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August 16 [Sun], 2009, 14:35
先月、13年目にして初めて、母の命日祭を主催。

余命として言われていた7月も1日から31日まであるしと思っていたが、ホスピスの短冊に書いた願い事も、叶わないまま母は云ってしまった。
その時は『後からこの短冊見たホスピスのstaff、切ないだろうな』とかなんか客観的に考えていたな。
確かあのホスピスで、最後に読んでた本は、黒柳徹子の「とっとちゃんととっとちゃんたち」。


テスト期間だった私を待ってやってきたその日、薬を使ったらもう昏睡状態になるからと、家族皆が揃った後に、母は眠りにつき、その晩は皆で母を囲んでその時を待ちながら眠り、明け方やってきたその瞬間も、ただ家族だけで静かに迎えることができて、本当に恵まれていた。

それから一時の時間を置いて、父が静かに、でもしっかりと押したナースコールに、なんか覚悟みたいなものを感じたりした。


その日は雨で、『こんな時に帰りの運転大丈夫かな』と心配する私に、兄が「皆の涙が雨になったんだよ」と言ったのを覚えている。


それからのセレモニーは、無宗教だった私たち家族は何か形式ばったものも嫌だねということで、お別れ会というスタンスに献花という形式をとった。
歌が大好きで歌いながら最期の時を迎えた母に、何か歌をということで、その時に習っていた「花」を皆で歌った。

1000人を越える人々がその会には訪れてくれて、素敵な時間となった。


その夜は、仲良しのいとこと隣通しで眠りについた。


次の日のお別れ会で、来訪者に挨拶をしていると、突然幼なじみたちの姿が目に入ってきた。
そのことがびっくりで、嬉しくて、初めて泣いた気がする。
その日は学校があった土曜日で、来るはずがないと思っていたから。

私の涙の理由を知らなかった父は、心配して、私の肩に手をかけながらスピーチをした。

もっと早く知っていればと言っていたけど、母が私に体調不良だった事実を打ち明けたのは、入院してからしばらくのことで、後になったから思い出せたことだったりするから、最善の一年だったなあと思う。

棺には、愛用の帽子とか、折り紙、ぐりとぐらの絵本などを入れた。
そして私や兄たちの入学式、卒業式などに着たモスグリーンのお気に入りの洋服を選んだ。


そんな形のセレモニーだったから、その時に皆さんから頂いたお金は、全額ユニセフに寄付した。そして来てくれた一人一人に直筆でお礼の手紙を書いた。


何人かの人からはお返事が来たりして、いつも優しさに包まれた。

自分が書いた手紙の内容を今も覚えている。
今はただ近くにいないだけで、いつか帰ってくるんではないか。
母と過ごした時間は、14年という時間以上に素晴らしい年月だった。
たくさんの愛をもらったこと。
勉強しなさいと言ったことはなかったこと。

皆さんの支えがあって今を過ごせていること。
などなど…


それから、私は受験生となり、そのこともあって遺骨はいつでも会えるということでそのまま家に置かれた。
父とうまくいかない時、その想いを手紙に託したりした。

母の誕生日には、兄とイタリアンでお祝いし、クリスマスベビーだねとか言って笑った。

中学の文化祭では劇の主役に抜擢され、そのことを父に秘密にしていた私は、当日観に来た父に驚かれ、その後のテストの成績表の“家庭からのメッセージ”という欄に「皆からのプレゼントと温かく受け取りました」と書かれていた。


それから中学卒業、高校と年月が過ぎて、大学に入学と同時に兄が建てた新居へ引っ越すこととなり、祖父母と一緒に暮らし始めるということもあり、そろそろ納骨をということで、5月の晴れた青空の下、父が自分のクルーザーに家族や親戚を乗せて出航、広い海に散骨をして花を手向けた。

その足で七里の出来たてのお墓に向かい、納骨。海沿いの海を見渡せるその地に母個人のお墓を建てて、歩みを刻んだ。


その後、奇跡的な出会いに恵まれた。
大学の精神看護の授業で来ていた先生は、母がいたホスピスの師長をしていた。
そして元気づけるためにと父が主催した江ノ島のクリスマスイルミネーションの写真を母がいたホスピスに持って行った時、前を向いて歩く姿をと頼まれて、会報の文書を書いた。


それから私は今の病院に就職した。入職時の研修で、医師紹介の時に皆の前で「○○さんはこの中にいますか?」と自分の名前を呼ばれた。その医師とは母の最初の主治医だった。
なんとも驚いたが、かけがえのない出逢いだった。その一件で産科の先生や看護部長と親しくなれたりした。
私がたまたま選んだこの道に偶然が重なった。
その事にどうしようもなく感謝をしたくなる時がある。

私は、私たち家族は、いつも見えるところに母の写真を飾ったりだとか、仏壇にお供えしたりだとか、行事ごとにお墓参りに行ったりだとか、そういった行いをしていない。それでも見えないところで繋がっている何かにいつも支えられ、そして時にはそういった日常の出会いや出来事に母の存在を気づかされながら、これからも見守られていくのだろう。
そんな思いがあるから、決して悲しみに暮れることなく、日々を自分らしく作っていくことができるのだと思う。

それは時を重ねながら、最期には母の死を受容できたという本当に感謝すべき特権であり、大いに愛された結果なのだと改めて実感している。


その母が「まるい心を持った優しい人になってね」と名付けた私の名前。
たくさんの人に出逢って、色んな想いをたくさん味わい、大きなまるい人間になっていけたらと。

my lifeの礎に。
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