003 自由論 

2005年07月09日(土) 2時31分
自由とは、最も不自由なことだ、そう私は思っている。
人間にとって、自由なことなど何一つないのだ。
自由とは荒れ果てた黄色い大地のようなものだ。
そこにはどんなものでも作ることが出来る。
だが、荒れ果てた大地は何を作るべきか教えてはくれない。
あまりにも大きな可能性を与えられると、私たちは萎縮してしまう。
だからこそ、自由は不自由なのだ。

地べたに足をはりつけ、2本の足だけではさほど遠くまで行くことも出来ない私たちは、この命の終焉すら義務付けられている。
与えられた、不自由な世界で、どれだけ自分の思うが侭生きられるか。
それだけが私たちに許された自由だ。

002 私 

2005年06月18日(土) 20時43分
「私」は、どうやって定義されるのか。
思春期から継続する疑問である。
私はどんな人間か、ということは、他人にどう見られているか、ということではない。
しかし、私たちが自分の姿を鏡や写真を通してしか見ることができないのは逃れようのない事実だ。
生の、本当の自分は、自分自身では見ることができないのだ。
ならばどうやって私は私を知り、意味を見出せばよいのだろう。

私はまだ、自分で自分がどんな人間なのか把握できていない。
否、一度は自分が分かったと思った。
しかし、就職活動をしようと思いエントリーシートを広げ、「私」について記述しようとしたとき、そこにあったのは茫漠とした何もない砂漠のような景色だった。
私には、何もない。
それが改めて気づかされた真実だった。
「自分」なんてたいそうなものはどこにもなかったのだ。
それに気づいたとき、私は絶望した。
冷たい暗闇にほうり出され、ただ泣くことしか出来なかった。
・・・就職活動は、止めた。

人は言う。
―――君は変わった人だよね。
―――自分を確立しているね。
そんな彼らに私は、自分には何もないのだ、と呟く。
すると彼らはこう言うのだ。
―――あなたは頑張っている。○○もやったし、△△も経験した。そんなあなたがどうして自分がないなんて言うの?
彼らが見ている「私」は、私が手にしている「私」ではない。
なぜこんなに格差が生まれてしまったのだろう。
真実本当にそんな人だったなら、こんなに空っぽなはずはない。
真実本当にそんな人だったなら、どんなにいいか。
彼らの言う私は、私のなりたい「私」なのだ。
 快活で、自分の意見をしっかり言え、やるべきことはしっかりこなす。
 けして他人を甘やかさないが、かといって冷酷なわけではない。
きっと、私の自尊心や見栄が、真実を覆い隠そうと躍起になった結果、こんなことになってしまったのだろう・・・。

切ない30の言葉達 

2005年06月14日(火) 23時32分
なんだか素敵な心くすぐられるお題を見つけたので追加。
100題が進んでないのは全くおいといて!(いっそ死んでしまえ)
こちらは創作向けなので、SS(二次創作系・爆)中心に。

<注意事項>
ジャンルは気分次第
最上部にジャンル等書いておきます
本文は反転して読んでください

<言葉一覧>
1 ふたり
2 あの日の憧憬
3 傷跡
4 届かない背中
5 約束
6 冷たい鎖
7 記憶
8 満たされない心
9 砂時計
10 知らない
11 慟哭
12 「さよなら」
13 繋いだ手
14 その手を振り払う勇気
15 愛しい人
16 子守唄
17 いない
18 手首
19 縋りつく
20 キス
21 空
22 褥
23 優しい嘘
24 裸足
25 美しいもの
26 闇
27 霞む瞳
28 雨の夜
29 カウントダウン
30 永遠

↑ こちらで頂きました。

001 考えるということ 

2005年06月09日(木) 22時55分
そもそも100のお題を始めたのが、「考える」ため、だ。
いつからか、考えなくても毎日を過ごせるようになってしまった。
学校の帰り道や授業中や、眠りにつく前。
以前の私は暇さえあれば、とりとめもなく考えを巡らせていた。
その内容は、好きな人のことだったり、昨日読んだ本のことだったりと様々だったけれど、考えることは私にとってごく自然なことだったのだ。
そう、呼吸をするように考えることをしていたように思う。
考えることによって得た酸素のようなもので私の脳は生きていた。

高校時代、部活で演劇をやっていた。
毎日が部活中心で、演劇が生活のすべてだった。
この台詞にはどんな想いが隠れているのか。
観客に何を伝えるのか。
抽象的なことだけではなく、装置や衣装や役者の動線、考えることはいくらでもあった。
私の脳は、勉強こそしなかったが、いつもフル回転だった。
演劇に限らず、「表現」には考えることがついて回る。
思えば、自我が目覚めた頃から、私は何がしかの「表現」をしてきた。
それは小学生の私にとっては漫画、中学生の私にとっては吹奏楽、高校生の私にとっては小説や演劇だっただけで、常に「表現」は私の側にあった。

しかし、大学生になったとき、私は表現というものから距離をおくことを決めた。
常に側にあったからこそ、表現は私の全てを注ぎ込むものとなっていた。
何を犠牲にしてもいい、と思えるほどに。
だからこそ、4年後に両親から独立し自活する未来を描いたとき、それではいけない、と思ったのだ。
とはいえ、私の全て出会ったものを簡単に手放せる筈もなく、2年間は悪あがきをした。
詳細は省くが、私は散々の悪あがきの結果、納得ずくで表現すること、想いを昇華させることを当分の間棚上げする決意を固めることができた。

その決意の結果、「考えること」から程遠い現在がある。
酸素不足の脳の悲鳴に、私は「表現」に寄らない考える習慣を得るための挑戦をしようと決めた。
私の頭蓋骨の中で凝り固まった脳が、再生することは出来るのだろうか。
脳は今、ゆっくりと新たな一息をついたところだ。

「考える人に100のお題」 

2005年06月09日(木) 12時17分

↑お題は此方で頂きました。


<100題一覧>
001 考えるということ
002 私
003 自由論
004 友達とは
005 常識・普通
006 芸術
007 学校・学ぶということ
008 才能
009 悪と正義
010 人生
011 生きる糧・原動力
012 幸福論
013 知性
014 自殺の善悪
015 美しいものと醜いもの
016 遺伝子操作
017 生まれたこと
018 恋愛論
019 権利と義務
020 音楽
021 家族
022 愛憎
023 忘れること
024 無意識の内にあるもの
025 あしたについて思うこと

このblogでは、 

2005年06月09日(木) 9時00分
「思考の訓練」をしていきます。
日々なんとなく過ごして、考えることを忘れてしまったように思うからです。
考えたことを言葉にすることを忘れてしまったように思うからです。
はじめはまとまらない文章を書いてしまうでしょうが、発展途上の若造と思ってお許しください。
では。
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