不登校の考察(親の父性母性)「小児科医林隆博氏心のカルテ」よりNo2

2010年06月23日(水) 0時00分
林医師は、心のカルテ1に書かれているA君の両親との面接で、A君の不登校の原因は‘その生いたちにひそんでいるらしい’、ということを感じたようです。そして、‘不登校の要因は出生前から存在している’と書いています。

それは、一言で言ってしまえば、『その両親に、どんなことがあっても愛情をもって赤ちゃんを素直な健全な子どもに育てていける父性や母性があるかどうか』のように思います。

赤ちゃんが生まれてくるまでに適切な父性や母性が両親に育っているか、赤ちゃんの成長とともに両親も適切な父性と母性を身につけていけるかが、全ての基盤になっているようです。

親となる男女の父性や母性の育ちには、それぞれの両親の育て方や人間環境、自分の赤ちゃんを産み育てる出産環境が影響します。特に今は「病院における管理された出産環境が、動物として備わっている父性や母性を引き出すことを難しくしている」と、林医師は指摘しています。

今まさにその環境で働く助産師の私にとっては、頭の痛いご指摘です。

そして実は、林医師のご指摘の母子間のアタッチメントである「分娩直後の早期母子の接触とその後の入院中の夜間母子同室の必要性」は、今の私の助産師としての最大の課題でもあります。

私の職場は今はまだ完全母児同室制にしていないので、「疲れたので夜預かってください」と頼まれることが多いです。赤ちゃんの心のために自分で世話する事をおすすめしますが、それでも拒否された場合には夜間授乳時は呼びにいき起こすことを約束し、同時に私は1人で10〜20人の赤ちゃんと母子の授乳育児の援助と生まれてくる赤ちゃんの対応をしているので、泣いている赤ちゃんにすぐに対応はできないことを了承してもらいお預かりします。

母親が疲れる背景には、母親の基礎体力がないということの他に、分娩時間が長かったり、傷や腰などが痛かったり、出血が多かったために貧血状態で体調が悪かったり、授乳が上手くいかない、日中面会が多く昼寝ができない、などの理由があります。

ですから、まずはこれらの問題点を減らすために、

何らかの合併症があったとしても経膣分娩できる産婦さんは、自然な経過で児へのストレスも最小限に安全に分娩し、産婦の疲労や分娩による傷の痛みや出血を最小限にし、分娩室でも多くの時間を父母児で過ごし、お部屋に移ってからもそのまま夜間も母の側で過ごすことができる元気な児とそれを受け入れる気力体力のある母や家族であるような援助を、日々模索しています。

『赤ちゃんを産んだら、そのままずーっと赤ちゃんと一緒に過ごし自分で世話をするという当たり前のこと』が当たり前にできる、そんな親子や家族を増やす事が今の私の仕事と言っても過言ではありません。そしてこのことが母親としての母性を育んでくれるのだと思います。

しかし近年、心の病気を持つ妊婦産婦さんが増え、夜間の育児自体が負担になる方もいます。そのような方の場合、不眠や疲労や体の痛みが病気を悪化させる面もあるので、赤ちゃんにとってのアタッチメントと母として育児に慣れることと病気とうまくつきあっていくことのバランスが難しい面があります。この場合は入院中はスタッフが、退院したら家族や地域が育児を助けていくしかありません。

何事にも楽をしたいというのは人間としての欲求であるとは思いますが、赤ちゃんを健全な大人に導き育てるためには、育児で楽はできないですね。妊娠したら夜も何回も起きるような身体になりますし、出産後も子どもが3歳を過ぎるまでは夜何回も起こされます。子どもの数が多ければ母親はそれだけ長い間不眠の状態が続きます。しかし世の中の母性がある母親は、皆それが当たり前であることとして受け入れて、赤ちゃんがかわいいから赤ちゃんが順調に育ってくれることを願って頑張るわけですね。妊娠中の多くの女性に、出産前にこのことを理解していてもらうとありがたいですね。

‘退院したらやらざるを得ないから入院中はできるだけ楽をしたい’という思いは理解できます。しかし、こういう気持ちは早くに退治しておかないと、家に帰ってからもできるだけ楽をしたいという育児になり結局はどこかで子どもの心を曲げてしまうことになりかねないのだと思います。

‘自分の子どもだしかわいいし一緒にいて楽しいしうれしい、だから自分でやって当たり前’と考える母性あふれる人との、育児としてそれぞれの赤ちゃんが与えられる差と母子間の信頼関係度の差は日々開いていくことでしょう。

職場の大先輩に、「自分の子どもはすごいかわいいし、一緒に遊んでいるお友達もすごいかわいかった。赤ちゃんはどの子もすごいかわいい」とおっしゃってうれしそうに新生児室を見る方がいらっしゃいます。『あふれんばかりの母性を持ち合わせているな、ご自身も愛情たっぷりに育ったのだろうな、お子さん達は素直に幸せに育っただろうな、このような方ならお嫁さんも良くしてもらえて幸せだろうな』といつも感心します。

父性や母性を高めることは、不登校だけでなく虐待や子どもの問題行動や心の病気の予防にもつながります。離婚率も低下するかもしれません。
私達助産師は、妊娠出産育児を通じてできれば全ての女性がこのように母性あふれるステキなお母さんになれるような魔法が使えるように日々精進していきたいと思っています。

私のブログにいらしてくださる皆様は、皆お子さんを健全に育てていこうと努力されている父性母性の高い方々です。これからもいっしょに子育てについて探求していきましょう。そして、周りに妊娠出産子育てで悩んでいる方がいらしたらぜひお話を聞いてあげてくださいね。できれば3分間あいづちだけの返答で聞いてあげてください。そしてこれまでの探求で見えてきたポイントを少しずつ教えて頂ければと思います。


以下は、チャイルド・リサーチ・ネット<心のカルテ5>からです。

 不登校の子どもたちの大半は以下のどちらかに原因があり、ばあいによってはその両方に原因があります。

@生いたちのなかで受けた心の傷に加えてA子どもの心をむしばむような家族の状況が続き、長年の蓄積の結果、ついに発症するというのがしばしば見られるパターンです。

 
 @はすでに子どもの生まれる前、両親がどのようなかたちで出会い、どのようなかたちで結婚したか、というところまでさかのぼります。二人の結婚はお互いの望んだことだったのか、周囲や両親には祝福され歓迎されたのか、子どもは望まれていたか、性別やその他の理由で周囲や両親を失望させはしなかったか、お産は母親にとって幸福なものだったのか、初期の授乳は順調に進んだか、授乳が母親にとって楽しみだったかどうか、身長や体重のふえ方は順調だったか、病気のことで周囲を心配させ過ぎはしなかったか、離乳食は順調に進んだか、ハイハイや独り歩きは積極的にできていたか、独り遊びと親と遊ぶときの区別はできていたか、言葉の話し始めやその後の言葉の発達はうまくいっていたか――。

 その子が生まれる前から乳幼児期までの発育・発達の様子、母子関係の様子、またそのころ母親をとくにイライラさせたり心理的に不安定な状態にするような社会的、家庭的な状況はなかったか、などが関わってきます。

 子どもたちはこの時期に心の傷を負うとそれはすぐに反応して症状となって現れることもありますが、多くのばあい、何年かの潜伏期を経てから症状となって現れるようです。

 乳児期早期の母子関係の乱れの恐ろしさを物語る病気の一つに、心因性の哺乳(ほにゅう)障害があります。このような現象を心因にもとづくものと考えることには異論のあるお医者さんもたくさんいらっしゃると思います。しかし実際の問題として母親がミルクを飲ませようとするとまったく飲もうとしないのに、祖母が飲ませると喜んで飲む。栄養失調で入院して看護婦さんが飲ませると何とか飲むのだけれど、家族がそばにいると飲まなかったり、家族が与えるとまったく飲まない。そしてそれが単なる授乳の技術的な問題だけではない、ということが存在するのです。


母と子が結ばれている本能的な深い愛情のきずな−そのことを私たちは〈アタッチメント〉という言葉で表現します。〈アタッチメントができている〉というのは母と子が深い愛情のきずなで結ばれていることです。

逆に〈アタッチメントが欠如している〉というのは自分の子どもなのになぜか愛情がわかない、子どもがうまく育ての親になついてこない、という状態を示すのです。

 子どもは生まれた時にはみな同じはずなのに、どうしてこのような差が生じてくるのでしょうか。

それは母子相互間のアタッチメントの形成がうまくいっていないばあいがあるからです。

アタッチメントとは人間が生まれる前からもち合わせているものではなく、妊娠中から乳幼児期を通じて母子間に形成されていくものなのです。ですから、何らかの原因でアタッチメントの形成がうまくいかなくなると、親と子はお互いを「親として」あるいは「子どもとして」愛し合う気持ちが薄くなってしまうのです。

 新生児早期に形成される母子間のアタッチメントの問題は単に母と子だけの問題にとどまりません。それは子どもにとってのすべての出発点であり、やがて子どもが両親を全面的に信頼し、その身を任せるようになるために必要なものですし、さらにその子どもが将来ほかの人びとを愛したり、信じたりしていくためにも必要不可欠なものなのです。

 不登校の子どもたちのなかに潜むアタッチメントの不足を見いだすことは非常に困難なことで、単に治療者の推測の域を出ないこともあります。しかし綿密にその子の生育歴を探り、誕生を喜ばれていなかった子ども、出産が母親にとって異常に苦痛であった子ども、生まれた時に状態が悪かった子ども、そのなかでとくに出生直後に母子分離を受け、その後長期にわたって母親との面会の許されなかった子どもについては、このようなアタッ子メントの欠如している可能性も考えておく必要があります。

不登校や子どもの心身症の原因となる可能性のアタッチメントの欠如は、どのようにすれば防げるのでしようか。残念ながらこのことは両親の努力だけでは完全には防ぎきれません。小児科医と産婦人科医、そしてそれを可能ならしめる病院全体の理解と協力が必要になってくるからです。

 母と子がアタッチメントを形成する過程にはいくつかの段階があります。

 まず第一の段階は両親が子どもを希望するということです。それは新しい家族として、また自分たちの愛情の対象として期待し待ち望んでいるということです。

 第二の段階は子どもを胎内にはぐくむということです。子どもの胎動が母親の喜びを生み、母親の与える刺激に胎内の子どもが反応する。このような関係を通じて母と子は相互にアタッチメントを深めていきます。

 第三の段階は分娩およびその直後の時間です。分娩という激的な瞬間とその後の母親を包む快い疲労感と多幸感は、母親に子どもをとくに強く受け入れさせる状態をつくっています。分娩数分後から数時間後の母親がこのような状態のあいだに母と子を親密に接触させることはとくに重要なことだといわれています。しかしこのことは一般にはおこなわれていないことです。

 第四の段階は子どもの反応を確かめるということです。新しく胎外に生まれ出た子どもに対し、以前と同じように自分の刺激に反応してくれるのかと母親は心配になります。それが子どもの手に触れて子どもが反応したとき、子どもがじっと自分の目をみつめ返してくれたときにその心配は消え去っていきます。

 じつはこのことについてもある一定の最適の時間というのがあるのです。生まれたばかりの赤ちゃんを観察しているとわかるのですが、非常に体重が少なく人工呼吸器の助けを必要とするような子どもでさえ、出生後数十分から教時間のあいだは目を開けてキョロキョロと周囲を見回したり、舌をペロペロとなめてみたりしているのです。まるでお母さんを捜してお乳を求めているように見えます。その表情のかわいいことといったらこのうえありません。未熟児治療施設のスタッフたちが厳しい仕事に耐えながらもほほえみを失うことなく働いていられるのは、じつはこの最適の時間を子どもたちと一緒に過ごしていられるからかもしれません。

 この最適の時間を、両親が子どもとともに過ごせないのは本当に残念なことです。なぜなら数時間後からは疲れた赤ちゃんは深い眠りに入り、母親が最初の面会に来るころにはどの子も深い眠りのなかにいるからです。自分の刺激に反応してくれるか心配でさまざまな信号を送る母親に対して、赤ちゃんはただ眠っているだけです。このため多くの母親は「赤ちゃんとはただ眠っているばかりで、おなかのすいた時だけ泣いてお乳を飲むとまた眠ってしまう」と思ってしまうようです。〈反応のない人には愛情はわかない〉という原則は母児間のアタッチメントの形成のうえでも成り立っているのです。


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生と死を病院が独占

 ぐっすりと眠ってしまっている赤ちゃんに対して、生まれて初めての面会に来た母親が、アタッチメントをつくろうと懸命になって合図を送っているのに赤ちゃんがまったく反応せず、やがて母親があきらめて帰っていく姿を見るのはじつに心の痛むことです。もう少し早く来ればあの周囲をキョロキョロ見回し、舌をペロペロとなめているわが子の姿に出会い、たまらなくいとおしく思い、かぎりなく強い愛情を芽生えさせることができただろうに……。そう思うと人生の最初の出会いに失敗した二人のことがとてもかわいそうになります。これがたまたま運よく赤ちゃんがまだ眠りに入る前に、最初の面会に来た母親のばあいはまったく逆です。「わあ、笑ってる」「ほらじっと見てる」「あっ足をけった」と母親は子どもの一挙一動に奇声をあげます。その母親の喜びの表情に反応して、赤ちゃんはますます活発に動くようになります。もうこうなると母親は子どもの前から離れようとしません。帰るときも「またあした来るからね」と子どもに告げていきます。

 この二人の母親の差を埋めるのは大変な作業です。母親に自分の子どもに対する興味を失わせないために「ほら今、目を開けましたよ」とか「少し手を握ってみてあげてください」というように、毎目面会のたびに母親を促すことが必要となります。

 このような出生直後の親子のアタッチメントの形成の失敗を、十数年後の子どもの不登校や心身症と結びつけるのは発想が短絡的かもしれません。しかし私にはこの二つの問題に関係があるように思えて仕方がないのです。

 分娩と新生児の管理を病院が強力におこなうようになったことは、確かに妊産婦と新生児の死亡率を著しく下げてくれました。このことは異論のない事実です。また医療が高度化して高齢者が安価にいい医療を受け、自由に入院できるだけの病院数も保障されてきたことは、人びとの寿命を大きく延ばす役割をはたしてくれています。

 しかしその一方で病院は人生の最初の出会いである〈誕生〉と、最後の別れである〈死〉をすべて独占してしまったのです。人生の最大の喜びである〈誕生〉も、人々の最大の悲しみである肉親の〈死〉も、白亜の塔のなかにしまい込まれてしまい、子どもたちは両親との最初の劇的な出会いも経験することなく生まれ、肉親との最後の別れである死の瞬間も経験することなく育っていくのです。

 このような環境のなかで子どもたちが人を愛することの本当の喜びや、人と別れることの本当の悲しみを知ることができるのでしようか。飼っていた小鳥が死んだとき「電池が切れちゃった」と悲しまない子どもたちがふえるのは、考えただけでゾッとする話です。

 人の生と死、アタッチメントの形成、これらの問題を扱っているわれわれは、自分たちの仕事の一つひとつについて謙虚かつ真摯に吟味しなければならないと考えさせられます。


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“信頼”を身に着ける

 母と子はたとえその最初の出会いに失敗したとしても、やがては長い時間をかけて少しずつアタッチメントを深めていきます。この母と子のきずなづくりはお互いの相互作用のなかで目と目を合わせて見つめ合うこと、母の胸に抱かれると母親の服や髪に触ろうとすること、といった互いに刺激と反応を確かめ合う行為の繰り返しを通じて進められていきます。

 母と子がおこなう最初の精神的な仕事、それは「根源的信頼の形成」です。これは有名な児童心理学者であるエリックソン博士の述べている、人の心の発達の八つの段階の一つ目に相当するものです。子どもが母親に対して自分を危険から守り大切に育ててくれる人だと全面的に信頼し、そして自分の身をすべて任せるようになる、というのがそれです。そうすることによって逆に子どもの心のなかにはいつでも母親が一緒にいてくれるという安心感が芽生え、母親には決して見捨てられることはないという信頼を築いていくのです。

 このことは子どもの心の発達にとっても大切なことです。この段階の発達の悪い子どもは、いつも心のなかに母親がいてくれるという安心感がないために、母親から離れて生活できない、あるいはまた自分は母親や周囲から見捨てられた、という絶望感をもとに自分の殼のなかに閉じこもるような子どもになっていくのです。

 幼稚園や小学校に入ってもなかなか周囲の子どもたちと友達になれない。母が手を引いて連れていかないと元気に通園できない。それが高じてやがては不登校になってしまう、こんな子どものなかにはこの段階で失敗している子が少なからずいるような気がします。

 これからの数回はエリックソン博士の述べている人間の心の発達論をもとに、不登校と子どもの心の発達についてお話をしていくことにいたします。

 子どもの心の発達の第一の段階、それは〈信頼〉の獲得です。母親が常にそばにいてくれるという〈連続性への信頼〉、母親がいつも同じように自分を大切にしてくれるという〈一貫性への信頼〉、そのなかで自分は生きていけるのだという〈自分自身の存在に対する信頼〉を身に着けなければなりません。

 これらのうち一つでも欠けることは、子どもの心の発達に重大な影を落とします。母親の養育態度に連続性がないと、子どもは常に不安と孤独に襲われます。母親の養育態度に一貫性がないと、子どもの心は分裂しその行動の一貫性が保てなくなります。このような好ましくない環境のなかで乳幼児期を過ごしたために〈自分自身の存在に対する信頼〉を失った子どもは、自分の体や命を大切にするという意識が薄くなり、ささいなことで自分の体や命を粗末にするようになります。自分の体や命を大切にしない子どもは、また自分の家庭や他人の命の大切さもわからないようになるかもしれません。


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