金城堂 宮崎県宮崎市

July 22 [Mon], 2013, 12:49

明るく開放的な宮崎の風土そのままに、
親しみやすい雰囲気の店構え。
金城堂は明治13年(1880)創業の老舗。
この街で、130年の歴史を刻んできました。

代表銘菓は「つきいれ餅」。
神話の時代、神武天皇が美々津の浦から
東征に出発しようという時の話。
急に潮の具合が良くなって、
出航が早まったため、
村人たちが慌てて作り、
献上したのがこの餅。
急いだので、丸めるひまも、
小豆餡で包むひまもありません。
そこで、小豆を餅に搗き混ぜて、
長方形に切りそろえたということです。

宮崎の伝統菓子として、家庭で作られてきた菓子ですが、
金城堂は良質の大納言小豆と名産の日向夏みかんの2つの味わいとして、
宮崎らしい土産菓子に仕立てました。

餅のおいしさが格別。
甘さと弾力、そしてやわらかさは、
どこにでもありそうで独特のものです。
土産菓子にありがちな粗雑さがなく、
なんとも上品なのは、
できる限り県産の材料を用い、
保存料や着色料などを使わず、
一つ一つ心をこめて手づくりするという
店の信念から生まれているのでしょう。
 

湖月堂 福岡県北九州市

July 16 [Tue], 2013, 12:45
 
没してなお多くのファンを持つ小説家・松本清張は、小倉育ち。
子供のころから「湖月堂」のショーウィンドウに並ぶ
菓子や食料品に憧れていたといいます。

後に朝日新聞西武本社でデザインの仕事をしていた時。
この店のショーエインドウのディスプレイを手がけたことが、
終生の誇りだったと言ったと伝えられるほどです。

それほどに小倉の目抜き通りにある湖月堂は
地元の人々が一目置く店であり、
暮らしの折節を彩る店として大切にされてきました。

初代小野順一郎は、広島から小倉へ来て菓子職人になり、
明治28年(1895)に独立しました。
当時の小倉は日本有数の都市でした。

折しも前年に始まった日清戦争は、
この年の3月に日本の勝利で集結。
戦勝に湧くなか、銘菓「栗饅頭」が誕生しました。

ちなみに「湖月堂」という屋号は、
森鴎外が軍医部長として小倉に赴任していたときの上司、
小倉師団長の井上中将が、
北村季吟の源氏物語注釈書「湖月抄」に想を得て
名づけたものです。

現在の栗饅頭には、蜜漬けした小粒な栗が入っています。
焼き上がりのつややかな栗色は
初代から受け継いだ技によるものです。

焼き菓子ながらしっとりとした餡には
小豆の風味が息づいています。
シンプルなだけに素材の味が命です。

最近のヒット作に、
伝統の備中赤小豆の餡をパイ生地で包んだ「ぎおん太鼓」があります。
無法松の一生で知られる小倉祇園太鼓をイメージした
和と洋を調和した菓子です。
 

大原老舗 佐賀県唐津市

July 15 [Mon], 2013, 11:39
 
「松露饅頭」と名付けられた球形のかわいらしい饅頭は、
小さく丸めた漉し餡にカステラ生地をかけながら焼いたもの。
嘉永3年(1850)を創業とする大原老舗の代名詞です。

玄界灘に面した唐津は古くから大陸との交通の玄関口であり、
また交易の拠点でした。
有名な唐津焼きなどの陶器作りの技術も、大陸からここへ、
安土桃山時代に伝わったものです。
「焼き饅頭」もそうした文化といっしょに渡来して、
家庭で作られていたそうです。

なかでも海産物問屋を営む、
あわび屋惣兵衛の妻が作る焼き饅頭は評判がよく、
やがて惣兵衛は菓子屋へと転業。
工夫に工夫を重ねたものを時の藩主、
小笠原候に献上したところ「松露饅頭」の名を賜りました。

ちなみに松露とは、松林に自生する球形のキノコ。
唐津湾沿いには日本三大松林のひとつ
「虹の松原」がひろがっており、
惣兵衛の作った饅頭は、色も形も、
この松林で見つかる松露によく似ていたのです。

銅製の焼き器にカステラ生地を流し、
丸めた餡を入れ、薄く生地をかけながら、
少しづつ丁寧に焼いていきます。
かつて炭火で焼いていた頃は、
火力の調整が難しく、一回に16個が限度だったといいます。
今でも一枚の型は20個です。

餡は北海道の小豆をさらして、漉し餡にします。
きめが細かいから、口どけがよく、
後味の甘味も心地よく、つい手がのびてしまいます。

大原老舗では「松露饅頭」のほかにも、
和の情趣を豊かにたたえた銘菓を作っています。

「太閤松」は大納言小豆を練り上げた粒餡に細かな落雁をまぶし、
型抜きした菓子です。
「加羅の津」は抹茶羊羹で求肥を包んだ菓子で、
いずれも侘びた風情があります。

松露饅頭の化粧箱に使われているのは「唐津くんち」。
これは元唐津藩のお抱え絵師・富野湛園が豪商の注文で描いた襖絵の写しです。
 

お菓子の香梅 熊本県熊本市

July 13 [Sat], 2013, 10:37

熊本市随一の観光名所にして、市民の憩いの場、水前寺公園。
池を配した回遊式庭園は全国各地に見られますが、
水前寺公園は、水の美しさで群を抜いています。

この池の水は阿蘇山の伏流水湧き出しているものです。
熊本は「火の国」であり、実は日本でも有数の「水の国」でもあります。

その豊かな水を活かして、
菓子作りを続けてきたのが「お菓子の香梅」。

創業は昭和24年(1949)。
台湾で修行した副島梅太郎が戦後帰国して和洋の菓子を作り、
料亭に出したことから始まります。

そして、この初代の手によって、
代表銘菓「誉の陣太鼓」が生まれました。

誉の陣太鼓が世にでたとき、
小豆餡で求肥が包まれていたことに、
驚きをもって迎えられました。

求肥で餡を包む菓子はたくさんありましたが、
これはまさに逆転の発想でした。

おいしい水で炊き上げた小豆餡がつやつやと輝く菓子は、
たちまち評判になりました。

そして菓子業界があっと息を飲んだのは、
外に餡、そして、みずみずしいままで60日の日保ちを可能とした
紙缶詰包装でした。

甘さ控えめが言われはじめた時代、
保存性を高める砂糖を減らす分、
日保ちをどうするかということで研究が重ねられました。

業界初のアイディアでした。
もちろん特許はとりましたが、
初代は「良い技術は広めたい」として更新はしませんでした。

戦の指揮を執る太鼓が鳴り響くイメージが、
熊本のシンボル・熊本城の勇壮な姿によく合うということもあり、
熊本の土産として、人気を博しています。

香梅の銘菓は、ほかにもこうした地元の歴史風土から
イメージをもらったものがいくつもあります。

「肥後五十四万石」は、
細川家の九曜の紋を菓子や包装の意匠にいただいた上品な銘菓。
「武者がえし」は、
熊本城の石垣をモチーフにした洋風菓子。

こうした思いから、
地域への貢献にも力を入れていて、
たとえば水前寺公園にある県重要文化財「古今伝授の間」を維持管理しています。

この建物は、桂離宮を建てた桂宮智仁親王の学問所。
細川家初代・幽斎公より智仁親王が古今和歌集の奥義を授かった、
由緒ある建物です。
 

菓秀苑 森長 長崎県諫早市

July 11 [Thu], 2013, 21:46
長崎県のほぼ中央に位置する諫早は、
古くから九州屈指の米どころとして知られてきました。
秋の収穫時には、祝い菓子として各家で米菓子が作られ、
神前に供えられていたといいます。

その菓子を専門に作るようになったのが、森長の創業です。
寛政5年(1793)、210年以上も前のことです。

森長のおこしは品質のいい米を使っています。
米だけではなく、おこしのもう一つの重要な原材料である砂糖も、
長崎街道がとおる諫早では江戸の昔から容易に手に入りました。
すなわち長崎・出島に入ってくる貴重な輸入品だった砂糖が、
この地の良質な米と出会って、
諫早のおこしが生まれたのです。

「おこし」は、米と砂糖、水飴の絶妙なバランスが命です。
添加物は一切入っていませんから、
安心して召し上がっていただけます。

昔も今も愛される、
独特の香ばしさと歯ごたえ。
この豊かで暖かな味わいが、
森長おこしの真骨頂です。

創業200年を迎えた1993年には、
創業時から作っている代表銘菓「黒おこし」の復刻版を発売しました。
木枠に流し、手延べする昔の手法で作り、
ノスタルジックな板状の形もそのままに、
パッケージも昭和初期に用いていたものを復元したところ、
「レトロが新鮮」と若い人にも人気が出たそうです。

店のもうひとつの名物が「カステラ」。
素直に作った、口溶けと後味がいい。

このカステラから、最近、いくつもの
ヒット商品が生まれています。

一つは手間をかけ、オーブンでじっくりと
乾燥させて作ったカステララスク。

もうひとつは、
全国から注文が殺到している「とろける生カステラ」。
こちらはクリームのような生地で作る、
とろりととろける新食感の菓子です。

店の歴史を刻んできてくれた菓子を大切に守り育て、
一方で新しい菓子にも果敢に挑戦するというのが
この店が200年以上も続けてきたスタイルです。

 
菓秀苑 森長
http://www.kashuen-moricho.co.jp/
 
P R
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