坂戸城の沿革

March 02 [Sat], 2013, 11:14
しかし景勝方はよく守り、また冬が近づいてきたこともあって、北条勢は樺沢城に氏邦・北条高広らを置き、北条景広を遊軍として残置しての撤退を強いられた。そして景虎は翌年滅亡、北条勢の越後への侵入をこの城で阻んだことが景勝方の勝利の大きな要因となった。
乱を制して景勝が春日山城主になると、父が政景の家臣であった樋口兼続(のちの直江兼続)をはじめとする「上田衆」が景勝の直臣団を構成するようになり、同時に、坂戸城は、春日山城の有力な支城として領国経営の重要拠点となった。兼続も坂戸城主に任じられている。
景勝は、天正10年(1582年)に越中方面で織田信長の軍勢と交戦しており、その際、上野国厩橋城(群馬県前橋市)から越後に侵入した滝川一益の軍勢とも戦っているが坂戸城は持ちこたえている。
看護師の裏話
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:継田
読者になる
2013年03月
« 前の月  |  次の月 »
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新記事
最新コメント
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/enpebeurw0/index1_0.rdf