青い瞼

2007年10月24日(水) 8時13分
東京国際映画祭に久々に行った。
昔は渋谷のイメージが強かったが、今回は六本木ヒルズでの上映に行った。
一回1000円とは、前の「ラテンアメリカ映画祭」に比べ良心的な価格設定である。

今回観たのは「青い瞼」というメキシコ映画。

会社の創立記念日のイベントのクジで、ペアの旅行券が当たったマリーナ。
でも交友関係のない彼女は、このままでは一人でいかなくてはならない。
そこで必死になってパートナーを探す。そこで何年も会っていない姉と行くことになる。
しかし、姉の理不尽な要求に対し喧嘩。

そこで、ひょんなことから知り合った(再会した?)ビクトルを誘うことにする。
マリーナとビクトルは、共に社交性がなく、交友関係もない。
当然、この二人の間の会話は盛り上がるはずもない。

そんな二人がデートを重ね、ディスコでキスし、ビクトルの家で一泊する。
で、迎えた旅行当日、マリーナはビクトルを置いて、一人で旅行してしまう。
破局と思われたら、マリーナの旅先から絵葉書が届く。
「許してくれるならバス停に迎えに来てね」と・・・

今まで見たメキシコ映画の殆どが、景色や状況の描写をじっくり見せるものが多いのだが、テンポが良いものが多いのだが、こちらはじれったいほどスローテンポな映画であった。

この二人の動きをじっくり追いながら、切なさやコミカルさを描いている「芸術的」なものになっていた。
ということで、全く自分たちの趣味には合わない映画であった。

映画後のトークショーで監督が、「パートナーを必死に探しているのに、結局は一人で旅をしたり、その旅先からやはり手紙を送ってしまったりと、人間とは意識とは正反対な行動を取るものだ」と言っていた。
そう言われて「おー!なるほど」とは思わず、「そういわれなければ気づかなかったなぁ」と思ってしまったので、出演俳優の演技は素晴らしくても、映画の作品としての個人的感想はイマイチであった。
あまりにも「当事者の想い」が強すぎて、視聴者の心には伝わりにくい映画であったのではないかと思い、観客投票用紙も4段階中3番目の「普通」にした。

ラテン映画祭「バイオリン」

2007年09月17日(月) 20時22分
チアパスのサパティスタの話かと思ったら、70年代が舞台だったらしい。
それゆえか白黒映画である。
貧しい先住民が結束して反政府ゲリラの武装蜂起をしようとしていた。

恐らくオープニングシーンでの、陰惨な政府軍による捕虜への拷問や強姦シーンは他の村が政府軍に制圧された時の話であろう。

主人公の老人プルタルコ、息子ヘナロ、孫ルシオの3人は、田舎町で音楽を演奏し、そのお捻りで生計をたてている。
それが表の顔で、裏の顔は反政府ゲリラというわけだ。

いつもどおり町での演奏、そして酒場での武器の調達を終え村に戻ろうとすると、女子供が村から逃げ出している。
政府軍に制圧されたとのこと。
その中にはヘナロの妻と娘はいなかった。

ゲリラを急がなくてはいけないが、武器は制圧された村にある。
そんな状況の中、老人プルタルコが立ち上がった。
独特の交渉術でロバを借りて、村に向かう。

それからはバイオリンを通した、プルタルコと政府軍の司令官との友情の物語。
卑劣極まりない政府軍の司令官も、一人の人間であるという部分をクローズアップ。
信頼関係が生まれたように見えた。

しかし・・・

この映画で最大のインパクトがあったのは、息子が連行され、自らも銃を向けられ、バイオリンの演奏を求められた老人が、楽器をしまい。
「音楽の時間」は終わったと言い放つ場面。

その後どうなったか、あえてそのシーンが続くことがなかったのだが、その老人の迫力は相当のものがあった。

この映画もそういうことで後味は決してよくは無い映画であったが、ありきたりの言葉で表現すればサムライスピリットをこの先住民から感じ取ることができた。
戦い敗れた戦士の美しい終わり方を見て取れた。
もっとも中南米の先住民と私たち日本人のルーツは同じという話もある。

3つの映画の中でどれに投票するかといえば、迷うけどこのバイオリンだと思う。
スペイン語も字幕がいらないほど聞き取りやすかったし(笑)。

この映画祭への意見
・映画の内容は過去二年より、今年のほうがダントツによかった。劇場映画よりレベルの高いとは思う、来年に大きな期待。もし行っていない人がいれば是非行ってください。
・会場は昨年の渋谷のほうが良かった。建物に入ってから会場の映画館まであまりに遠い。
 よって上映開始後に入場する人も多く、最初の部分が集中できなかった。
・価格が高い。
 パスポートも割安感がないし、1回券が1500円もすれば、多くの映画を観ることができない。
 もっと安くすれば、もっと大きな会場でできると思う。
・テーマ分類がいくつかあるが、同じ系統のものを同日や他の日でも同じ時間帯に上映していることがある。
 もう少しばらして欲しい
・ゲストと通訳の距離が離れすぎ。通訳がやりづらそうだった。

ラテン映画祭「XXY」

2007年09月17日(月) 20時21分
家族なのか友達なのか・・・
アルゼンチンからのウルグアイ国境のフェリー乗り場で待ち合わせ合流した二つの家族。
妙によそよそしく訳ありそうな感じで、「本人に伝えるの伝えない」の話をしている。

着いたのは漁村で、景色のきれいな町だ(モンテビデオから車で一時間のピリアポリスというところらしい)。ウルグアイについては個人的に全く知らない。でもこの間のテレビ番組とこの映画を観て、今や行ってみたい国ナンバー1である。

それはさておき、そのホスト家族の家で共同生活をすることになっているらしい。
昼食のときに、主人公となりそうなもう一人の家族の女の子アレックスが紹介される。

アレックスというのは男の名前っぽいが、よく考えればAlejandroの愛称だから、Alejandraの愛称であってもおかしくない。

件の本人は同級生の男子をボコボコにして高校を退学になったらしい。
まるで中村あゆみやすぎはら美里のような伝説である。

原因はアレックスの父親曰く「向こうが裏切ったから」だという。

ここまでのやり取りなら相手の男がアレックスを裏切り他の女とくっついたという、どこにでもありそうなベタな話だと思った。
父親がその男や、彼の父親を罵ったが、それも娘を心配する父親として片付けていた。

ところが物語の本質がわかったのはこの直後である。
やがてアレックスは、迎え入れられた家族の一人息子アルバロを誘惑し、ベッドの上で絡み合う。
そして誰もが驚く展開を迎える。何とアレックスがアルバロの「カマを掘」ったのだ。

男なのか・・・そしてニューハーフなのか・・・

そんな展開があったときに、ようやくこの映画のタイトルの意味がひらめいた。
XX、XYとは性別を決める染色体のことだから、XXYは染色体。女性の染色体が多い男性のことをいうのだろう。
(クラインフェルター症候群というらしい。監督曰く映画の内容は必ずしも医学的なものとは一致させたわけではないとのこと)
XXなどとくると、メキシコビールのドスエキスしか思い浮かばない私は無知だった。

やがてこの子は両方の生殖器を持つことがわかった。
そしてこの子や家族を取り巻く環境や、それまでのセリフで大した意味を感じていなかったアルバロの父が整形外科医であることの重要さがよくわかった。
その後は本人や両親の苦悩を描いていた。男として生きる、女として生きる、どちらを選択するべきか。
その悩みも他人は興味本位。思春期の本人にとって最も嫌なのは、それを他人に知られることだった。
つまり男友達をボコボコにしたのは、打ち明けた秘密を仲間にばらしたからだったのかもしれない。

それ故か、アルバロとの別れ際に「私のことが好きなのではなくて、モノがみたかっただけなんじゃないの?」と言った彼(彼女?)。
そしてそれをあえて見せたのが、彼に対する精一杯の愛情だったのかもしれない。

あとこの映画で気になるのが、アルバロと整形外科医の父親との会話。
「ボクには才能がある?」「No」
「お前はアレックスが好きか?」「No」「ホモじゃなくて良かったよ」
彼女との別れ際も、引き裂くようにしてアルバロを連れて行った父親。

情に流されず、それくらいの冷徹さがなければ整形外科医が務まらないということなのだろうか。それとも真意は深いところにあったのかはわからない。

こちらも後味が悪い映画だったが、印象に残る映画であった。

それにしてもウルグアイ。絶対にいきたいなぁ・・・

ラテン映画祭「マチュカ」

2007年09月17日(月) 20時19分
1973年、丁度自分の生まれた年だが、ちょうどアウグスト・ピノチェット将軍の軍事クーデターが起こった年だ。
当時のアジェンデ政権は社会主義であり、冷戦下にあったアメリカや富裕層のバックアップにより、ピノチェットがアジェンデ政権を打倒したとされる。

今年「大往生」したピノチェットの政権時代(1973〜90)は、相当の政治的な迫害があったとされ、何千人という人が殺された、または行方不明となった。
1998年にスペイン政府の要請で(在住チリ人への弾圧の罪)でイギリスで逮捕されたときには、イギリス・スペイン・チリで「イギリスの警察がチリ人をスペインの要請で拘束したのは適法なのか」と論争になって連日報道されていた。


まさにその時代の混乱を舞台にした悲劇を描いた映画である。
対象的な境遇にあった2人の少年、富裕層のクリオージョ(白人)のゴンサロと貧民層の先住民系のペドロは、政策により貧民層が私立の有名校に入学できるようになって知り合った。
タイトルの「マチュカ」とはペドロの名字である。調べたところ一応はスペイン系であるらしいが、貧困層に多い名字なのかもしれない。

格差社会を象徴するように、制服を着られない、水泳の授業は海パンではなくブリーフで授業に出るなど、同じ学校にいながら全く異なる境遇にいることがわかる。
校長の神父によれば、彼らは近所に住んでいるらしい。
ペドロは当然のように同級生のいじめに遭うが、いじめに参加しなかったゴンサロと友達になる。
そしてさらに、お互いの家を行き来するようになると、より異なる境遇を痛感させられることになる。
街中で絶え間なく行われるデモ。アジェンデを打倒したい富裕層のもの、アジェンデを支持したもの。
やがてデモは過激化し、軍事クーデターが起こり、体制は代わり、対立は憎しみに変わり、ついには弾圧へ。
そしてゴンサロとペドロの仲も引き裂かれるという話。

登場人物は
ゴンサロ側は政府要人と思える父、買い物中毒でありかつアルゼンチンの富豪と不倫関係になりながら生活物資を手にする母、決して利口ではない姉、極右思想を持つ姉の恋人。
ペドロ側はアル中の父、小さな子供を抱える母、近所のマセた女の子シルバーナ、その父
あと校長のマッケンロー神父、いじめっ子の同級生など

まずこの映画を観て感じたのは、いじめというのは自分と違うものを認めないこと、そして自分より劣っていることを蔑むことから始まるんだなということである。
それは子供も大人も関係ないのだ。人の卑しき本能なのかもしれない。
まぁネット上では他のアジア諸国の人、そして日本への労働移民を差別する表現を数多く見受けられるのもそんなところから来ているのだと思う。
映画では幾度と無く広場でのデモのシーンが映し出されるのだが、「飛び跳ねない奴は○○だ」というシュプレヒコールは、まさに他者との区別付けである。

まさに対立の構図のデモのシーンと、平和な家のシーン。
同じように中庭や公園で起こる喧嘩やいじめのシーンと、教室で大人しくしているシーンと対比しているのだろうか。

デモ行進で、アジェンデを支持する人が「飛び跳ねない奴はmomioだ」とシュプレヒコールを行っていたときに、ゴンサロがシルバーナに「momioってどういう意味?」と質問すると、「あんたみたいな無知な金持ちのことよ」と返した。
持たざるものが、全てを持つものに抵抗する武器は言葉なのだろうか。
映画の終盤、シルバーナとペドロに自転車を奪われたゴンサロが「売女の子供」という意味のスペイン語圏共通のスラングを使ったときに、シルバーナが本気でにらみつけ「あんたの親とは違うわよ」と返した。
何気なく使った言葉でも、それを武器とする貧困層には重い言葉となる。実際に母親がそれに近いことをやっていたのだからか、何も言い返せなかったのが印象的だ。

最後のほうに、シルバーナとゴンサロの母がデモの会場で大喧嘩をする。それが決定的に彼らに壁を作る原因となる。
今までは対立があっても、致命的になることがなかった均衡が破れた瞬間であったと思う。

その直後にピノチェット政権が誕生し、学校から神父を追い出して校長になった軍人が平和な教室にも入りこみ、さらには貧困層の住居を「共産主義の巣窟」とばかりに焼き払い平和な家族まで奪う。
体を張ってリンチを受ける父親を守るシルバーナを、ついに軍人が撃ち殺す。
それを目の当たりにしたゴンサロは、自分の身分を盾にペドロらを見殺しにしてその場から逃げ出す。

まるで蝶の舌のラストシーン。親身になってくれた先生を「ATEO!(無神論者)」と大人と一緒に石を投げて追い出す少年の姿にダブった。

というわけで実に後味の悪い映画なのだが、時代背景はさながら、人間の欲と自己保身を本当にうまく描き出している映画だと思う。
クォリティーの高い映画であった。

他に印象的なのはシルバーナと少年二人のコンデサミルク口移しキスのシーンだ。
なかなかエロくてドキドキものであった。

バベル

2007年05月21日(月) 22時00分
アングロサクソン、ラティーノ、アラブ人、そして日本人。
4つの民族が、異なる環境に身を置きながら一つの事件で繋がる。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は、名作「アモーレス・ペロス」同様、それぞれの人物の迷いや弱さを描写することがうまい。
そして何よりも、民族性、習慣、景色、建物などをステレオタイプとしては捉えきっていた。

民族を超えた友情、民族の偏見、民族同士のエゴのぶつかり合いといった人間の生臭さを表していた。あえて列挙しないが、それぞれの民族の良さ、悪さが前面に出ていた。

ストーリー性には多少強引なところがあり、同監督のほかの作品より劣る部分はあるが、前述した各民族の描写や風景の描写に関しては、今まで私が観た映画ではダントツで一位である。

菊池凛子については体当たりの演技が評価されたのだろうが、彼女よりもメキシコ人の家政婦のほうが、心に惹かれるものがあった。

この映画の魅力は恐らく、旅行や留学でこれらの民族と関わったことのある人でないと、理解しづらいと思う。
それが多民族国家アメリカでは評価され、日本では今ひとつな理由ではないだろうか・・・
プロフィール
  • ニックネーム:チャベス
  • 性別:男性
  • 誕生日:1973年7月29日
  • 血液型:O型
  • 現住所:埼玉県
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