多かれ少なかれ

May 18 [Sun], 2014, 16:01
ラカンが翻訳者にとっては耐えられない著者であるということ、しかしまたラカンをフランス語で読むのは快感をもたらすということを感じている。もはやラカンの両義性や暖昧な定式によって混乱することがない、ということを意味するのではない。むしろラカンの仕事が非常に示唆に富み、刺激的であり、これ以上に楽しめるテクストはほとんど存在しないということである。彼が、ときおり自らの考えを明断に表現できなかったというのは正しいだろう。しかし、それはあらゆる人に当てはまることではないだろうか。そしてラカンの定式のいくつかは、卓越した明断さによって、このような否定的な評判を覆しているのではないだろうか。ラカンが行った非常に多くのほのめかしや参照は、一定の読者には悩ましいものかもしれない。しかしラカンを理解するための手掛かりは、まずその背景となる資料のすべてを読むことではない。それはさらなる混乱へと導くだけである。そうではなく問題はラカンを読むことには特異な時間の論理が関係しているということである。すなわち、ラカンが言おうとしていることを、多かれ少なかれあらかじめ知っていなければ、彼のエクリチュールを読むことはできない。

自分を変えられなければ、、

November 19 [Tue], 2013, 11:09
治療者は、いくつかの異なる質問を患者に投げかけて、その内容を把握しようとした。するとあなたは、「次は何?」と考えたのですね。あなたは、次に何が起こると考えたのでしょうか?わかりません。何か特定のことが起こるのを、あなたは恐れていたのですか?よくわからないのです。この状況で起こりうる最悪のことは、何でしょうか?う−ん。学校から追い出されることかしら。そのときあなたが恐れていたのは、そのことだと考えてもいいですか?その後の評価・検討をより効果的にするために、質問形の思考を陳述形に言い換えたものである。私はそれに対処できるだろうか?もし彼女がいなくなったら、私は耐えられるだろうか?それができなければ、私はどうなってしまうのだろう?彼女が怒ったら、どうしよう?陳述形に変換してみる。私はそれに対処できないだろう。もし彼女がいなくなったら、私は、今耐えられないだろう。それができなければ、私は職を失うだろう。もし彼女が怒ったら、彼女は私を傷つけようとするだろう。自分を変えられなければ、私はずっと惨めなままだろう。

良くなったり悪くなったり

November 10 [Sun], 2013, 18:26
治療者はマルチタスクの課題を設定し、今はまだ新たなスキルを習得できるという現実的な見方ができるよう、彼女に対して注意を喚起した。自動思考を把握、検討することを患者に教えるプロセスがさらに詳細に論じられる。次の段階で治療者は、回復の経過についての説明を彼女に対して行うが、セッション中に次のアジェンダに移る前に、治療者はまず、小さなまとめの作業を行う。今、私たちは中間試験について、そしてあなたの自然思考が実際に不安をもたらし問題解決を妨げることについて、話し合いました。次は、あなたが今後どのような経過をたどって回復していくのかについて話したいと思いますが、よろしいでしょうか?もちろんです。今回は、うつが少し軽くなって良かったですね。そして今後も引き続き、回復していかれることを私も願っています。でも、あなたがすっかり回復して元の自分に戻るまでは、必ずしも毎回「良くなっている」と感じることはできないかもしれません。良くなったり悪くなったりを繰り返して回復するものと思っていただきたいのです。



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