1-2 

December 19 [Tue], 2006, 1:38
それから新聞は連日、開戦色濃い世情を伝え続けた。
店に集う連中は金を出し合って毎朝毎夕それを買い、
回し読みをしてはああだこうだと話をした。
勝つの勝たないの、海上では有利だの上陸されたら終いだの、
ちっとも切実な響きを伴わない四方山話らしく語っていた。
ある日、新聞代の意味がたった一度だけ変わった。
黒枠の欄に載った氏名を見て、喫茶店に居た者は走った。
西田の下宿は、すでに荷が運び出されていた。
狭い部屋の梁を、兵藤は見上げた。
あそこに縄をかけたのか、と思った。
西田と同学年の者たちは放心して、それから気がついたように泣き出した。
彼らは西田の実家を訪ねに行くと言って、そこで別れた。
店へと戻り、一杯だけ多くコーヒーを頼んだ。
「戦争が原因か。」
「まさか、あいつは開戦派だっただろう。あんなに出征すると。」
「本心ではどうだったか…。」
兵藤は黙って、新城を見ていた。
新城は口をひき結んだまま長椅子に座っていた。
「西田の妹もかわいそうにな。」
「妹が居たのか。」
「嫁入りが決まったと言っていた。」
「ああ、そういえば結構な家柄の息子だとか。」
「あいつのことだから、それを苦にしたんじゃないだろうか。」
「西田の家も苦しそうだったからな。」
「妹に売女の真似をさせるのが忍びないと?」
「ならば遺書くらいありそうだ。」
全員大間違いだ、と兵藤は考えていた。
(あんたのせいだ)
一人だけ紅茶を飲む新城を、兵藤は横目で見た。
(いよいよあんたを、戦争にとられちまうからだ)
新城が、本当に志願して軍にゆくことは少数だけが知っていることだった。
「怖い顔をしているな。」
肩を叩かれて、兵藤ははっとした。
「まさか隣の部屋で西田がな。気に病むなよ。」
「病まねえよ。ここのところ下宿には帰ってなかったから。」
心配顔の妹尾がため息をついた。
「今日は帰るのか。」
「帰りたくねえけどな。」
「なら、来るか。」
新城が顔を上げた。
兵藤は目を丸くした。
「話がある。丁度いいから僕のところへ泊れ。」
いい頃合だな、と窓の外を見て新城は立ち上がった。
兵藤の外套を肩口に押し付けて、さっさと歩き出す。
うろたえて隣を見ると、行け、と妹尾が手を振る。
ドアを鳴らして、店を後にした。
小道を出て坂をあがる。
新城の下宿は、店よりも更に大学に近かった。
「安心しろ、何もしない。」
先を行く新城が、いたって真面目な調子で言った。
(くそ)
それは俺の台詞だ、と兵藤は唇を噛んだ。
新城の部屋は、他の誰の下宿よりも広かった。
「何か飲むか。」
兵藤をこたつに入れると、新城はやかんを取り出した。
「いいよ。紅茶しか無いんだろう。」
「まあな。」
お前とは趣味が合わない、と言いながら新城は廊下へと消えた。
変色しきった畳に爪をたてて、兵藤は肩を落とした。
少し離れた窓際にある文机には、山と原稿用紙が詰まれている。
その上に一つ、封筒がのっていた。
「饅頭があったぞ。」
戻ってきた新城は、やかんともう片手に皿を持っていた。
「あったぞって。」
「好きにしていいと言われている。」
足で引き戸を閉めるのに難儀しているのを見かねて、
兵藤はこたつから這い出た。
「たてつけが悪いんだ。」
「戸が外れないだけ妹尾の下宿よりマシだ。」
角をはさんで二人は座った。
ず、と音をたてて新城が紅茶をのむ。
「話って何だ。」
「…………。」
新城は答えずに、鼻先を湯気で湿らせていた。
封筒はその丸まった背で、兵藤の視界から遮られた。
「出征はいつになるかは……。」
「まだ分からない。いつでも出られるようにはしておけと。」
「すぐ呼ばれるのか。」
「嫌々行かされる者よりは早いだろう。」
「あんた何で士官学校に行かなかったんだ。たいした戦狂いなのに。」
「ああいうところの連中とは合わない。」
「いつも俺はおかしいと思ってたんだ。」
「そうか。」
「なんであんたは、うちに…畜生、どうしたらあんたは
行かないでくれるんだよ!」
兵藤は声を荒げた。
「土下座しても駄目なのか。」
新城はゆっくりとした所作で器を置いた。
「それくらい皆するぜ。賭けてもいい。だから……。」
「兵藤、僕の腹はもう決まっている。」
兵藤は布団を勢いよく捲り上げて立ち上がった。
「悪いが、聞きたくない。」
「僕はお前を戦場へ連れて行きたい。」
兵藤は顔をくしゃくしゃに歪めてうつむいた。
「お前の鼻っ柱は鉛弾に当たっても曲がりそうにないからな。」
「……曲がるに決まってんじゃねえか。」
「やってみないと分からん。」
兵藤は柱に手をついた。
「感心しねえな。自分はとっくにそんな範疇じゃねえのに
そうやって人をたぶらかすのか。」
「お前には言われたくないな。」
座れ、と新城が裾を引っ張った。
「あんたは戦争以外興味ないんだろう。」
「酷い言われようだ。」
眉尻を下げ、歯を見せて新城が笑った。
兵藤は総毛だった。
「…俺はあんたとただ、ぬくぬくとしていたかった。」
「店には戻れる。」
「生きて還ったらの話だろう。」
「そうだな。」
もうああして死なれるのはごめんだから、と新城は言った。
「僕のせいで死ぬのは不満か。」
「……こんな黍団子でお供につけってのは割りに合わないぜ。」
音をたてて兵藤は腰を下ろした。
饅頭に噛り付いて呟くと、新城は何だってくれてやる、と答えた。

1-1 

December 19 [Tue], 2006, 1:35
野球をやるのだと、構内で学生の群れが騒いでいた。
兵藤はその騒ぎの横を通り過ぎて、門に向かった。
ガリ版刷りのビラがたくさん踏みつけにされて、
銀杏と一緒にまんべんなく道を覆っていた。
配りまわっている中には何人か知った顔も居たが、声をかけはしない。
放課の時間は、彼らより優先したいものがあった。
べつにそう兵藤は決めているわけではなく、
腹が減っているので飯を食べたい、という
それくらいのものだった。
兵藤は坂を下り、塗りの剥げた鳥居のそばにある小道に入った。
甘茶色のドアを押してくぐると、その喫茶店の客が
全員、顔を上げて短くおう、と言った。
てんでばらばらに、鶯色の椅子が向けられている。
その連中が店を占拠して、いかにも気ままにすごしていた。
「なあ、なんだよあれ。」
兵藤はカバンを床に置くと、手近な男に話しかけた。
「あ?何がだ。」
「わいのわいのとビラ配りしやがって、アジってんじゃねえか。」
「野球だろ。」
テーブルを挟んだ向かい、一番遠くに座っていた妹尾が笑って言った。
「ああ、来年から大学対抗の野球大会をやるとかって。」
「言ったら殴るぞ。」
兵藤は長椅子に身を投げ出して、呟いた男の方を睨んだ。
男が焦って振り返れば、妹尾を手を振っていなした。
「やめといてやれよ。兵藤は野球嫌いなんだ。」
「へえ。」
また別の男が驚いたように言う。
「好きそうなのに。」
「しょうがねえよ、痛い思いってのは共有できない上に強烈な印象だからな。」
「痛い?」
「妹尾、お前」
「ヒット顔面で受けて鼻の骨折ったんだよ。もう十年前かあ?」
ほぼ皆が、兵藤の顔の真ん中にそれとなく視線をやった。
それをじろりと見渡してから、兵藤は足まで長椅子に乗せた。
「忘れた!」
「元エース4番のトラウマな。勘弁しといてやれよ。」
「お前が一番容赦ねえよ!」
妹尾だけが笑って、また喫茶店ははじめのように戻った。
3,4人寄り集まり、低い声でぼそぼそと喋りあう。
そばで聞いていると、複数、べつべつの客同士が居るようだった。
重々しく言うならば同志、気の合う仲間の集まりにしては
妙な空気が店に漂う。
兵藤は足を組んだまま、寝てしまおうかと考えた。
まっすぐ店に来はしたものの、あのビラ攻勢で気を削がれた。
新入りもすっかり慣れた今では、寝ていてもまずいことはない。
そう考えて、あくびを一つした。
その間に、遅れてきた客がもう一人いたらしい。
扉のベルが鳴った。
「兵藤、そこは僕の席だ。」
目を開けると、大きな三白眼に見下ろされていた。
いつもの樟脳の匂いが鼻腔を掠める。
「ああ。」
足を下ろして奥に詰めると、外套を着たまま
新城がぎゅうぎゅうと座り込んできた。
短く舌打ちが聞こえた。
「お前はかさばるな。」
「あんたが嵩低くできてるだけでしょう。」
「徴兵には引っかからない。」
何とはなしに皆がおし黙った。
運ばれてきた茶器が小さく音をたてる。
いつなのかな、と誰かが口火を切った。
「野球大会なんてのんきなことを言っているようじゃ、まだ先だろう。」
「関係があるのか?」
「若いのに体力をつけさせる気かもしらん。」
「それはどうだか。戦時下の娯楽ならばともかく。」
「俺には楽しくないぜ。」
兵藤がぼやくと、笑いが起こった。
「ならいっそ戦地へ行くか。」
「嫌だね、看護婦くらいしか女の居ないとこなんざ。」
「でも出征前だって口実で女を口説けるだろう。」
「平時だって困ってねえよ。お前らと一緒にすんな。」
胡散臭い顔で、悪友たちは妹尾を見た。
視線に気づき、妹尾が苦笑いを浮かべる。
「ま、嘘じゃあない。」
「ほらな。」
「何でだよ、分かんねえな女って。」
「それが駄目なんだよ、分かった振りして鷹揚にかまえてりゃいいんだ。
 後は何もしないからって、部屋に連れこみゃいい。」
「何もないはずないだろう。」
「そんなことくらい、女だって分かってら。」
「俺たちが聞きたいのはそこじゃあない。その前の話だ。」
「そいつは教えられねえな。」
勿体ぶる兵藤の横に湯気が流れてきた。
新城があつい紅茶を冷ましていた。
兵藤は目じりを下げて、そちらを見た。
「軍に行っちゃあ、そんな高級品飲めやしねえぜ。」
「辛いな。」
傾いたカップで、新城の表情はよく分からない。
「少なくとも、俺たちが卒業する前には開戦だ。」
全員が頷いた。
「この中で、志願して兵になるものは?」
新城は店を見渡して言い、手を上げた。頭数の半数ほど手があがる。
「君もか。」
「はは。」
猪口が照れたように笑った。
おどろきますね、と若い声がした。
「みな戦争の話をしに集まっているのに、出征は厭うと。」
西田だった。
「おう、そうだな。」
悪びれず幾人かが答えた。
「戦争の話は女がいないところでやりたいからな。」
「猥談と同じだ。」
兵藤が言うと、西田の表情が曇った。
「全くそうだな。」
隣で新城が呟いたのを、兵藤は聞いた。
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