ひざの痛みも癒えぬこのごろ、みなさんには、あたたかいお言葉をかけていただき、、、
'''感謝です!!!'''
時間ができたら、お医者さんに・・・行こうと・・・思っています。
できれば年内に・・・。
それまでは、無理をせず、酷使せず、ひざ・腰ともに、大事にしよう!!と思っています。
ご心配いただき、ありがとうございました。
さて、今日はわたし個人のつれづれをば少し、、、
昨夜、大学時代の友人と久しぶりに長電話をしました。
彼女は大学を卒業以来、大阪市内で働いていましたが、2年半くらい前にふるさとの新潟に戻って行きました。
「実家の手伝いをする・・・。」
と言って。
「帰る」と決めた彼女の決断はとても早く、年があけた3月には、卒業以来勤めた会社を退職。
その足で、実家の新潟に戻って行きました。
そんな彼女が久しぶりに電話をくれたのです。
「あれからもう3年になるんよ。家も建てかえたし、一度、遊びにおいでよ。」
そう明るく話す彼女でしたが、当時、家は大変なことになっていたそうです。
新潟県中越地震から3年・・・。
連日、テレビで伝えられたその被害の大きさは、今でも脳裏に残っています。
忘れられないのには、わけがあります・・・。
1995年1月17日。
私は阪神淡路大震災を経験しました。
神戸から離れたわが町でも、震度5を記録。
テレビやタンスが倒れてきたり、ガラス食器が割れたり、墓石が崩れたりしました。
がけ崩れが起こったり、建物にヒビが入ったり、
神戸ほど大きい被害ではなかったにせよ、多かれ少なかれ、被害がでました。
あの日から10年以上の歳月が経過しましたが、地震という言葉には、過剰に反応してしまいます。
震度3とか2の揺れでも、身体が敏感に反応してしまうのは、
たぶん、身体が地震の恐ろしさを覚えているからなんだと思います。
そして、何度も訪れたボランティア先で目にした光景があるから、、、なんだと思います。
そう・・・。
新潟に戻った彼女も、大阪市内のアパートでこの地震を経験しています。
その経験があったから、実家が大変なことになったと知り、
彼女は放っておくことができなかったのです。
それまでもキャリアをあっさり捨て、実家に戻っていったのです。
家族と一緒にがんばった3年、、、時にはツライこともあったでしょう。
今の私には想像もつかないけれど、元気に明るく話す彼女を・・・尊敬しています。
久しぶりの長電話は、ツライ話もあったけれど、
私たちを若かりし学生時代にタイムスリップさせてくれました。
元気にがんばろう!!という意欲をくれました。
いつになるかわからないけど、そんな彼女の家に遊びに行きたいと思います。
現実には、まだ本来の生活を取り戻せていない被災者の方が多くいらっしゃると思います。
そんなみなさんが、一日でも早く、本来の生活に戻れるよう、遠くからですが、祈っています。
'''がんばろう!!神戸!!!'''
で、私たちは頑張り続けました。
これからも、頑張り続けると思います。
'''がんばろう!!新潟!!!'''
心から、応援しています。