ショパンの祈り

April 05 [Mon], 2010, 1:37

 
   
  『ショパンの祈り』
  
  「乙女の祈り」という、誰でも知っている曲を、施設
 の子供たちのため「ちゃんと」練習する必要に迫られ
 たとき、この曲がポーランド女性によって作曲されて
 いたことを初めて知ったから、幾年が経つことでしょう
 か。 ポーランド生活の日常会話の中で、「イエスス 
 マリア」や「ボージェ(神さま)」という言葉を聞かない
 日はありません。 ジョルジェ、サンドの館でのショパ
 ンの姿を毎日「鍵穴から」のぞいていたポーランド人
 召使いのヤンの証言では、「だんな様はいつも膝ま
 ずいて、一心に祈っておいででした。」というものでし
 た。

  ショパンは何を祈っていたのでしょうか?

  「祈り」それは私たちの泡立つ心を静かにしてくれま
 す。合掌をしていると、呼吸が深くなります。これは洋
 の東西を問わず、長いこと営まれてきた人間の姿でし
 ょう。
  今年、「生誕200年」を迎えたショパンのために、ショ
 パンを賞する音楽家たちが、それぞれの方法や考え方
 で、ショパンを演奏することが多くなりましょう。私も、た
 くさんの方々の御支援、御助力をいただいて、「全曲演
 奏」を6月からスタートさせていただくことになりました。
  そこに込めたいものは、やはり「祈り」です。ショパン
 が「音に込めた祈り」。その祈りの音を借りて、私自信
 の祈りを音に込め、天や、かけがえのない人びとに感
 謝の気持ちを込めて発信できたら、と静かに祈ってお
 ります。
 
  これは来月に4月に開かれる私のリサイタルのプログ
 ラムに載せた文章です。
 「祈り」は、私にとって日常のことですが、祈り方が少し、
 他の人とは違うかもしれません。

  ICU前の待合室で、入室許可を待つあいだ、私は、扉
 を隔てた向側の母へ向けて、一心に気を送り続ける間
 にも、東京の(社)整体協会のK先生と連絡を取り、私
 たちにできる手音の方法を終わりました。肺がきれい
 になりさえすれば、老人の死亡率が高いといわれる肺
 炎を、起こさずに済むと考えたのです。
  K先生は
 1 頸椎6番を指の腹でトントンとたたいてから、
 2 気の通らない方の鎖骨への愉気。「多分左側だ
   と思いますよ」とのお言葉。
 3 「咳切り」の急所である喉のくぼみ。
 4 両人さし指の爪のつけ根の「気の通らない方への
   愉気。」それに加えて、私たちの心を見透すように、
   「遠藤さん御自身の(手の平中央にある)「鎮心」
   に、よく気を通してから、ここに当たってください。」
   と添えられました。
  どれくらい待ったでしょう。扉が開いて介護士さんが、
 「お入りください。お活ができますよ。」と、私たちを誘
 いました。入口で消毒し、アスクをかけ直して、丹田
 に気を満たして中へ。
  母は、酸素マスクのままゼイゼイと激しい息をして
 いて、さかんに痰を吐いています。担当のT先生と救
 急救命達の先生、それに介護士さん達が、テキパキ
 と働いています。
  手を握り「郁子ですよ」という声かけが届いたかどう
 か・・・。反対側の手を握っていた反人が「おかあさん
 !」と大きな声で呼かけると母は大きく目を開け、
 「あら、あたし死んじゃったの?」と苦しい息で尋ねる
 のです。あの世で目覚めたと思っているらしいので
 す・・・。 救命医の先生の説明では、合併症の原因
 が血の固まりなどではなく、誤嚥(ごえん)によるもの
 では?ということでした。 肺の中に飛び散ったもの
 が肺炎を起こしかけているので、それを溶かす処置
 をしているとのこと。
  私たは母のそばに貼りつき、友人にも手伝って貰
 いながら、冷たくなった左鎖骨、岩のように盛り上が
 った人さし指の生え際に、必死の愉気を続けます。
 頭上の電光指示板の血圧と脈拍は絶えず「乱高下」
 を示しています。 母は苦しい息の下から周囲に
 「すいません、御迷惑かけて」をくり返すばかり。逆
 にこの「配慮の余裕」が私を安心させてくれます。
  折からインフルエンザの流行時。急救を要する患
 者は、母だけではなく、ICUは慌だしい。
  2時間ほどの愉気で、岩のようだった爪の、生え
 際も左右が揃い、鎖骨にも気が通った頃「今晩は
 もう、帰ったほうが・・・。あとは私たちに任せてくだ
 さい」との介護士さんの言葉を引きとり、帰宅。頭
 がさえて眠れそうもないので、夜中近くなっていた
 のに練習。

  ああ、神さま、どうぞ母をお召しにならないでくだ
 さい・・・・・・・。

  翌朝、K先生に昨夜のお礼のTELを入れ、 「気
 は通ったと思います。」と続けた処、「いえ、左鎖骨
 にまだ充分、気が通っていません。」と言われ、先
 生が遠隔から気を使っていてくださっていたことを
 知り、心強くなりました。
  母が倒れれてからずっと、母に代っての仏壇、神
 棚、それに亡き父の彫った仏壇への3個所の祈り
 は「遠藤家のために今まで頑張ってきた母をまだ、
 お迎えに来ないでください・・・・・。」

  翌10月13日朝、病院へ車を飛ばす。病院の秋
 は早く、ナナカマドの並木が、もうすっかり紅く染ま
 っていて、入院した日、病室から見えた北大のポ
 プラ並木も、色づきはじめて。
  救急車から最上階の病室へ向かう時、母を不安
 にさせないための声かけは、「ほら、お父さんが通
 っていた北大が、大きく見えるわ。よかったわね。」
 そばで、介護士さんが、「北大にお勤めだったんで
 すか?」と、母は一瞬、痛みを忘れたように少しお
 澄ましして、「そう、物理学部だったの。」というと
  「わあ、本格的だあ」と介護士さん。母の心が満た
 されたように見えたのでした。

  2日目のICU。母は、咳をたくさん出したせいか、
 昨はありはすっきりと見えて、脈と呼吸も104対
 22とおちついて。母は私を見ると、昨夜心細かっ
 たのか、「今日は傍に寝てくれるのね?」
 私、「どこに?」母が、床を指さすのは、手術を受
 けた晩、私が母の隣にタンカで寝たときのことが
 頭にあるからでしょう。
  「ここは集中治療室なの。だからここには泊ま
 れないの。でも、いつも気を通っているから、離
 れていても、傍に居るのと同じなの。」
  母は納得したようでした。 
  昨夜からの私の祈りは母の病魔への「祈り倒
 し」に近いものになっていたのです。



母の入院3

March 22 [Mon], 2010, 17:06
  

   母の入院3

   
   先日、ショパン生誕200周年記念企画 作品番号付ピアノ
 独奏曲全曲演奏会についてのインタビューをいくつかの音楽
 雑誌が採ってくださいました。 その中に、こんな質問がありま
 した。 遠藤さんは「癒しのピアニスト」と言われていますが、
 演奏中はどんなことを考えていらっしゃるんですか?人を癒す
 ということを考えていらっしゃるんですか? と訊かれました。

  14年前、サリン事件の河野澄子さんとご縁をいただきました。
 私のCD、「ショパン序破急」をたまたま聴いた澄子さんに、顕著
 な変化が現れ、ついには「痛い」「怖い」という二語を発した、い
 わゆる『奇跡』が起きて、NHKを始めとするマスコミ関係から、
 「癒しのピアニスト」「安らぎのピアニスト」と呼ばれるようになり
 ました。 当時、「癒し」という言葉は、今日のように一般的では
 なく、私はこの「癒し」という言葉を重いものとして受け止めまし
 た。
  ピアノを弾いている時には、「癒し」とかその他の目的はなく、
 ただひたすら作曲家の遺してくれた音に、全神経を注ぎます。
 それが、「癒し」につながるかどうかは、その時点では、考える
 こともできません。 「癒し」につながったのは、結果なのです。
 ピアノを弾いている時に、「作曲家がピアノの音を通じて、私に
 語りかけてくれる幸せな状態」であるとき、それは、演奏がうま
 くいっているという状態でもあります。ですから、「癒し」たいと
 いう自分の欲をもってはいけないといつも自らを戒めています。
 
  昔、38歳年上の夫の心臓発作に毎晩立会いながら、西洋
 医学の力が及ばないとわかったとき、私には祈ることしかあり
 ませんでした。それは演奏旅行中、地球の裏側にいるときで
 も同様でした。その祈りを16年間続けているうちに、世間では
 「オーラ」とか、「気」とか言われているものが培われたのかも
 しれません。私の演奏するピアノの音そのものが、「祈り」の
 音になっていったのかもしれません。
 
  ブログ『母の入院2』から、時間が経ってしまいました。その
 間、パソコンに向かう時間も気持ちの余裕もまったくありませ
 んでした。
  昨年の10月5日、母の大けが。10月8日の手術に成功した
 ものの、脈117、熱38度5分の状態が続き、母は痛みを訴え
 る毎日でした。私は毎晩のようにベッド脇のストレッチャーにベ
 ッド代わりに横たわり、母に語りかけ、手を当て続けました。
  手術の翌日のこと、母は「台風が来るから家に早く帰りなさ
 い」と言って、母親らしい気遣いを見せました。10日、少し元気
 になって、「カステラを食べたい」と言うので、売店で購入。
  11日、日曜日。Tさん夫妻がお見舞いに来てくださる。母は
 二週間後に遠藤道子記念音楽館で開かれるチャリティーコン
 サートの曲目をTさんと打ち合わせしているようだった。
  12日月曜日、体育の日。朝行くと、母はもう車いすに乗って
 いて、「明日からはリハビリを始める」という。ベッドから車いす
 に移るのは一苦労で、私はすぐ古武術の甲野善紀氏に電話
 し、古武術による介護術について話を伺いました。夕方もう一
 度、病室を訪ねると、母はプリプリと腹を立てていて、「お腹が
 空いた。ご飯の時間なのに、ご飯が来ない」。私、「まだ5時45
 分でしょ? 6時15分に来るんじゃなかったの?」と言うと、母
 は納得したので、私は 「私もお腹が空いたから、食事をして
 きます」と病室を出ようとすると、母は「ご飯を食べたら、また
 戻ってきてくれるのね?」とすがるようにいうのです。 今朝、
 車椅子に移ったばかりで、明日からのリハビリに弾みをつけ
 るためにも、あまりべったり付いていないほうが回復が早い
 と思い、「そのまま家に帰るわ」 と言いました。
  嗚呼、この時、部屋に戻っておいてあげれば・・・。

  札幌の家に帰宅したとたん、携帯の呼び出し音がなり、
 「急変しました。すぐ病室に戻ってください」と女性の看護師
 さんの声。 病室に駆けつけると、執刀医の先生が、茫然と
 ベッドの足元に立っていて、十数名の介護士さんたちも、ベ
 ッドを深刻なな顔で囲んでいました。 母は酸素マスクをあ
 てがわれ、ハーハーと激しい呼吸を繰り返すばかり。「合併
 症が起きてしまいました。おそらく血の塊りか、何かが肺の
 中に、飛び散ってしまったようです。」30分ほど前にあれほ
 ど元気だった母なのに・・・。
  ICUでの手当てを待つ間、私は生きた心地もなく、ただ祈
 るばかりです。 ICU前の待合室のソファに座りながら、私
 は合掌し、自分のありったけの「気」を母の肺に向かって送
 り続けました。老人の死因には肺炎が多いと言われている
 ので、「肺炎さえ起きなければ、なんとかなるのでは?」
  母は、子供の時の肋膜炎の後遺症のため、片肺が半
 分しかありません。母と5年前から同居を始めて、初め
 て旧知の東京女子医大のK教授の診断を仰いだとき、
 レントゲン写真を見せられた私は、こんな体で90年近くも
 頑張ってきた母への愛おしさで胸が詰まったことを思い出
 しました。

  一緒に来てくれた友人が、「やめなさい。縁起でもない。」
 というのですが、私は合掌の手をほどくことができません。
 なぜならこの合掌の形は、最も強いエネルギーを送ること、
 そして私の「気」を強くまとめるのに、一番手っとり早く正確
 な方法なのです。

 

『ショパンの遺言』のチケット予約開始

March 04 [Thu], 2010, 5:06
  『ショパンの遺言』 

・・・ショパン生誕二百周年記念企画実行委員会より・・・

  今回はコンサートタイトル 『ショパンの遺言』 遠藤郁子作品
 番号付ピアノ独奏曲全曲演奏会
のお知らせです。

 6月12日を皮切りに、来年の2月12日まで、全8回のオール・ショ
 パンの演奏会を旧東京音楽学校奏楽堂で開くことになりました。
 詳しくは、右のサイドバーのリンク集にあるチケットぴあ、もしくは、
 e+(イープラス)のサイトでご確認、ご予約ください。
 3月15日まで年間通しのチケットの予約を両サイトで承っていま
 す。
 


 ぜひこの機会に「癒しのピアニスト」遠藤郁子の音霊(おとだま)
 の洗礼を受けてみませんか? ショパンの曲を通して、あなたの
 世界観や音楽観が変わるかもしれません。
 (実行委員長I.F.より)




プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:遠藤郁子
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3才より母の遠藤道子にピアノの手ほどきをうけ、後に高折宮次、井口秋子の両氏に師事。芸大一年生のとき、安宅賞を受賞、日本代表として第7回ショパン国際コンクール(ワルシャワ)に参加。ポーランド批評家連盟より特別銀賞を受賞。そのとき世界的なショパン演奏家、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ、及び御夫君のルドビク・ステファンスキ教授の招きで、同氏の内弟子となって研鑽をつむと同時に、ワルシャワ・フィルハーモニー交響楽団定期演奏会、ハンガリー国立フィルハーモニー交響楽団、グルノーブル市立交響楽団、N響、読響、日フィル、新日フィル、東響、札響、大フィル、京響などとの協演、ワルシャワフィルハーモニーにおけるショパン命日記念リサイタル、各地のフェスティバル、TV、ラジオ出演などの恵まれた演奏活動のスタートを切る。
 1974年からパリに在住。ヴラド・ペルルミュテル、アンリエット・ピュィグ・ロジェ両氏に師事、アメリカ・フランス・イギリス・ハンガリー・ルーマニア・旧ソビエト・ユーゴスラビアで演奏活動を行う。
 レコード及びCDは、ショパンのポロネーズ全曲・マズルカ全曲・ソナタ全曲・バラード全曲・25のプレリュード全曲、ノクターン集、及びベートーヴェンソナタ集他が、ビクターエンタテインメント及び、日本コロムビアからリリースされている。
 海竜社から出された二冊のエッセイ集「いのちの声」と「いのちの響き」は、苦しみを負った人びとから、静かに長く読みつがれている。
 彼女の演奏やCDが、サリン被害に遭った人びとや、重度障害者や、生きる望みを絶たれた人びとに、生きる力をもたらしたことから「奇跡のピアニスト」「癒しのピアニスト」と呼ばれるようになり、ハンディキャップを背負った人びとへの支援にも、社会的活動としての日々を送っている。1997年にはこの功で松本市長より表彰をうけた。
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