松本かつぢ〜大正・昭和絵葉書名作品集C〜

2010年10月01日(金) 14時00分

戦前の少女たちの憧れと夢が詰った雑誌『少女の友』。
少女雑誌の金字塔ともいえるこの雑誌では、
当時を代表する挿絵画家が多数活躍しておりました。
その中で松本かつぢは、中原純一と肩を並べる
人気挿絵画家だったのです。





聖夜



当時流行りのイラストといえば、
おしゃれで色鮮やかな衣装に身を包み、
繊細で夢見がちな様子の美しい少女の姿でした。
かつぢの描く少女は、柔らかな線と丁寧な描写された画で好評でした。
しかし叙情画のスターであったかつぢは、
次第に叙情画以外の絵も描きたくなったそうです。

叙情画の繊細な美少女は表現の制限があり、
画家の思うようにかけないという欠点がありました。
そしてかつぢが生み出したのが、「くるくるクルミちゃん」です。
「くるくるクルミちゃん」は大きなリボンをつけた
おしゃまな女の子が主人公の漫画で、叙情画とは打って変わった
ユーモラスで明るいキャラクターです。





クルミちゃん
子猫とピアノ





二頭身の可愛らしい風貌に当時の少女たちも、
「可愛い!」と歓声を上げたことでしょう。
あっという間に人気キャラクターになり、
まんがの連載は30年以上、グッズも多数販売されました。


当時の雑誌の付録を見ても豊富な種類のクルミちゃんグッズあり、
人気の程を窺い知ることができます。
絵葉書も多数発行され、クルミちゃんもどきの
コピー商品まで出回るほどでした。
その後の活躍は雑誌だけにとどまらず、
絵本やベビーグッズのデザインまで手がけるようになったのです。






クルミちゃん
人形と鳩時計



かつぢの大胆な路線変更のおかげで、
キャラクター人気のはしりともいえるクルミちゃんが誕生したのです。
自分の絵を通して人々に笑いと喜びとを届けたいと思っていた彼の願いは、
彼の才能と努力と共に実を結んだのです。






次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は11月5日の予定です

蕗谷虹児〜大正・昭和絵葉書名作品集B〜

2010年09月03日(金) 14時00分
華やかでありながらどこか切なく、繊細な乙女心を描いた抒情画。
感傷的な余韻を残す懐かしくもロマンチックなイラストを、
抒情画と蕗谷虹児が名付けました。



蕗谷虹児は幼い頃から絵を描くことに関心を寄せ、
貧しい家庭でありながらも努力して才能を開花させていきました。
十四歳に日本画の尾竹竹波に弟子入りし、日本画を学びました。
その後様々な苦労を経て腕を磨き、ひたすら画家への道を邁進したのです。





建設を描く
平和堂上方屋




挿絵画を始めるきっかけになったのは、竹久夢二の紹介でした。
竹久夢二は持ち込まれた絵を見て才能を見出し、
『少女画報』の仕事を紹介しました。
そして彼の描いた挿絵が人気を呼び、
挿絵画家として時代の寵児となりました。

蕗谷虹児は狭い部屋で弟たちにアシスタントを
してもらいながら次々絵を発表しました。
彼の描く女性たちにはシャープで都会的な香りを放ち、
華奢でありながら洗練された美しさがありました。





焼土に立つ
平和堂上方屋 




その新しい感覚は若い読者に受け、
彼は少女たちが夢見る憧れの存在になっていったのです。
出版社に次々届いたファンレターの数や、
本格絵画の批評を主とする新聞に月評が取り上げられたことなどから、
当時の彼の人気を推し量ることができます。
また彼は絵だけでなく詩才にも恵まれ、詩集も数多く発表しました。
そのような実績から多彩な才能を伺い知ることができます。






復興の女神
平和堂上方屋




今回ご紹介しました「災害絵はがき」シリーズは、
災害の嘆きと祈りを表現しながらも、アールデコのモダンな美が漂います。
硬質でありながら上品さを感じさせる作品からは、
彼の高いセンスを感じることができますね。



次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は10月1日です

高畠華宵〜大正・昭和絵葉書名作品集A〜

2010年03月05日(金) 14時00分

梅も咲き、春の陽気が感じられるようになりました。
これから新しいスタートを切るのに良い雰囲気になりましたね。


大正から昭和にかけて躍進を遂げた大衆小説の人気と共に
挿絵などのイラストレーションも注目されるようになりました。
その中でも熱狂的な支持を浴びていたのが、高畠華宵です。



幼少の頃より画家になることを夢見た彼は、
様々な美術学校や画塾へ通い才能を養いました。
そして苦労の末、婦人薬の広告絵で一躍有名となり、
『少年倶楽部』や『少女画報』などの雑誌を中心活躍したのです。




高畠華宵 愛人 
処女の日の時枝
或る日の志摩子





彼の描く少年少女は見目麗しく、
清純さの中につややかな魅力が溢れていました。
細部まで描き込まれたタッチはエキゾチックで、
あでやかな色彩に目を奪われます。
またファッションの手本になるほど
モダンでおしゃれなスタイルも好評で、
一度描いた柄や着こなしは二度と使わなかったそうです。




高畠華宵画 涼風



流行の最先端をいく彼のデザインは
女学生やモダンガールたちの憧れの的。
彼に憧れが高じて一目会いたいと家出する人まで続出したそうです。




高畠華宵 武運を祈りて



彼が手がけたレターセットが女学生の間で大ブレイクしたことや
流行歌の中にも取り上げられたことから、人気のほどがわかります。



多くの人々を魅了し、こがれ愛された華宵は、
今でもモダンな時代を鮮やかに蘇らせます。


さて次回も素敵な絵葉書を紹介致します。
お楽しみに!




次回は4月2日の予定です

加藤まさを〜大正・昭和絵葉書名作品集@〜

2010年02月05日(金) 14時00分

立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日が続いております。
風邪をひきやすい時期でもありますので、皆さんもお気をつけ下さい。



絵葉書は子どもから大人まで幅広く親しまれておりました。
今ほど印刷物が溢れておらず、
インターネットはもちろんテレビもなかった時代、
色鮮やかな絵葉書にどれほど心躍らせたことでしょう。
特に流行に敏感だった子どもたちの人気獲得のため、
多くの出版会社から活躍中だった、挿絵画家の絵葉書が発行されました。




帆船 春の夜の夢


娯楽雑誌は大正から昭和初期の間に多数出版され、
生活水準が高まるのと同時に、様々なジャンルの雑誌が刊行されました。
児童文学などを主に扱った、少年・少女向け雑誌もその一つでした。
子どもたちは主人公らが繰り広げる、
勇ましい冒険や美しい青春物語に夢中になりました。

そして文に添えられた数々の挿絵も、雑誌の人気を支えておりました。
物語のイメージを視覚化することで、
彼らの姿をよりリアルに想像することができたのです。




海辺のこども 岩の2人


加藤まさをも、そんな人気挿絵画家の一人でした。
大学時代に挿絵画家としてデビューし、
彼が主に『少女倶楽部』などの少女向け雑誌にて活躍。

人気を博した抒情画の特徴でもある、郷愁と哀切を伴う作風は、
繊細な心の移り変わりを詩情豊かに表現しておりました。
もの悲しさを宿した揺れ動く瞳を持つ上品な姿に、
当時の読者たちは深く共感を抱いたことでしょう。




谷のゆり


少女たちの心情を美しくメルヘンチックに表現した抒情画は、
通り過ぎる思春期の寂しさと、それを見守る優しさが、
胸を打つ作品に仕上げているのかもしれません。




次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は3月5日の予定です

ウィンタースポーツ〜昭和・大正のスポーツB〜

2009年11月06日(金) 13時00分
肌寒い日が続くようになりました。
寒いからこそ体を動かしてあたためることが大事ですね。
今回はそんな冬限定のスポーツを紹介いたします。



一番モダンでおしゃれなスポーツの一つとして、
スキーやスケートは大変人気がありました。
日本に伝えたのは大使館や軍人など、日本に滞在していた外国人。




スキーと少年



氷上や雪山で遊ぶ姿に、物珍しさから見物人がぞろぞろ集まったとか。
そしてよほど好奇心が刺激されたのでしょう。
スポーツを興じる様子が新聞記事にまで取り上げられています。




高田 金谷山 小学生のスキー練習 新潟



雪の厳しい地方の学校ではスキーは、
冬の間の体育の授業として早くから取り入れられました。
スキー板を履いて元気いっぱいに授業を受ける姿が、
たくさんの絵葉書になっております。


冬場に思う存分楽しめるスポーツということで
大変な人気を呼び、すぐ各地でスキー場が作られました。
その人気ぶりをうかがい知る例として、
何と富士山でスキーに挑戦したという記事もあります。
挑戦者は駐在中のオーストリア人。
何でもオーストリアで大ブームだったこともあり、
日本で新たな記録に挑戦しようとしたのだとか。
スキーがどれだけ人気があり、注目されていたのか分かりますね。




スケートと少女




さてもう一つ冬を代表するスポーツと言えばスケートですね。
洋服の裾を靡かせ優雅に滑るさまは
ビジュアル面でも人気があったようです。
最新流行のモダンガールやモダンボーイの
スケートを興じる様子がイラスト化され、
広告などにも起用されました。


現在は室内で年中氷を張り、厚さも表面の滑らかさも
自在に管理できる人工のリンクがありますが、
当時は本当に氷の張った湖などで滑っていたようです。
氷が割れる危険性もあったので十分注意が必要でした。
しかし大正時代に一般にも広まったスケートは
おしゃれなスポーツとして人気が衰えることはありませんでした。




六甲山頂三国池大スケート場




スケート場の賑わいは観光スポットの
一つとして様々な絵葉書で登場します。
天然のリングで楽しそうに滑る、
人々の賑やかな歓声が聞こえてきそうですね。




さて次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!





次回は12月4日の予定です

学校とスポーツ〜昭和・大正のスポーツA〜

2009年10月02日(金) 13時00分

引き続きスポーツを特集します。
最近、運動会を開催しているのをよく見かけます。
涼しい風に乗って聞こえる元気な掛け声に、
何となく懐かしい気持ちなります。



さて、日本に学校が誕生したのは明治になってからです。
外国と渡り合い、国を発展していくためには、
国内だけでなく海外でも活躍できる人物が必要です。
そのためには知識や教養を高め、
さらに健康でなくてはいけません。





私立開花幼稚園遊技場



そこで教育機関を設立し、未来を担う子どもを強く賢く育てる、
特別な場を設けることが注目されました。
そして知識・教養を教え、基礎体力を育てる、
学校という制度が輸入されたのです。





滑稽新聞 女学校運動 三人の逆立ち




体育の授業もカリキュラムにあり、
男子も女子も元気いっぱいに運動場で遊び、
授業を受ける様子が学校の記念絵はがきによく登場します。

また当時の学校でよくやるスポーツとして、
相撲や柔道、野球などがあげられます。
野球は国民的人気のあるスポーツであり、
オリンピックやWBCがあると必ず話題になります。





pitcher


日本野球の発祥については様々な諸説がありますが、
明治の頃から全国に徐々へ広まっていったそうです。
チームを組んで行うこのスポーツは授業に最適だったらしく、
各学校で積極的に取り入れられました。





阪神電鉄会社 甲子園大運動会



大正4年に全国中等学校野球大会(現在の全国高校野球大会)
が催されるようになったことからも、どれだけ人気があったか分かります。




絵はがきでも野球を題材にしたものが数多くあり、
真剣にスポーツに取り組む様子が見て取れます。



次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は11月6日の予定です

モダン神戸とスポーツ 〜大正・昭和のスポーツ@〜

2009年09月04日(金) 13時00分


今回のお題はスポーツ。
うだるように熱さから過ごしやすくなる秋は、
スポーツを始めるのにぴったりですね。


日本にも相撲などの競技はありましたが、
健康や娯楽のために一般の人々も
楽しむ運動はそれほどありませんでした。
スポーツが日本に伝わったのは明治以降。
外国人居留地として栄えた、
神戸や横浜を中心に発展していきました。




みんなでテニス



神戸の居留地に暮らしていた外国人たちは、
祖国でも興じていたスポーツを日本でもやろうと考え、
登山路の開発やスポーツ用の公園の整地などに力を注ぎました。
例えば神戸にある、花時計と大きな広場のある東遊園地も、
昔は居留地専用のスポーツ公園でした。
外国人はそこでテニスや野球などのスポーツを楽しみました。





神戸東遊園地


明治32年に居留地が返還されたことから東遊園地は、
日本人も自由にスポーツができるようになりました。
この絵葉書でもテニスをする様子が写されております。



また六甲山では山を別荘地にする計画が持ち上がり、
居留地に住む外国人たちも開発に積極的に参加しました。
そこで六甲山を手入れし、荒れ地を手作業で整備しました。
そういった苦労の末、日本初のゴルフコースが誕生したのです。




ゴルフ


ゴルフはお年寄りや御婦人方も一緒に楽しめる、
気軽なスポーツとして紹介されました。
昭和の初めには日本人の会員も増え、
競技会や会員同士のパーティーなども盛んに企画しました。





六甲山 頂上王場 ゴルフグランド


今は人気のあるゴルフも、最初はほとんど外国人しか利用せず、
「外国人たちが夢中になっている怪しい遊び」と思わていたそうです。





次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!





次回は10月2日の予定です

大正流行歌〜皆で楽しむ歌〜

2009年05月08日(金) 13時30分

ゴールデンウィークはどこも大変なにぎわいでしたね。
せっかくの長い休みも、行楽地へ遊びに行って、
くたくたにくたびれた方もたくさんいらっしゃることでしょう。
こんな時はゆっくり音楽を聴きながら一息つくと疲れも癒されます。


さて今回は一風変わった絵葉書を紹介いたします。

荒城の月,赤とんぼ、月の砂漠……
今でも教科書に載り、誰もが一度は耳にしたことのある歌。
どこか懐かしさを感じさせる歌曲が、大正時代にいくつも誕生しました。

当時はラジオがようやく顔を出した頃で、
テレビなんて影も形もありませんでした。
現代のマスメディアの代わりに、活躍していたのが絵葉書です。

絵葉書はただ単にイラストを印刷するだけでなく、
世間を賑わせた事件や流行中のものなど、
常にホットな話題をいち早く取り入れました。
絵葉書は臨場感溢れるイラストや写真を通して、
情報を発信する役割も担っていたのです。
その中に、流行歌を発表する絵葉書がありました。




エプロン・手鏡



「流行歌絵葉書」と呼ばれるこの絵葉書には、
たいてい繊細で少し寂しげなイラストが描かれました。
流行した哀愁漂わせる歌詞にぴったりな、
抒情画が好まれたのです。

そのため実に多彩な作家が、
流行歌絵葉書に取り組んでおりました。
たとえば、今でも歌われ続けている、
有名な「ゴンドラの唄」という歌曲があります。
大正4年に誕生したこの歌は当時から注目度が高く、
夢二を始め様々な作家の手によりヴィジュアル化されました。






夢二
ゴンドラの唄





戻らぬ時間を懐かしみ、時には悔いるこの繊細な歌は、
一世風靡していた抒情画にピッタリな題材だったのでしょう。
どのイラストも美しいイメージで描かれております。


さて、大勢の人々が手掛けた
流行歌絵葉書にも、代表する作家がおりました。
流行歌絵葉書の中で一番中心に活動していたのが、
山田まがねという抒情画家です。

まがねは「月刊まがね画集」という、流行歌を中心とした絵葉書セットを
実に60種以上も刊行し続けた、流行歌絵葉書の大御所でした。
まがねが特に力を注いだのは、当時輸入された歌曲を和訳したものや、
クラシックに日本の歌詞を創作したものを紹介することでした。





山田まがね
ピアノをひく少女・2




西洋で歌われたものをあえて日本に舞台を変えて、
その感傷的な傷つきやすい内面を
繊細な線によって表現したのです。
歌詞のイメージをより分かりやすくしたことで、
人々の心を掴んだのでした。


現代では歌番組が始終流行を紹介し、
曲をイメージしたビデオクリップが
町中いたるところで流れています。
今や音楽は聴くだけでなく、テレビなどを通して
見て楽しめることも大事な要素になりました。



流行歌絵葉書は音楽と視覚的イメージの融合を試みた
先駆者といえるかもしれません。




さて、次回も素敵な絵葉書を紹介します!
お楽しみに!!




次回は6月5日の予定です

モダンガールのススメ〜大正時代のニューファッション〜

2009年03月06日(金) 13時09分


春はおしゃれしたくなる季節ですね。
色彩豊かなファッションが紙面を飾るのを見ると、
心も晴れやかな気持ちになります。


大正時代の絵葉書には、当時みんなが憧れた、
最新ファッションの女性たちがたびたび登場します。
最先端だったモダンガールは一体どんなファッションだったのでしょう?
今回は彼女たちのファッションに注目していきます。






近世風俗展覧会



モダンガールとは大正〜昭和初期に流行した女性のスタイルを差します。
近代都市化が進むにつれ、女性の社会進出も必要視されました。
軽やかな軽装で颯爽と働く新しい女性像が生まれました。

日本でも周りから偏見の目で見られようとも、
果敢にも挑戦する女性たちが闊歩する姿が見られるようになったのです。
欧米の最新流行のファッションをいち早く取り入れ、
町へくりだした女性たちのことをモダンガールと呼びました。






     
石川寅治筆                       少女倶楽部 
健康美ポスター                     友達との語らい  




モダンは近代的と言う以外に
毛断(ショートカット)を引っかけて呼ばれていました。
モダンガールの象徴ともいうべき短い髪型は、
世界中で大流行したスタイルです。
日本でも紹介され、最先端を行く女性は
すすんでボーイッシュなカットをしました。
髪を切るのは当時の日本人女性にとって相当覚悟がいったようです。
ショートにしたものの、長い髪が惜しくて、
後悔することがままあったそうです。

さて、モダンガールと言えばやはり洋装でしょう。
シャネルの締め付けないファッションが世界中を席巻し、
日本でもローウェストのワンピースや、
ゆったりとしたブラウスと鮮やかな色模様のツーピースが輸入され、
国内向けに改良・販売がされました。

小道具にも気を使い、ハンドバックはもちろんのこと、
帽子とハイヒールは必要不可欠でした。
特に帽子は大変重要で、西洋の習慣を真似して外出時に必ず被りました。
洋服との色合わせや素材に気を使い、
一番人気のあったつばの小さい帽子を被りました。








小林かいち
弐号街の女





化粧品もこの頃から充実しだし、化粧水からクリームといった
基礎化粧品によるスキンケアから頬紅や口紅が登場し、
化粧も和風から洋風へ変貌していきました。

ちなみに当時から目を大きく見せるのは大切なテーマだったらしく、
一重から二重になおす整形手術や、
目の周りを黒く縁取るメーキャップがすでに存在していました。





美しくなりたいと切望する女性たちの願いは、
永遠に変わらないテーマなのかもしれません。







次回も素敵な絵葉書を紹介いたします。
お楽しみに!



次回は4月3日の予定です


*月2回の連載をして参りましたが、
担当者の都合により次回から月一回の連載に変更いたします。
心苦しい限りですが、質を保つためのやむ負えない処置として、踏み切ることにいたしました。
連載を楽しみにして下さってた方々へ、この場をかりて深くお詫び申し上げます。
より充実した内容をお送りできるよう努力してまいりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

大正ロマン レトロな夏模様4 〜夢二と夏の夜〜

2008年08月01日(金) 12時30分
夏休みも始まりましたね。
私は絵葉書資料館へ行くまでに、須磨の海水浴場の近くをいつも通ります。
ギラギラ輝く太陽と光を散らす眩しい海と、
暑さに負けないではしゃぐ家族連れを車窓から眺めるのが楽しみです。


夏模様も今回で最終回。
昔から夏は暑くて大変でした。
エアコンも冷蔵庫もない時代、
暑い夏を涼しく過ごす、
素敵レトロアイテムを紹介いたします!




提灯



 さてさて寝巻きの女性が
 そろりと出てきたのは、
 日本の風物詩の代表、蚊帳です。

 今ほど網戸もなく、
 蚊の悩みはかなりのものだったでしょう。
 蚊取り線香はありましたが、
 就寝時に使うのは危険です。

 そこで寝ているときに
 刺されないために、
 蚊が入れないよう
 布団そのものを囲ってしまうことを考えました。
 メッシュ素材で風通しもいいですが、
 寝室をすっぽり覆うため、
 今の家では中々使いにくいです。


       蚊帳


古き良き日本家屋の、広い部屋ならではのインテリアでしょう。




 また夏の暑さを忘れるために、
 川へ出かけたり、
 ウチワを扇いだりして、
 涼を取ることももちろんありました。
 しかし家に置くだけで気分を涼しくさせる、
 インテリアやアイテムもあったのです。
 そのなかの一つに、虫を飼うという習慣がありました。

 夏虫には綺麗な声で
 鳴くものがたくさんおります。
 篭で鈴虫などを飼い
 涼やかな鳴き声に耳を傾け、
 しばしばその音色で暑さを忘れたそうです。


 女学世界付録(月と町灯り)          






 夏になると、
 虫を入れた
 小さな籠を、
 屋台に積んで
 売り歩く、
 虫売りの行商が
 登場しました。
 きっと左の
 絵葉書のように、
 夏をしのぐため、
 風流な虫籠を
 求めたのでしょう。

   

              虫売り




クーラーだけじゃ味わえない
素敵な夏の過ごし方だと思いませんか?




さて、次回は夏休み特別企画として
少しドキッとする、面白い絵葉書を紹介します!
お楽しみに!!




次回は8月15日の予定です
P R
プロフィール
  • ニックネーム:ehagaki-roman
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■絵葉書資料館では、明治後期から昭和の始めにかけて国内外で発行された絵葉書を、常設展示と定期的に行う企画展にてご覧頂けます。
19世紀末以降、私製絵葉書の使用が認められるようになり、世界各国で絵葉書文化の花が開きました。
当資料館では来館された皆様に、 絵葉書を通して、古き良き時代にタイムスリップして頂きたいと思っております。
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