128 満月のアフォメーション―新年

January 05 [Mon], 2015, 22:12
あけましておめでとうございます。
30日から今日まで仕事をしておりました。

でも、そんなふうには全然思わないのです。
本屋さんに行くことがとても普通なことなので、
あたりまえのように仕事に行っています。



いやだなぁ、と思いながら
仕事に行くよりも、断然良いなぁと思います。

毎日、いろいろな本のことを知れて、本当に嬉しいです。

西加奈子さんの『サラバ!』は直木賞候補作となり、
(もう本当に読み切りたくなくて、ゆっくりゆっくり読んでいます)
又吉直樹さんの小説が文芸誌に掲載されるということです。
わたしは文化人としての彼を最初に知ったので、とても嬉しい。
(芸人さんよりも先に。5年前です!処女小説もちゃんと読んでいます。)

最近の文壇は嬉しいことばかりです。



さてさて。


今日は、今年最初の満月です。


今年は、30個とちょっとの宣誓をします。
2015年の最後におさらいです。


1、たくさん、たくさん本を読む。
(特に純文学、歴史小説。司馬遼太郎を読む)
2、感性を研ぎ澄ます。自分にしかない感性を探す。
3、感性を言葉に落とし込める力をつける。言葉を大切に。言葉を信じる。
4、「手仕事の手」を培う。美しい手。
5、憧れの人に少しでも近づく=笑顔を忘れない。
6、スウェーデン語と英語を勉強し直す。
7、感謝の気持ちを言葉にする。手紙でも。
8、日本画を描き直す。強さのなかに儚さや切なさを表現する。
9、旧暦や七十二候、二十四節気、日本の四季を楽しむ。
10、お金はなるべく人のために使う。あるいは自己投資。
   見えないものにお金を使う。
11、センスを磨く。美しいものに触れる。
12、スタイルをもつ。ひとりよがりでないスタイルを。
13、美術館や博物館にたくさん行く。
14、星を知る。花を知る。月を知る。
15、あたらしいことその1 ギターを弾く!
   星野さんの曲を1曲弾けるようになる。
16、あたらしいことその2 焼きもの。青の釉薬を使ってみたい。
17、あたらしいことその3 きれいになる。ヨガを始めて体を動かす。
                 体の声を聴く。
18、あたらしいことその4 刺繍。花模様を刺繍で施したい。
19、あたらしいことその5 アクセサリー作り。プラバンやレジンで。
20、花や緑を生活に取り入れる余裕を。
21、人の話をしっかり聞く。人とのやりとりや関わりを諦めない。
22、問い続ける。常にアップデートしてゆく。本質に近づく努力を。
23、創作活動のそのどれもが、自分のためであり、またその先に人がいる
   (=人のためになるものである)ということを意識する。
24、ホームページを作る。広く知られるための努力を。
25、隣の芝は青い。「うらやましい」と思う自分も受け入れる。
26、仕事を一生懸命やる。そのどれもを次へ活かす。
27、海外へ久しぶりに行く!韓国へ!
28、日本も様々に訪れる!手仕事や伝統、郷土に触れる。
29、おいしい料理を作る。人に笑顔を与えられる料理を。
30、信頼、そして尊敬できるパートナーと出会う。
31、本当の強さ=優しさ=美しさ それを証明する。
32、星野源さんの歌詞のように生きる。地獄でなぜ悪い。
33、ミナペルホネンのワンピースの似合う女性に。12月に買う!
34、与えられていることを忘れない。そして、必ず与える。ありがとうを。
35、物語を編むように。人に読んでもらえる人生を。




いつも、いつも、忘れたくない。



今日は、月がとてもきれいです。
なぜか知りませんが、満月を中心にして大きなリングができている。
きれいだなぁ。


今年最初のおみくじ。
わたしは、吉でした。

「中秋の名月に一点の雲もないように
万事十分のかたちである」ようです。



わたしは、良い文章を当てたなぁと、思いました。


今日は、17番。
大好きなお友達にマッサージをしてもらいました。
体のことをたくさん聞いて、体を大切にしてやろうと思いました。

そして、9番。
もうすぐ人日の節句です。
七草粥を食べましょう。今年は、日本の暦を使います。




無病息災を祈り、
福を招きます。




さぁ、今年も、いよいよ始まっております。
きちんと、毎日きちんと生きて、ちゃんと「思い描くものになりたい」と思います。


おやすみなさい。

127 すべてのひとへ

December 31 [Wed], 2014, 0:22





キラキラ。キラキラ。






2014年が終わります。






今日は、
江ノ電の神様が魔法のカードをくれたので、藤沢まで江ノ電での通勤です。




となりの赤ちゃんが、
チラチラこちらを見るものだから、
笑ってあげたら、笑ってくれて、
でも恥ずかしくてママの胸元に隠れちゃう。
でもやっぱり気になって、
わたしを見て、わたしは笑いかけ、
そのくりかえし。




いいなぁ。



わたしは、これから夜も、
江ノ電で、
大好きな皆と共に、
この良き年を見送り、


そして、
来たる2015年を、
手招きします。
おいでおいで。





わたしにとって、
2014年は、忘れられない年となりました。


2014年がわたしにあってよかったと、
心から思う、そんな年になりました。



・・・・・



今年のはじめ。
わたしは、寒空の下、
前職場で3日間ぶっ通しで外に立たされ、
風邪をこじらせました。


ついでに、心も病みました。


仕事を1週間休み、
シェアハウスにも帰らず、
廃れた心に問いかけました。




「わたしは今、人にやさしくできているだろうか」






と。




あのときのことは、
あんまり覚えていないけれど、
日記にそう書いていました。



できていない、と思ったので、



仕事を辞めました。


そのときに、
心揺さぶられる文章に出会い、
その文章を創造した方へお便りし、
お返事をいただき、
心から救われ、
この人の下で仕事をすることが、
わたしの次の目標となりました。





仕事を辞める、という行為は





好きなことをして生きていく
自分の力で生きていく




という意思表示でもありました。



北海道に行き、
豊かな自然のなかで、
自分にひたすら問うために、
絵と文を毎日紡ぎました。




他者や、
自己との対話のなかで、
わたしは、
生きてゆくうえで
大切なことは何かを
いやというほど考え、
学び、答えを得ました。




遠回りでも、
決して諦めないこと


もしも
夢が叶わなくても
叶わない道すがら
思いもよらない
キラキラした宝石が
必ず転がっていて、
うまいように
うまいように
ことは進むこと



自分を、
信じ抜くこと




思えば。


昔のわたしは、
格好をつけてばかりいました。




がむしゃらな自分
這いつくばる自分
泥だらけの自分


そういうものは、
誰にも見られたくなくて、


水面下で必死に
短い足をばたつかせて、
湖面を舞う白鳥を
装っていました。




ばかみたい。
そんな姿、全っっ然きれいじゃないのに。




もう、
嫌われる勇気はつきました。




必死な自分を、
笑いたい奴は笑えばいい。




そのぐらいの気持ちで
思いきり、
何かをえいやっと
やってみると、


絶対に
絶対に
助けてくれる人がいる。




心から、
応援してくれる人がいました。





………




今年、
失ったもの。




もちろん、あります。




体裁。
お金。
安定。
幾らかの人。



でも、こんなもの、なくて良かった。




その代わりに、
得られたもの。
これがすごかった。




自信。
強さ。
経験。
そしてたくさんの人。




わたしは今年、
これからもこの人とは、
一生続いてゆくんだろうという
心と心で繋がれる経験を
何度も何度もしました。




それは、
わたしにとって、
一生大切にしなければならない
たからものです。




言葉とは、
本当に不完全で、
この気持ちは、
いくらありがとうと
言っても足りません。


でも言うんだ。
ありがとう。
それしかできないから。




ありがとう。
わたしは、本当に、本当に、
元気になりました。




たくさん笑うようになって、
とても素直になりました。
それは、人間として、
とてもまっとうで、
すこやかで、あたりまえのことです。



もちろん、
苦しいほどに悩みます。
でもそれは、昔みたいな、
意味のない悩みではない。


自分を前へ、前へ
押し寄せることのできる、
心強い悩みです。
(まぁしんどいですが)




石井ゆかりさんの星占い。
今年の天秤座はこんな年になると書かれていました。




ーーー
2014年は、「人から見た自分」ではなく
「自分が欲する自分」を貪欲に追求していくことになります。
この作業は、本質的に、一人でやるしかありません。
2014年の貴方は、他者に支配されるということがないと思います。
あるいは、今までどれだけ他者に支配されていたか、ということを実感し、
そこから全力で脱出するのかもしれません。
人からの影響を受けず、自分が人にどういう影響を与えているのかも、
あまり気にしない状態となるだろうと思います。
こうしたことは「天秤座的」な世界とは異質なため、
居心地の悪い思いや
「これでいいのかな?」という不安感を感じることもあるかもしれません。
でも、この山を乗り越えることが、
是非とも必要であるように見えます。


2014年を終わるころ、
貴方は大きな自信を得ていると思います。
これは「自分はこのように高い立場にいる」
「自分はこのようにたくさんのものを持っている」
などの「自信」ではないと思います。
おそらく、この年に生まれる「自信」は、
「どのような自分でも受け入れてもらえるのだ」
「どのような自分をも受け入れることができるのだ」
という、その自信です。


これは、甘えのようなものではなく、
いい加減さでもありません。
だれもが、自分の現実の姿を受け入れることを怖れていますし、
ありのままの自分では受け入れられないのでは、と不安に感じています。
そうした恐れを、
2014年前半の貴方の「戦い」が、一気に吹き飛ばします。
そこに、「現実の自分でいられる」という自信が生まれます。
この自信こそが、貴方の周りにたくさんの関わりを生み出し、
さらに、蘇らせることにもつながるはずです。


ーーー





わたしはこの占いを信じて、
今日までやってきました。
そして、今年はこの通りの年になりました。




わたしは、今年、
本当に良く戦ったし、
それは、本当に、
「ひとり」を実感させるものでした。


ひとりは、
とてもしんどいものです。
でも、戦いつづける。
戦いつづけることを諦めない。


何度もこのブログで出てくる、
大好きな人の、大好きな曲の、
大好きな一節。




「思い描くものに
なりたいと願えば
地獄の底から
次の僕が這い上がるぜ」


「ただ地獄を進む者が
悲しい記憶に勝つ」



2015年。
今まで以上に、
想像のつかない年がやってきます。





石井ゆかりさんの来年の年報が、
先ほどアップされましたが、
もうわくわくしてきちゃった。



わたしはどうなるんだろう。
生活できているのか。
絵を描けているのか。
文を書けているのか。
本を読めているのか。
大好きな人々に囲まれているのか。




新しいことも、
たくさん、たくさんしたい。




体を動かしたり、
音楽を奏でたり、
ブローチを作ったり、
花の刺繍を施したり、
器を焼いたり、
料理をふるまったり、
いろいろなことを知ったり、


どうしようもなく、
すてきなことを、
たくさんしたい。めっちゃしたい。








手がきれいな人になりたいと思います。
それはスベスベで、
爪もきれいに澄まされていて、
といったものではなく、


手仕事をしているんだなぁ、
という手になりたい。




水仕事や、針仕事、
絵仕事や文筆で、
この人は手をたくさん使っていて、
でもすごく大切に使っているんだなぁ、
という手が欲しい。




そういう手は、
本当に美しいです。



そして。





すてきな人に
たくさん出会いたい。


すてきな人に
たくさん
与えられる人になりたい。





わたしの来年の目標は、




やさしくなり、
きれいになり、
あたえることです。




「この真っ白い
キャンバスにあなたなら
何を描きますか


自由という筆で」






まだまだ、
キャンバスには
筆を走らせたばかりです。




これから、
ものすっごいえげつない色を使って、
見たこともないきれいな絵を
描ければいいなと思います。




約束です。




「あなたに会えてよかった」
と思ってもらえる人になります。








物語を編むように、
生きて行こうと思います。






約束です。






いっつも大げさ。




2014年、
わたしと関わってくださった全ての人へ。
心からありがとう。






本当に、本当に、
今のわたしがあるのは、
皆さんのおかげです。




嬉しかった。






また、来年もよろしくおねがいします。






最近会っていない人も、たくさん会おうね。






みなさま、
良いお年をお迎えください。



最後にもう一度だけ。






ありがとう。




126 クリスマスだよ、ドラえもん

December 24 [Wed], 2014, 13:28




クリスマスなのですが、
また夜更かしをして書いています。




皆さんは、
どんなクリスマスを過ごしましたか。




わたしは、仕事でしたが、
そのあと、すてきな夜を過ごしました。



楽しかった。



家に帰ると、
冬の青森から素敵なお手紙が届いていました。


太宰治の母校の卒業生でもあり、
わたしの大学の先輩でもあり、
日本の風流を知り、
歌を詠む、
富良野で出会ったお姉さんからの
美しいお手紙でした。




わたしには、
もったいないほどの、
宝石箱のような、
お手紙でした。


前回のエントリー、
思いを伝えることの困難さについても、
色々な方からの反響を頂きました。




とても、とても、
ありがたいことです。




特にお手紙で感想をくれた人がいて、
本当に、本当に、
嬉しかった。
ありがとう。




手紙の力を、
言葉の力を、
感じました。










さてさて。






しんどいとき、
というものは
見境なく訪れます。



すみません、クリスマスなのに(笑)



こういう時期は、
どうしても生活のサイクルに
組み込まれてしまっているので、
無闇に振り払うよりも、
自然と身から落ちるのを待つしかありません。
寒い冬をじっと耐えるように。




突然ですが。


わたしは、
藤子不二雄に育てられたと
いっても過言ではないくらい、
幼少期を彼の作品にまみれて過ごしました。


ドラえもん
オバケのQ太郎
忍者ハットリくん
キテレツ大百科


小さなわたしの生活のなかには、
いつも彼らがいました。




そのなかでも、
やっぱりドラえもんは格別で、


小さなわたしは
「2112年まで生きられるかなぁ」
と思っていました。




ドラえもんが2112年生まれだからです。


あと98年!


ドラえもんのなかに、
忘れられない話があります。


それは、名作と謳われる
のび太の結婚前夜 でも
おばあちゃんの思い出 でも
帰ってきたドラえもん でもありません。








2112年 ドラえもん誕生








という30分の物語は、




わたしに小さな痛みと優しさを与えました。




皆さんは、
ドラえもんは、
落ちこぼれだったということを、
ご存知ですか。


ドラえもんは、
のび太と同じくらい、
落ちこぼれなんです。
実は。



製造過程でネジが1本外れ、
同時期に作られた同型の猫型ロボットよりも劣っていたのです。




なんにもできないんです。






おドジさん。




ロボット学校の卒業オーディション。


ロボットたちは、
それぞれに特技をアピールして、
各家庭や企業からのオファーを
獲得します。


でも、ドラえもんは
何をやってもだめなので、
どこからもオファーが来ないのです。




そんなドラえもんを
拾ってくれたのは、
セワシくんという男の子でした。


セワシくんの家で、
ドラえもんはセワシくんの
ベビーシッターとなりました。




ところがある日、


ドラえもんはねずみに耳を齧られ、
ロボット病院の「医療ミス」で
頭がつんつるてんになってしまい、
その姿を最愛のノラミャーコさんに大爆笑され、酷く落ち込みます。


元気を出そうと思って飲んだ
「元気の素」が、
実は「悲劇の素」で、


「なんてぼくは不幸なんだ」


と、メンタルがズタボロになって、


ドラえもんは
三日三晩泣くのです。




三日三晩泣き続けたら、
体のメッキが剥がれて、
黄色い体は青色に、
声はガラガラになってしまいました。




こうして、
ドラえもんは生まれたのです。




でも、
ドラえもんには、




セワシくんや
ノラミャーコさんや
妹のドラミや
ロボット学校の友人がいました。




そんなドラえもんを認めてくれる、
たくさんの人(ロボット)がいたのです。




この物語は、
最後、クリスマスの場面で終わります。




わたしは今日、
このお話を、
十数年ぶりに見ました。




子どものときに
何十回と見ましたので、
次にどんな台詞や場面が
来るのか、
というのは覚えていました。




が、
ラストシーンがクリスマスであるということは完全に忘れていました。




ただ、今朝
「ドラえもんを見たい」
と思って見ていただけなのです。




そうしたら。
今日はクリスマス。




こんなこともあるんだな、と。




わたしは、
子どもながらに、
この物語のなかの
ドラえもんの「かなしみ」に、
反応していました。




ネジが1本取れている


という感覚。


他の人(ロボット)にはできるのに、
なんで自分はこんなにできないんだろう


という感覚。





ドラえもんは、
そんな自分を必要としてくれた
セワシくんへの恩を
一生忘れません。


ドラえもんが、
のび太のもとにやってくるのは、
セワシくんをしあわせにするために、
「もっとも出来の悪いご先祖さまの歴史を修正する」ためなのです。




セワシくんは、
物語の最後で、
手作りのドラえもん人形を
プレゼントしますが、


ドラえもんは
プレゼントをもっていません。
すると、セワシくんは言います。


「ばかだなぁ。
そんなものいらないよ!
ドラえもんがずーっと友達でいてくれることが一番のプレゼントだよ」




以前は物欲にまみれていたわたしも
この年になり、
欲しいものはだいぶ減りました。




今、欲しいものは何ですか
と聞かれたら、
具体的なものは、
思い浮かびません。


しいていえば、図書券かなぁ(笑)




そうじゃなくて。




たくさんの人に
「与えられる」技術


とか


たくさんの人から
「愛される」人間性とか




そういうものの方がほしいとよっぽど思う。




わたしの周りにいる人が、
これからもわたしと一緒にいてくれる
ことが、
一番のクリスマスプレゼント
だと思う。




2014年も残りわずかになりました。
わたしは、良いモチベーションでこの佳き年を終えようと今努力しています。






最後に。






わたしの成長を20歳そこそこの頃から
見守ってくれている二人の女性がいます。




1人の方。




今日のこの聖なる日は、
彼女のお誕生日でした。




白い雪とスウェーデンの風が
誰よりも似合うあなたへ。






お誕生日、おめでとうございます。






そして、もう1人の方。




不器用なわたしに
今年一番の贈り物をくれました。




「この曲を聴いて、
彩ちゃんが思い浮かびました」
そういって、


「すてきなおばかさん」
という歌をくれました。






この歌は、
わたしではない
誰かにとっても
救いになるような歌だと思います。




だから、
わたしからも、
あなたにこの歌を贈ります。




すてきなおバカさん』


すきになるのなら すてきなおバカさん


いきるのがちょっぴりぶきようなひと

ひとのかなしみは じぶんのいたみ

こっそりだれかのために ながしてるあせ

すきになってもきっと きづかないおバカさん


いっしょにあるくなら すてきなおバカさん

だれよりもとおくをみあげてるひと

ひとにしあわせをゆずってあげて

からのポケットにゆめをまたつめこむの

あたしもあなたのゆめに なりたいなおバカさん


http://youtu.be/88ah0G9ALNw






今年の更新は、あと1回。
おやすみなさい。




夜更かしをしすぎて、
わたしにはサンタさんが来なそうです。
悪い子ですね。




皆さんにとって
聖しこの夜となりますように。


125 さよならは小さい声で

December 06 [Sat], 2014, 2:03




ひとりの人が
材木座のシェアハウスを
離れてゆきました。


彼は、
本当にすごい人です。


自分を律し、
向上心を失わず、
人への思いやりに長け、
感謝の気持ちを忘れない。




人の心の奥底にある感情をおしはかり、
よりよく生きてゆくための
「こうしたら、うまくいく」という
言葉にはしづらい何かをきちんと
伝えてくれる人で、




わたしは彼からたくさんのことを
学びました。


今朝、
目覚め、
続々と人が起き、
皆で鎌倉駅近くのコーヒースタンドへ。




その道すがらは、
何度も通る同じ道で、
明日も同じ道を通うはずなのに、
いつもと違う景色をみているようで、
心がざわざわとしました。


わたしは、
人前で泣いた記憶が
ほとんどありません。





卒業式でも泣かなかったし、
留学していたときも泣かなかったし、
何処かの街から何処かの街へ移り住むときも、泣いたことがなかった。
失恋しても泣いたことないです(笑)




でも、
今日はどうしてなかなか、
溢れる涙、
抑えきれず、
あぁ、お別れって、
こんなに寂しいものだったのかと、
ひどい寂しさが、
凍てつく冬の寒さと共に
骨の随まで染み込んできました。




彼と出会えたことは、
この家に来てよかったと思える、
大きな理由のひとつだった
ということです。




彼が世界を旅する2年という月日。


20代から30代への大台に向かう
わたしたちには、
あまりにも、
あまりにも、
重要な期間です。


そして、
大切であろうと努めて思わなければ、
あまりにもあっけなく過ぎてゆく
狂おしい期間です。




満月の今日、
彼のこれからの2年間が、
必ず充実したものになるよう、
祈ります。


そして、
次に再会するときは、
わたしもこんなに成長しましたと、
燦々とした笑顔で、
それを証明できるように、
夜空を煌々と照らす
月に誓いをたてたいと思います。
(今日の月は本当にきれい!)




ひとつひとつの
文字が、言葉が、
「あなた」への贈りものとなるように、




わたしはそれをいつも
意識して、手紙や文を
書いています。








まさちゃん、
行ってらっしゃい。


オーストラリアも、
世界一周も、
すべてが
かけがえのない瞬間となりますように。


そのどれもが、
これからのまさちゃんの人生を、
いろどるものでありますように。



今まで、本当にありがとう。





したっけ、またね。


124 思いを伝えるむずかしさ

December 01 [Mon], 2014, 22:56





▲昨日の強風がうちの庭に寄越したキレイな落ち葉のかたまり

こんばんは。


本屋さんで、担当ジャンルが決まりました。


児童書


です!(°o°)わお


大学時代、絵本サークルという
突飛なサークルで部長を務め、
大人になってから絵本を読み始め、
北欧へ留学して
アストリッド・リンドグレーン
エルサ・ベスコフ
そしてもちろんトーベ・ヤンソン
の作品に触れ、
イラストも描いているということで。


ちょうど、
我が児童書棟では、
オープンから北欧フェア
というものを開催予定でして。


「どう考えても、
見た目的にも(?)児童書しかない」と。
ありがたいことです。




さてさて。




最近、またあるひとつのことについて、
気になり、へどが出そうになっています。


だから、助けてもらうことにしました。


助けてください。


わたしは下記に書く内容を、
先日、尊敬している「表現の人」にお便りしました。
本などで「表現をすること」「思いを伝えるということ」
について、書いている方です。

実際に、お返事を頂けるかわからないのですが、伝えたいと思ったから。
そして、表現のプロが、わたしの考えていることをどう捉えてくれるのか、
一筋でも、知りたいと思ったから。



でも、今回は
いろんな人の意見を聞きたい。
だから、ここでも書くことにします。



以下に。
お付き合いください。


―――


皆さんは、

「思いを伝えること、表現をすることが、
相手にとって理解されない恐怖」

について、どう思われますか。


わたしは、最近、
そのことについて、
ずっと、ずっと、ずっと考えいて、
思いを伝えきれないもどかしさに
吐きそうになっています。


表現することを、
仕事でも、生活でも、
多くしていきたいと思っているなかで、
この問題はこれからも頻繁に、
直面するであろうと思ったので、
考えてみたものの。むずかしく。



わたしにとって、
今年は「思いを伝えること」の元年でした。
表現者としての新1年生。


自分の思いを、
絵や言葉を通して臆さずに表現していこうと思った、そんな年。


「思いを伝えること、表現をすることが、
相手に理解されない恐怖」
?

たとえば、
わたしの場合、
それは仕事でも、
プライベートでも起こりました。


どういうことかというと。



わかりやすい例があります。




以下、
せっかく児童書担当になったので、
絵本のようにしてみました。
皆さんも、あみちゃんになって、
あみちゃんの気持ちを追ってください。


はじまりはじまり。







あみちゃんには、好きな人がいます。
その人の名を、つむぎくんといいます。



このあいだ
あみちゃんは、つむぎくんに、
どれだけわたしがあなたを好きか
ということをめいっぱい伝えました。


「あなたがていねいにものを扱うところが好きです」
「あなたがしんしに人と向き合うところが好きです」
「あなたがいっしょうけんめい服を作る様子が好きです」
(つむぎくんは洋服の仕立て屋さんです)
「あなたが花にも、猫にも、星にも、平等に語りかけるところが好きです」
「あなたの選びぬかれた言葉遣いがきらきらしていて好きです」


あみちゃんは、
ほんとうに、
ほんとうに、
つむぎくんのことを尊敬していました。


ほんとうに、好きだったのです。




でも、
あみちゃんは、
あまりに伝えたいことが多すぎて、
あみちゃんばかり、
いっぱい、いっぱい、いっぱい
話してしまっていました。



すると、
つむぎくんはいいました。




「…少しは私の気持ちも考えてほしい」




あみちゃんは、
はっとしました。




あみちゃんは、
自分の思いを伝えられるだけ
伝えることだけに必死で、


つむぎくんが、
あみちゃんの思いを
どう受け止めてくれるかなんて、
実は考えていなかったのです。


結果。


つむぎくんには、
あみちゃんの思いが、
あみちゃんが思っているとおりには、
まったく伝わりませんでした。




そして。




あまりにひとりよがりの、
ちせつな表現をしてしまったことを、
あみちゃんは大いに恥じました。




自分がたとえば100ぐらい、
たくさんたくさん伝えたいことがあったとしても、
相手が「嬉しい」と受け止めてくれる容量が60しかなければ、
その容量を超えたぶんは、
「ちょっと困っちゃう」だとか
「ちょっとウザい」だとかになってしまうこと。





そして、
「これは赤くて丸いよ」
と伝えたものが、
「これは青くて四角いんだよ」
と捉えられてしまうことの怖さを




息ができないぐらいの
胸の痛みと共に知ったのです。



と、同時に
「どうしてこんなに伝わらないのだろう」
という一筋のさびしさも。







……




なんてね。


どうでもいいのですが、
あみちゃんは編むと書いて編ちゃん。
つむぎくんは紡ぐと書いて紡くんです。
(どうでもいい)



これは、事実に基づくフィクションです。


自分による表現を解放した今年、
わたしはこのような間違いを複数回犯しました。




あみちゃんをわたし、
つむぎくんを「某社」に
置き換えれば、
たちまちこの物語はドキュメンタリーになります。



想いを伝えるという行為は、
相手がいてこそ成り立つ行為です。




あみちゃんのような場合、
相手を思えば、
自分の伝えるという行為には、
制限をかけなくてはなりません。
つむぎくんにとっての迷惑になるからです。




制限?
じゃあそのラインってどこ?




「ここまでは伝えても大丈夫。
これ以上は、迷惑。」




相手にとっての「嬉しい」と「迷惑」の境界線がわからない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。



でも、まだまだ伝えたい。
伝えきれていない。


表現のしかたを変えれば受け止め方は変わるのだろうか。




たとえば、


こんなところと
あんなところと
そんなところを
わたしは尊敬していて、
とてもお慕いしているのです。


ではなくて、
ただ、ただ




あなたを好きです。




と伝えればよいのではなかったか。




もっと時間をおけば。
距離をおけば。
伝え方を変えれば。


でも、どのようにしたって、
どれだけ伝えても
もう伝わらないかもしれない。





ぐるぐる、ぐるぐる。






こういうことは、
きっと、どんなかたでも、
経験をしていることだと思うのです。



そして、そこに正解は存在しない。






ただ、
自分の気持ちも、
相手の気持ちも、
大切にする。
どちらもちょうどいい塩梅で。




それが、
どれだけむずかしいことか。




わたしは、この問題に、
2014年が終わるまでに
自分の納得ゆく結論を導きたいと
思っています。






世の中には、
白黒はっきりしないことが圧倒的で、
この問題だって、
ぜったいにずっと、
はっきりしないのです。




でも、
やっぱり、
きちんと考えたいのです。




皆さんはどう思いますか。
こっそり、教えてくれると嬉しいなと思います。
(こっそり、でいいです)



助けてください。