New Dubliners 'Araby'

2010年07月31日(土) 0時18分
New Dubliners by Emiemon

Chapter1:Childhood(pueritia)

‘Araby’

「新ダブリン市民(九州人)」

第一章:幼少期

『アラビー』


ハイハイの頃起こした事件以来、シェパードのおかげか何事もなくスクスクと育ったようだ。
五歳になって幼稚園に入ったが、幼稚園の教室一面に絵を描くなどして早々に退園となったそうだ。
自宅の壁にも絵を描き続け、母が虫干ししていた一張羅の着物にもマジックでどんどん絵を描いたらしい。
初めての給料をもらったとき、母からその話をされて、大人になった今、弁償しろと言われた。

あと幼稚園の思い出は、幼稚園にサンタクロースがやってきたことを覚えている。
日本は雪がないからヘリコプターに乗ってきたのよと先生が話してくれた。
でてきたサンタクロースは白い髭を蓄えて、赤いおきまりの服を着ていた。
どっぷり太った体型に青い目で、「Merry Christmas!」と叫びながら降りてきた。
ボクはこれで完全にサンタクロースの存在を信じた。
ボクが中学生になるまでずっとずっと信じていた。
一番上の兄が、両親からのプレゼントでサンタが実際ヘリで来るはずがないと馬鹿にされ、
そのとき母に確認したら笑って実はオカンがサンタだと言った。
夢壊れたり・・・
しかし今思うと、さすがカトリックの幼稚園はやることがすごいと思った。
昭和の時代なのにヘリで外人役者?サンタクロースが園内に降り立つのですからね。

幼稚園はこうしてあっというまに行かないことになったので、ババンキーと毎日散歩したり動物の世話をしたりして過ごしていた。
そんな時、父がアメリカへ引っ越すことになった。
ヒマをもて遊んでいたボクが父の見張り役としていっしょに行くことになった。
アメリカはテキサス州、オースティンというところだ。



アメリカでの生活は父、ことパパゴンとボク、同じ会社の青木さん(この会社を退社後転職、カルピス会社元社長)、河合さん(同じくこの会社を退社後、キューピー株式会社元社長)との宿舎生活である。
寮母さんは母の三倍くらいある体型の黒いやさしい女性だった。
プライマリースクールが終わって帰ると、この黒い大きな女性がボクの世話をしてくれた。
「Are you hungry?」といつも聞いてくる。
ボクは野生の勘なのか、doで聞かれたらdoで答える、canで聞かれたらcanで答える、be going toで聞かれたらbe going toで話しをすると信じていた。だから「Are」で聞かれたから「Are」で答えていた。「Yes,I are」と・・・
女性はRosaみたいな名前だったから”Yes,I are,Rosa”とでも言っていたのでしょう。
すると女性はいつも「Yes,I am」だと訂正してきた。
意味わからなかった。なぜamになっちゃうのよとずっと疑問が心の中でまわっていた。
不思議な体験だ。とにかく欲しい物を欲しいと言わないともらえない。命にかかわるのだから子どもながらに必死。
別に英語が好きでもなかったし興味もなかった。



ある日、オースティンでお祭りがあった。
お祭りというかバザールだ。パパゴンに連れて行ってもらう約束だったが仕事でパパゴンが一緒にいけなくなったので、寮母と行くことになった。
「アラビー」というバザールでボクは何かいいものを母に買おうと思っていた。
おこずかいもパパゴンからもらった。ワクワクして行ってみるが、ババンキーに合う物も母に合う物をなかった。
田舎のおばさんが喜ぶものなんてないのだった。
ボクは一匹のネズミを買って帰宅した。ネズミのアナトールだ。
当時一番気に入っていた絵本の主人公の名前をつけた。アメリカを去る前に他界したが、ずっとボクの親友だった。
その夜、母から国際電話がかかってきて「お祭りはどげんだったと?」と聞いてきた。
だから「ふつう。ボクらの町のお祭りのほうがよかね」と答えた。
そして納得できなかったことを母にグタグタと話した記憶がある。たぶん、悔しくて泣いていた。
それはこういうことだ。
寮母の肌は黒、ボクは黄色。はじめて経験した有色人種の差別でもあった。アメリカに自由なんてない、自由どころか差別で縛られたお國なんだなと感じた。
アラビーで「Coloured」の座席に座った思い出は一生消えない。



パパゴンとの2年ちょっとのアメリカ生活を終えて、日本の田舎に帰ることになった。
今はどうか知らないが、小学校2と3と4年生を日本で過ごさないと、帰国子女扱いになって、普通の学校へいけなくなるからだ。漢字を一番覚える時期だし、算数も日本の方がすすんでいたからのようだ。
アメリカではパパゴンとずっと交換日記をやっていたから、日記がなくなるのは少し淋しかったが、やっぱり母がいる家が恋しかった。飛び上がるくらいうれしかった。
そして同居していたオッチャンたちがボクに将棋を教えてくれて、アメリカ生活の大半を将棋して過ごした。
アメリカにいても純日本人である。花札・将棋はここで覚え、マスターした。
もちろん寮母に習いたての将棋のルールを説明して、相手をしてもらっていた。
後に折り畳み式磁石将棋盤を肌身離さず持ち歩くようになるなんて、この時点では想像もできなかった。
パパゴンとニューヨークやワシントン、ディズニーランドへ旅行した。
メキシコ、ペルーにも行った。パパゴンとはアメリカにいる間に、いろいろ旅をした。




飛行機で帰国したら、ババンキーと母と兄たちが待っていた。
夏の暑い日だった。原爆記念日の前日だったこともあり、ババンキーが「アメリカーはどげんだった?」と聞いてきた。ボクは「ふつう」と答えて将棋の話をした。
そしたらババンキーは「アメリカがこの町に原爆を落としたち、もしあの日小倉の空が曇っとらんやったら小倉に落としとったんよ」と話してくれた。
「なんてアメリカはアホなんだ。天候で落とす場所決めよるなんて。」子どもながらにそう思った。

今年は広島原爆の日にアメリカから偉いお方が来るらしいが、どうか来るだけでなく原爆被害者に対して冥福を祈ってほしいと強く願う。
小学生のボクは二度とアメリカなんかに行くもんかと決心した。
そしてボクと交代で母がアメリカへ発っていった。

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