コドモじゃないけど、オトナでもない。それはハンパってことじゃなくて、でもあやふやで。コドモだったり、オトナだったりする。それで良いじゃない、って思う。
「まじで? 早く見に行こうぜ」
ああ、やっぱりジュンには言わなければ良かった。僕は今更ながら後悔する。ミツルが告白されてるなんて、ジュンにしたら垂涎もののはずだ。
「待てって」
言ってる間にジュンは廊下に出て走ってる。背中には鬼気迫るものすら感じる。ったく、こんな時だけやけに動きが早い。普段は「めんどー」だの「別に良くね?」だの言ってるくせに。
「じゃあ行こうか」
にこっと笑ってカオルは歩いて廊下に出る。こいつはこいつで問題だ。確信犯は性質が悪いんだよ、カオル。
僕が廊下に出る頃には、すでにジュンとカオルは角を曲がり終わっている。場所は教えてないけど、非常階段の裏ってのは、ここ滝川中学の告白場としてあまりにも有名だから。
「お、おいってば」
追いついた時には、ジュンとカオルは既に小さくドアを開けて耳を傾けていた。カオルは耳にイヤホンを入れ、小型の何かをドアの隙間に入れている。多分集音機だ。
「そ、それでね、あのね、嫌じゃなかったら、付き合って欲しいの」
正に告白の瞬間に、僕らは到着してしまったようだ。嬉しいような、悔しいような複雑な気分。僕らはもう中学二年生、女の子が気になってくる年頃。三人とも、まだ誰とも付き合ったことが無い。
か細い声で言っているので、僕は最後のほうを何て言っているのか聞こえない。カオルだけは、悦に浸っている。
「ごめん、今は女のこと、考えている余裕無いんだ」
ミツルらしい硬派な答えだと思う。中二のくせに、もう身長は175cm。僕とは15cmも違う。剣道もやってて、力も強いし運動も得意。顔だって悪くない、ずるい。
ジュンとカオルが振り返ってくる。告白してるのは、クラスで一番可愛いアヤカだし、普段からミツルだって可愛いって言ってる。なのになんで振るんだろう?
「そっか、や、嫌なら良いんだ……」
見てはいないけど、多分俯いているんだろう。声がどんどん小さくなっていく。カオルが撤退命令をやんわりと下す。身振りで示すと、三人は足音を立てずに教室に戻る。なんてったって昼休み。鉢合わせになったら、残りの時間が気まずい。
放課後の予定は決定。僕は心で小さく笑う。理由をミツルに聞かなきゃね。
「んで? なんでアヤカを振るんだっつうの。オレなんか、三日に一回は夜のお供にしてんだぞ」
晩夏の帰り道にはそぐわないくらい、ジュンの下ネタはいつだって直球だ。いつも僕は思わず赤面してしまう。どうせならもっとオブラートに包めばいいのに。
「そんなの関係ないだろ」
ミツルは微妙な表情をする。今更ながら、ちょっと後悔しているのかもしれない。
「ミツルは二日に一回だからね」
あはは、とカオルは臆面もなく笑って言う。顔も体もそこらへんの女の子より可愛いのに、相当変わった男だ。きっと一昔前なら、危ない趣味のおじさんに誘拐されて売られてる。
「じゃあオレは稽古だから」
足早に道を曲がると、すぐに姿を見失ってしまう。僕は思う。いつもより一本曲がるのが早いぞ、ミツル。
「しっかし良いなあ、ミツルのやつ」
ぶーぶーと文句を垂れるジュンだって、僕からすれば格好いい。
ワックスで軽く髪を立たせて、服だってだらしなく着崩している。性格さえ直せば、すぐに彼女が出来ると思う。それをしないのはきっと、彼に言わせれば「めんどー」だからだろう。
「理由は3つくらい考えられるね」
にこっと笑いながら、指を三本立てるカオル。夏の夕日に照らされながら、小悪魔が思考を巡らせる。
「一つ目、他に好きな女の子がいる。二つ目、実は下半身が再起不能。三つ目、本当のこというとジュンはゲイ」
どう考えても、あるとしたら一つ目だと思う。僕は苦笑しながら突っ込む。
「一つ目以外は、なかなか複雑だって」
ジュンもその通りだと笑う。
カオルだって、本当はわかってる。二つ目が嘘だってことは、泊まりに行ったときによく判ってるし、三つ目だって、ジュンが買う雑誌で判る。それにしても、あの泊まりは面白かったな。
「じゃあナオもジュンも、また明日ね」
カオルが手を振って、マンションに入っていく。僕の町で、一番大きくて、一番お金持ちな人が住むマンションだ。
僕らも手を振り返すと、また歩き始める。
「ナオは、好きなやついねぇの?」
ジュンは探るような目で見てくる。僕は目を逸らして、ついでに話も逸らす。
「そういえばさ、あの泊まりは本当面白かった。カオルの家で、一晩中馬鹿騒ぎしてさ」
空気がシンと静まる。どうやら、話は逸らせなかったみたい。
「――俺はいるんだ」
僕は思わず振り向いてまじまじと目つめてしまう。少し震える声で、聞く。
「だ、誰?」
「恋愛なんてめんどー」と、いつも失恋したクラスメイトを見て言っていたのに。
「教えないけどな」
教えないのかよ! 僕は心の中で突っ込む。でもわかる。ジュンがこんな話をする事なんて滅多にないし、ジョークでこういう事を言うやつじゃない。話を聞いて欲しいんだと思う。
「珍しいね、ジュンがそんなこと言うの。教えなって、僕も手伝うよ」
ちょっと俯いて、悩むような素振りをするジュン。でも、もう言う決意はついているみたいだ。
「教えないと、カオルに話しちゃうぞ」
にやっと笑うと、ジュンは観念したような表情をする。もちろん、僕は言うつもりなど無い。大事なのは「理由付け」なのだから。
「それは止めてくれよ。カオルが知ったらめんどーな事になるっつの」
「何が起こるのか、想像もつかないからね」
今までの経験から、とりあえず恐ろしいことになるのは確かだ。
「うん、まあナオなら良いよな」
カオルを信用してないわけじゃない。ただ、こういうのを最初に言いたくなるのは、ナオなんだ、と続けられるのが少し嬉しい。
「アヤカだよ」
何となく想像していたから、頭の中で響く雷鳴にも耐えられた。渦巻く三角関係なんて、オトナの世界だなんて、高をくくっていたのだ。
別に狼狽する必要は無い。一見、複雑に見えるけれど、そんなに問題は無いんじゃないか、と家に帰り、お風呂に浸かる最中に僕は気付いた。
なんだかびっくりして、上手く思考をまとめられなかったけれど、こんなシチュエーションはドラマやマンガにいっぱいあると思う。
アヤカはミツルが好き、でもミツルはアヤカが好きじゃない、んで、ジュンはアヤカが好き。答えは一つ、「傷心の少女を慰める」しかないような気がする。傷ついた女の子が一番落としやすいと、他でもないジュンが前に言っていたし。
急いで浴槽から出て、シャワーで体を流す。鏡に映る自分の姿は、気付けば少しずつオトナになっていってるし、小学生の頃を考えると、びっくりするくらいの成長率だと思う。まだまだ小柄だけど、身長だってちゃんと伸びてる。総合学習で貧困について調べれば調べるほど、自分が恵まれていることに気付く。こんな風にお風呂にも入れるし、ご飯だって食べられる。なぜだかそれらがとても愛おしく思えた。
携帯でメールをすることにした。九時過ぎに男同士が中学生にもなって電話するのは、何となく気恥ずかしい。
自分の言いたい事を、珍しく長文にしてジュンに送る。長文なんて、女の子にしか送らない。それが、何ていうか、思春期というものなのだと思う。絵文字だって顔文字だって、男友達にはあまり使わない。
お気に入りのミスチルの曲が流れて、メールが返ってきた事を告げる。
『んー、まあな。でもなんかめんどーだからさ。別に良いや』
自分の送った長文に見合わない返事が、ちょっと悲しかった。でも、それよりよっぽど、僕はジュンが本当の気持ちを押さえ込んでいる事に悲しんだ。
「めんどー」なんて嘘だと思う。いつだってジュンは、失敗するのを怖がっているときにそれを使う。部活を退部したときは、年下と順位争いをするのが嫌だったから。メアドを聞くときは、一パーセントにも満たない「拒否」が怖かったから。
だから僕は、ジュンに逃げてほしくなかった。これはきっと、僕の好きな心理学でいうところの「逃避」なんだと思う。怖いから逃げちゃってるんだと思う。
明日、二人で話そうとメールして、髪を乾かして布団に入った。返事は大分後に、うん、とだけ。
このシチュエーションのマンガの続きと結末を思い出そうとしているうちに、僕は眠りに就いていた。
告白なんて一大イベントが、もちろんクラスに広まらないわけもない。教室に入ったとたん、アヤカの周りを数人の仲良し女子が囲んでいるからすぐに見当がついた。
ミツルとカオルは、そ知らぬ顔で喋っている。きっとジュンは、いつものように遅刻ぎりぎりに違いない。とはいっても、後10分で始業なんだけど。
「それでね、何が面白いって、その女の子が楽しそうに笑ってるの。ついさっきまで悪口言ってた子とさ」
どうやら、カオルの大好きな「人間関係という名のどろっとしたスープ」の話をしているようだ。なんど人間不信に陥りそうになった事か。嘘だと思いたいことが多すぎる。
「はよ、ナオ」
ミツルの表情はどことなく硬い。あまり大きな声を出して、クラスの女子に注目されるのを嫌がっているようだ。僕は机に鞄を置くと、二人に近づく。
「ミツルもカオルもおはよ」
「おはよー」
誰よりも毒にまみれているはずなのに、カオルの笑顔は天使のようだ。確か昔に、こんな唄があったような気がするんだけどな。天使のような、悪魔の笑顔、か。
「ナオ、今日のホームルームは学校祭についてでしょ?」
「うん、そうだよ」
それからは、学校祭についての話題に移った。去年で大分勝手はわかっているし、二年生ともなると余裕だ。合唱に学級発表、集団画に壁新聞。何が楽で何が大変か、去年は何をやったかなんてのは、かなり大事な話だ。
「そういえば、一年生の時はみんなクラス違うな」
僕はA組、ジュンはD組。カオルはE組だし、ミツルはC組だ。
「一体みんなは誰と仲良かったの?」
「僕はワタルかな。山下渉」
運動神経が良くて、勉強が苦手。とっても面白いやつだ。今は、あんまり遊ぶこともないけど。
「俺は剣道の友達だな」
剣道部のエースであるミツルは、剣道友達が多い。僕が知らない先輩とも仲が良かったりするから、たまに絡まれたのかと内心ビビることがある。もちろん、口にはしない。自分を大きく見せたいものなのだ、思春期というものは。
「カオルは誰と仲良かったの?」
一年生の頃から、カオルの話は聞いていた。お金持ちで、女の子みたいに可愛くて、頭も全国模試に名前が乗るくらい、その上茶道に華道に和楽器もピアノもヴァイオリンもフルートも。
ただ問題は、その特異性にある。好きなことは「人間関係という名のどろっとしたスープ」やら「ルーン文字研究」やら「電車の時刻表覚え」 一体どこに進もうとしているのだろう。
「一年生の頃は、よくシルファーと話してたかな」
「それ誰だよ?」
「え、見えない?」
そう言って、カオルは何も無い空間を指差す。
「笑えないから!」
思わず突っ込む。どうやら、突っ込むのは脊髄反射みたいなものらしい。
予想通りジュンは遅刻ぎりぎりにやってきて、先生はいつものように少しだけ叱ると出席を取り始める。ちょっと見はいつもと変わらない風景、でも少しだけ硬いクラスの空気。でもアヤカはクラスで中心グループの一人だし、ミツルも男子で一番格好って言われてる。だから、無理も無い。
ジュンはジュンで、いつもと変わらないように周りのクラスメイトからのからかいから、上手く笑いを引き出しているが、目の下には隈が出来ている。きっと眠れなかったんだろう。
僕は小さく溜息をつく。その瞬間を見逃さず、隣に座るミズキが僕の口の近くの空気を吸い込む。
「えへへ、幸せゲット」
溜息は幸せが逃げる、からだろうと思う。変わってるヤツ、と僕は思う。でも何となく、少し心が落ち着く。ミズキは素直だし、凄い可愛いわけじゃないけど、ふわっとした可愛さを持ってる。変わってなければ、なお良いのに。
「息臭いから気をつけて」
「ナオ君が? そんなことないよ」
僕の口の近くに、鼻を近づける。てことは、顔が近いってことで、てことは、口も近いってことで。
「うわわ!」
急に恥ずかしくなって、僕は思わずのけぞるようにしてしまう。ちょっといくらなんでも、無理。しかも多分、今顔真っ赤になってるし。
「ナオ君は変なコだね」
首を傾げる、ってどういうことだよ?
「ミズキのほうがよっぽど変だよ」
思わず少しだけ突っ込む。普段の僕のキャラっぽくないけど。
「何でさ? ミズキはいつだって良い子だよ」
「良い子の定義が、お互いずれすぎてるみたいだね」
「難しい言葉はわからなポー」
「一体どこの部族の言葉だよ」
僕は思わず苦笑してしまう。そんな接尾語、初めて聞いた。
「ふ、にっちゅも知らないとは、まだまだ修行が足りないよナオ君」
「にっちゅ? 何ソレ?」
「暗号だポ」
「普段の会話に暗号かよっ!」
朝から脊髄反射してしまった。
「……君達」
前を向くと、先生がチョークを握りつぶしていた。僕達の顔が面白かったのだろう、クラス中が笑いに包まれる。
どうやら、まだ出席を取り終えていないようだ。
問題は昼休みだ。なんとなく、四人全員集まるのが億劫だったので、僕は気乗りしないジュンを連れ出して校庭のベンチに座る。
「ジュン、気持ちの整理はついた?」
自分の好きな子が、自分の親友に告白して、失敗して傷ついた好きな子を、慰めて自分の彼女にする、っていう、何となく卑怯に見えなくも無い行為に関して。
「別に。昨日もメールで言っただろ。めんどーだしな」
「好きじゃないんだ?」
少し挑発するように言う。ジュンは単純だから。
「好きじゃないなんて言ってないだろ!」
ちょっと声を荒げるのも、予想してた。認めなくないことが沢山あるから、ついつい大きな声を出しちゃうのも、思春期の特徴だ。まだコドモ、かな。
「でも、なんか嫌じゃん」
「そんなことないよ。だっていつまでも、片想いなんてしてられないって」
「だからなんだよ」
じろっ、と見つめてくるジュン。
「人は失恋したって、また新しい恋を見つける。それが、ジュンだからって、誰も変に思わないってこと」
ドラマやマンガじゃそうだから。
「そりゃそうだけど……」
「アヤカを振って悲しませたミツルに、何となくムカツクのも判るけど、そんなのどうしようもないって、ジュンだってわかってるだろ?」
「まあな」
判ってるけど、納得出来ない。そう簡単には割り切れないものだと、僕だって想像できる。
「だから、とりあえずギクシャクしてるミツルとジュンはいつもに戻りな」
少しだけ間が空いて、返ってくる。
「今日だけ、な。今日だけ、一人にさせてくれ」
「ミツルは、ジュンがアヤカを好きだって知ってるわけじゃないしね」
安心させるためにも、それを再確認させる。あくまで今回のことは、一方通行。相手は気付いてないのだから、喧嘩にもなっちゃいない。
僕はジュンを校庭のベンチに残して、教室に戻る。
教室に戻ると、カオルがイヤホンで何か聞きながら、一人でノートに落書きしていた。何を書いているのかとノートを除くと、そこには、意味不明な記号の羅列があった。
「これ何?」
何となく答えはわかっていた。
「ルーン文字だよ」
そんなににこっと笑われても、僕に一体どんな反応を期待しているというのだろう。よくゲームやマンガには出てくるけれど、本格的に研究する気にはなれない。そういう意味では、確かにカオルは変人も変人だと思う。
「今ね、お守りを作ってるんだ」
恐らくは自分でデザインした、綺麗に装飾されたルーン文字が描かれている。一文字だけ、だと思う。もちろん、意味はわからない。
「みんなの分を作って、みんなで着けようね」
頷くしかない。もちろん断る気はさらさらないし、断っていいことなど何一つ無いのだから。まあそれ以上に、その笑顔に逆らう力など存在しないからなのだ。僕はもしかしたら、赤面しているかもしれない。本当に男なのか? 泊まりのときも、一緒にお風呂に入ったわけじゃないし。
「何聞いてるの?」
僕はイヤホンを指して、ちょっと話題をかえる。
「うん、ちょっとしたBGM。おまじないに、効果が強く現れるように」
ふうんと、僕が相槌を打つ前に、間髪入れずにカオルは続ける。
「ジュンはどうするか決めた?」
「うん、まだ悩んで……って!」
何でカオルが知ってる?
「そんなの見てたらすぐわかるよ。告白されたその日は、やけに羨ましそうにしてたし、今日になったら避けるし」
ニヤリと笑うその表情は、まるで氷のよう。何で僕には教えてくれなかったのかな、今の反応だとやっぱりナオも知ってたんだね、アニメの話をするんじゃなかったの? そんな眼差し。
「う、あ……まあ、ほら、うん」
白い指が、僕の首元をくすぐる。夏も終わり始めているとはいえ、冷たい指だ。それが、数本、まるで撫でるように肌を滑る。
「駄目だよ? 僕に隠し事しちゃ」
うんうん、と首を縦に振る。そうしないと、全身の血が引いていくのを止められそうになかった。
「それより、いまミツルがどこにいるか知ってる?」
指を引かれて、やっと落ち着いた僕は、ミツルが近くにいないことに気付いた。良く考えてみると、教室に入った時点で、もう居なかったような気がする。
「いや、知らないけど?」
もしかしたら、ジュンの所に行ったのかも知れない、と邪推してしまう。ミツルは何も知らないのに、わざわざ外にいるジュンのところに行く理由は無いし、しかもすれ違わないわけがないから、ありえないのに。
「僕、知ってるよ」
「知ってるのかよっ!」
「我らが女子一軍に連れてかれちゃった」
女子一軍とは、すなわちうちのクラスで一番可愛くて、少しうるさくて、女子の主導権を握っている、要するに与党のようなグループ。そして、アヤカもまた、そのグループに入っていることは、深く考えなくてもわかることだ。
頬を腫らしたミツルが帰ってきたのは、昼休みが終わる寸前で、しかもバラバラのタイミングだった。だから、何を話していたのかとか、何でほっぺが腫れてるのかとかなんて聞く暇もなくて、すぐに授業が始まった。国語の先生は、もう定年間近で、授業はのんびりと進む。その時間が、いつもよりずっと、もどかしかった。
ミツルが帰ってきた数分前に、女子一軍はクラスに戻ってきていた。アヤカもその中にいたが、顔は俯いたままだ。下を向いていても、可愛い子は可愛いという、わかりやすい証左だと僕は思った。本当に可愛い子は、悲しい顔をしても、やっぱり可愛い。
「なので、この時、老婆が言っている事は、自分の行為を正当化するものと同時に、襲われることもまた正当化してしまう、諸刃の刃ともいえる…………」
生きるためなら、誰かから奪ってもいい、か。そのために、誰かが生きられなくなるのは、知ったことじゃない。悲しいけれど、貧困のことを考えれば、正しいような気もする。もちろん、しちゃ駄目だなんて言うのはあまりにも簡単だ。でも、そうじゃない。現実はそうじゃないと思う。
「はい、ここ、満君」
ミツルが呼ばれて、音読する。頬が腫れたミツルを見る一軍の女の子たちには、すこしばかり険悪な感じすら伴っているが、当人はそれに気付いているだろうか――。
下らない授業が終わって、休み時間になる。次の時間は学校祭の話をするので、早いうちに、クラスの内情を知っておかないと、色々面倒なことになりそうだ。
ジュンを置いてすぐにミツルのところに行く。僕だけでは行かないで、カオルも連れて行くけれど、手を振って追い払われる。
「やっぱ腫れてるか? あーあー、わかったよ。帰りにどっかの店で話すから」
ちょっと考えたいからさ、ほっといてくれ、と言われたら引くしかない。
カオルはぽんぽんと肩の辺りを右手で優しく叩く。
カオルと僕は廊下に出て作戦を練ることにした。ジュンはクラスメイトと喋っている。
廊下に出る前に、カオルは自分の机に戻って、右手に入っていた何かを机に置いた後、鞄をガサガサと漁って、デジタルオーディオプレイヤーを出してくる。何本か線がつながっているのを外すと、僕に渡してくる。
「僕はもう聞いたから」
イヤホンも渡された僕は、呆然としてカオルを見る。何がなんだかわからない。
僕の手からデジタルオーディオプレイヤーを取ると、手早く操作してイヤホンを挿すように言う。
「再生するよ」
その言葉と同時に、ミツルと女子一軍の声が聞こえてきた。どうやら、ミツルたちは盗聴されていたらしい。末恐ろしいどころか、今恐ろしいヤツだ。さっきミツルの肩を叩いたのも、恐らく盗聴器を回収したんだろう。
『聞きたい事ってなんだよ』
ミツルのしっかりとして低い声が響いてくる。少し身体の中で反響しているのか、曇って聞こえはするが、十分な音質だ。
『なんでアヤカを振るわけ? あんな可愛いのに。すっごい傷ついてんだよね。どうしてくれんの?』
その声は、信じたくはないが、多分女子一軍でも可愛い部類に入る子だ。普段はあんなにおしとやかで、女の子女の子しているのに。
「人間関係という名のどろっとしたスープ」
口に出して、薄く微笑むカオル。
『好きじゃないのに付き合えないし、付き合ったって傷つけるだけだ。それだけならもう教室に戻るぞ』
土を踏む音が聞こえる。
『ちょっと待ちなさいよ! 他に好きな人でもいるの?』
サキの声。
『教える必要は無い』
遠くから女子一軍の声がするが、どんどん離れていく。どうやら、背を向けてさっさと移動したようだ。
「まあ、そんな感じなわけさ」
再生を止められたので、イヤホンを外してカオルに返す。その微笑は何を意味しているんだろう。なんかこう、これから起こり得る未来を楽しみにしているような表情。
「次の時間、僕が何するか知ってる?」
「学校祭の役割分担でしょ」
責任の重さに溜息をつく僕を見て、カオルは混じりけの無い笑顔を見せた。
「じゃあ、まずはそれぞれの責任者を決めようか」
黒板に書いた学級発表、集団画、壁新聞。一体どうなるのか、僕は今から心配でしょうがない。もしミツルが入った瞬間、みんなが出てったら困る。
でも、そんなのは杞憂だったようだ。
「私、学級発表の責任者やる」
女子一軍のトップ、サキが手を上げる。綺麗に巻いた髪に、少し釣り上がった瞳、短めのスカート。学年で多分一番モテル女の子。性格はキツいけど。ジュン曰く「上の中」だそうだけど、僕はあんまり好きじゃない。
カオル曰く「キレイに書かれた汚物」だからだ。一見良いものに見えるけど、結局汚物は汚物ってこと。どんなに可愛くても、性格が悪そうだから。
「じゃあ、私も」
「ミナミもやる」
取り巻き達が、一斉に手を挙げる。そんなに可愛くないけれど、はしゃぐ女の子達だ。色々大変だなあ、と心の中で嘆く。今はそんなこと聞いてないとツッコみたいけれど、我慢我慢。
「それじゃあ、集団画と壁新聞はどうしようか?」
「俺集団画!」
ジュンが勢い良く手を挙げる。明らかに狙っていたようだ。一番人数を割く部門だからだろう、上手くやれば楽出来る。めんどーなことが嫌いなジュンには丁度いいのかもしれない。
「さあ、壁新聞の責任者は?」
クラスが静かになる。去年もそうだけど、やっぱりこの部門は人気が無い。てことは、想像していた通りの結論に達するわけだ。
「じゃあ、僕がやるよ」
変に沈黙が続いた方が、よっぽど面倒なことになりそうだしね。とりあえずは、クラス内の分裂が無かったことを喜ぶとしよう。ああ怖かった。
「さっそく役割分担しようか。四十人いるから、壁新聞十人、学級発表十人、集団画二十人で分かれるよ」
「学級発表やりたい人は、手を挙げて」
僕が次の言葉を口にする間も無く、サキが手早く進行する。良かった良かった。どうやらのんびり出来そうだなあ。
さっき手を挙げた女の子たちは、もちろん学級発表に参加した。ジュンも周りのおとなしそうな子や、仲の良い男の子を集めている。二十人も必要だから、さっさとしないと大変だ。
「壁新聞は、残った人達でやろうね」
壁新聞は、誰だって出来るから。必要なのは、根気だけ、だと思う。升を書いたり、点描したり、題字をゴシックで書いたりするのは、技術じゃなく根気が成せる技。
「じゃあ、それぞれ集まって、会議を始めてください。とりあえずは、何をするか、とか役割分担とかで良いからね」
僕は、残った集団に向かう。どちらかというと大人しい人が多いけれど、きちんと仕事をしてくれそうだし、あまり問題は無いと思う。
ひとつだけ問題があるとすれば、カオルがいることくらいのもので。それさえも僕は心の中で、記事が一つ決まったと喜んだ。「人間関係という名のどろっとしたスープ」センセーショナルなタイトルだ。
手早く役割分担を決め、記事の内容も決めてしまう。先生は驚いていたが、別に真面目にやっていたら、この程度は誰だって決められると思う。他の皆が、一瞬一瞬の笑いやら、意見に面白さを求めるから悪いのだ。
「じゃあ、二人は出来るだけ早くレイアウトを終わらせてくれるかな? 字数はおおよそでいいから、明日にはお願い。アキラはゴシックか何かの装飾文字でも調べたといてくれるかな。ミズキは、キャッチコピーみたいなタイトルをお願い」
「十の記事のうち、君達は一人一個ずつこの中から決めて」
食の安全やら、ネチケットやら、仮想空間でのコミュニケーションやら、黒魔法についてや……ら……?
「カオル! 落書きしちゃ駄目だって言っただろ」
消しゴムでさっさと消してしまう。本当に悪戯好きなやつだ。そんな口笛吹いたところで、騙されないって。
数分もしないうちに、記事の役割分担も決まる。僕は残った四つをやるから、決める必要は無い。もちろん、人間関係の記事はカオルが担当することになった。
「さっさと書いちゃうから安心してねー」
まあ、多分、カオルについては何の問題も無いだろう。僕は思わず苦笑する。普通の人間の、数十倍の人生経験をこなしているのだから。たくさんの人の、表も裏も、知り尽くしてる。
ミツルはジュンと同じ、集団画になったようだ。まあ、細かい作業は苦手だから壁新聞は無理だし、もちろん学級発表なんか、諸事情で無理だから。
ジュンは面白おかしく、会議を進めているようだ。ずいぶん楽しそうにしている。なんか知らないけど、ふっ切れたのかな? と思う。集団画は、何を書くかを決めるのに手間取ることが多いから、ジュンみたいなヤツが主導権を握るのが一番いい。ミツルも一緒に笑っている。
「カオルはあんまりはしゃいだ文章は書かないようにね」
僕は後ろに潜む小悪魔にチェックをかける。
名前を呼ばれてびくっとするカオルの気配に、思わず笑ってしまう。
「笑ってるねー」
それは、僕が笑っているという事ではなく、多分ジュンとミツルの話をしているのだろう。多分下ネタでもジュンが言ったのだろう、一斉に爆笑する。そういうジェスチャーはしちゃ駄目だって、いつも言ってるのに、どうしてこう指でわっかを作ったりするかな。
思わずついた溜息は、数瞬の後にミズキの口に入っていた。
「そろそろナオ君は幸せ無くなるポよ?」
「とりあえず何でモグモグしてるんだよっ!」
モグモグごっくんしてるし。キャッチコピーを任せて大丈夫かなと、僕は一抹の不安を抱いた。
「さあ、そろそろ話してくれよ」
学校帰りのマック。混雑した店内は、ダベるのには丁度いい場所だと思う。誰かに話を聞かれる心配もないし、何より早いし安いし美味い。昔のCMにもあった気がする。
「なんの話だっけか?」
「なんだよミツル、もうアルツハイマってんの?」
ジュンが茶化すけれど、笑ってる場合じゃないって。
「覚えてられるのは、SDカードに入ってるどの動画を見たか、くらいのもんだもんねー」
「ミツルはちゃんとフォルダ分けしてっから、すぐ判るもんな?」
「な、なんで知ってんだよ?」
一気に赤くなる頬。身体大きいくせに、意外と細かいミツルならありえる。
「実は携帯覗いちゃったんだよね」
「カ、カオルお前……」
激しくうろたえるミツル。
「まさかああいう趣味があるとはねえ……。僕もびっくりだよ」
心からの笑顔を向けるカオル。
「や、止めてくれカオル様」
ううん、ちょっと面白くなってきた。
「いやあ、そんなにおっきい身体のくせに、いやだからというべきか」
ミツルが素早く、自分の前にある未開封のハンバーガーとポテトを無言でカオルに差し出す。
「あふぃふぁとー」
もふもふと、ほうばりたいだけポテトをほうばる。せっかく可愛いのに、ほっぺのふくらみは半端じゃないことになっている。なんていうか、張力みたいなものを無視しているような。
一段落したのを確認すると、同じ話題を振る。もう楽しんだし。
「ナオ、もう良いんだって」
ミツルじゃなく、ジュンが返事をするから驚いた。
「なんていうかさ、もう解決したっつうこと」
「どゆこと? てかミツルのほっぺが腫れている理由を聞いてるのに、何でジュンが答えるんだよ」
「ナオに話したら、なんか怒りそうだからさ」
ミツルはバツが悪そうに笑って言う。
「そりゃもちろん、友達が殴られたんだから怒るに決まってるだろ」
「そうだよねー」
ポテトを咀嚼し終わったカオルが、幸せそうな表情で言う。どことなく、楽しんでいるように見えるのは僕だけかもしれない。
「カオルはもう知ってるんだろ? 俺の頬が腫れてる理由」
曖昧な表情で笑うカオル。多分、自分が知っていることを僕に知られたくなかったのだろう。そんな微妙な表情だ。
「じゃあ僕だけ知らないんじゃないか」
ジュンとミツルはもちろん、カオルも知っているようだし。あれ? てかなんで、ジュンとミツルは仲直りしてる? いや、最初から喧嘩をしてたわけじゃなかったけど。でも、どことなく険悪な感じだったし。それは口に出して聞かないほうが良い気もする。
そうは見えないけど、ジュンの笑顔は表面上だけの笑顔かもしれないからだ。
「とにかくっ! 誰か知らないけど、殴ったやつには」
「ヤバイ……。珍しくナオがマジモードになってる」
ジュンとミツルの目が合う。一瞬の間もなく、二人は店外へと逃げ出した。料金は前払い制だ。
「カオル……。あのデータ、まだ続きあるよね?」
「何のデータかなー?」
「ミツルと女の子達の会話だよ」
そんな追い詰められた小動物みたいな顔しても、駄目。
もう夏も終わるなあ。ついでに、俺の春も。誰も居ない校庭には、なんか哀愁みたいなものが漂ってる。俺の心かってな。
ナオには叱られちまうだろうけど、やっぱ悔しい。今日一日で、元通りになれるかどうかなんて、見当もつかないっつの。
まさかアヤカがミツルに告るなんて、想像もしてなかった。もう少ししたら、みんなにも言おうと思っていたのに。ったく、タイミングが悪いっつの。
しかも、目の隅に見えちまった。ぜってーミツル。なんで昼休みに外出てるんだよ。しかも、こっち向かってきてるし。
「おお、ジュン。なんでここにいるんだ?」
無遠慮なセリフ。いつもならあっけらかんとしているように聞こえるんだろうけど、今は何となくいらつく。
でも、その苛立ちをぶつける前に、ミツルがいつもと違うことに気付く。隣に立っているのは、自信に満ちているミツルじゃなく、どことなく落ち込んでいるミツルだ。
「どうかしたのかよ」
ちょっと怒ったように聞こえたかもしんないけど、しょうがない。
「ああ、ちょっとな」
珍しく歯切れの悪い返事。
「んだよ? どうかしたのか」
悩む表情を見ても、そこまで感情が動かないことに、ああ俺はミツルの不幸みたいなもので、ちょっといい気味だなんて思うヤツなんだ、と自己嫌悪してしまう。
「実はさ、さっきちょっと。女子に囲まれて文句言われたんだ」
「なんてだよ」
「何でアヤカと……付き合わないんだって」
なんでそれを俺に言うんだよ。
「それはミツルが悪いんだって。可愛いんだから、付き合えば良いだろ」
「可愛いからって、付き合う理由にはなんないだろ」
「ったく、真面目なやつ。下半身持て余してんだろ」
自分でも、意地悪いと思う。
「ジュンがっ」
突然ミツルが大きい声を出す。
「ジュンがアヤカを好きだからっ!」
空気が固まる。さっきまでは気付かなかった、弱い風が頬を撫でる。
「そうなんだろ?」
「ん、んな事ねえよっ」
それを知ってるのは、……ナオだけ。
「ナオかっ?」
「なんの話だよ」
ミツルは嘘をつくのが苦手だ。だから、嘘をついてないことはすぐにわかった。それに、最初からナオが言うなんて思っちゃいない。そんなヤツじゃないって事ぐらい、知ってる。
「とにかく、そうなんだろ。だから可愛いから、なんて理由じゃ付き合わない」
「お情けってわけかよ」
想像してたより、よっぽど冷たい声になった。
「お情けとかじゃないだろ」
心外だ、とばかりに怒るミツル。
「見下してんじゃねえ! ちょっと告られたからって、上から目線になるなっつの」
どうしようもなく腹が立つ。ただミツルが立ってて、俺が座っているから、目線が下になるんだって判ってたって、腹が立つ。
「そんなつもりねえっ」
「何でミツルが睨んでくんだよ。悪いのはそっちだろうが」
返事がない。
「なんだよ! 何とか言えっつの!」
それでも、返事はない。
「ずるいだろ! 可愛い子に告られたくせに振って! そのうえ、返事も無いのかよ!」
感情が爆発してるのが、自分でも判る。間違ってるのは、どう考えたって……俺だ。それでも、腹立てちまうのは、ナオなら「思春期ってやつだよ」なんて言うんだろ。
「ふざけんなっ」
右拳に全体重をかけて、殴った。殴り慣れない拳も、遅れてずきずきと痛む。なんか知らないけど、涙が零れたのに気付く。
「ジュン……」
校庭の砂が、倒れたジュンを汚していた。
頬がすれて、血がぷくっと膨らんで、細く垂れていく。それでもミツルは俺を責めない。何も言ってこないからこそ、余計に胸が締め付けられた。
「ご、ごめんっ」
急いで駆け寄って、肩を貸す。筋肉のついた腕を持ち上げたら、本当はきっと俺のパンチなんか避けられたんだろうなと思う。
「俺こそ、なんかごめんな」
「……ミツルが謝ることなんか…………ねえっつの。ごめんな、ごめんな」
涙で声が震えるのが自分でも判って、それが恥ずかしいから、気付かれないように目を拭った。
保健室に連れて行こうとするけれど、ミツルは近くの水場で十分だと判断したのか、そちらに向かおうとする。
「俺はちょっと傷流してから行く。ジュンは先に戻れよ」
ばしゃっと水を顔に浴びてから、ミツルが言う。
「なんか水が目に入っちまって、良く見えねえな。ジュンの顔が歪んで見える」
ははっと笑ってもう一度顔を洗うミツルが歪んで見えるのは、多分地面に当たって弾けた水が、俺の目に入ったからだと思う。
こんな仲直りの仕方、ナオには言えないなと思った。