5年前に書いたこと

August 05 [Sun], 2012, 18:45
現実世界の僕にとって、生きる価値はあるのかとかいつまで生きるのかという問いは、とても興味ある問題でした。
そうした問題に直面し、自分なりの解答をもったのが、十歳の時でした。
人は、それぞれ自らの思想を持っています。僕の思想と呼べるものは、十歳の時に獲得した死に関する考えです。
といっても十歳のそれは、十分に言葉に表現できるものではありませんでした。ひたひたと身に迫り、浸透してくる実感でした。
十歳の時、僕に宿った思想は、祖母のため息でした。
夫を失った母は、生後間もない僕をかかかえ、祖母のもとへ帰りました。祖母は、いつも幼い僕のそばにいて見守り生きるモラルを教えてくれる存在でした。
男ならけんかしてこいと僕を駆り立て、泣いて帰ってくるとあんなバカなヤツが相手なら仕方ないと慰めてくれました。
かつて、祖母は、結婚して間もない夫とともに本州から北海道へと津軽海峡を渡って来ました。そして、幾人かの子を産み、夫を病で失いながらも、育て上げました。自らも大病を患い持病を抱えて。
僕が十歳の頃、本州の実家へ旅行をすることになりました。初めての里帰りでした。多分、これまでの長い人生の中で最大の楽しみだったのではないでしょうか。
ところが、出発の数週間前に祖母は足を挫いてしまいました。老いて病を抱えた体での捻挫は、容易に回復しませんでした。結局、里帰りはあきらめなければなりませんでした。
里帰りをあきらめ、二度と家には帰れない入院をするまでの半年の間、夜になると、祖母はため息をつくようになりました。
毎晩、眠る時間が近づくと、「馬鹿らしい」そう呟きながら、ため息をつくのです。
聞こえるか聞こえないかの微かなため息まじりの「馬鹿らしい」という祖母の言葉は、テレビを見ていた僕に、マンガを読んでいた僕に、布団に入ろうとしていた僕にひたひたと迫り染み込んできました。
十歳の僕は、祖母のため息を頭でというより、全身で理解しました。
十歳の僕にとって、祖母のため息は人生の真理でした。
ふとしたアクシデントによって、人生で最後の機会を逃してしまった「馬鹿らしさ」。祖母には、もう二度と故郷に帰る機会はないこと、そして、死を迎えることがわかっていたのでしょう。
ひと時、ひと時は、二度と繰り返すことなく刻まれていくのです。死に向かって。
僕は、明るいうちは思い切り遊びました。でも、夕暮れになると悲しくなってきました。そして夜、寝床に入ると、その日の楽しかったことやら悔しかったことやらが思い出され、それらのことがもう二度とないことが切なくて切なくて、つらくなってしまいました。
僕にとって、祖母は大変立派に生きた人でした。決して豊かではなく、健康にも恵まれず、苦労の多かった人生ですが。
母の妹が幼くして不治の病で亡くなった時、母たち兄弟は「まだ私たちがいるから」と祖母を慰めたそうです。祖母は、「あの子は一人だけだ」と怒ったそうです。自らも病を抱え闘い、子どもたちの命も無条件に大切にした人でした。
その祖母が人生の終わりの死の影の中で、「馬鹿らしい」とため息をつくのです。
僕の目の前には、これから生きていく長い長い時間があるように思えました。
そのずうっと先の暗闇の手前から、「馬鹿らしい」というため息が吹き込まれてくるのです。
元気でいることも、お金持ちになることも、偉くなることも、努力することも、人を愛することも、皆最後には暗闇に飲み込まれていくのです。
夜、今日も終わり、その暗闇へ一歩近づいてしまった悲しさが僕を包みました。
祖母がため息をつく夜もそう長くは続きませんでした。怪我をしてから半年ほどで持病が悪くなり入院しました。そして、退院することなく、僕が中学に上がって間もなく亡くなりました。
祖母が入院してからの夜は、寝床にいると、病院で横たわっている祖母と自分とを重ね合わせてしまいました。
そして、死とは何かを考えました。考えたといっても、言葉ではなくイメージで。
何もない暗闇に僕の体が横たわっています。その体が少しずつ闇に溶けていくのです。闇に溶け出し消えていく足先から冷たい恐怖がこみ上げてきます。闇はじ わじわ体を消していきます。それとともに恐怖も大きくなっていきます。しかし、消えて闇となった体の部分はただ無なのです。全てが消えてしまうと恐怖さえ も消えてしまう。そう考える自分も消えてしまう。結局、全てが消えてしまう死を知ることはできないのです。
死を知ることはできない。死の向こうには何もない。暗闇さえも、向こうさえもない。それまで意味や価値を持っていたもの、全てが死によって無になる。
豊かさと貧しさ、偉大さと卑しさ、真と偽、美と醜、快楽と苦痛、努力と無為、誠実と不実などなど全ての価値は無になるのです。
十歳の僕には、これから何らかの意味や価値を求めて生きていかなければならない時間がとてつもなく長く感じられました。そして、「馬鹿らしい」と。
何故人は生きているのか?
何のために生きているのか?
「馬鹿らしい」というため息を飲み込むための答えが僕は欲しかったのです。母に尋ねました。「なんで生きてるの?」
母は戸惑ったことでしょう。しかし、全てを察知してもいたのでしょう。しばらく考え込んで、僕の手を僕の胸に当てました。
「こうしてドキンドキンって心臓が動いてるからだよ。」
きっと母は、何故とか何のためにではなく、ただ生きているそのことを伝えたかったのではないか、と思います。
ただ、その時の僕には、ドキンという鼓動は今生きている証であるよりも、限りある幾億回幾万回の内の1つが打ち終わってしまったのであり、死への向かって歩む足音であるように感じることしかできませんでした。
やはりため息をつく僕を、母は悲しそうに見つめていました。
僕も母を見つめ返しながら、ため息は止まりませんでした。
しかし、この心臓が止まらない限り、生きていかなければならないのだとも覚悟しました。「馬鹿らしい」とため息をついても、祖母が眠れない僕のそばにいてくれたように。祖母が病院のベッドで暗闇を見つめていたように。
これらのことが十歳の僕が獲得した思想だと思います。
もちろん、十歳の僕が考えたことは、多少は言葉にできたかもしれませんが、ほとんどはイメージであり、実感でありました。しかし、それだけに、頭よりも胸で、全身で、悲しみも切なさも、恐怖も感じたのです。
このように言葉におき直してみたのは、ずいぶん後のことです。悲しみや切なさ、恐怖が脱色され自分の奥に沈みこんでいってしばらくしてのことです。
言葉によって、虚構もまじったように思いますが、やはり今もこれは僕の思想であり、真実であると思っています。

人間ドック

July 31 [Tue], 2012, 21:10
人間ドックに行ってきた。
はじめての胃カメラ。

ゲホゲホ・・・久しぶりに味わった肉体的苦痛。
ゲホゲホがようやく収まる。
どうやら内視鏡が胃まで到達したらしい。

胃はふだんシクシク痛むのに、内視鏡が入った感覚はない。

奇妙に長引く時間。
操作する医師の気配が怪しい。
人数も増えてるし。

一部組織を採るそうな・・・
(検査料4000円の追加。)

ようやく終わって、医師からのお話。

 ここが潰瘍で、そしてここ。
 腫瘍には良性と悪性とがあって・・・

「つまりがん。」
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