【アカデミック・ペーパーのはなし】「南アフリカのアパルトヘイト後、民主化と経済自由化は持続的な平和をもたらしたか?」 

2011年02月13日(日) 15時26分
上杉先生の授業の最後の目玉・・・それは、そう・・・4000字のペーパーを書くこと。

「南アフリカのアパルトヘイト後の憲法制定と経済自由化」について日本の戦後復興と比較して書いた。

準備に取り掛かったのは授業が始まって1週間目だったので、比較的早かったんだけど、2週間目にダラダラしてしまって、結局いつもみたいにギリギリで無茶苦茶焦って取り組む羽目に。しかも、友達と海に行くことになったので、出発までに何とかしなきゃと、エンジン噴かしてやりました。

真剣に取り組み始めたのが水曜日で、終わったのが土曜日の早朝だったので、丸4日間掛かったかぁ。本当はもっとじっくり時間を掛けて文献を探して、読み込むべきなんだけど。これは毎回の課題。慌ててるのが原因の気もする。

しかし、南アフリカのアパルトヘイト後の憲法制定についての文献が本当に少ないことに驚いた。いろんなソース使って探したんだけどね・・・・。なので、「憲法制定」のことを書くのが結構大変だったかも。一方で「経済自由化」については、結構文献があったので助かった・・・・。

南アに関するペーパーを書くのはこれで3回目。1回目は「アパルトヘイト後のメディアの役割」。2回目は「アパルトヘイト後:メディアに現れる人種間の不平等」。アパルトヘイト廃止後の南アでは、国家再建のためにメディアが大きな役割と担った。ということもあって、文献は結構あってそういう意味ではやりやすかったなー。

今回のペーパー、先生は最長で4000文字っておっしゃっていたので、友達と「2500字くらいを目標にやろう」って言ってたんだけど、書いてみるとすごい文字数が必要なことに気がついた。「憲法制定」と「経済自由化」だけで3500文字行ってしまったので、元々やろうとしていた「土地改革」については切ることにした。

ペーパーの中身。
1.南アフリカの構造的な分断システム「アパルトヘイト」、第二次世界大戦前の歴史
2.イギリス連邦からの独立後
3.アパルトヘイト後と民主的な憲法導入の意義
4.注目すべき新憲法の項目
5.経済改革:「経済再建と発展のためのプログラム」の背景と内容
6.政府と「経済再建と発展のためのプログラム」
7.結論:政治への参加型システムは歴史的不平等の是正につながったか?


昨日先生からメールがきて、とりあえずパスしたっぽい。授業で学んだことをもっと盛り込みたかったり、文献もっと読んで、いろんな視点からもっと書きたかったんだけど、それは次回に機会を譲るとして・・・・

国連平和大、エジプトへのメッセージ 

2011年02月12日(土) 6時42分
クラスメートのカールが中心になって、エジプトへの応援メッセージのビデオができました。

エジプトがんばれ!

(私もちょっとだけ映ってます。)


http://www.youtube.com/watch?v=FmVm6vVt290
(コピペでお願いしまーす)

【クラスのはなし】日本の平和構築と戦後復興:沖縄と広島 

2011年02月09日(水) 16時10分
ペルーから帰ってきて、おちおちしてたら、17日、あっという間に新学期。

本日から3週間はみんな選択授業です。全ての学科が混ぜこぜ。30コース以上ある中から好きな授業を選ぶ。私は「日本の平和構築と戦後復興:沖縄と広島」を選択。先生は広島大学の上杉勇司先生(広島大学准教授)。ちなみにこのコースは2週間。

これまでコロンビア→エジプト→オーストリア→カナダの先生の授業を受けてきたけど、機会があるなら是非日本人の先生の授業を受けてみたいなって思ってた。元々この学校にはアジア人の先生、すごく少ないし、私のメディアコースにはアジア人の先生ゼロなので。

クラスメートは1人ドイツ人、3人日本人・・・・!まあ、少ないからいいか。内心ドイツのイングマーがいなかったら、日本語で授業になっていたのだろうか、などと言う空想を・・・・・笑

さて当日。しょっぱなから遅刻!なぜって、ロジ担当の事務員さんの連絡ミスで、本当は午前中の授業のところ、私たちには午後ですってメールがきてたから・・・・そのとき1人は学校にいたけど、3人はまだ家。速攻準備して3人でタクシーに飛び乗り学校に到着。

上杉先生とは厳しそうな初老の男性かと勝手に妄想を抱いて、しかも遅刻してしまったので、平謝りで行くしかないなーとびびりながら行ってみたら、優しそうな若い先生で、事情を説明したら「午後にしましょう」ってことになって事なきを得ました。ああ、よかった。

さて、そんなこんなで始まりました授業。

1日目:導入。
2日目:平和構築とは?
3日目:国家建設とは?
4日目:明治から昭和までの日本の国家建設
5日目:日本の戦後復興と平和憲法
6日目:原爆からの復興:広島の戦後復興
7日目:戦後の復興過程:アメリカ占領下の沖縄
(8日目:沖縄の米軍基地の問題→時間の関係でスキップ。)
9日目:現代の平和構築の例:カンボジア、東チモール、アフガニスタン
10日目:総論

授業は事前に指定された本を各自読んで、要約を発表し、それについてみんなで議論する。なにせクラスメートが4人と超少人数なので、毎日要約の番が回ってくるぅぅぅー。ぐ・・ぐるちいい・・・笑。

日本の戦後復興が成功例として挙げられている。そこからから学べること・・・
1.人々の意思(希望を失っていなかった。)
2.団結(戦争によって日本人自体が精神的にも地理的にも日本人として分断されることはなかった)
3.戦前から続く(国家公務員の働き)
4.首相のリーダーシップ(吉田茂とか池田勇人とか)
5.「原爆」や「敗戦」という目に見えない絶対的な「負け」という心理的ショック

現在の平和構築では民主化、自由経済の導入が主流(ちなみに日本はGHQによりこれらが実施された)。しかし国連が主導を取った平和構築は90年代に始まったばかりで、まだまだ暗中模索。国の状況、文化、紛争の背景によって、どの時期に何を導入するのかは全然違ってくる。また、国連と連携して入ってくる国際機関、各国家、政府援助機関、NGOなど利害関係者の思惑などにも左右されるらしい。

たとえば、カンボジアは選挙の導入という観点からは、比較的うまく行った例らしい(他の観点については、著者によって見方はまちまちなんだけど)。ちなみにカンボジアは国連が初めて国連軍を送った国。ところが、同じことをやろうとしてもアフガンでは全然うまく行かない。部族間の対立は今でも続いていて、各地域にいる武装集団は、選挙後樹立されたカルザイ政権を認めない。

現代の紛争は、国家間というよりは国内の対立が多いので、日本の戦後復興をそのまま応用することは難しい。けれど、@政府の機能の回復(そのまま残ったからそれを使って)、それによって、A憲法ができあがり(GHQのプレッシャーはあったにせよ、形としては日本政府が作った)、B普通選挙(ちなみに、このとき初めて女性に選挙権が与えられた)が行われたことによって、復興が成し遂げられたというところは、応用できるだろうって結論に。

@ABをスムーズに(ここで言う「スムーズ」は、時間軸ではなく、その国の状況に合わせて無理なくできるという意味で)行い、再度対立に戻らないためには(これが大事!)、
1)被援助国のイニシアチブ
2)被援助国の国民の能力向上(教育、システム)
3)人々の意思

という要素が土台となるだろう。

さて、最後の日。上杉先生は
(1)この授業を通し、平和構築の何について学びましたか
(2)日本の戦後復興で何が現場で一番使いやすく、面白い事柄でしたか
(3)授業内容で欠けていたこと

について、再度私たちに問いかけた。上記2点については、もうすでにここに書いたのでいいとして、(3)については、

・マイノリティーの視点(日本だったらアイヌとか在日韓国・朝鮮・中国人。)
・ジェンダーの視点(女性からの視点。)→これ今注目されてることではあるんだよねー。
・精神的ダメージからの視点(PTSDなど)

について話して、2週間の授業は終わった。

日本人として日本人の視点を見て、学んでおきたかったという意味では、本当によい授業だった。この世界はまだまだ欧米、特にアメリカ中心。欧米じゃない先進国って、日本と韓国くらい。なので、私たちのプレゼンス、アジア的・物の見方は、それなりに世界の中で重要な地位にあるはずなんだが、誰もそれに注目してない気がする。それは、欧米だけではなく、日本自身も。欧米主導で行われる平和構築の分野で、日本の戦後復興の経験がいい意味で、もっと使われるといいんだけど(開発でもね!)。

語学の観点から言うと、先生の英語、日本人同士だからか(笑)、本当によくわかりました。4人だっからから、わからないこともガンガン質問できたし。それもこれも自分の精神状態に良く作用して、もっと学びたいって気持ちが強くなったかな。仕事辞めて無職になって、全然収入ないけど、わざわざコスタリカまできてよかったなーって思える瞬間でした。

授業が終わって、みんなで近くの山に登って、ワインの見ながら夕日見てきましたー!

2月11日(日)12:30〜『生物多様性世界一』コスタリカのエコツアー!inお台場 

2011年02月09日(水) 8時11分
日本で唯一のコスタリカ研究家、りっきーさんが出演するコスタリカのエコツアー!東京で開催されますー。

日本から遠い中米・・・その中でもこじんまりしたコスタリカ。人口500万人。東京の人口の半分にも満たない。コスタリカについて何かご存知ですか?日本ではあんまり身近な国ではないですよね・・・。

でもでも実は、軍隊を廃止していたり、政府が積極的に地域内の紛争解決に対話で取り組んだり、途上国では珍しくゴミの分別があったり、元大統領がノーベル平和賞受賞者だったり、エコツアーの発祥地だったり・・・・・と、とても民主的で、先進的でエコフレンドリーな国です。

りっきーさんは、コスタリカ大学に留学。その後、コスタリカ研究家、平和研究家としてお仕事をされています。

2009年6月の新潟での講演会の際にお会いしお酒の席をご一緒させてもらいましたが、

「ある国が戦争で金儲けしてるんなら、おれは平和で金儲けしてやろうじゃんって思ったんですー」

っておっしゃってたのが印象的だったなぁ。

今回のイベントはエコツアーのお話。日曜日なのでぜひぜひ足を運んでみてください〜。珍しいコスタリカのお話が聞けます!りっきーさんのパワー溢れるお話、きっと吸い込まれること間違いなし。


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2011/02/13 [Sun]

『大人の一夜漬け』シリーズ 後援:コスタリカ共和国政府観光局日本事務所
『生物多様性世界一』コスタリカのエコツアー!
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_110114203355_1.htm?__from=mixi

Open 12:00 Start 12:30 End 15:00 (予定)
初開催!前売り券1800円 当日券2300円(飲食代別途必要・ビール¥600など)

場所:TOKYO CULTURE CULTURE、東京カルチャーカルチャー
住所:/東京都江東区青海1丁目3-11Zepp Tokyo2F
地図:http://tcc.nifty.com/accessmap

【クラスのはなし】アラブ世界のジェンダーとニューメディア 

2011年02月02日(水) 1時57分
2月9日から始まる予定このクラス・・・・
先生は、Mona Eltahawyさん。エジプト人女性で始めてロイター通信社に採用された人なんだそう。

現在はアメリカに居を移して、ワシントンポスト、ニューヨークタイムスなどに記事を書いたり、テレビ、ラジオ、パネルディスカッションなどで、エジプト、中東、アラブの人権、イスラムとクリスチャンの関係について話したりしているらしい。

↓今回のエジプトの反政府運動のコメンテーターとしてもテレビに出てきます。
http://videocafe.crooksandliars.com/scarce/mona-eltahawy-cnn
(リンクがうまく貼れないので、コピペでお願いします)

↓ウィキペディアより
http://en.wikipedia.org/wiki/Mona_Eltahawy

↓先生のホームページ
http://www.monaeltahawy.com


イスラム圏でのニューメディアの役割、今回のチュニジア、エジプトでニューメディアが放たした役割、イスラム圏の女性・・・諸々・・・・勉強したかったです・・・・。

そうなんです。今回のエジプトの件でか、先生の授業延期になってしまったんです!!!!!!

すごい楽しみにしてたのに・・・・涙。残念!!!!

私たちは4月5日にマニラに帰るので、たぶんもう先生の授業受けれないだろうな。。。。

冬休み 

2011年01月02日(日) 7時23分
12月18日から冬休みに入った。

インターンシップに関していろいろ準備することがあるので、12月はコスタリカに残って仕事を片付けることにした。

17日、授業が終わり、いろんなパーティーが企画されていた。最終的に、6つパーティーを掛け持ちし、朝4時に終了。久々にパーティーらしいパーティーを存分に満喫。

18日、アジアリーダーズプログラムのみんなとランチパーティー。前日のお酒が体から抜けていなかったので、迎え酒してみました。しかし残念ながら迎え酒してもだめでした・・・・。夕方5時に家にたどり着き、そのまま次の朝7時まで寝てしまった・・・・うへへへ。

19日、ここコロン町の子どもオーケストラの助っ人でクリスマスコンサートに出演。ポー、ミョー、ナパック、ムンティーが聞きにきてくれた。

(指揮をしたセルヒオと。)

21日、ロメロさんのお姉さんの会社のクリスマスパーティーがインターコンチネンタルホテルで開かれて、私も呼ばれて行ってきた。正式なパーティーだって言うので、ちゃんとしたドレスを友達に借りた。すげーかわいいの!食事もおいしいし、飲み物もおいしいし、いつものようにガブガブと飲んだ。浮かれ気分なところで、プレゼント抽選会!参加者60人以上はいる中、特賞のi pod touch、私当てちゃいました、てへ。ついでに宿泊もしたんだけど、さすが一流のホテルですね。私がいっつも泊まっているような安宿とはまず造りからして違うのね。感激。

22日、23日家でインターンシップのことしながら、日本のテレビを見る。

24日、今度はロメロさんちの家でやるクリスマスパーティーに呼ばれて行って来た。全部で30人くらい招待されてきてたかな。その方々の前で演奏させていただきました。家でのパーティーなんだけど、本格的な料理人とサーバントがきてたので、すごい本格的な食べ物、飲み物が出てきました。特に、コスタリカでは、許可がないと食べれない「灰色の椰子の木の中にある柔らかい部分」(日本語でうまく説明できない。スペイン語ではパルミートって言うんだけど。)が出てきた。そのほかの料理も本当にすごくおいしかった。


(パルミート入り)


(プレゼントの山)

27日、同級生のラファエルのお母さんに会う。ラファエルは日本と墨のハーフでお母さんが日本人。現在はテグシガルパ(ホンジュラスの首都)でNGOに勤めているんだけど、その前はガテマラでシニアボランティアやってたんだそう。世間は狭いもので、私が新潟時代に大変大変お世話になった、しょーこさんのことをご存知でした!(しょーこさんもガテマラて協力隊員やってた)。盛り上がってしまって、コロナ4本も飲んでしまった。。。松島ママ、ご馳走様でした!

28日〜30日、医龍1〜3、仁など、日本の医療系ドラマ見まくる。お、おもしろい!

31日、年越しパーティー。クリスマスは全く大丈夫だったけど、私はやっぱり日本人。お正月が恋しくて恋しくて・・・冬休みで帰国しなかったことを大変後悔して年を越したのでした。えーーん。

1日、2日、やっぱりドラマを見て過ごす、てへ。

3日、ペルーに出発!この旅行については次のエントリーにて!

【クラスのはなし】メディアと民族紛争 

2010年12月16日(木) 5時23分
明けましておめでとうございます!(ってもう年明けて1ヶ月も経ってしまった・・・)

今年もみなさま、どうぞ宜しくお願い致します!

さてさて、しばらく日記さぼってましたー。今年もぼちぼち始めたいと思います。まずは、去年の続きから。

クラスのはなし。メディアと民族紛争。11月29日から12月16日。この授業はClyde Sangerというカナダ人元ジャーナリスト、あ、今もジャーナリストなんだけど、ご高齢なのでたぶんもう現場には行ってないです。

高齢も高齢、もう84歳です。その体で、カナダからわざわざコスタリカまできてくれました。高齢なので、私たちが歴史としてでしか知らない世界の出来事に居合わせた人でもあります。すごい感動屋のスウィートな杖をついたおじいちゃん。

1日目:Introduction and Ethnicity(イントロダクションと民族性)

2日目:Pride and Prejudice(プライドと先入観)
自分の先入観について匿名で紙に書いて、最後に代表が読み上げた。
各国の国歌を歌った。

3日目:Coverage of Ethono-Cultural Conflicts(民族紛争の報道)

4日目:Heightening and Lessening(緊張の高まりと緩和)

5日目:Case Study: Belsen 1945 and Suez 1956(ケーススタディー:1945年のベルセンと1956年のスエズ)

6日目:Case Study: Sri Lanka(ケーススタディー:スリランカ)

7日目:Zimbabwe and Land Issue in Southern Africa(ジンバブエと南部アフリカの土地問題)

8日目:Empires of the Monsoon(モンスーン帝国)

9日目:Burma(ビルマ(ミャンマー))

10日目:Muslims in Europe(ヨーロッパのイスラム教徒)

11日目:Black and White in USA 1954-1968(アメリカの黒人、白人1954年から68年)

12日目:Canada the "multinational state"?(カナダは多国籍国家か?)



欧米の見方、考え方を中心に浅く広く民族問題を見て行く。民族紛争にどのようにメディアが関わったのか、そして紛争に対してのメディアの関わり方などメディアの役割、可能性についての言及はなかった。

授業は、宿題で出る読み物の内容について先生がご自分の記憶を頼りに背景を話す。授業中はほとんどディスカッションはなく先生が話す。その大半が先生の記憶なもんだから、寝る前のおじいちゃんの昔話し化してしまっていた。

いろんな民族紛争を(浅く広く)カバーしているので、その一つ一つの紛争が起こった国出身、あるいは何かしら詳しい人がクラスには必ず一人はいたんだけど、1週目は、その人の話を聞くこともでず進んだ。

私の場合だと、南京大虐殺と従軍慰安婦について。先生は前日に

「ちょうどこのクラスには、韓国人、フィリピン人、日本人がいるから、明日は日本の侵略、南京大虐殺と従軍慰安婦について話をしましょう。みどり。心の準備をしてきてね」

と言われたので、心の準備と共に何を言うかも考えていったのだけど、全くをもって触れられず、そのまま通過してコンゴの話に移りそうになった。ので、一応心の準備して、考えてきたことを話した。

1.韓国、アジアでは日本の学校では太平洋戦争のこと、アジアの侵略のことを教えないから、日本の子供たちはその事実を知らないと言う意見が強いけれど、それはどの学校でもそうなわけではなく、学校がどの地域にあるか、先生が組合や左翼に近いかによっても違ってくる。

2.よって、日本人が歴史を知らないがために、アジア人に対して謝罪の気持ちがないというのも、一方的な見方だと思う。日本のアジアへの侵略を教えている学校では、日本がしたことを後悔の念を持って教えているところが大半だと思う。その教育を受けたこどもは、歴史を知らないどころの話ではなく、謝罪の気持ちすら持っている。実際に、私の周りにはそういう人たちがたくさんいた。

3.日本は加害者的立場が強いので、私たち自身の被害について話すことは社会の中で阻まれている気がする。私は、父方、母方、両方の祖父母から太平洋戦争について聞いて育った。しかし、社会の中では、私たちが受けた、例えばアメリカ軍から受けた空襲、原爆投下について被害者として話すことは少ない。民間人に対して殺戮を行うということが、戦争犯罪(人道に対する罪)に入るということも、中学・高校で教わった覚えがない。敗者だから話せない雰囲気が日本社会にあるのだろうか?

4.歴史的事実と言うけれど、歴史とは後世の見方によって、解釈が変わってくるのではないか。そういう意味では純粋な歴史的事実を知るのは難しいのでは。つまり、私たちが見ている、考えている、学んでいるものは、何かかしらバイアスがかかっているのでは。(正しい情報を伝える自信がないので、太平洋戦争について人の前でコメントするのは、実は怖いと感じる。)


以上4点について話した。そしたら、オーストリアのエリが、3について、
「オーストリアでも、自分たちの被害を話すことはあまりないので、みどりの言っていることがよくわかる」
と言っていた。欧米的、アングロサクソン的見方で進むクラスの中で、違った見方を数名が発言できたことはよかったと思う。


2週目からはそれぞれの紛争に関連している人が先生の隣に座って、自分の経験を話すというスタイルに突然変わった。

スリランカ:スリランカのアヨ。
ビルマ(ミャンマー):平和教育のクラスからミャンマー人のミョ。
ジンバブエ:みどり
ヨーロッパのイスラム教徒:フランスのステファン

スタイルが変わった割には、やっぱり先生が思い出話をする時間が長すぎて、私たちに与えられた時間が短い。私の場合はほんの30分ほど。新潟時代に使ってたパワポを見せて話した。ちなみに、仕事で講座やってたときは、大体が1時間半。なので概要からジンバブエの紛争にまで言及するのに30分はあまりに短すぎるのはおわかりいただけるだろう。

なので、概要をちょぴっと話して、あとはみんなの質問に答えた。で、最後に私がジンバブエから学んだことを話した。

・ジンバブエに行く前は、単純に独裁国家というイメージしかなかった。なので、そのまま受け取っていた。独裁で、その下で人々が苦しんでいる。

・確かに行ってみたらインフレや、国内の政治的混乱でたくさんの人が苦しんでいた。

・でもその中で2年間一緒に暮らしてみて、いろんな見方があることがわかった。例えば、(アフリカでは)年長を尊敬して、意見はなかなかできないという社会構造。ジンバブエの独裁者と言われているムガベは、アフリカのリーダーの中ではネルソン・マンデラの次に高齢。なので、他のリーダーたちやアフリカ連合はムガベのやりたい放題にコメントすることはあるけど、本気で介入することはない。

・社会を政治的にも経済的にも支える中間所得層がいない。みんなジンバブエから逃げた。残っているのはエリート(富裕層)と貧困層。エリートは特権を得れる立場にあり、逆に貧困層はそういうものは持ち合わせていないので、政府に意見する層が少ない。

・ジンバブエの人は穏やかで働き者。教育水準は高い。「穏やか」という性格が、上に大して従順にさせる原因のひとつとも言えるかもしれない。

・住んでて一番強く感じたのは、我慢強さ。給料も入ってこない、インフレすごすぎて、ご飯食べるのもやっとという生活を送っている人が私の周りには多かったけど、みんな黙々とがんばっていた気がする。

・こう言った社会構造、民族性など、その国を形取っている重要な要素がたくさんあるけれど、外にいる私たちの傾向として、そう言った要素を軽視し、どちらかというと、「ムガベ=独裁者」という欧米的見方をするのが主流になっている気がうする。

・確かに独裁者なのだろうけれど、ジンバブエのことを本当に知って、ジンバブエの立場から報道するメディアはあるのだろうか。

・私たちは知った気になりやすいけど、それは自分たちの文化、経験、性格というフィルターを通して見る見方であって、本当の意味で何かを見るてこととはちょっと違うんじゃないか。

っていうようなことを話した。暗に欧米的見方を批判している訳なんだが、その背景にはこのクラスが欧米的見方、特にカナダ的見方(先生がカナダ人、そしてクラスもカナダ人がマジョリティー。)が強すぎることがある。

最後の授業でもあったように、カナダは移民国家、アングロサクソン系だけがいる訳ではないので、カナダ、カナダと連呼するのも危険なのだが。(ちなみにパキスタン&イラン&日本からカナダに移民した友達に話を聞いて見ると、非白人への差別はひどいらしい。)

最後にジンバブエの与党と野党の政治的対立について、タイのネイトと一緒にプレゼンをした。プレゼンは事前に先生が作った背景が書かれている小さい紙をもらって、これを元に作る。私たちの紙には、

「あなたがネイサン・シャムヤリラ(元ムガベの側近)だったら、ムガベとチャンギライ(野党党首)の対立をどのように解決しますか。ネイサンの妻、ドロシーの役割も鑑みて解決方法を考えなさい」

ここまでくると、先生の意図かなりわからなくなった。ネイサンが重要な役割を果たすような要素を持っている人物なのか、それとも、逆に私たちに考えさせるために、重要でないネイサンを持ってきたのか・・・・そういや、宿題で出る読み物の中に、なぜか、先生の子どもがネイサンに抱かれている写真があったな・・・・(先生は80年ころジンバブエで、ジャーナリズムを教えていたのです)。ということは、単に先生とネイサンが近い関係にあったから、出してきたのか・・・?うーーん、わからない。

チームメイトのネイトと必死になってネイサンの役割を考えたけど、考え付かなかったので、ネイサンとドロシーは単に名前を出すだけに留めておいた。

あとは、ディスカッションに持って行って、クラスのみんなに考えてもらった。という少々トリックを使って無事終了。


(ネイトとプレゼン中。ネイサンとドロシーを劇にて表現しています笑)

この授業を終えてみて。
自分の知識が深まったとは感じない。議論も浅かった。このクラスには欧米だけではなくアフリカ、アジアから来た人たちも多くいるのに、そういう人たちの見方に焦点が当てられることはなかった。もったいないことだと思う。

先生の話を聞いていると、まるで、ジンバブエで会った高齢者で植民者的価値観が抜けていない白人の人と話している感覚に陥った(この人たちの時代はこういう考え方が中心だったのだから仕方ないのだが)。歴史を直接報道してきた人物の授業を受けれるのは大変光栄なことだったけれど、先生自体が歴史的遺産になっている気がした。

最後の日、先生にお礼を言っていると歌って欲しいと言われた。天気がいい日だったので、オーソレミオを歌った。そしたら、先生が涙を流して喜んでいた。先生はコスタリカにきて授業をするのはこれが最後。先生に喜んでもらえてよかった。こんなにかわいくて、感動屋のおじいちゃんのことの授業を批判めいた論調で批評するのには、いくら私が昔から強めとは言え正直少々気が引ける。なので先生はやっぱりかわいいおじいちゃんのままがいいなー思った。

久々の作曲 

2010年11月29日(月) 6時10分
前回の日記で作曲ついて書いたので、それについてもうちょっと。

私が通ってたヤマハのコースでは、毎年作曲コンクールに強制参加で、来る年来る年、嫌々ながら作曲していた。嫌々していた上に本番で即興演奏してた割にはなぜかいつもいいところまで行って七不思議となっていた。そこである年、裕美先生が、本物の作曲の先生について習ったらどうかと提案してくれた(裕美先生の専門はエレクトーンだった)。三つ子の魂百までで、子どもの頃から見切り発車ばかりの私だったので、後先考えずホイホイと習いに行くことにした。

当時私が通っていたヤマハのセンターは仙台駅の東側にある小田原センターだったのだが、作曲は木町センターに行けとのこと。私はまだ小学校低学年で、塩釜から小田原まで通うのですら大冒険だったのだが(はじめはバスで約1時間半、その1年後電車に乗れるようになったので、電車で30分強)、木町に行けとは・・・・木町は駅の反対側。さすがにうちの母親も心配になったらしい。そこで、今は亡き母方の祖父母登場。仙石線仙台駅の改札まで迎えにきてくれて、仙台ホテルの前から大学病院行きのバスに乗って木町まで連れていってくれた。

母の名誉のために、なぜ母が送り迎えできなかったのか説明すると、ちょうどその頃、私には一気に兄弟が3人増え(含双子)、子育てに忙殺されていたためにできなかったという経緯があったのでした。ごくごくたま〜〜に送り迎えしてもらっても、私が車酔いしながら弟と妹のミルクを作り飲ませるというサバイバル、またレッスン中も

「みぃちゃぁぁぁぁん」

と弟と妹が叫んでくるので、小さかった私も観念していたのでしょう。我慢して電車で通ってました。大体、ピアノのレッスンは作曲を含めると週3回あったので(ついでに書道もやっていた)、一人っ子政策が施行されている国ならまだしも、5人の子どもを持つ母親には、全部やってたら体が5つあっても足りませんね。

作曲の新しい先生は、長髪、でも上の方がちょっと寂しげな中年男性、野田先生。

で、行ってから気づいた。そう、私、全然宿題しない子どもだった・・・!
ピアノの個人レッスンと、エレクトーンのグループレッスンは、何とか即興とごまかしにより突破していたが(先生にはバレバレだったとおもひます。ごめんなさい)、作曲は五線譜に何かを書いていかないことには、宿題をしていないことが完全にばれてしまう。

野田先生は、
「どんなときでもいいから、モチーフ思いついたら、五線譜に書き留めておくように」

と言っていたけど、遊ぶことで忙しい年頃の子どもに、そんな時間はありゃせん。毎回あっと言う間に時間が過ぎ、ノートは空っぽのままレッスンにいくはめに・・・・えーーん。

あるとき野田先生が言った・・・
「みどりさん、進歩ありませんね」

がーーん!そのレッスンで永久終了となったと記憶している・・・わはは。

先生の「進歩がない」という強烈なコメントのお陰で(つーか、宿題をしない私が悪いのだが)、それから作曲からきれいさっぱり足を洗っていた。

一方、編曲は好きで(自分でモチーフ作らなくていいじゃん?)、以前働いてた中学校の校歌をブラスバンド用にしたり、日本歌曲を弦楽四重奏にしてみたり、新潟で音楽活動を始めたときには、チェロとピアノの楽譜がないと、私が編曲していた。

そんな経緯もあり、今回久々に作曲したことに、自分でも少々驚いている。こちらにきて、いろんなしがらみやストレスがない生活を送っているので、そういう気持ちが作曲に向かわせたのかもなー。

他の皆さん、どう作曲されているかは見当もつきませんが、私の作曲の方法は子どもの時に習ったヤマハのが完全に影響しているなーと思った。ヤマハでしかやてないから当たり前っちゃあ、当たり前か。ちょぉぉぉっとだけ大学で習った和音の使い方も入っているとは思うけど、やはりこれも三つ子の魂百までか。

まず、モチーフ4小節(A)くらいつくって、その後の4小節(A')は元のモチーフを盛り上げる。7の和音を使って転調させて、違うモチーフを持ってくる(B)。それをまたちょっと盛り上げて(B')。で、また転調させて元調に戻し、元のモチーフに味付けして終了。今回の曲は土砂崩れの曲だったので、転調は短調のまま。長調にしたら、なんだか馬鹿にしているみたいだもんね。最後だけ「希望」を表したかったので、長調の和音(ピカルディー終止)で終了。

そんなのの中に、クラスメートからもらったイスラム風な音楽のこぶし(?)、アイスランドの音階(四・七抜き風)、フランスの「ふにゃーーん」というメロディーを入れた。特に「ふにゃーーん」はチェロにもってこい。グリッサンドを使った。

大体チェロとピアノのデュエットというものは、チェロがメインでメロディーを奏でることが多い。ピアノは伴奏なのだ!でも、「私もメロディー弾きたい!!」ってなるじゃん?なので、中間部分はチェロが伴奏、ピアノがメロディーとした。いししし。この手法は編曲でもよく使わせていただいております。ほほほ。

時間的制約はあったけど、気分的にはプレッシャーを全く感じていなかったので、子どもの頃より気分よく仕事ができた。作曲の能力的にはずいぶん落ちていて(いろんな手法も忘れてるし)恐ろしくシンプルな曲が出来上がったけど、まあ再開第1歩ということで良しとしよう。

クラスのプロジェクトへの参加形態としてもそうですが、今回の作曲は自分の音楽活動にもつなげたかったので、そういった意味でもいい一歩だったかも。新潟では編曲止まりで、作曲したりレコーディングした今回のプロジェクトは、個人的にも、Azur Indian Music Project的にも新たな開拓だったかな。

しかし、やっぱり電子ピアノでいいので、一台欲しいところ。今回はシンプルな曲だったからまだいいけど、ピアノなしの作曲はなかなか厳しいね。自分の頭の中でなっている和音が弾いてみて本当にきれいな音がするかはわからない。今後、音楽を記譜する仕事が入るかもしれないので、作曲にしても編曲にしても(ついでに通常のピアノの練習にしても)ピアノは必要不可欠だなー。

でも、この国、電子機器がやたら高いのです。電子ピアノを見に行ったけど、日本で安〜く売ってるようなやつが、20万円くらいします。実際、私が新潟で使ってたカシオの電子ピアノは約7万円で購入したもの。の割には、鍵盤もそれなりによく、がんばれば持ち運びもできたので使い勝手がよく佐渡汽船に乗せて仕事したこともありました。今は貧乏な留学生。7万円でも無理な話なのに、20万なんでとんでもございません。やっぱ、ファンディングからですね、とっかかりは。

【クラスのはなし】道徳的なメディア制作 

2010年11月29日(月) 4時29分
このクラスは、これまで受けてきたクラスとは違い、実習から学びましょうというもの。何でもいいので身近な問題を取り上げて、それを「新メディア(テレビとかラジオみたいな旧来からあるものではなく、ネットを媒介としたメディア)」を使って表現しましょーって。

今回の先生は、オーストリアのインスブルック大学からきているダニエラ。彼女は芸術(特に写真)を平和構築を専門としている人で、私はこのクラスを楽しみにしていた。

はじめは、スワジランドの子とジンバブエの問題を取り上げてやろうって言ってたんだけど、そんな折、エスカスで土砂崩れが起きて何人も犠牲になり、私たちも通学路が寸断され休校になり・・・・

あるクラスメートが
「クラス全員で今回の土砂崩れについてやろう」
と提案し、話し合いの結果みんなで取り組むことに。先生もこれは計画外だったので、とにかく全ては私たちに任された。

クラス全員なもんだから、まず21人を誰が統括するのか・・・・ジャーナリズムの世界で生きてきた人が多いこのクラス。そしてそのほかにも意見が強めの人もいて。はじめての話し合いから、すごーーーく嫌な雰囲気に・・・・

まずはクラスを
・土砂崩れが起きた原因を探る
・どうやったら土砂崩れがもう起きないようにできるか探る
の2つのチームに分けた。

私は後者の土砂崩れ対策チーム。早速専門家を探してインタビューに行くための段取りを。ちょうどコスタリカ大学の地理学専攻してる友達がいたので、彼女にフランス人の地層学の先生を紹介してもらうことに。

インタビューなど、基本的にジャーナリズム「経験者」と「未経験者」をチームにして、未経験者が経験者から学ぶ、そして経験者は未経験者を教えるという経験をする、ということになっている。私はインタビューがフランス人相手だったので、フランス人のクラスメートのステファンと組むことに。ステファンはドイツで5年間農業関係のジャーナリストをしていたらしい。

で、11月15日(月)コスタリカ大学にドクター・ピエールを訪ねて行ってきた。
話を聞いてみると、コスタリカの地形・地層は日本とすごく似ていることがわかる。山がちで火山帯。こういう地形のところは、住める平地が少ないため、平野に人口過多が起こるそう。日本は建物を高くしているから、平地にたくさんの人口を持つことができるけど、この国は基本1階建ての建物ばかり。そのため、場所がない低所得者は危険な山がちがところに住まざるを得ないらしい。

山がなんで危険かというと、日本と同じでいつ火山が起こるかわからないから。火山って地震と違って予測できないんだって。10数年前に長崎の雲仙普賢岳で土石流が流れてきてたくさんの人が亡くなったけど、ああいうことがいつ起きてもおかしくない状況なんだそう。土石流に限らず、今回起きた土砂崩れも、山がちが地形を知りながら何の対策もしない政府が起こす人災だってはっきり言ってた。

ドクターは1993年にコスタリカの火山帯の地図を作成して政府に警鐘を鳴らしたらしいけど、黙殺されていると言っていた。その間にもほとんど毎年土砂崩れで犠牲になっている人が生まれている。

最後にドクターが作ったという地図をもらって帰路へ。今日のインタビュー、理系な専門用語がかなり出てきたので冷や冷やしたよ。日本人だから、何とか過去に見たり聞いたりした話で妄想を膨らませて理解しようとしたけど、そんなのなかったら、ちんぷんかんぷんだっただろうなー、と思いながら。

さて、ここから記事にするところなのですが、記事は専門のステファンに任せて、私は音楽制作に。

このクラスが始まるときに、
「わたしは一体に何ができるかなー」
と一所懸命考えて、やっぱり音楽しかねーなーと思ったので、それをみんなに伝えていた。

当初はクラスメートの国の伝統音楽を集めて、それに少々アレンジを加えて、みんなが作るであろうビデオ映像のBGMに使ってもらおうと思っていたんだけど、最終的に作曲することにした。

作曲すると突然言ったのはいいものの、まずはモチーフ考えなきゃなー、とみんなが記事書いてる間、私は学校をうろうろ。何日か空見て過ごしていたら、やっとはじめのモチーフが舞い降りてきた。そこから一気にぐおーーっと進める。って言ってもピアノがないので、全ては私の頭の中。信用ならぬ。翌日、ピアノを借りて最終チェック。うむ。まあまあいいか。

作曲作業は、まずクラスの写真ジャーナリストたちが撮ってきた土砂崩れ現場の写真を見て、いろんなことを想像して心を悲しくする。そして事前にもらっておいたクラスメートの国の伝統音楽から、いくつかの特徴を抽出して、悲しい心が作ったメロディーにその特徴を挿入する。なので、曲の中ではアジアっぽさ、アイスランドっぽさ、フランスっぽさがちょっと感じられるかもしれません。そして、ちょうど自分の音楽活動とつなげたかったので、チェロとピアノ用に作った。

私があんまりリラックスして作ってるものだから、クラスメートのレベッカが早くしろと急かしてくる・・・・作曲が終わったその日に無理やりロメロさんを呼んで学校でレコーディング。はぁ・・・・やっと終わった。

さて、他のみんなも記事、ビデオ、写真など自分の得意分野で取り組んだこのプロジェクト、以下のサイトに集約しました。ぜひ見てちょ!

http://sites.google.com/site/landslidecostarica2010/home

私は音楽をメインでやってたけど、今回のコース、いろんなことを学びました。ジャーナリストがどうやって働くのか(すごいたくさんの仕事がある)、グループワークの大変さ(特に強烈が性格の人が集まるところで)。

最終日には、学校向けにこのプロジェクトの概要をみんなで発表。そして夜はみんなで打ち上げ!

アジアンナイト 

2010年11月28日(日) 4時29分
11月19日、学校でアジアンナイトが開かれた。

国連平和大には今年16カ国44人のアジアからの留学生がいるそうな。

みんなで力を合わせて食事、踊り、衣装なんかを駆使して盛り上げました。

この夜に先立ってこの一週間はずっとアジア週間で、毎日アジアの文化をお昼に披露していた。私は水曜日を担当して書道を披露。希望者の名前を漢字で書いてあげるってものなんだけど、いたく感動されて、勝手に募金箱まで作ってくれる人が出て、最終的に1000円ちょっとお金を集めることができたよ(もちろんそれはクスねたりしないで、アジアウィーク委員会に寄付♪)。

私、正直なところ、そんなに興味もなく積極的に準備に参加していなかったんだけど、当日それを後悔!5時半の開始に合わせてみんなが衣装を着始めたときには、もうわくわくしてきちゃって、もちろん私もすぐに浴衣に着替えて。

まずは元々担当だった、開会式のあとすぐの音楽演奏。

これは3つに分かれていて、まずはじめは、韓国人の男の子が米国系韓国人が作った「サランヘヨ(I love you)」を大熱唱。二つ目は、日系カナダ人の子と韓国人の子が中島美嘉の「雪の華」を日本語と韓国語で披露。私はこれにピアノ伴奏で参加。三つ目はアメージンググレイス。歌詞も英語→日本語→韓国語→中国語→英語で。これの伴奏と歌を担当したよ。

このあと民族衣装ファッションショーがあって、ここで私はまず一発目、多様性に感動したのでした。

その後は食事。食事は各国担当が何日も前から作って準備してきていたもの。

タイ、インド、韓国、フィリピン、ベトナム、インドネシア、日本、キルギス、カザフ、等々・・・・・

日本からは、お好み焼き、出汁巻き卵、寿司(数量はかなり限定)。

前週のノースアメリカンナイトのときは、芋+肉の猛攻で腹いっぱいになったので、軽いアジアの食事でお客さんの腹を満足させることができるかと、少々心配していたアジア勢。そのプレッシャーもあってか、量もさることながら、みんなものすごい種類の食事を作ってきた!!皿に乗っかってないし・・・・

私は食事の担当をしていなかったので、タイチームのトムヤンクン(正確にはトムヤンチキンです)のサービングをお手伝い。

ノースアメリカンナイトに比べて、きている人、食事に並んでいる人の数が半端ない・・・・
結局300人超えしていたそうな・・・・

がんがんがんがんトムヤンクンをわけまくり、何時間経ったのでしょうか・・・・やっと終わった・・・・自分の食事を取る間もなく、次は出し物。

韓国の女の子達の扇子踊り。チマチョゴリがきれいで、優雅で、I was proud of themでした。
次は韓国の武道。剣道みたなやつと、テコンドー。クワンヒーの真剣な演技にびっくり。
インドネシアのポコポコダンス。いろんな国の子たちが手伝ってたから、この踊り既にインターナショナル化しててかわいかった!
フィリピンのバンブーダンス。ワンツーどん世代の私は率先して参加。これ大好き!
パキスタン+インド合同チームのボリウットダンス。衣装も踊ってる子たちもかわいすぎ!

そして我らが沖縄のカチャーシー。
カチャーシーは踊りが得意ななすを中心に、TP氏、ちーさん、やよ、コリ、私、そしてアルゼンチンからの特別ゲスト、メルセデスで参加型にしてやりました。みんなで先に振りをお客さんに教えて、で、中心に集まってもらって踊った。「アイヤーアイヤー」の合いの手は私がマイクで。

みんなすごい楽しんでいるみたいで、こちらも本当に久しぶりに楽しかった!

アジアの文化って本当に奥が深いね。
今回のイベントでは、目に見える部分で、衣装、食事ってあったけど、武道なんか見ると精神まで感じられて、いろんな意味でたくさんのことを披露できたんじゃないかなーとおもひます。

私、本当に感動した(小泉さん風)!

http://www.youtube.com/watch?v=LCJ1REF2D24
P R
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cantare, mangiare, amare

like to chat with people having a bottle of beer in my hand, end up with tons of consumption of alcohol!
like to explore new places, try their cuisine at the each corner of the world.

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