女の敵は男の敵とは

January 11 [Fri], 2013, 15:21
だがなぜ生命が最後のものであったか。存在の性格はなぜ生命にあると考えられたか。人々は生命によって、意識の[#「意識の」に傍点]――自我・思惟・観念等々の――独立[#「独立」に傍点]を表象することが出来るのである。人々は意識の独立な・自由な・絶対的な活動の内に、本当に生きた生命を感得する。それはのっぴきならない最後の事実だ。世界がどうあろうと、他人がどうあろうと、自分が生きているという意識に疑いはあり得ない。こういう一切の他のものからの自由[#「自由」に傍点]こそ、疑うべからざる良心[#「良心」に傍点](Gewissen)なのである。生命こそ存在である。云い換えれば、意識[#「意識」に傍点]こそ存在[#「存在」に傍点]である。
 存在を意識として結果するこの生命哲学は、存在の最後の保証者を、感情的な又は理性的な明白性[#「明白性」に傍点]に求めようとする。所謂明白感情や普遍的理性必然性が夫である(現象学の本質直観やベルグソンの直覚、カント学派の普遍妥当性は之に外ならない)。――だが茲で吾々は本道へ帰ろう。
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