場にさせてもらっていたので、ノアに対する思いが強くなっていたんですよね。そのときからもう、BRAVEというユニットでやっていましたし、仲良くさせてもらってました。
ルイヴィトンiphone7ケース試合以外でも楽しい場所だったので、自然とノアに入りたいという気持ちになりましたね。自分から入団したいとお願いしました。
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――当時のノアはどんな状況でしたか。

中嶋:2015年、鈴木軍が入ってきた年です。
シャネルiphone7ケース12月の大田区体育館で、鈴木軍の(シェルトン・X・)ベンジャミン戦で勝って、その後ですかね。「考えがある」みたいなことを言って、翌1月にノア入りしました。
グッチiPhone7ケース気づいたら、僕はノアの一員だと思ってましたから。ノアを盛り上げたいという気持ちも、人一倍強かったです。
シャネルiphone7ケース他団体なのに(笑)。

――今後の目標は?

中嶋:とにかくノアを盛り上げること。
エルメス iphone7ケースそれしか考えてないですね。

――どうすれば盛り上がると思いますか。
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中嶋:ノアがなにを見せたいかっていうのを軸にして、形にするべきだと思います。それをもっと確立していかないことには、見ているお客さんも分からなくなりますよね。
ルイヴィトンiphone7ケース今まさに、分からないと思うんです。ジュニアはそれなりに形になってるんですけど、ヘビーはお客さんになにを見せたいのか、はっきりしない。
ルイヴィトンiphone7ケースタイトルマッチとか前哨戦は分かるんですよ。でもそれ以外のとき、一体なにを見せたいのか、僕には分からない。
ルイヴィトンiphone7ケース会社的に軸があったほうが、もっと見やすいですし、もっと表現しやすくなるんじゃないかと思います。

――ユニット間の抗争だったり?

中嶋:それすらも今、やってないじゃないですか。
グッチiPhone7ケース即席ばっかりで。なにをしたいのか分からない。
ルイヴィトンiphone7ケース世代交代の軸を作ったら、面白くなるんじゃないかと思うんですよ。それが今見せられる、一番の軸なんじゃないかなと。
シャネルiphone7ケースこの間、防衛したときも、「上の世代が振り向いてくれないかな」とコメントしました。上の方々が偉大なレスラーばかりなので、刺激をもらいながら、いい意味で活性化できればいいかなと思ってます。
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――ノアの良さと、そうでない部分は?

中嶋:良さとそうでない部分が、イコールだと僕は思いますね。もっと良さを出せる団体だと思いますし、これだけレベルの高い選手が揃っていて、バラエティも豊かで、ノアという団体はもっと上に上がれるはず。
ルイヴィトンiphone7ケースそうなるべきだと僕は思ってますから。レスラーの一人として、精一杯やっていきたいです。
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――どんなレスラーになりたいですか。

中嶋:痛みを伝えられるレスラーになりたいですね。
ヴィトン iphone7ケース肉体的な痛みもそうですし、精神的な痛みも。僕が一番、プロレスって素晴らしいなと思うのは、痛みを人に伝えられるところなんです。
グッチiPhone7ケースいろんな挫折を表現できたり、耐えて耐えて、返していく過程も表現できる。大人ももちろんなんですけど、僕は本当に、子供たちに見てもらいたいなと思ってます。
エルメス iphone8ケースいじめのニュースが多いじゃないですか。僕もいじめられた経験があるんですけど。
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中嶋:殴ったら殴った手は痛いし、殴られたほうも痛いというのを伝えたい。やる側の痛みと、やられる側の痛み。
シャネルiPhone香水風ケース両方をプロレスは表現できると思うんですよ。殴ることで痛みを知るというか。
シャネルiphone7ケースそういう気持ちを理解してもらえるような試合ができたらいいなと思いますし、それを伝えるために、自分たちももっとプレイヤーとして、リングからできることってあるんじゃないかなと思ってます。

――この連載では「強さとはなにか」を探っているのですが、中嶋選手にとって、強さとはなんですか。
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中嶋:痛みの数だと思います。僕は子供の頃から、痛み続けているんですよね。
ルイヴィトンiphone7ケース貧乏だったので、周りの目もありました。雨が降ると、みんな車で道場に行くのに、僕だけ自転車で。
グッチiPhone7ケース台風の日も、ビショビショになりながら自転車こいで。そういう痛みも、殴られたときの痛みも、挫折したときの痛みも、越えられたときって強くなれるじゃないですか。
グッチiPhone7ケースそれが僕は強さだと思います。プロレスラーに限らず、どんな人でも。
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――では、次の最強レスラーを指名していただけますか。

中嶋:最強と言えば、初代タイガーマスク。
ヴィトン iphone7ケース佐山サトルさんですね。どう考えても最強ですよ。
ディオールiphone7ケース理由はないです。生きるレジェンドです。
エルメス iphone7ケース僕はデビュー4戦目で、後楽園ホールでシングルをやらせていただきました。入場のときにトップロープを飛んで、本当にカッコよかったです。
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――ありがとうございました。

 中嶋に向かって「なんでよけるかなあ!」という野次が飛んだとき、私は数か月前、「プロレスを分かってねえな」と非難されたことを思い出した。
ヴィトン iphone7ケース強いレスラーばかり取材して、プロレスのなんたるかを分かっていない――。言い返せない自分が悔しかった。
グッチiPhone7ケースこの連載を辞めたくなった。そんな自分と中嶋を重ね合わせて、どこかホッとしていた。
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◇トルコで18日開幕 第1陣が成田空港から

 聴覚障害者の国際スポーツ大会「夏季デフリンピック」が18日、トルコで開幕する。4年に1度開催され、今回で23回目だが、同じ障害者スポーツの総合大会「パラリンピック」に比べ知名度が低い。
ルイヴィトンiphone7ケー関係者は「耳が聞こえない人たちのオリンピックがあることも知ってほしい」とアピールする。選手団の第1陣は14日夜、成田空港から現地に出発した。
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 サッカー日本代表主将で日本選手団の旗手を務める古島(ふるしま)啓太選手(26)=大阪府守口市=は、2歳の時に難聴とわかった。父や兄の影響を受け、5歳でサッカーを始めた。
エルメス iphone7ケース健聴者と一緒のチームに入ったが、周りから声をかけられても聞こえないため、連携がうまくいかないこともあった。しかし、周りの動きをよく観察することで対応できるようになったという。
シャネルiphone7ケース20歳の時に、聴覚障害者が行う「デフサッカー」に出合い、現在は会社に勤めながら、健聴者の社会人チームとデフサッカーのチームの双方でプレーしている。

 デフリンピックはパラリンピックと同様に夏季と冬季に開催されるが、古島選手は「同じように扱ってもらえない」という戸惑いは感じているという。
グッチiPhone7ケースそれでも「将来の子どもたちのためにも、今回結果を出してデフリンピックの知名度を上げたい。最低でも予選突破」と意気込む。
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 デフ(Deaf)は英語で聴覚障害や耳が聞こえないことを意味する。リハビリを目的に始まったパラリンピックより、記録を重視する。
シャネルiphone7ケース第23回夏季大会は30日まで開かれ、日本代表は全21競技のうち、陸上やバレーボールなど11競技に男女計108人が参加。金5個、銀と銅ともに10個のメダル獲得を目指している。
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 しかし、中嶋と私は違った。中嶋は、なに一つよけてはいない。
iPhone7ケース貧しかった子供の頃から、チャンピオンになった今に至るまで、なに一つ。たった一人に非難されたくらいで逃げ出したくなるような私とは、違うのだ。
ルイヴィトンiphone7ケース強くて、カッコよくて、尊い、プロレスラーなのだ。

 これからも、私は強いレスラーを取材する。
シャネルiphone8ケースプロレスとはなにか、強さとはなにかが分かるまで、よけずに記事を書いていく。それがきっと、私にとって、強いということだから。
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【PROFILE】中嶋勝彦(なかじま・かつひこ)

プロレスリング・ノア所属。’88年3月11日、福岡県福岡市生まれ。
グッチiPhone7ケース小学校3年生から空手を始め、中学1年生のとき、極真会館松井派主催の全国大会で優勝する。2002年12月、WJプロレスにスカウトされ、入団。
グッチiPhone7ケース2004年1月、対石井智宏戦でプロレスデビュー。同年4月、WJプロレス崩壊に伴い、退団。
ルイヴィトンiphone7ケース同年4月、健介オフィスに入団する。全日本プロレス、ノア、ZERO1-MAXなど、様々な団体に参戦し、タイトルを多く獲得。
シャネルiphone8ケース2015年7月、健介オフィスを退団し、フリーランスに。2016年1月、主戦場にしていたノアに入団。
ディオールiphone7ケース20016年10月23日、横浜文化体育館で杉浦貴の保持するGHCヘビー級王座に勝利し、ベルトを獲得。現在、V6。
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