移転先のご案内 2011.09.13.(火)
お引越し作業も一段落ついたので
ヤプログの更新を停止します。


改めていいところだったと思うこともあり
ちょっと寂しい気も・・・



また戻るかも?





移転先は、アメーバにしました。

ファヤウの日記

ブックマークの変更等お願いします。









** アメブロの表示について **

IEでは確認済みですが、表示がおかしいところがあれば教えてください。
 
 
 
Posted at 22:04 / ごあいさつ / この記事のURL /
PC故障中 2011.09.13.(火)
お引越し作業中でしたが・・・
私のPC、ウィンドウズが破損したらしく
起動しませんorz


で、旦那のPCをつかってます。



お引越し作業もじわじわ進みまして
一応形ができてきました。


もう少ししたら、URL貼りますね。  
 
 
Posted at 11:27 / 多分日記 / この記事のURL /
突然ですが 2011.09.08.(木)
ブログのお引越をしようと思います。


やっとか・・・って感じですねww


まだ作業中なので、URLは後日で・・・
 
 
 
Posted at 23:04 / 多分日記 / この記事のURL /
6ヶ月を振り返ってみる その4 2011.09.02.(金)
アパートは通行禁止区域&ガレキ散乱で近づけないので
銀太が心配だけど、向かうことは叶わず・・・
心配で心配でおかしくなるんじゃないかってくらい、心配でしたが
私の力じゃどうにも出来ないので、仕方がなく義実家へ。



そこらに車が転がっていて、障害物になっているので
譲り譲られゆっくり進んでいきます・・・が、結局通れず遠回りしたり。
車が3台くらい重なってるのが普通なんですよ。
ここは映画のセットですか?というくらい・・・
窓ガラスが割れた建物、壁のない建物。
ヘドロだらけで滑る自転車、道なき道を進む車・・・
アスファルトはあちこちで段差が出来ていて、ずっと徐行運転。






どこをどう通ったか分からないまま、義実家へ。
昔からある土地だからか、比較的被害は少なかったようです。
でも新生児を連れて、不自由な生活・・・不安だらけでした。




オムツはあらかじめ買っていたのがあったのでよかったのですが、おしり拭きがピンチ・・・
営業を再開した店舗に買出しに行くも、入場するまでに3時間かかるとかね。
やっと入れても、目的のおしり拭きがない!
カス○のせいだ・・・とぼやいてました。



おしり拭きはなかったけど、ラッキーなことに清浄綿を発見!
とりあえず何とかなるかな、と希望がわいてきました。
動ける人はみんな、どこが営業してるとか
何が売っていたとか聞くと、速攻買いに走ってましたねぇ・・・
お陰で不自由ながらも、何とか生活できてましたから。



子供の沐浴は、ストーブとかカセットコンロでお湯を沸かし
魔法瓶で保温しつつ、冷たい水と割って調整して入れてました。
大人はその残りで体を拭いたり。
寒い季節でよかったと、しみじみ思いましたね・・・
ストーブが使えたので。
つくづくファンヒーターは役に立たないと思いました。
もともとストーブラヴァーだったんですが、震災のお陰でゆるぎないものに。





あとはちらほらとブログに書いていたようなことがあったんですよ。
続きはまた書くかも。
 
 
 
Posted at 22:30 / 多分日記 / この記事のURL /
6ヶ月を振り返ってみる その3 2011.09.02.(金)
眠れぬ夜をすごし、翌朝。
改めて津波の被害を確認してみると、辺りは雪が積もってました。
ヘドロだらけの道路に転がる車たち。
何がなんだか分からないゴミが大量に散らばり・・・
向かいのタイヤショップは池の中に浮かんでいるよう。
そのすぐ隣には新築されたお家がありましたが
車が突き刺さり、もう住める状況ではなさそうでした・・・



そのとき気がついたんです。
私が勤めていたお店が目と鼻の先に・・・
心配になるものの、確認のしようがありませんでした。
ただひたすら無事を祈るばかりでした。




そうそう。
私たちが2Fに移動したとき、全身ずぶ濡れの夫婦と
新生児らしからぬ鳴き声の赤ちゃんがいたんですね。
どうしたんだろうと思っていたら・・・押し寄せる津波の中
九死に一生を得た家族でした。
赤ちゃんは3ヶ月の子でした。
話を聞いていたら、ぞっとするような凄まじさでした・・・






朝になったら、港の火災の様子もよく見えます。
九死に一生家族のお父さんが消防士さんで、病院に影響はないだろうと言われて、ちょっと安心。




付き添いのお父さんたちと、助産師さんたちが
3軒隣の酒屋に、食料調達に出掛けました。
そのお陰でスナックのようなものでも、お腹を満たすことができて助かりました。
私は冷蔵庫に頂き物があることを思い出し、フルーツやケーキを提供。
ちょっとでも役立てたことがうれしかったです。







自衛隊の人が何度か病院にコンタクトをとっていたようですが
避難場所の市役所には、船を使わないといけないことや
全員が移動するのは無理だろうということで
物資の支援をお願いするも、なかなか届かず・・・
発電機のガソリンが一番ピンチでした。
ほとんど全員が携帯のバッテリーが切れ、外部との通信が困難なこともあり
わずかな時間だけ充電させてもらったけども
夜照明をつけるために、ガソリン温存のため数人のみ。
私はラッキーでした。




本当なら退院の日ですが、R45の封鎖区間に位置していることと
道路が水没して船が必須なこと、障害物が多すぎて近づけないなどなど
数々の悪条件で退院できず、そのまま2日目突入。
その翌日、何とか旦那が病院にたどり着き退院できることに。
旦那が病院に来たときには、どうやって来たのかとか
被害状況の確認とか、知りえる情報はすべて残して退院。
遠方から通う助産師さんを乗せて無事?退院できました。



そうそう。
うちは幸運なことに、普段電車通勤の旦那が
この日は私の退院用の服とか届けるために車で出勤してたんです。
駐車場の都合上、無理やりですが・・・
お陰で車は無事だったんですね。
ほんとに幸運でした。
 
 
 
Posted at 22:11 / 多分日記 / この記事のURL /
6ヶ月を振り返ってみる その2 2011.09.02.(金)
津波!?


地震発生から30分くらい経過していたでしょうか。
頭をよぎるのは、仙台空港の映像・・・
もう怖くて怖くて仕方がありませんでした・・・






病室は2F。
高いところに逃げるにしても、病院は3階建て。
3Fには電気制御室と屋上だけ・・・
とりあえずお母さんたちは我が子を抱き、電気制御室へ。
ありったけのマットレスと毛布、布団やらシーツ。
食料と水、ラジオに照明器具、発電機もすべて運ばれます。
3Fに上がるとき、明り取りの窓から津波の様子が見えました。
最初は少ないかな?と思ったんです・・・が
次第に水位が上がっていき、車が流れていくのが見えました。
助産師さんたちが口々に「私の車が!!」と・・・






そのとき、私の頭の中では車なんてどうでもよかったです。
津波が来たということは、川沿いにあるうちのアパートにも
津波が押し寄せているということです・・・
そこには1匹でお留守番をしている銀太がいます。
川沿いということは、川をさかのぼってくるわけで
間違いなく被害は甚大だと思いました。

もう涙が止まらず、ひたすら泣いていました。









そうこうしていたら、携帯に着信が・・・
新幹線に閉じ込められている母からでした。
最悪なときに呼びつけることになってしまったことを謝り、無事を喜びました。
電波状況が悪く、長話も出来ないので
ちょこちょこっとしか話せませんでしたが、すごく落ち着いたのを覚えています。


そして旦那からも着信があるのですが、つながりません。
新幹線の公衆電話は大丈夫でも、携帯同士はダメなようです。








何時間、電気制御室にいたか分かりませんが
水が引いてきたのと、2Fは無事だったので
みんなで2Fに移動し、ろくな食料がない中食事をし
時折地響きが聞こえ揺れる中、眠りにつこうとするものの眠れず・・・
たまに鳴り響く緊急地震速報は、このときすでに役立たずでした。
 
 
 
Posted at 21:53 / 多分日記 / この記事のURL /
6ヶ月を振り返ってみる その1 2011.09.02.(金)
震災からもうすぐ6ヶ月が経過しようとしていますね。
なんていうか・・・早いです。


さてさて。
ブログには書いてなかったですが
震災の前2ヶ月くらい、小さな地震が頻発してたんですね。
思えばこれが予兆だったのでしょう。
そして私が入院する1週間くらい前から、絶えず小さな揺れがありました。

人によってはまったく気がつかないLvの揺れです。


起きているときは、私も分かりませんでした。
横になりじっとしていると、なんか揺れてるなー・・・って。
そして7日に息子が生まれ、名前を決めるまでの間
毎日揺れてるよね、って話をよくしてました。




退院を翌日に控えた3月11日金曜日。
午前中に義両親が来て、お昼前に勤めていたお店の店長が面会に来てくれました。
その3時間後には、聞きなれない音が鳴り響き・・・「緊急地震速報」の文字が。
何それ?と思いつつ、息子のところへ走り出したとたん
激しい揺れが病院を襲いました。
黄疸のため保育器で治療中だった息子が心配で、気が気ではありません。
ですが大地震。
なすすべもありませんでした・・・



その後、赤ちゃんたちをガラスのない部屋へ移動し
被害状況の確認のため、ラジオをつけたり物資の用意で
病院中があわただしくなっていました。
産後だし、病院の勝手が分からない私は
8人くらい?の赤ちゃんと、2人しか来なかったお母さんとで
赤ちゃんのお守りをしてました。
頻発する余震の中で、他のお母さんたちはどうしたんだろう・・・と。







助産師さんたちが、一箇所に集まり騒いでいました。
何事かと聞いてみたら、仙台空港が津波に襲われている様子が映っていました・・・


一気に怖くなりました。
ただの大地震じゃない!と。




私が入院している病院は、仙台港から3キロ程度しか離れていません。
ここにも津波が来るの!?と、軽くパニックに。
楽しみに待っていた赤ちゃんが、やっと生まれた矢先に
私の人生どうなっちゃうの?と、底なしの不安に襲われました。


旦那はどこでどうしているだろうか、無事だろうか・・・
私のところへは、あと1時間ほどで母が到着する予定だったけど
母は無事だろうか・・・




携帯はつながらないし、ネットもダメ。
情報を得る手段はラジオだけ。
押し寄せる絶望感と戦いながら、どうしたら我が子を守れるか・・・
そんなことばかり話していた気がします。







しばらくしたら院長の声が響きました。







「津波が来たぞー!!!!」
 
 
 
Posted at 21:26 / 多分日記 / この記事のURL /
 ただいまの時刻
 来てくれてありがとう
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