再会の予兆

June 07 [Sun], 2009, 18:41


 

 西野君とわたしが再会したのは六年ぶりになります。偶然というものは本当にあるのだと思いました。
 小学二年生のときに両親の離婚が理由で名も知らない街へと転校していった彼でしたが、当時の面影は確かに残っており、名乗られずとも西野君だとすぐに気付くことができました。
 しかしすれ違った背中を振り返り、学生服がきっちりと身体になじんでいる西野君が、なんだか知らないひとのように思え、それは間違いなければ西野君のはずなのですが、別人であるような気がしました。実際、六年もの空白がお互いの間にあるわけですから、わたしの勘違いという可能性も充分にありえるわけです。
 ただ、彼を識別するうえでの重要なポイントである癖っ毛が、少し色褪せた記憶の中にあるものと同じだったので、わたしは試しに声をかけてみることにしたのです。
「西野君」
 声が震え、わずかに裏返ったのが分かりました。数メートル離れた先の黒い背中が歩みを止め、こちらを肩越しに見やったとき、やはり間違いではなかったのだと安心するとともに、果たして彼がわたしを憶えているかどうか、一瞬だけ不安が頭をよぎりました。
 なにしろ、わたしと西野君は、同じクラスでもなければ話をしたことなど一度もありませんでしたから。問題児で、先生の手を焼かせてばかりいた彼の存在は、学年でも有名でした。そう、わたしが一方的に西野君を知っている。ただ、それだけの関係だったのです。
 気付けば目前に金ボタンが縦に並んでおり、いつの間に距離を詰められていたのかと顔を上げると、わたしはひどく懐かしい気持ちになりました。
 少し男らしくはなったものの、ガキ大将だった彼のつり上がった眉や、への字に曲がった口元は当時とまるで変わっていなかったのです。
「──ええと」
 彼はわたしをどう呼ぶべきか困っているのだと思いました。それはごもっともで、会話をしたこともない六年前の同級生を、名前すら知らない人間を呼ぶ術など知らないのは当然のことなのです。
 ですから、彼がわたしの苗字を口にした瞬間は、夢でも見ているのかと、目を見開いてしまいました。
「西野さん、だ」
 首をかしげながら、わたしの眼を見つめてくる彼の瞳が、あまりにも澄んでいたので、頬が熱くなってゆくのを感じました。いつだって西野君は、こんな眼をしていたのです。彼はあのときから変わらぬガキ大将の心のまま、わたしの前に立っている。
 六年経った、今。
「どうして、知っているの」
「同じ苗字だから」
 答えになっているような、そうでないような。確かに、彼とわたしには同じ『西野』という姓を持つという共通点があります。実をいうと、わたしが彼を知るきっかけとなったのも、苗字が同じだったから、というのが大きかったのです。学年で『西野』はふたりだけでしたから、一学年三クラスしかなかった小さな学校では、お互いの存在を知るのは案外容易かったのかもしれません。
「話したこと、なかったよね」
 わたしの言葉に、西野君は目線を空中へと動かし考え込む仕草をしました。眉をひそめ、しわを寄せて。遠い記憶の紐を手繰り寄せているのでしょう。数分の後に、「そうだったかもしれない」と、苦笑して見せました。
「年末に戻ってきたばっかで、まだ誰にも連絡取ってないんだ。おれのこと憶えてるかどうかもあやしいし」
 少なくともわたしは忘れてはいない──そう言おうとしたのですが、『西野』という共通点しか持たないわたしがそんなことを口にするのはなんだか可笑しいように思え、止めました。
「一人暮らし?」
「いや、父ちゃんと。母ちゃん死んだから引き取られた」
 あっさりと言ってのけた西野君が、あまりにあっけらかんとしているので、わたしは何と言葉をかければ良いのか分かりませんでした。そして同時に、西野君は六年前、母親に連れられてこの街を出て行ったのだということを知りました。
「学区はどこになるの」
「たぶん、北中」
 わたしが通っている中学校ではありませんでした。ふとよぎった落胆の思いに首をかしげながら、話を続けます。
 わたしの暮らす町とは少し離れた場所に、彼の家はあるのだそうです。お父さんと、ふたりで暮らす小さな家が。
「西野さん、うさぎ係やってなかった?」
「うさぎって、あのグラウンド脇のうさぎ小屋の──」
「そう、それ」
 懐かしい話題が飛び出たので、わたしは忘れていた自分の仕事内容を思い出してみました。確かに、わたしはうさぎ係に立候補し、グラウンド脇の小さな木造に生活するうさぎ達の世話をしていたことがあります。ですが、西野君とはその場所で一度も顔を合わせたことはありませんでした。
「どうして知ってるの、わたしがうさぎ係だったって」
「時々、キャベツ寄付してたから、おれの家」
 農家だったし、と西野君は付け加えました。当時はお父さんの実家で、おじいちゃん、お父さん、お母さん、西野君の四人が生活しており、おじいちゃんは畑で野菜を作っていたそうです。そこでとれる野菜の切れ端などを、よく学校に持ってきていたのだとか。
「あれ、西野君だったの」
 放課後、わたしがうさぎの様子を見に行くと、いつの間にか置かれていたキャベツやニンジンの入ったビニール袋。その量はわたしが持つには少し重いくらいでした。わたしはてっきり、先生方が用意してくれているのだと、何も気にすることなくうさぎに与えていたのです。
「そう、おれ」
 妙なつながりがあったことを、六年越しに知る。それはまるで夢を見ているような、不思議な感覚でした。西野君もわたしのことを認識してくれていたという、足の先から沸き起こってくるこの妙な幸福感。思わず眼を背けてしまい、そして「そうだったの」というわたしの言葉はあまりに細いものでした。
「いつも放課後、餌をやってるの知ってたから。飼育係のやつ、みんな手を抜いてたのに、西野さんだけは毎日きちんと世話してたよね」
 どんどんと頭の天辺に駆け上ってくる溢れんばかりの気持ちが、わたしの頬を染めさせました。恥ずかしい、と同時に、確かに嬉しいと感じている自分がいます。顔を上げることもできず、わたしはただ、彼の言葉を耳にしているだけでした。
「……良かった、また逢えて」
 逢えて、という表現が相応しいのか分からないけれど、と彼は付け加えました。わたしたちは会話もしたことのない関係であり、お互いがお互いを認識していたというのに直に関わったことは一度もありません。けれど、街ですれ違えば、六年経っているにもかかわらず眼を合わせられるほどの繋がりは、確かにあったのです。
 わたしが抱いているような幸福感。それは、彼の胸にも生じているのでしょうか。けれども、彼にとっては単に懐かしいという感情であり、わたしという存在は、ただ少年時代を回想するきっかけに過ぎないのかもしれません。
「ごめん、そろそろ行かないと。バスに乗らなきゃ」
 ふいに、彼が時計を気にしながら口を開いたので、わたしはつい、また逢えるかどうかと訊ねました。予想外の言葉だったのか、一瞬面食らったような表情をしたのち、「もちろん」と、西野君は頬を緩めました。その顔が六年前、ひっそりとすれ違いざまに横目に見たものと少しも変わらないので、心が緩く締めつけられるような想いがしたのです。
「携帯、持ってないんだ。良かったら電話してきて」
 ポケットから皺くちゃのレシートを取り出して、ペンで何かを殴り書きした彼は、それをわたしの手のひらにそっと乗せました。
「良かった、また逢えて」西野君はさっきと同じ台詞を言いました。
「また、今度ゆっくり話したいね」
 わたしの言葉に、うん、と、彼は笑って見せました。
「じゃあ、また。そのうちに」
「うん、じゃあ、また」
 人混みの中に紛れようと足を向けた彼に、わたしはふと声をかけました。
「西野君」呼ばれた相手は肩越しにわたしの方へ向きました。
「キャベツ、ありがとうね」
 彼の眼が静かに細められ、「どういたしまして」と、六年越しに伝えられた感謝の言葉に、手を挙げて応えてくれました。
 ずいぶんと背が伸びた彼の背中が人混みの向こうへと消えてゆくのを、一歩も動けずに見つめていました。
 西野君のことは何も知りません。六年前も、今、十四歳の彼のことも。けれど、また逢えて良かったと彼が言ったから。そして、また逢えると笑ってくれた彼が、六年経った今、向こうにいるから。これから知ってゆけば良いのかもしれない。その権利は、少しはわたしにもあるのかもしれないと思いました。
 すれ違いざまに見た西野君の笑顔。
 うさぎ係のわたしを憶えていてくれた西野君。
 思っていたよりもずっと、わたしたちは繋がりを持っていたのだと、彼のくれたレシートの皺を伸ばしながら、回想します。
 わたしの初恋の相手は、そっとキャベツを分けてくれた騒がしくもやさしい男の子だったことを、彼のナンバーを口にしながら、心底嬉しく思いました。
 また逢いたい。
 わたしはいつ電話をかけようか考えながら、彼が歩いて行った方向へ背中を向け、久しぶりによぎった淡い気持ちが全身を駆け巡っているのをじんわりと感じていました。


P R
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