食べられる人間のエゴ
June 01 [Sun], 2008, 9:59
やっと動いてくれたようです。給食費未納問題です。
<産経ニュースより引用開始>
給食費滞納 橿原市、近畿初の給与差し押さえ強制執行
全国的にクローズアップされる給食費滞納問題で、橿原市は27日、支払い能力がありながら小学校の給食費約4万7000円分を滞納していた1世帯に対し、給与差し押さえの強制執行を行ったと発表した。(中略)
市教委総務課は「強制執行までに、個別訪問や電話催促などを行ったが未納が続いた。今後も悪質な滞納者には法的措置もやむを得ない」と厳しい姿勢を示している。(後略)
<引用終了>
幼稚園児のとき、わたしはお弁当の時間が嫌いでした。
「お菓子を持って来てはいけない」と園の規則で決められているのに、お弁当の中身が「ホットケーキとチョコレート」で(今思うと「ホットケーキで手抜きしてごめん、だからチョコつけとく」という母の思考があったのだと思われます)、同級生に「チョコレート持って来てる!」ととがめられたり、幼稚園の指定のコップがなくて(今思うと洗うのを忘れられていたな)キティーちゃんの柄つきを持たされたために「しのぶちゃんだけちがうー」ととがめられたり。
要は母が雑だったということなんですが、幼いなりに肩身の狭い思いをした記憶があります。
ある日のお弁当など「いり卵丼」(白いごはんの上にいり卵が乗っているだけのもの)。
まったく味もしゃしゃりもない(味気のない)、まぎれもない「ごはんと卵」で、それでも『お残し厳禁』の時代だったので、泣きながらも食べるしかありませんでした。
それでも私は食べられていたのだから幸せです。
父の時代、父は農家の出身ですが、「お昼休みに家に帰る子がクラスに何人もいた」と聞きました。おうちが貧しい子はお弁当を持たせてもらえなかったため、お弁当を食べるクラスのみんなと一緒にいるのがつらく、空腹を紛らわすために水をたらふく飲んで、学校の外でぶらぶらして帰ってきていたのだそうです。
「俺は、弁当箱にぎっしり飯を入れてもらえて、そのうえ梅干と漬物があったから良かった。食べられない子たちはかわいそうだったけど、そういう時代だったからしょうがない。」
お弁当の話になると、父はいつもそう言います。
私は小学校に入学して、給食のおいしさに感動しました。
カレーも、煮込みハンバーグも、クリームシチューも、豚汁も、すき焼き風煮も、黒糖パンも、チーズロールも、みんな大好きでした。ごはん給食の日など、さまざまに工夫の凝らされた季節の炊き込みご飯、たこめしなども出ました。どれもこれもおいしいものでした。男子に混じっておかわり競争をしました。牛乳を5本飲んで、得意気にしていた子もいました。
小学校でも好き嫌いは許されませんでした。アレルギーの子をのぞいて、「嫌いだから食べない」は通用しませんでした。お昼休みの掃除の時間、ほこりにまみれながらも食べさせられていた子がいたことも思い出されます。
父兄向けの「学校給食の試食日」が1年に1度ぐらいあり、その時には母も「今は学校の給食っておいしいのねえ、あんなに安いのに」と感心していました。
ごはんが食べられない苦しみを知らない私が言うのもなんですが、わたしの両親を含む「昔の人」は「学校では格安でお昼ごはんまでたべさせてもらえるのだから、お金を払って当たり前」だったはずです。
人間にとって、食べられないことほど、つらくて苦しいことはないんだよ。だから、私たちは一人でも多くの、食べられない人たちに食べさせなきゃならない。
私の大学時代の恩師は、もう8年も前に退官されましたが、戦争の時代を生き抜いた思い出としていつもこれをおっしゃっていました。
だから、あなたたちは、食べられないという最も不幸な状態におちいっている人たちが、救われるような作物を作らないといけないのです。砂漠に育つ作物、枯れた土地に育つ作物を作れる技術を学ばないといけないのです。
飢えて飢えて、隣の人がもう明日には感染症で死んでゆくような、生きることに絶望した人が、「枯れた大地に垂れる稲穂」を見て、「遺伝子組換えだから食べない」などと言うでしょうか?
「遺伝子組換えだから食べない」というのは、「食べることが当たり前だから」言えるのです。けれども現実には、選べる立場にいない人のほうが多いのですよ。
人間の尊厳を奪う「飢餓」を、私たちは何とかしなければならないのです。
何とかする方法を、遺伝子組換えという技術や、そのほかの育種の方法を学んで下さい。
私たちはそれを聞いて魂がしびれました。
競って学び合い、技術を習得しました。
「世界の食べられない人のために」少しでも役に立ちたいと思いました。
食べられることが当たり前だというのは、私たちの小さな世界だけでの常識なのです。
給食費滞納に対する差し押さえ、どんどんやったらよろしいと思います。
<産経ニュースより引用開始>
給食費滞納 橿原市、近畿初の給与差し押さえ強制執行
全国的にクローズアップされる給食費滞納問題で、橿原市は27日、支払い能力がありながら小学校の給食費約4万7000円分を滞納していた1世帯に対し、給与差し押さえの強制執行を行ったと発表した。(中略)
市教委総務課は「強制執行までに、個別訪問や電話催促などを行ったが未納が続いた。今後も悪質な滞納者には法的措置もやむを得ない」と厳しい姿勢を示している。(後略)
<引用終了>
幼稚園児のとき、わたしはお弁当の時間が嫌いでした。
「お菓子を持って来てはいけない」と園の規則で決められているのに、お弁当の中身が「ホットケーキとチョコレート」で(今思うと「ホットケーキで手抜きしてごめん、だからチョコつけとく」という母の思考があったのだと思われます)、同級生に「チョコレート持って来てる!」ととがめられたり、幼稚園の指定のコップがなくて(今思うと洗うのを忘れられていたな)キティーちゃんの柄つきを持たされたために「しのぶちゃんだけちがうー」ととがめられたり。
要は母が雑だったということなんですが、幼いなりに肩身の狭い思いをした記憶があります。
ある日のお弁当など「いり卵丼」(白いごはんの上にいり卵が乗っているだけのもの)。
まったく味もしゃしゃりもない(味気のない)、まぎれもない「ごはんと卵」で、それでも『お残し厳禁』の時代だったので、泣きながらも食べるしかありませんでした。
それでも私は食べられていたのだから幸せです。
父の時代、父は農家の出身ですが、「お昼休みに家に帰る子がクラスに何人もいた」と聞きました。おうちが貧しい子はお弁当を持たせてもらえなかったため、お弁当を食べるクラスのみんなと一緒にいるのがつらく、空腹を紛らわすために水をたらふく飲んで、学校の外でぶらぶらして帰ってきていたのだそうです。
「俺は、弁当箱にぎっしり飯を入れてもらえて、そのうえ梅干と漬物があったから良かった。食べられない子たちはかわいそうだったけど、そういう時代だったからしょうがない。」
お弁当の話になると、父はいつもそう言います。
私は小学校に入学して、給食のおいしさに感動しました。
カレーも、煮込みハンバーグも、クリームシチューも、豚汁も、すき焼き風煮も、黒糖パンも、チーズロールも、みんな大好きでした。ごはん給食の日など、さまざまに工夫の凝らされた季節の炊き込みご飯、たこめしなども出ました。どれもこれもおいしいものでした。男子に混じっておかわり競争をしました。牛乳を5本飲んで、得意気にしていた子もいました。
小学校でも好き嫌いは許されませんでした。アレルギーの子をのぞいて、「嫌いだから食べない」は通用しませんでした。お昼休みの掃除の時間、ほこりにまみれながらも食べさせられていた子がいたことも思い出されます。
父兄向けの「学校給食の試食日」が1年に1度ぐらいあり、その時には母も「今は学校の給食っておいしいのねえ、あんなに安いのに」と感心していました。
ごはんが食べられない苦しみを知らない私が言うのもなんですが、わたしの両親を含む「昔の人」は「学校では格安でお昼ごはんまでたべさせてもらえるのだから、お金を払って当たり前」だったはずです。
人間にとって、食べられないことほど、つらくて苦しいことはないんだよ。だから、私たちは一人でも多くの、食べられない人たちに食べさせなきゃならない。
私の大学時代の恩師は、もう8年も前に退官されましたが、戦争の時代を生き抜いた思い出としていつもこれをおっしゃっていました。
だから、あなたたちは、食べられないという最も不幸な状態におちいっている人たちが、救われるような作物を作らないといけないのです。砂漠に育つ作物、枯れた土地に育つ作物を作れる技術を学ばないといけないのです。
飢えて飢えて、隣の人がもう明日には感染症で死んでゆくような、生きることに絶望した人が、「枯れた大地に垂れる稲穂」を見て、「遺伝子組換えだから食べない」などと言うでしょうか?
「遺伝子組換えだから食べない」というのは、「食べることが当たり前だから」言えるのです。けれども現実には、選べる立場にいない人のほうが多いのですよ。
人間の尊厳を奪う「飢餓」を、私たちは何とかしなければならないのです。
何とかする方法を、遺伝子組換えという技術や、そのほかの育種の方法を学んで下さい。
私たちはそれを聞いて魂がしびれました。
競って学び合い、技術を習得しました。
「世界の食べられない人のために」少しでも役に立ちたいと思いました。
食べられることが当たり前だというのは、私たちの小さな世界だけでの常識なのです。
給食費滞納に対する差し押さえ、どんどんやったらよろしいと思います。
- 社会問題 |
- URL |
- Comment [6]


