18. 雪道の運転 

2008年09月29日(月) 15時02分
 <国内での雪道、アイスバーンのお話し>

 私の経験談ですから、詳しくは、或いは正しくは専門書等を見て下さい。

<準備が大事>
・タイヤ交換
 昔ならノーマルタイヤにチェーンを巻いたのだが、今なら業者へ頼む等してスタッドレスへ代え、ドライブのスタート時からスタッドレスを履いて行けるので余り苦労は無い。しかし、スタッドレスタイヤの着脱は一度は自分やっておくべき。

 これは、ストッパーによるタイヤの固定、ジャッキアップや実際のタイヤ交換を自分ですることによって通常気付かないことを認識し、いざという時の心の余裕が出来るからだ。

 実例の一つとして、当然スタッドレスタイヤは通常のタイヤよりも外形が少し大きい。すると車によってはタイヤハウスとの間隔に余裕がなく、着脱時にとんでもない苦労をすることがあった。一度経験しておけば、まさか(スタッドレスのパンク!!)の時にもそれ程慌てなくて済み、余計なトラブルを招くことが少なくなる。

・雪、或いは可能なら氷面の平地での試験運転
 例え滑っても全く問題ない場所を選び、急発進、急ハンドル、急ブレーキを敢えてやってみるのだ。そうすると当然車が滑って左右のどちらかに振れるが、ここでどちらに振れるかが案外定まっていること(その車の癖)がある。次に振れた場合の対処の仕方だが、先ず何もせずにそのままでどうなるか、次にハンドブレーキを引いてどうなるか、そしてハンドル操作をしてどうなるかを確認する。FR車では車の後ろが右に振れたらハンドルを右に切り、左に振れたら左に切れば車のスピンを止めるのに役立った。

 実例としては、ある時、高速の出口の下り左カーブがアイスバーンになっていてアクセルを放してエンジンブレーキ状態にしたら車が滑った。慌てずにハンドブレーキを徐々に引き、ハンドルを少し右に切ったらガードレールの直前で車が止まり、セーフ。

 概して、慌てて間違った操作をして事態を悪化させるなら、例え何かとぶつかったとしても、車が振れたり、滑ったりしたときには何もせずにそのままにした方が良さそうな気がする(その覚悟が必要)が、雪道を走るなら、そして雨で濡れた道を走る時のためにも可能な限り上記の車の癖や最良の対処方法を安全に習得すべき。


 あくまでも緊急時の対処方法の習得のためであり、お遊びではやめて頂きたい。

・最後にもう一つ、FRマニュアルターボ車での登り連続急カーブでのお話し
 ターボラグがあってどうにも左右に振れるので、シフトをいつもより一つ上げて(2速なら⇒3速、3速なら⇒4速)トルクを下げ、アクセルも極力抑えて上手く登れるようになった。

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17. アメリカでの運転 その5 

2008年09月29日(月) 3時05分
 <サンノゼ−L.A.間300マイル>

 一度週末に車で往復したことがある。

 経路は地図を見て決めたI.S.5号線。日本の高速道路とは比較にならない長い直線が魅力だった。

 走ってみて驚いた。地平線の彼方までただ一直線の道。そして真っ直ぐではあっても場所によっては視界の果てに登り坂があったり、左右の傍に山があるようなところでは妙に圧迫感を覚えたものだ。

 先ず行ったのがディズニーランド。サンノゼのゆったりとしたグレイトアメリカに何度も行ったせいか、ここのディズニーランドは狭い感じがした。乗り物は危なさそうなものは避けた。

 ハーフムーンベイで夕食。宿は安いドライブイン。

 翌日はユニバーサルスタジオ。ここまでの野外エスカレータに乗ったがこれが途方も無く長い。乗るときに見上げると終着の人間が実に小さい。

 とても一日で見切れるものではなく、選びに選んで絞り込んだ。人気の場所(スタジオ)では結構長い行列が出来て入るまで待たされたが、周りの様々な人種の人間を見たり会話を聞いたりしていると飽きることはなかった。

 帰りは少し遅くなって夜となったが途中の休憩で見上げた夜空にはまた驚いた。天の川がはっきりと見えたのだ。初体験の感動。

 因みにL.A.とは勿論ロサンゼルスのこと。現地のひとはL(エル)A(エイ)と呼ぶ。スペイン語の「(男の)天使達」の意。サンノゼからのフライトでも一度往復し、計二度訪れたが、それが空を飛んでいるところはついぞ見かけなかった。(!!??)

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16. アメリカでの運転 その4 

2007年05月28日(月) 11時32分
 今回はアメリカでの運転でも、特に街なかのものについて記した。

 出張渡米は10回したが、行かせてくれ、と言った事は一度もない。社内での根回しがあった後で頼まれたが正式には当然業務命令という形だった。

 <ボストン>
 最初は1987年秋に東海岸、ニューイングランドはマサチューセッツ州ボストン郊外のボックスボロー。ここは1回のみだが40日滞在。

 滞在したボックスボローは日本での山里といった感じだが、4、5回訪れたボストンは由緒ある落ち着いた建物が多い都会だ。休日の土日だったこともあって街なかは人出も多く、車の前を横断する人も大勢いた。殆んど所謂白人だ。

 驚いたのはその横断の仕方。例え直ぐ近くに信号機のある横断歩道があっても目的地までの最短距離になるように道の何処でも渡る。渡るときには運転手(私)の顔を見て確認しながらだ。云わば暗黙の了解といったもの、つまりコミュニケーションを取りながらなのだ。車は人が前を通り過ぎるまで道の何処でも待つことが当たり前の完全な歩行者優先文化だった。

 この歩行者優先社会で仕事でも言葉でも受けなかった所謂カルチャーショックというものをもろに受けたのだ。

 日本なら横断歩道を渡りましょう、などと言ったり表示したり、横断歩道の手前には目印のマークを付けたりするが、歩行者優先の意識が浸透していれば、それらがあること自体少し奇妙なものになる訳で、日本に帰ってくると正直、なんと島国なのだろう、と思わずには居られなかった。

 <サンフランシスコ>
 その後続けて7回はサンノゼへ滞在。
 近くのゴールデンゲートブリッジへの往復時を含めて観光でサンフランシスコの街なかを訪れた回数は数え切れない。日本国内では常にマニュアル車に乗るので坂道発進は主にハンドブレーキが頼りだが、いくらオートマ車といってもサンフランシスコの街なかの特に交差が連続する登りの急坂ではしんどいものがある。発進時に直ぐバックしてしまい、後ろの車が気になるのだ。
 これの対策として現地に以前から居住する先輩に聞いたのだが、オートマで左足でブレーキを踏んで止まっておき、右足でアクセルを踏みながら左足を徐々に上げてハンドブレーキのように使って発進する方法だ。

 このやり方は直ぐに覚えて役立った。それ程サンフランシスコの街なかの連続急坂は凄いのだ。

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15. アメリカでの運転 その3 

2007年05月26日(土) 18時24分
 前に『8. アメリカでの運転 その1』でも少し記したが、出張でアメリカに行った場合、毎日運転しないことには生活が出来ない。今回は主に食事に関するものを記した。

 朝食は宿泊ホテルで取れる。昼食はオフィスの食堂が多かったが、付き合いもあって週に1〜2回は近くのレストランへ車で行き、そして夕食は決まって外のレストランで取った。加えて仕事で使う材料の買出し等もあり、営業でもないのにとにかく平日でも運転することが多かった。このためもあってか、やはり出張で訪れた会社の人には、お前はアメリカでの方が元気が良い、と言われたものだ。

 サンノゼにも多くの日本料理のレストラン、食堂があった。ダウンタウンに『ごんべい』という有名な豆腐を出す食堂があり、良く昼食で行った。ここの豆腐は日本で食べるのと変わりなかったが、他の料理はさすがにアメリカ風に量が多く、甘過ぎると感じた。

 サンノゼにエル・カミノ・リアルという旧道がある。聞いたところこの道はメキシコからアラスカまで通るそうだが、走って試したことはない。この通り沿いに『八町』という日本料理屋があり、ここが私のお気に入り。余りに度々行ってこの店での高級料理を注文するので、ここの日本人女将に、グルメね〜と言われたことがある。店はまだやっているのだろうか。また是非行ってみたい。

 サンノゼの休日で遠出の時間がないときには、サンノゼ・インターナショナル空港に行って飛行機の離着陸の見物をした。空港内のレストランでコーヒーを飲みながら、或いは滑走路傍の道路からだったが、特に滑走路延長上の道路から見ていると横風の強いときなどには真上を行く飛行機が斜めになった上に左右にふら付くのがまざまざと見て取れて興味深く、また一種の戦慄を覚えた。

 数多くのレストランに行ったが、このメイドは間違いなく日本人だろうと思って日本語で話し掛けてみると全く通じなかったり、逆に顔から判断して日本語は全然だめだろうと思って下手な英語を使うと、私よりも流暢な日本語で話してきたり、それは驚きの連続であった。因みに当時この辺りでは案外ベトナム系が多いと聞いたことがあった。

 ある休日、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを渡って直ぐのビューポイントの露店で日本製のカップヌードルを売っていて、お湯もあったので同行の5名で買い、ここまで来てカップヌードルかよ、と笑いながら食ったことも。

 因みに『8. アメリカでの運転 その1』でも記したゴールデンゲートブリッジの絶好の眺めの小山への道順は、このビューポイントの数百メートル先を右に降り、ブリッジの通りの下を潜ると登り道がある。頂上付近にはトイレがあり、昔大砲があった穴もあってこれを通ると太平洋が見渡せる。・・・日本は・・・見える訳はないが、時にはホームシックになることもあった。

 太平洋上の霧が流れてブリッジに掛かる様子が鮮明に分かることもあるポイントだ。駐車場もあるが狭く、勝手なところに止めるとレッカーが運んで行くこともあるのでご注意あれ。えっ、運ばれたのは私の車じゃぁないのか、ですって?・・・私は別の所で2度駐車違反し、反則金を郵便局で払ったことがある。時々一緒に訪米した後輩で、しょっちゅう交通違反で捕まり、すっかり現地のお巡りさんと顔なじみになって、反則金の払い方もしっかりと教えてくれるのがいたので大分助かった。

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14. 各地の記憶 その2 

2007年05月22日(火) 23時13分
 <本州>
●奥入瀬
 当時まだ関越道もなく、新潟へ帰省する同僚を途中まで乗せて国道をのこのこと長岡、新潟、酒田、秋田を通って十和田湖から奥入瀬渓流を散策。

 さほど広くもないこの道路沿いの渓流は私にとってお気に入りのコース。それは先ず車でアクセス出来ること、そして渓流に沿って森林浴的な散策を出来るからだ。

 この時は北海道へは行かずに青森から野辺地を通って東京へ帰った。野辺地という地名はこれより数年前、確か土砂崩れで東北本線がかなり長期間ここを通れず、その間、駅にずっと表示があったので記憶に残っていただけ。その災害の形跡は国道からは確認出来なかった。

●富士山
 富士山を回って観光したことは数知れずだが、車で上に登ったのは多分4〜5回。
 晴れているから遠くが良く見えるだろう、などと思って上がってみると霧(雲?)で何にも見えなかった、ということもあった。山の天気は変わりやすい。

 回りを走っていても急に雨となったかと思えば直ぐ晴れたりしたことも。一度須走側で、なにやら車が数台路肩に止まっているので山側を見るとこれが実に雄大で素晴らしい虹であった。これも予期せぬ嬉しいサプライズ。このタイミングばかりは計れない。

●伊豆
 ♪ 伊豆の山〜々〜 月淡く〜 ♪・・・あっ、歳がばれる!!

 実は私の車に積んでいるCDはこの曲ではなく『天城越え』でした。因みに青函用の『津軽海峡冬景色』もありますよ。男物は?ですか?・・・勿論、東海林太郎ですよ!!
 泣くな〜よ〜し〜よ〜し ねんね〜し〜な〜 

 さて、旧友と連れ立って最も数多く行ったのが下田近くの須崎の民宿。のんびりと釣りをしたり風呂に入ったりしたが夜の宴会が最高の楽しみ。大きな声で歌ったり喋ったりすると浮世の憂さも晴れるというものだ。ここの馴染みの民宿が都合で閉じてからは数年行ってないのでまたその内に是非行ってみたい。

●安房峠から輪島へ
 今のように便利なトンネルとか高速道もない時代、一晩走り続けてようやく峠を越えた記憶がある。特にここの連続ヘアピンは日光のいろは坂と双璧を成す。マニュアル車操作の楽しみ地の一つ。

 飛騨高山と輪島ではきちんと宿を取り街中を散策したが、日本各地からの大勢の観光客の話し声も聞け、特に関西の人の話し方は興味をそそる。


 <東京近辺>
●三浦半島
 東京に住む私にとって気分転換の半日コースの一つとして良く行った。横須賀へは寄らずに真っ直ぐ城ヶ島へ行き、ここの灯台から海を眺め、風を感じ、そして晩の酒のつまみを買って帰ったものだ。

●奥多摩
 ここも半日コースの一つ。くねくねした湖沿いの道を走るのも良いが、何といっても月夜見山の石ころだらけの駐車場の展望所から下界を見渡すように見える湖の眺めは圧巻。

●横田基地 内外
 基地内と基地付近を走ってある経験をした。勿論長距離ドライブではない。

 前職の企業内英会話講師が横田基地に勤務する軍人の奥さんで、その基地内の住まいに招かれたという訳。

 正面ゲートに行くと日本人の門番がいて、事前の届出もあってスムーズに入れた。そのとき、速度違反は少しでもオーバーすればパトカーに捕まる、と聞いたので制限速度で滑走路の反対側の居住区へ行くために滑走路端まで来たら、何と信号機があって赤になった。聞いてなかったので、何かな、と思って待っていたら・・・来たのです。ジェット戦闘機!! 着陸寸前のその余りにもふら付く姿には驚いた。

 別の日、福生駅から基地方向の16号へ向かって狭い道を行ったところ、軽い交通事故があったらしく日本人警官が巻尺で路上を計っていた。それを傍の柱に寄りかかって見ていたのが何とすらっとした若い黒人婦人警官。更に驚いたのはそのむき出しの長い拳銃!! 映画のロケかと思って周りを見たがそうではなさそう。どうも基地内の人が関係するものだった様子。


 <九州>
●高崎山の猿
 ここで一つの体験をした。何時もの癖で車の中で食べ残した柿の種をポケットに入れて園内に入り、一撮み口に入れたから大変。回りに4〜5匹が集まり、その内の1匹はポケット側の足にしがみ付き、更にもう1匹は足にしがみ付いた上にポケットの中に手を差し込んでくるではないか。

 そのすばしっこさに驚いたのは当然だが、そのせいもあって餌として与えなかったのが結果的に良く、知らん振りをして歩き出すとそのうち向こうも諦めた。無駄な動きがない猿の賢さ(私の愚かさ?!)を実感。

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13. 各地の記憶 その1 

2007年05月22日(火) 13時11分
 <北海道>

●襟裳岬
 襟裳岬については第2編『3. 津軽海峡』で少し触れたが、10回程行っており、ここでは違う内容を記すことにする。

 摩周湖程ではないがここも霧が立ち込めていることがあり、その時には灯台から警笛が「ボー、ボー」と鳴っていた。

 このような時には勿論、展望所からは「ゴジラの尻尾」の様に遠くへ徐々に小さくなっていく小島の列や、漁(?)をする小船は見えない。

●トド原
 根室半島と知床の間に、地図で見ると細くて消えて無くなりそうな野付半島にトド原がある。

 疎らな立ち木が水に沈んだ様子は見方によってはこの世のものとも思えず、忘れ得ぬ光景だ。

 初めてここトド原に行ったとき、何処かで見た事があるような気がした。そう、あの上高地の大正池を彷彿とさせるのだ。

●流氷
 もう何年前になるだろうか。5月の連休前、テレビニュースを見ていると、知床付近にはまだ流氷があり観光客が喜んでいる、とのことではないか!!

 これは行かねばならない、という訳で出かけた。途中夜間、東北道は仙台を過ぎたあたりで霙(みぞれ)となったが、流氷見たさにもう行け行けどんどん、であった。この年は異常に寒かったのである。

 根室を北上して標津を過ぎ、知床に差し掛かると右方海上に何やら見かけない青い色のものが見え、羅臼に近づくに従い、だんだんと増えて来るのだ。これが流氷であることに気付くのに自分でも呆れるほど時間がかかった。

 羅臼に着いて驚いた。漁港が全て氷に埋め尽くされ、漁船も閉じ込められているではないか。

 後から気が付くのだが、この羅臼の漁港での光景と、雲仙普賢岳の火砕流で埋もれた家屋の光景は重なり合うものがあり、その如何ともし難い自然の力を感じずにはいられない。

 この流氷、羅臼岳を超えてオホーツクに出ても小さいながら残っていて、都合の良いことに駐車場近くの砂浜にも打ち寄せられていた。不思議な事に幾ら小さくても中心部が青い物体であることには変わりはない。隣の観光客の真似をして足で押してみたがやはり氷であることにも変わりなく、水面下に多くの部分があった。

●水芭蕉
 運転に夢中で、メモも残していないので何年前かは分からない。場所は多分帯広か足寄あたりの内陸部の一般道を走っていた時のこと。休憩の為に車を路肩に止めて何気なく見ると間違いなく水芭蕉の群生だった。

 本州なら少し山奥に入らないと見られない白い凛とした花が普通の道路脇に咲いていたことは嬉しい驚きでもあり、北海道が、そしてドライブが益々好きになる訳でもあった。

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12. これからのドライブ旅行の夢 

2007年05月13日(日) 0時43分
 このブログを書き始めた切っ掛けはいつの日にかまた長距離ドライブに行けることを願ってのものであった。

 前回まで11編に渡り、以前によくしたドライブ旅行の思い出、つまり過去のことについて記したが今回は未来の夢と希望について記すことにした。それが今後の人生の励みであり生き甲斐だから。

<ドライブ旅行の夢と希望>

1.新車で行く。

2.先ず九州、北海道をはじめ、これまでに行ったことの
  ある場所を再訪し、次に未だ行ったことがない名所・景
  勝などへ行く。

3.時間に捕われずゆっくりと巡る。

 これらを達成するための目標としての必要条件とその期限、そして達成手段については既に決めてあり、後は計画通りに進捗を確認しながら行動するだけ。

 ここでの必要条件の90%は金銭的なものであり残りの主なものは健康

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11. 旅先での食べ物、飲みもの 

2007年05月11日(金) 9時07分
 旅の楽しみでもある食べ物、飲み物編です。

 最初に思い浮ぶのは、日本海を左にして北陸道を進むと金沢の手前に徳光PAがある。ここのソフトスクリームは原料の牛乳が違う、とのことで確かに味にこくがあった。
 ここの展望台で暫く海を見ていた。。。くすんだ夕日・・・潮騒‥‥‥そしてやがて漁火………

 どうしても好きなラーメンが多くなる。しかも一般道を行く北海道だ。例えば襟裳岬、納沙布岬、羅臼の相泊、宗谷岬などだ。納沙布岬と宗谷岬のカニ入りは忘れられない。

 いつも車中のホルダに入れているのは緑茶かウーロン茶でよく飲む。

 運転に夢中になり宿を取り損ねると店が開いていればワンカップと缶酎ハイ、缶ビールとつまみを買って得意の?!車中泊とくる。疲れているのと慣れているので熟睡できる。気が向けば寝袋で星空を眺めながら、明日は何処まで・・・

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10. 動物との遭遇 

2007年05月10日(木) 8時55分
 ここからはまた日本でのお話し。

 東北道を北に進んで動物の注意マークが出てくるのは岩手辺りだったろうか。しかし高速道で何らかの動物に遭遇した記憶はあまりない。

 それは北海道の一般道(国道)が殆んどなのだ。
 昼間はキタキツネを良く見かける。印象的だったのは知床での2例。

 羅臼の山中で一匹が道路に出て座って首を掻き、車で直ぐ脇を通っても平気でいたのには驚いた。後で聞いた話しでは観光客が餌をやるようになってそれを待っていたようだ。現在は世界遺産にもなっており、可愛いからと言っても野生の動物に餌をやるのはどうか。

 羅臼東側の行き止まりの相泊に行く途中で妙に飼い犬が吠えるので何かな、と見回すと目の前に一匹現れたのだ。特に太くて長い茶色の尾が印象的。繋がれた吠える犬を尻目に悠々と歩き去った。こちらではいつもの見慣れた光景なのだろうが、東京のアパートジャングルの中に住むものにとっては一種の憧れのようなものだ。

 夜間は殆んどエゾ鹿だ。いつも群れでおり、姿が微かに見える時と全く見えない時があったが、変わらないのは眼が光ってこちらを向いているのだ。警戒しているのだろう。

 摩周湖の展望台からふと真下をみるとリスが一匹見えた。ちょこちょこと動き回り、餌でも拾ったのか口元に両手で持ち、もぐもぐするしぐさは何とも可愛らしい。

 連休中は観光客も多く、当然若いカップルもいる。あるとき摩周湖駐車場にトラックの屋台が出て烏賊やとうもろこしを焼き、横目で左右を見ながら何やら話している。聞いてみると:

 男の子が欲しければ・・・
 女の子が欲しければ‥‥‥

だった。どっちがどうであったかは忘れた。もしご存知のかたがおられたら教えて頂きたい・・・

 オホーツク沿いや襟裳岬−広尾間の黄金道路を行くと海鳥をよく見かけるが、これも旅の心を癒してくれる旅情のひとつ。

 阿寒湖に宿をとったとき近くの店頭の檻に入れられたまだ若い熊がビールを貰って飲んでいたが、明らかに私よりも飲みっぷりが良い。飲み過ぎないようにね・・・

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9. アメリカでの運転 その2 

2007年05月06日(日) 21時32分
 向こうの交通ルールは日本とは左右の走行が逆なこと以外は殆んど変わらないが最も便利だと思った事は交差点によっては信号が赤でも他の車に気を付けて右折(日本だと左折)が出来るのだ。そのような表示があり、だめな交差点には常に信号に従え、と表示がある。

 向こうの車は下駄代わり。日本ではまず恥ずかしくて乗らないであろう車が普通に走っている。あちこちぶつけて凹んでいたり、塗装が剥げて錆が噴いたり、バンパーとかエンジン部のフードが付いていないものなどは珍しくもない。しかしある日久し振りに、しかも急に雨が降り出したので部屋の窓から外をみると高級スポーツ新車と思しきレザートップの車へ慌ててレザーのカバーをしている人を見かけたが日本ではあまり見かけない光景。更にある日ゴールデンゲートブリッジからの帰り道(280号)で直前の車がマフラーをガチャンと落とし、そしてそのまま走り去ったのだ。さすがにこれには驚いたが車間距離を取っていたので幸い難を免れた。
 教訓1:落とす筈のないものも場合によっては落ちることがある。
 教訓2:マフラーを落としたら拾いましょう。

 あちらの運転マナーは全体的には良いのだが、一つだけ日本よりも悪いところがあるとすればそれは進路変更だ。片側2車線以上の道で前を走る車を見ていると、ウインカーも出さず、斜め後方をよく確認せずに勝手に車線変更しようとする車が多い。そうなると当然後方の車とトラブルの元になってしまう。

 サンノゼとゴールデンゲートブリッジ間は車で1時間ほど。主に丘陵を走る280号か湾沿いの101号だったが飽きてくると太平洋沿いの1号を走ったりした。または遠回りだが湾を逆方向の左回りしたり、途中の橋を渡って対岸を左折してゴールデンゲートブリッジブリッジを北からアクセスしたこともある。前にも記したが、この方向だと渡り終えたところ、つまりサンフランシスコに入ったところで通行料を取られる。

 101号を行くと米軍の飛行機が頭上すれすれに飛び、直ぐ傍の飛行場でタッチ&ゴウするのが見える。聞くと核機雷も積む飛行機だそうで「落とすなよ」と思いながら走った。

 レンタカーはオートなので左腕は何時もドアの上だ。日本に帰ってくると、どうして左腕だけ焼けているのですか、などと聞かれるので夏場に職場で暫く長袖を着ていたら却って怪しまれたりしたものだ。
 教訓:隠そうとすると余計に目立つこともある。

 シアトルでは通勤、食事以外ではあまり乗らなかったが2度スーパーソニックスのバスケットボール観戦とシーホークスのアメフト観戦に1度行った。この頃、券は無料で手に入る立場にあった。行って観て驚いたことは日本でテレビで観るのとは大違い。反則で退場者が出たりするのは珍しくないとしても、時に両チームの乱闘となって怪我人が出たりする。フリースローの時には対戦チーム側の応援段が透き通ったバスケット板の反対側で小旗のようなものを振って邪魔をしたり、応援リーダの縫いぐるみをきたものがちょこちょことゾーンに入ってきて一人の審判の目を独占しようとした。

 通勤途上には狂牛病発祥の店と言われるものがあったが、いくら物好きでもここに入ることはしなかった。 

 成田−サンノゼ間はサンフランシスコ空港を使ったり、アメリカンのMD11で直接サンノゼ空港を使ったりした。爆弾騒ぎで帰国命令が降りたときには真面目?にサンフランシスコ空港を使ったが、待合所に居たのは自分以外は日本人と思しき男性が一人だけだった。つまりジャンボに乗客2名。ところがそこへ紺のスーツの日本人女性団体さんがどっと来て機へ乗り込んだが、なんとフライトアテンダント様御一行だった。以前一度空いた機内で宜しければもう一食如何ですか、と聞かれたことがあったので今度はもう2〜3食如何ですか、なんて10人位に言われたらど〜しよう、などと考えたが心配は必要なかった。それにしてもジャンボで自分以外の人が何処に座っているのかな、なんて見渡すのもそう滅多にあるものではない、と思うのだが。

 帰路、成田からリムジンバスを使うこともあるが、眠い眼で外を見ると何とみんな反対車線を走っているではないか!?

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