新たに生じた意味の結果

April 28 [Mon], 2014, 8:37
新たに生じた意味の結果として、二つの隠喩において分母にある分裂した主体は、固着し服従したままであり、そのような意味での永続性を獲得する。主体の症状的な固着はある構造を持っており、それは、主体を代表するかそれと対立する無意味なシニフィアンの構造である。私たちは、差し当たり諸々の症状を置き換え的な構造を持つものとみなすことができる。そこでは、意味としての主体は、新しい隠喩が成立しないかぎり、ずっと服従的な状態を維持し続けることになる。その意味では、ラカンの理論上、分析とは、新しい隠喩がつくりだされることを要請することだとみなすことができる。というのも、新たな隠喩は、その都度、主体のポジションを変えることができる主体性のせき立てをもたらすからである。もしも症状それ自体をひとつの隠喩だと考えるなら、分析過程のなかで新たな隠喩を創造することは、すべての症状を解消してしまうことではなく、むしろ、症状の布置を組み替えること、すなわち、新たな症状やその症状に対する主体の新たなポジションを創造することである。
ある達人との出会い




母の愛情の唯一の対象

April 23 [Wed], 2014, 21:06
子どもは母の愛情の唯一の対象でありたいと思うが、しかし母の欲望はほとんどつねに子どもを超えるものである。母の欲望には子どもから逃れ子どものコントロールを超える何かがあるのである。子どもの欲望と母の欲望との厳密な同一性は維持することができない。母の欲望が子どもの欲望から独立していることは二つの欲望の間に切れ目をつくりだす。その隙間において、子どもには理解できない母の欲望は、独特の仕方で機能するのである。分離についてのこのような大まかな注解が見据えているのは、欲望のまさにその本性によって仮説的な母子一体に切れ目が導入されるということ、そしてこの切れ目が対象αの到来へとつながるということである。対象αはここで、仮説的な母子一体が崩れたときに生産される残余として、すなわち母子一体の最後の痕跡、母子一体を想起させる最後のものとして理解できる。このような残余=想起させるものにしがみつくことで、分割された主体は、他者から放逐されているにもかかわらず、全体性の錯覚を維持することができる。


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