Alexander Markov 

2012年05月27日(日) 23時13分


槐の新樹と松。

Alexander Markovという人。すごいなあ。
パソコンを開けてまずAlexander Markovのパガニーニを聞く。
次から次へと聞く。
書かなければならないことも書かずに。

you tubeを見始めたのはわりと最近。
パソコンを替えてから、それも暫く経ってから。
CDだけでなくて弾いているところをみると
すごい弾き方なのだ。
音楽のことはまったくわからんのだけれど。



燕子花 

2012年05月25日(金) 23時29分



大田神社の燕子花。

好きな句、それもとーっても好きな句なのだけれど、
その鑑賞を書けないということがある。
いいなあ、という気持ちが深過ぎて、
どう言っていいのかわからない。
句は作品として完璧に完成しているから、他に言いようが無い。
だけれど、鑑賞文を書かねばならない。
そんな時は、書き易い別の句を選ぶの方がいいのか。
何日も悩んでいる。
〆切がだんだん迫ってくる。

なんだろう 

2012年05月25日(金) 23時20分


芋虫のような実?かそれとも花?
なんだろうかこれは。
近くの川の土手で見つけた。




五月 

2012年05月25日(金) 22時55分


季節はどんどん進む。桐の花の終り、だと思う。
上の方なのでよく見えない。
でも、写真に写して見ると、まだ花がついている様だ。





桐の木は「キリ」をつける木なんだそうだ。
うじうじして気持ちのキリがつかない時も、桐の木のところへ来てキリをつけるのだとか。

もっと下がるとこんな風。大きな大きな桐の木。




桐咲いてほつそり育つ男の子  飯島晴子 

という句があって、桐の木の花が上の方についてうんと見上げる感じと、男の子が育つのとがなんともいい感じだなあと思ったことがって覚えている句なのだが、この桐の木はさすがに大き過ぎて、この句からは程遠い。

白花蒲公英 

2012年05月02日(水) 15時00分




わ、珍しい、白いたんぽぽ、と思わずカメラを向けた。
が、簡単なデジカメだし、カメラのことをよく分っていないで、
自動設定にしてただ写しているだけで、花が鮮明に撮れない。





『短歌往来』の五月号。待っていました。
載っている!なむさんこと佐山哲郎氏のインタビュー。
笑顔の写真と「コクリコ坂」という文字が目に入る。


句集『娑婆娑婆』は三刷らしい。
いくつもの顔を持っている方である。
編集長及川氏とは昔飲み仲間だったそうで、
いつになく及川氏も自身のことを多く語られている。

俳句のキャッチフレーズは何ですかと訊かれて
なむさんは、強いて言えばナンセンス俳句、と。

人は塵月は巨大な石である  

『娑婆娑婆』より






八重桜 

2012年04月30日(月) 23時53分


短歌のことはずっと放っていたのに、
この連休うちの二日間は短歌のことを考えた。
作ったのではない。そこが歌会と句会の違うところ。
作品はもう既に何日も前に世話役の方のところへ送っている。
会場に行けば印刷された詠草一覧が出来ている。




前日大阪の母の所へ泊まっていて、大阪から近鉄で奈良へ。
少し早めに着いて奈良町を歩いた。







元興寺。八重桜が美しい。散った花びら。




土佐水木アロリキソワカ雨粒のつたふ黄色のキリク俯く  

こんなわけのわからない言葉の入った歌を今日の歌会で出した。
欠席参加の人の選には入った。会場では一人が選んでくれた。
4〜5年ぶりに会えた人も居が、その人は退職して
大学院に入ったと言っていた。
もう一度学生に戻るなんて羨ましいことである。


おそば 

2012年04月27日(金) 2時35分



昨日友人が嵐山へ来たので、嵯峨を少し歩いた。
天龍寺の裏から竹林を通って落柿舎の方へ出た。
水曜日なのに、けっこうな人出。






大堰川の見えるお蕎麦屋さんでおろし蕎麦を頂いた。
大根おろしが沢山乗っていて美味しかった。


落柿舎は遠くから見て、常寂光寺へ行ったが入らず。
入口の碑だけを見た。

塵劫記と書かれていた。へーえ。江戸時代の算学の本。
書いたのは角倉了以の一族の人。
角倉了以は嵐山の川の工事をした人だからなあ、
なるほどと勝手に感心する。

常寂光寺は何度も行ってるのだが、知らなかった。
今までそんな石を見ないですっと中へ入ってしまってたのだろう。

竹の下なんかに著莪がたくさん咲いているところがあって、
草むらに蛇苺の花が絡まって咲いていて、
蜥蜴が出てきてた。



草間彌生 

2012年04月24日(火) 23時19分



中之島の美術館でしていた草間彌生展。
4月の初め頃までの展覧会だった。
京都であったのはいつだったか。近代美術館で。数年前か。



肥後橋の朝日新聞のところから、白地に赤のドッツが
現れていた。ビルの外の柱が草間になっていたのだった。
そこから西へ歩いて、美術館へ。
入口も草間になっていた。



新作の絵の飾ってあるところは撮影禁止であった。





制作しているところのビデオが流れていた。
それがよかった。
もう80代の草間が描いているところはインパクトあった。




草間彌生讃

きさらぎの小路へ宴のあとの靴

とこしへを尖る芽吹きへ置くまなこ

唇をつめたい魚群のなかに容れ

全き円環おぼろより手に掬ひとる

糸遊と等価の糸の泛かぶ波

帯状につづく転生蝶の紋

褶曲の地方へ重ねてゐるまなこ

黒点の隘路を進むすみれの声

横顔のあやふさたんぽぽわた毛満つ
 
           吟遊54号


藤原頼長 

2012年04月15日(日) 14時44分


雨の多いこの春。建礼門院の墓への道。

テレビを見ていない。昨年夏のデジタルの工事をしなかった。
それまでもあまり見なかったので、もう止めようと思ったから。
でも、時々見たいと思う番組もある。





土日は母のところへよく行くのだが、それでテレビの「平清盛」を見て、連続してではないが何回か見ている。丁度昨日の再放送は頼長が出ていた。頼長は男色の人だが、目つきからして如何にもという演出。

歴史をちゃんと知らないから、よくは分っていないのだが、
璋子からはじまって、あの辺りの人には興味深い人がいる。

頼長は『台記』という日記を残していて、公卿の日記としてはかなりきわどいものだそうだ。後白河法皇のことを書いた本を読んでいて出て来て、『台記』からの引用もあった。『台記』には男色の場面もいろいろ書き残しているという。そして相手はかなりの数で、名前をきちんと書いているのもあり符牒で示しているのもあるらしい。

「今夜、義賢を臥の内に入る。無礼に及ぶも景味あり」
義賢とは、木曾義仲の父で頼朝の叔父。剛の者と言われる人。
また別の人との記述では、
「亥の時ばかり讃丸来たる。気味甚だ切なり。遂にともに精を漏らす、希有のことなり」
など。

 

2012年04月12日(木) 23時53分


嵐山の中ノ島の桜が満開。
昨夜、雨が上がってからの桜。
7日の土曜なんかは、花がまだ咲いてない枝の露な木の下で
若い人たちが冬のコートを着込んでお花見をしていた。
その日、嵐山を通って芦屋川に行ったが、
芦屋川べりもまだ二分ぐらいしか咲いてなくて、それでも
大勢の花見客で賑わっていた。

下は昨夜の木屋町の桜。





他府県の友人が阪急の前でと言ったので、
そこで待ち合わせることにしたのだが、
決めてから阪急がなくなったんだったと思い出した。
行って見たら白っぽい色に変わっていた。
聞き慣れぬ名前のデパート。
私も長いこと四条河原町を通ってなかったんだ。

今日は東京では八田木枯さんを偲ぶ
お花見が開かれている。木枯さんは、
外濠公園の土手で「花筵有情」という
花見の宴をされていたそうだ。
それに因んでの木枯さんを偲ぶ会である。
その「花筵有情」から
日帰りで帰って来たTさんから電話が
掛かって来た。多くの方が来られたそうだ。
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