ケセラセラ通信日記を移転します。 

2005年06月24日(金) 1時40分
ほぼ2カ月、日記を更新できなかった。あとから振り返って書こうとするのだが、それにも限度がある。2週間も空けると、もう駄目みたい。そこで、この際ブログを変更して、新たな気持で出直したいと思う。そして、この2カ月間のことは、もう振り返らない。てことで、皆さんヨロシク。

あたらしい日記のURLは・・・

http://eriken.ameblo.jp/

です。ブログをメインにお読みくださる方は新たにブックマークしてください。

少しずつ追いかけます 

2005年04月19日(火) 1時24分
しばらく「日記」を書けませんでした。溜まってくると、ますます書きにくくなるものですね。私のパソコンの師匠などは、「日記は15分ぐらいで書くようにしている」とおっしゃいますが、私にはとてもそんな芸当はできそうもありません。でも、あまり遅れるのも考えものなので、これからは文章を少し短めにして、現実の日付とあまり違わないところまで追い込みたいと思います。
更新しないとアクセス数が減っていくのは当然ですが、昨日(5月5日)は何故か131人もの方が来てくださって、びっくりしています。その理由が分かる方がいらしたら、ぜひ教えてください。単なる「偶然」なのでしょうか。

少しだけ本題。ビデオで『インファナル・アフェア』を見る。先日テレビで見た作品だが、そのおさらいと、2部・3部を見るための準備を兼ねる。当たり前だが、テレビで見たときより人間関係がよく分かる。精神科医リー(ケリー・チャン)とヤン(トニー・レオン)との不意打ちのような恋愛描写もニクい。ヤンとラウ(アンディ・ラウ)の両方に肩入れしたくなり、その分ハラハラ感も倍増、という感じだ。なかなかよく出来た香港フィルム・ノワールだ、という印象はビデオを見ても変わらなかった。

妹尾豊孝さんの写真 

2005年04月18日(月) 1時29分
写真集『50年ぶりの炭都〜筑豊 田川の今』を入稿した。著者は妹尾豊孝(せのお・ゆたか)さん、出版社はブレーンセンター(大阪市北区)。
妹尾さんは1940年生まれで、子供のころは福岡県田川市に住んでおられた。石炭とセメントの町である。地元の高校を卒業後、大阪の建設コンサルタント会社に就職。60歳の定年まで勤め上げられたが、40歳を過ぎてから写真専門学校の夜間部に通い、現在は写真家として名をなしておられる。自分の人生のなかに写真との出会いがあり、それをライフワークにできた幸運、そこにたどりつくまでの努力と才能、そんなことを考える。
写真集には『大阪環状線・海まわり』(1993年)、『5,000,000歩の京都』(1997年)、『神戸  西へ東へ』(2001年、共にマリア書房)がある。最初の写真集で、日本写真協会新人賞と写真の会賞を受賞しておられる。
写真の世界で順風満帆のスタートを切られたわけだが、好事魔多しで、定年退職後にくも膜下出血で倒れ、九死に一生を得られた。回復されたとき、《私を育ててくれた筑豊 田川へ行きたくなり、新たな気持ちで歩いてみようと思った》という。ほぼ50年ぶりの帰郷である。そして、田川とその周辺へ3年間通って撮った写真が、今回の本にまとめられたのだ。

その写真だが、構図が大胆ということもなく、劇的なシーンがあるわけでもない。一見、ごく普通のスナップに見えるのだが、そこには、かつて炭都として栄え、今は寂れてはいるが、それでも子供たちは元気で、お年寄りは楽しく語らい、人には情があり、穏やかな生活があり、大きな自然が残っている、そんな田川の今が温かいまなざしで写しとられている。
キャプションもいい。《営業を始めて三十数年。たこ焼き150円》とか、《増水した彦山川で泳ぐ。警官に上がれと叱られた》、あるいは《「こっちが近道バイ」。JR田川後藤寺駅まで案内してくれた》といった具合。
妹尾さんは序文に書いている。《私の目には寂れた町よりも、人々の生き生きとした表情に出会えたことのほうが印象的であった。どっこい生きている。私は、普通の人が普通に生きている姿に共感を覚える》と。

『初恋のきた道』再見 

2005年04月16日(土) 6時54分
NHK-BS2で『初恋のきた道』(チャン・イーモウ監督、2000年/米中合作)を放映するというので、つい見てしまう。最初見たとき、ラストの葬送シーンで滂沱(ぼうだ)した作品だ。だが、不思議なことに、今回は泣けなかった。逆に、細かいことが気になったりした。
例えば、ルオ先生(チョン・ハオ)が生徒たちを家まで送り、一人で帰ってくるシーン。行くときは黄金色に輝く紅葉に囲まれていたのに、帰ってくるときは周りの木々が緑で、空気も寒々しいのだ。別の季節なのだろうかと考えてみたが、ルオ先生もディ(チャン・ツィイー)も同じ服だから、同じ日だとしか思えない。おそらく、追加撮影したシーンなのだろう。また、ディが校舎の窓の障子を張り替えるシーンも、吹雪の中を学校に向かったはずなのに、校舎の中には明るい光が満ちていて、破れた窓からは風も雪も舞い込んではこないのだ。
だが、そんな些細なことが映画の印象を左右するとも思えない。この作品で衝撃的なデビューを果たしたチャン・ツィイーを、その後いろんな映画で見過ぎたためだろうか。「初恋」を成就させるストーリーに素直に乗れないほど、こちらの感性が鈍麻してしまったのだろうか。最初の感動があまりにも大きすぎたのだろうか。いろいろ考えてみるが、原因はよく分からない。
で、TSUTAYAでビデオを借りてきて、もう一度見てみた。やっぱりいいんだな、これが。よく出来ています。現在をモノクロにし、過去を色鮮やかなカラーにした構成の妙。ディの顔のアップを多用し、彼女の一途で健気な恋心を真正面から捉えた直球勝負の力強さ。そしてラストの葬送シーンでは、やはり涙がチョロリ。「教育者という仕事もいいなあ」と考えている自分がいた。特に感動したのは、葬送のモノクロシーンからもう一度カラーになり、校舎の外でルオ先生の声に聴き入っていたディが、胸いっぱいの恋心から、飛び跳ねるように村はずれの一本道を駆けていくラストシーンの、そのストップモーションだ。そこには、18歳のディの初恋が、19歳だったチャン・ツィイーのその時が、見事に定着されているのだった。

では、なぜBS2で見たときは駄目だったのだろうか。たぶん、事務所の小さなテレビ画面で見たせいではないかと思う。画面の大きさって、大事なんだなあ。今度は、映画館の大きなスクリーンで見てみたいものだ。

『酔画仙』に酔えず 

2005年04月15日(金) 13時08分
見たかった映画が、どんどん終わっていく。特に金曜日は悩ましい。写真集の入稿を抱えていたが、迷いに迷ってOS劇場C・A・Pへ。イム・グォンテク監督の『酔画仙』(2002年、韓国)だ。
19世紀・朝鮮時代末期に実在したという天才画家、チャン・スンオプ(チェ・ミンシク)の生涯を描いている。浅学にして、この画家の名を知らなかったが、かの国での水墨画のあり方や実際の創作の様子は興味深く見られた。ただ、全体に一本調子というか、主人公のスンオプが苦悩しつつ求道的に自らの画業をきわめようとするので、見ていてしんどかった。重いのだ。
酒と女がなくては絵が描けず、破天荒な自由人で、宮廷画家に召し抱えられても脱走を繰り返した人だというが、それならもう少し楽しそうなシーンがあってもいいのに、と思う。おそらく、イム・グォンテク監督は、この映画で〈芸術家のあるべき姿〉を描きたかったのだろう。「地位も名誉も、金も女も、芸術とは関係がない。あるのはただ、真の芸術とは何かを一生問い続けていく姿勢だ」と言われているような気がする。まことにご立派で、何も申し上げることはございませんが、いつもこんなことを考えている先輩には、あまり近づきたくないなあというのが、正直な気持だ。
朝鮮末期という激動の時代に、さまざまな政治の動きがあり、その中で翻弄されてゆく個人(スンオプ)という側面も、この映画のもうひとつの柱になっているのだが、これも私の不勉強ゆえに、きちんと理解したとは言えない。もちろんこちらが悪いのだが、そんなふうに反省を強いられる映画というのも、「なんだかなあ」と感じてしまった。
でも、アン・ソンギは、この映画でも素晴らしかった。貧しい少年スンオプを救い、その才能を見抜き、生涯援助の手を差し伸べ続けたキムを演じている。役柄もあるのだが、ときにはスンオプを厳しく諭す場面もあり、ジーンときてしまった。この人の声が好きだなあ。

「渾身の」という言葉がふさわしいイム・グォンテク監督作品、今回は乗れなかったが、『風の丘を越えて〜西便制』などは大好きなので(そういえば、『酔画仙』にもパンソリが出てきて、突然『風の丘を越えて』を連想してしまったのは私だけでしょうか)、新作が来たらまた見に行くことになるだろう。ともかく、無視できない監督であることは確か。

三部作は続けて見よう 

2005年04月14日(木) 12時14分
夜、テレビ大阪で『インファナル・アフェア』(アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督、2002年香港)を見る。
先日、阪大の上倉庸敬(かみくら・つねゆき)先生が、朝日新聞に『インファナル・アフェアV』(2003年)の熱のこもった映画評を書いておられたのだが、「TもUも見逃しているしなあ」と思っていたところ、第一作のテレビ放映を見ることが出来たというわけだ。
アンディ・ラウとトニー・レオンが出ている。だが、アンディ・ラウの役名がラウで、監督の一人がアンドリュー・ラウというのだから、ややこしい(ややこしくもないか)。それはともかく、私はトニー・レオンが好きだ。どんな役にでもスッと入って、スクリーンの中で際立った存在感を見せてくれる。たぶん、普段はあまり目立たない人ではないかと思う。まあ役者の鑑(かがみ)でしょうね。この『インファナル・アフェア』(それにしても、舌を噛みそうなタイトルだ。意味もよく分からないし。「地獄の出来事」というぐらいの意味か)でも、何日も頭を洗っていないようなベットリした髪に無精ヒゲで通しながら、長い潜入捜査に疲れ、ともするとマフィアのほうに傾きそうになる刑事を見事に演じている。
最後にヤン(トニー・レオン)が殺されるのにはびっくりした。だって「V」の予告編にしっかり登場していたから。「ぴあ」を読んだら、あれはどうやら回想シーンらしいと分かったが、一作で完結したはずが、第二作、第三作とつくることになって、監督は苦労したんだろうなあ。
同じ「ぴあ」情報によれば、《この傑作犯罪劇は、すでにハリウッドでのリメイク・プロジェクトも進行している》とか。なんでもリメイク、リメイクで、創造性の枯渇したハリウッドは、もう末期的症状ではないのか。
ともあれ、テレビでTを見られたおかげで、UもVも見るぞという気持になれた。もちろん、Vを見る前に、TとUはビデオで続けて見ますけど。

吾妻ひでお様、どうぞお元気で 

2005年04月13日(水) 16時49分
吾妻ひでお著『失踪日記』(イースト・プレス、2005年)、2回目を読了。最初はストーリーを追うのももどかしく一気に読み、2回目は絵をじっくり眺めながら読む。

[このあともずっと書いていたのに、気がついたら全部消えていた。なんでや! 情けないやら、腹立たしいやらで、とても平静ではいられず、とりあえずメシを食べに行ってくる。帰ってきたら続きを書くぞ。おぼえてろ、ヤプログ]

いくつかの書評を目にし、面白そうだと思ったが、散文だか漫画だか分からず、書店でも見かけないので、出版社に販売力がないのか、あるいは予想外に売れて印刷が追いつかないのかと思っていたところ、淀屋橋のブックファーストで、まるで柱のように平積みしてあるのを発見、迷わず購入した。
そのオビに、《「全部実話です」。突然の失踪から自殺未遂・路上生活・肉体労働、アルコール中毒・強制入院まで》とある。まさにすさまじい人生である。だが、『失踪日記』ではそれらが必ずしも時系列順には並んでいないので、本を読みながらメモを作ってみた。

1976年、仕事量がピークに。《週刊誌1本、隔週1本、月刊4本。これに時々読み切り2〜3本を描いてた。限界を超えた仕事量だ》とある。
1989年11月、仕事を放り出し、1回目の失踪。このとき、自殺未遂。
1992年4月、2回目の失踪。
同年夏(?)、ガスの配管工になって肉体労働。
1998年春、アルコール依存症になる。
同年12月、強制入院。
最初の失踪の後、2回目の失踪から配管工になった後、そしてもちろんアルコール依存症での入院後も、漫画家として復帰しておられる。

さて、この悲惨で暗い話を、『失踪日記』ではどう描いているのか。最初のページに、《この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています》という文章が掲げられ、主人公(つまり吾妻ひでお氏本人)が両手を組んだ祈るようなポーズで明るく顔を上げ、そこに《リアルだと描くの辛いし暗くなるからね》と吹き出しがある。この絵をはじめ、線描は全編にわたって丸っこく、人物も背景もかわいく描かれている。

『故郷の香り』は水の映画だ 

2005年04月12日(火) 14時45分
昨日に引き続き、購入していた前売券を消化する。テアトル梅田で『故郷(ふるさと)の香り』(フォ・ジェンチイ監督、2003年中国)を見た。これも危ないところで、ロードショーはすでに終わっていて、モーニングショーで朝1回だけの上映。
フォ・ジェンチイ監督は、あの『山の郵便配達』(1998年)を撮った人。2作品を見て思う。どうやら、人間の優しさ、一途さ、健気さなどにスポットを当て、肯定的に描いていこうとする監督のようだと。そのことは、原作(莫言著『白い犬とブランコ』NHK出版)を読んでみると、なおよく分かる。物語の構造はあまり変わらないのだが、原作のほうが苦い味わいなのだ。
例えば、ヒロインのヌアン(リー・ジア)は、映画では片脚を引きずっているのだが、原作では片目を失っていて、《右には目がなく、涙がなく、深く落ち込んだ眼窩に黒い睫毛が乱雑に植わっている》とダイレクトに描写される。また、その子供は、映画では可愛く健康な一人娘だが、原作では三つ子で、しかも3人とも聾唖(ろうあ)なのだ。最も衝撃的なのはラストで、映画では男・ジンハー(グオ・シャオドン)も女も最後までプラトニックを貫き、大人の決断をするのに対して、原作では帰っていこうとする男の前に女が体を投げ出し、《わたし、物の言える子供が欲しい》と迫るのだ。そして、その後がどうなったかは描かないまま、原作は終わっている。原作者の莫言(モォ・イエン)は、《(映画は)小説とは設定が異なる部分はありますが、小説が伝えたい内容はすべて表現できていると言ってもいいでしょう》(映画パンフレットより)と語っているのだが、「本当かなあ」と思ってしまう。
まあそんなことを詮索しても仕方ないのだが、原作を読むと、フォ・ジェンチイ監督がそこから何を取り、何を回避したかは分かるのだ。短編だから、立ち読みでも読める。でも、書店で見つけるのは大変かも。私は紀伊國屋、旭屋、ジュンク堂と3軒ハシゴしてやっと手に入れた。
ラストで思い出したが、映画のラスト、つまり見せ場を予告編で見せられていたので、感動が削がれた。この映画の予告編はよく出来ていると思うが、あそこは見せてほしくなかったなあ。『アビエイター』のような場合もあり、本当に予告編はむずかしい。

『アビエイター』のディカプリオ 

2005年04月11日(月) 11時56分
またやっちまった! 前売券を買っていたのに、気がついたら上映が終わっていたのだ。悔しいから、作品名は書かない。でもせめて、例えばシネ・リーブル梅田でしか使えない前売券を、他の劇場でも使えるようにしてくれたらいいのになあと思う。

で、この際、持っている前売券を消化してしまおうと、遅ればせながら『アビエイター』を梅田ブルク7で見てきた。予告編とは随分印象が違う。予告編では、好きな映画と飛行機に財産を注ぎ込み、有名女優との恋を謳歌した男(ハワード・ヒューズ)の壮大・華麗な人生、という感じだったのに、本編を見てみると、強迫神経症に苦しみ続けた弱い男の、そんな弱さに挑戦するかのように無茶なことに突っ込み、やがて壊れてゆく悲しい物語、というふうになっているのだった。
でも、考えてみれば、マーティン・スコセッシ監督作品なのだから、人間の暗部を描いていないはずがない。そう気持を切り替えて見たら、2時間49分の映画だが、長いとは感じなかった。
見どころはいくつもあって書ききれないが、ひとつ気になったのはレオナルド・ディカプリオのことだ。自らエグゼクティブ・プロデューサーに名を連ね、この映画の実現に全力投球しただけあって、迫真の演技だと言えるだろう。でも、なんか背伸びしているように感じてしまった。粥川準二という評論家が、《あまりに童顔すぎてヒゲが似合わない》とパンフレットに書いていたが、私もそう思う。1974年11月生まれだから、ディカプリオも既に30歳になっているのだが、未だに『ギルバート・グレイプ』(1993年)のイメージがつきまとう。本人も焦っているのかもしれない。上半身裸になるシーンもあるが、その肉体の貧弱なこと。今回の役柄に合っているとも言えるのだが、私が俳優なら、もう少し鍛えると思うんだがなあ。
ま、スコセッシ監督とのコンビがこの後も続くようだから、その中での脱皮を期待しよう。

字幕朗読上映会本番 

2005年04月10日(日) 20時20分
シネ・ヌーヴォでは、目の見えない方にも映画を楽しんでもらおうと、設立当初から「字幕朗読上映会」という試みを続けている。これに関わる人は全員ボランティアだし、地味な取り組みではあるのだが、持続の力というのは凄いもので、今ではけっこう各方面から注目されているのだ。
今日がその字幕朗読上映会の本番日で、取り上げた映画は原一男監督の『またの日の知華』。外国映画の場合は、場面説明のナレーター、それに主要な役それぞれに別の声が必要だから、大体6人ぐらいで練習を重ねて本番に臨むのだが、日本映画の場合は日本語のセリフは聞こえてくるし分かるわけだから、セリフとセリフの間の場面説明をするナレーターが1人いればいいことになる。だから厳密に言えば、日本映画の場合は「字幕朗読」ではないのですが。
で、私が今回そのナレーター役を引き受けたわけだが、例によって尻に火がつかないと馬力が出ないという悪癖のため、自分たちが応援してきた『またの日の知華』だというのに、完全徹夜で原稿を仕上げ、今日の練習と本番に臨むことになってしまった。

12時過ぎ、シネ・ヌーヴォに到着。すぐに練習に取り掛かりたいのだが、本編の前に予告編が4本あり、それの説明もしなければならない。ちょうど予告編が始まる時間だったので、スクリーンで見る。本編は事前にビデオをもらい、何を喋るかを原稿にし、練習することもできるが、予告編はそういうわけにはいかない。スクリーンで見て、その場で何を喋るかを決めなければならないのだ。幸い、映し出される日本語の文字情報を読んでいけば、なんとか内容を理解してもらえそうだったので、予告編の説明も自分でやることにした。
かくして、12時半ごろから本編の練習。これはビデオを見ながらやる。私が全編を通してナレーションし、隣でそれをチェックしてくれる人がおり、説明不足な部分や耳で聞いては分かりにくい言葉などを指摘してくれる。いくつか修正する部分は出たが、だいたい大過なく終わり、本番までに1時間ほどの余裕ができた。さっそくコーヒーを飲みに行き、少しでも頭を覚醒させようとする。戻ってきて、原稿の手直し。今回は脚本に細かいト書きが多く、それが大いに役立った。
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