引越し2 

2005年12月20日(火) 20時12分
小学生のころは勉強もスポーツも音楽も結果など気にしたことはなかった。毎日自分のやりたいことだけにまっしぐらで、まともに教室の椅子に座っていることなどできないくらいに、好奇心と力でいっぱいだった。毎日廊下に立たされても、叱られても、通知表に落ち着きがないと書かれても平気だった(笑
そんな私を姉は恥ずかしく思っていて、同じ学校に通っていたころ、姉は露骨に私を疎ましがっていた。
すごく当然で今思えばもうしわけないとすら思うのだけど、当時はそんな姉の態度さえ私は気にも留めなかった。私たちの関係はそのころとさほど変わっていないようにも思えるのだけれど、私自身はもうずっと大人になったし、あのころのようにまっすぐな気持ちでいられることはできなくなった。
争いの種はいつもそこら中にあって、どちらかが折れるということもないので大抵の場合、和解はされず休戦中にまた新しい種で争いが始まってしまう。その繰り返しだった。きっと姉はもっと優しくなるべきで、それと同じくらい私は素直になるべきなんだと思う。そうすればもっと楽しい時間が増えていただろう。おそらく姉と暮らすことはもうないだろう。”たまには一緒にご飯でも食べよう”なんて京都のアパートに電話がかかってくることも恐らくない。19年間生きてきてほとんどといっていいほど無かったのだから。それでも何年後かに家族が集まったときに、あのときはお互い若かったね。とか もっと仲良く暮らせばよかったなあ。 とかそんなありきたな言葉でいいから、この2年間を笑って話せればなと思う。
長くなってしまって、荷造りが進んでないことに気づきました
でも書いたら少しすっきりした



引越し 

2005年12月20日(火) 17時14分
高校卒業して、地元から大阪に出てきて1年と9ヶ月が経った。
姉と兄と3人で堀江の3LDKのアパートを借りて一緒に暮らしてきたが、23日私は京都に、兄は実家に、姉は大阪に残り、3人別々に暮らすことになりました
アパートが2年契約だったこともあるが、大学近くの京都で1人暮らしをすることが私の夢でもあったから、はじめから2年で解散するという約束だった
アパートの家賃は全額両親が負担してくれたおかげで、大阪の中心街で便利に華やかに過ごせた
私はこの堀江というおしゃれな街が大変気にっていて、学校帰りによく自転車でぶらぶらしました
徳島の山奥から出てきたせいもあるが、おしゃれで雰囲気があって、穏やかな空気が流れるこの街に来て、なにもかもが新鮮で輝いて見えた
毎日の通学(往復3時間半)は割と大変だったけど、忙しいなりに充実して過ごせた
唯一残念だったことは、兄と姉とうまくやっていけなかったことだろうか。。
特に姉とは、うまくいかないことが多かった。
何がいけないとか、どちらが悪いとか言い始めたらキリがないし、性格の不一致といえばそれまでのような気がするのだけど、姉妹だからこそんなに単純に割り切ることもできなかった。
思えば姉とは昔からよく対立した。5つも年が離れていたら普通はもう少し仲がいいはずなんだろうけど。。
ずっと優等生で、勉強もスポーツも音楽も何にいても常に平均以上の結果が残せる、そしてそれを誰よりも姉自がよく理解していて、その自信が今の姉をつくりあげたとも言える。
一方私はというと、両親の手に余るほどの野生児で問題児だった。

ブログデビュー 

2005年12月17日(土) 2時04分
ブログデビュー
今日から、私も念願のブログデビュー
このブログで、夢のヨーロッパ一人旅の資金が貯まるまでを随時記録していきたいと思います
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