期待の県人ボクサー

October 26 [Fri], 2007, 15:22
・木村登勇(29、スーパーライト級・横浜光ジム) 三沢市出身。
 
2001年にライト級日本王者。2004年からスーパーライト級日本タイトル王者。10度防衛中。
ジムの先輩に同郷の畑山隆則。トリッキーな攻撃スタイルは木村術と自身が命名。

・三浦数馬(28、スーパーバンタム級、ドリームジム) 弘前市出身。

日本ランキング5位。戦績11戦10勝1分(5KO)。
アルバイト先の上司による保険金詐欺事件の片棒をかつぐことになり逮捕されるが、上司による強制的な巻き込みが明らかとなり、無罪を求める嘆願書も集まっていたことから実刑を逃れる。
早すぎて見えないジャブが武器。ボクシング復帰後無敗を続ける。
所属ジムはレパード玉熊(青森市出身)やセレス小林といった理論派の世界チャンプを育てたトレーナー三浦利美(弘前市出身)が独立して設立した。

格闘界の父と子

October 20 [Sat], 2007, 1:16
大正から昭和にかけて活躍した名大関に清水川という力士がいた。
青森県三好村(現在の五所川原市)出身で実家の隣は二代目柏戸の生家であった。
相撲度胸が抜群で人柄も良く人気も出世もうなぎ登り。
次は大関、というところまで登ってきたところで人気に溺れ酒色に溺れ、やくざが乗り込んでくるという事件も起こす。場所の無断欠席もあり協会から破門され、ついには番付からも除名されてしまう。
土俵に上がることができなくなった清水川は各地を放浪し、これまでの人生を振り返り、悔い改めて再起を図る。満州で知遇を得た関東軍司令官白川大将の書も持って復帰を希望したが協会は受け付けなかった。
その清水川を救ったのは父の命であった。
清水川の父は「大関に成ってくれ」との遺書を残し自らの命を絶って復帰を嘆願する。
親方と親しい荒汐、右翼の大物である頭山 満を始めとする人々の取り成しも有ってついに協会も評議会を開く。
当初は大勢が復帰反対に傾き掛けたが、出羽海の「身を殺して嘆願する例は将来も有るか」との一言で形勢が変わり、昭和3年10月で幕下筆頭格としての復帰が満場一致で承認された。
復帰後は父との約束であった大関にまで登りつめ、怪我で横綱は取れなかったものの引退後も協会の役職に就き人情味に溢れる人格者として慕われた。

よく見かけるけど

October 13 [Sat], 2007, 0:33
ブログを書いてるみなさん、「姑息」の使い方間違ってますよ〜(ほぼ100%)。
みんなが意図して使っている意味は姑息にはありません