三四郎 

2006年07月06日(木) 13時12分
【三四郎/夏目漱石】

・・・「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った。

・・・三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。




電池が切れるまで/すずらんの会編 

2006年06月25日(日) 2時48分
どうして人を殺しちゃいけないの?
道徳教育。
この4文字が、2年前からずっと頭の中を
ぐるぐると回っていた。

去年、ことあるごとに「死ね」を連発する生徒がいた。
あたしにならまだしも、
仲がいいはずの友達にまでそんなことを言う。
「どうしてそんなこというの?」
とあたしが聞いたら、
「どうして死ねっていっちゃいけねえの?」
などと言う。
「それがひどい言葉だからに決まってるでしょう。」
頭にきてしまったので大声になる。
「べつに死んだって殺したっていいじゃねえか」
などと言う。
「死んじゃったら、悲しむ人が いるでしょうが。」
それしか言えなかった。
こいつは、本当に死ねって思っているわけじゃない。
優しいところだってある。
でも、こんなにも軽々しく「死ね」という言葉が、
まるで挨拶のように交わされてしまっていることが辛かった。

道徳教育。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
その問いに、あたしはなんて答えたらいいのか。

新渡戸稲造がある時、ベルギー人の法学者と散歩しながら、
「日本には宗教教育がない」という話をしていたところ、
「宗教なしでどうやって道徳教育が出来るのですか?」と驚かれたという。
(『国家の品格』藤原正彦)


日本の義務教育にも、ほとんどの家庭教育にも、
聖書はない。
隣人を愛しなさい。
罪を許しなさい。
毎週日曜、そのような説教を聞くこともない。
では、どうやって道徳を伝えていけばいいのか?

あたしは、大人が具体的なことを語り聞かせるしかないと思った。
殺人にしても、いじめにしても、自殺にしても、
「それをやってはいけないのだ」ということを、
自覚させなければいけない。

光市母子殺害事件で最愛の妻子を失った本村さんが、
最高裁の判決後に、

「被害者が、怒りや憎しみを乗り越えて、
 再び優しさや思いやり、
 そういった人間らしい気持ちを取り戻すためには、
 死ぬような努力をしなければいけないのです」

と、憤怒と悲しみのなかで おっしゃっていた。
そういった声の重さが届かぬ人間などいないだろう。


『電池が切れるまで』という子ども病院からのメッセージを、
すずらんの会(難病をもった子どもたちの両親の会)が出版して下さっている。
そのなかから宮越由紀奈さんが書いた『命』という詩を抜粋させて頂く。

坊ちゃん 

2006年06月23日(金) 20時37分
【 坊ちゃん/夏目漱石(青空文庫) 】

 坊ちゃんは竹を割ったような性格ですから・・・とは、よく言ったものだ。
まさにそのとおり。
見ていてハラハラこの上ないが、気持ちいいくらいまっすぐな性根で、
言うこと為す事すべて正直者で無鉄砲なので、
母性本能らしきものが頸を出し、危うく惚れかけた。

 作品『坊ちゃん』は、出だしから秀逸だ。

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。」

これが序の口だとしたら、こりゃ、この坊ちゃんどんな面白い人生歩むんだ?と気になって仕方ない。
そしてその期待は最後の最後まで裏切られることはない。


 この小説は、坊ちゃんの気概をとことん楽しむものだ。
その点において、夏目漱石はサービス精神旺盛。
最初の1行から最後の一行まで面白い。たいへん笑わせて頂きました。
読後感最高。坊ちゃん最高。
斯様な人、旦那にも恋人にも欲しくないが、
父か息子にもったら面白そう。

以下、竹が割れたようなご気性を発揮している名場面を青空文庫からコピペ。

山月記 

2006年06月23日(金) 20時02分
【山月記/中島敦(青空文庫)1969】

黙読するよりも、朗読するほうが胸にくる。
中島敦さんは天才だ。
齋藤孝さんも絶賛するように、
山月記は何度朗読しても飽きない。
無駄がまったくないように感じる。
山月記という題名も良い。
この作品の品格を表している。
以下、李徴の嘆きの慟哭部分。

現代文学が末期的?! 

2006年06月23日(金) 18時51分
日本の現代文学は末期的!などと憂いている人を見ると、
これまた阿呆かと思う。
そもそも昔に比して俄然出版し易くなったんだから、
駄作が量産されても当然じゃないか。
本物の文学作品を生み出す作家なんて、
各時代に10人ほど居れば十分だ。
むしろ一人いれば及第点だ。
どの時代だって国だってそうだったじゃないか。
それを「いまの日本文学は」うんだらかんだらと、
じゃかあしいわい。

そもそも、そういうこと言っている人に
「じゃあ、あなたは書けるんですか?」
と尋ねると、またウダラウダラ言うでしょう。
自分ができないことを批判する人嫌いだ。恥ずかしいと思え。
いずれの道であろうとも、
その道を極めている人による批判ならば聞く価値あるでしょうが、
半端な人の批判は耳に毒。気分悪い。

自流・小説の読み方 

2006年06月23日(金) 18時31分
あたしは「せっかく読むのだから楽しまなきゃ損」てな商人根性があるので、
小説に関しては、批判的に読んだりはしない。
そもそも、ツマラナイ、クダラナイと思うなら、読まなきゃいいじゃないか。
最初の1ページ目でわかるだろう、それくらい。
それで最後まで惰性だか下手な使命感だかで読んどいて
「なんてつまらない小説なんだ!読む価値なし!」などと吹聴するのは、
阿呆の仕業だ。暇な奴だ。
書評を書くことを生業としていて「うわぁ〜つまんないよ〜」
と泣きそうになりながらも読まねばならぬ人もいるのだということを考えると、
どの本を読むか自由権の与えられている者が自分で選んだ本に
うだうだと不服を垂れるのは、みっともない。
もっとも最後の一行まで読んでいない本に文句を垂れるのはもっての外で、
さらにみっともない。
ツマラナイと思った→ならば読むな→読まぬのだから批判をするな、
ということになる。
暇で暇で仕方がなくて、ツマラナイ本も肩端から読んで
アーダコーダ言いたいなら勝手ですが。
少年老い易く学成り難しと思えば、
そんな無駄だらけのことしてる場合じゃないと思う。

良質な本を選別し、とことん読み通す!という姿勢を自分は貫きたいデス。

決め事〜本のレビュー〜 

2006年06月22日(木) 20時38分
本のレビューに関して。

書きたくなったら書く。
読み終わるたびに書こうと思わんでよろしい。
振り返って書きたくなったら 
そのときに書いてもよろしい。

書きたくなったら書くこと。
自分の得た知識の蓄積として。
与えてもらったきっかけを明文化してこ。

7月中完読予定 

2006年06月22日(木) 20時03分
だいたいの覚えで箇条書き。

<手許にあって7月中に完読予定の本>

・ 電池が切れるまで/すずらんの会編
・ 読書力/齋藤孝
・ スラムダンクな友情論/齋藤孝
・ 使える!『徒然草』/齋藤孝
・ 流れる星は生きている/藤原てい
・ 若き数学者のアメリカ/藤原正彦
・ 竜馬がゆく(1)/司馬遼太郎
・ ハートで感じる英文法(会話編)/大西泰斗、ポール・マクベイ
・ 英語脳/デイビット・セイン
・ 無思想の発見/養老孟司
・ スルメをみてイカがわかるか!/養老孟司、茂木健一郎
・ 「できる人」の極意!/斉藤孝
・ 新 歴史の真実/前野徹
・ 考える技術/大前研一
・ 教えることの復権/大村はま、苅谷剛彦・夏子

・ こころ/夏目漱石(青空文庫)
・ 夢十夜/夏目漱石(青空文庫)
・ それから/夏目漱石(青空文庫)
・ 門/夏目漱石(青空文庫)
・ 三四郎/夏目漱石(青空文庫)
・ たけくらべ/樋口一葉(青空文庫)
・ 山椒大夫/森鴎外(青空文庫)
・ 高瀬舟/森鴎外(青空文庫)
・ どんぐりと山猫/宮沢賢治(青空文庫)
・ 暗夜行路/志賀直哉(青空文庫)
・ 青春論/坂口安吾(青空文庫)
・ O・ヘンリー短編(青空文庫)
・ 恩讐の彼方に/菊池寛(青空文庫)
・ 志賀直哉の作品/菊池寛(青空文庫)
・ 次郎物語/下村湖人(青空文庫)
・ 名人伝/中島敦(青空文庫)
・ 藪の中/芥川龍之介(青空文庫)
・ 羅生門/芥川龍之介(青空文庫)

・ 東京タワー/江國香織
・ やがて哀しき外国語/村上春樹
・ 羊をめぐる冒険(下)/村上春樹
・ キャッチャー・イン・ザ・ライ/村上春樹訳

特集 司馬遼太郎 短編小説の世界 

2006年06月22日(木) 19時37分
【特集 司馬遼太郎 短編小説の世界
 司馬遼太郎にとっての短編の意味
 関川夏央(せきかわなつお 作家)】

から抜粋。

・・・三十二歳の司馬遼太郎は、このときの「当選の辞」につぎのように書いている。
「私は、奇妙な小説の修業法をとりました。小説を書くのではなく、しゃべくりまわるのです。小説という形態を、私のおなかのなかで説話の原型にまで還元してみたかったのです。こんど、その説話の一つを珍しく文学にしてみました。ところがさる友人一読して『君の話の方が面白えや』、これは痛烈な酷評でした。となると私はまず、私の小説を、私の話にまで近づけるために、うんと努力をしなければなりません」・・・

・・・「合理の人」司馬遼太郎は、どのようなとき、「怪・力・乱・神」をえがくのだろうか。
 司馬遼太郎の歴史小説は、彼自身の言葉を借りれば「“完結した人生”をみることがおもしろい」から書かれつづけた。しかし「完結した人生」は誰にとっても他人ごとではない。自分の人生もやがて「完結した人生」として相対化され、虚空の輝く塵となりかわるのである。そういう、歴史そのものが人に感じさせる「つらさ」に耐えかねたとき、また多少の倦怠を感じたとき、この作家は「怪・力・乱・神」をえがくのだと思われる。
 歴史の支配する世界から束の間身をかわし、自らを安んじようとして「怪異」と「幻術」の短篇は書かれた。「しかし、その行先がまた、感傷的な自然の世界でもなく、私小説的な日常の世界でもなく、なおかつ歴史の影を濃く帯びた修羅物の世界であることは、興味深い」という山崎正和の感想(「君子が怪力乱神を語るとき」)は、司馬作品の注意深い読者のそれだろう。・・・

HP 「文藝春秋 本の話より」
http://www.bunshun.co.jp/pickup/index.htm

国家の品格 

2006年06月21日(水) 21時44分
国家の品格 新潮新書
藤原 正彦 (著) 新書 (2005/11) 新潮社

【出版社/著者からの内容紹介】
日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論。

【感想】
「愛国心」という言葉を聞くと、なんとなく抵抗を感じる人は、読んでみるべき本だろう。歴史も文化も知らずに現状だけで母国を卑下してはいけない。

 
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