「ウケりゃ良いのか?」

September 30 [Thu], 2010, 16:21
保護子猫「小梅」に与えてしまった大怪我を二度と起こさない様にと、半月程前からせっせと「ベニヤ製楽器コンテナ」作りに励んでいる。吉祥寺を搬出する際は、時間もお金も体力も無かったから、粗雑なコンテナだった。それでも%以上の楽器が無傷で運べた。それらの内七個を恒久使用出来る様に修繕、作り直し。新たに二個作った。その二個を作っている最中。久しぶりにを付けていた。漫才コンテストの様なものをやっていた。多重に生じる心理がコンテナ作りを妙にはかどらせる。ところが、決勝戦一回戦目のトップバッターの。初めて見たけれど、釘づけになってしまった。面白かった「お焼香の作法が分からない」と言うギャグ。不覚にも、お隣さんに聞こえたのではという程大笑いしてしまった。その後に出た七組にはを消してしまいたい程の不快感。消したところで、後味も悪いので付けっ放した。二回戦目にもに大爆笑。「無名芸人のディナーショー」ところが、表面的な文句無しの不快感が多かった中で、けっこうヤバい深めの不快感を感じたコンビが断トツで優勝した。決勝戦に廃退した芸人が採点するシステムとか、所属事務所の絡みとかの理由はどうでも良いし、「コント」としての組み立て方や、技もどうでも良いのだが、その「笑いの品格」に大きな問題点を感じた。おかしければ、ウケれば何でも良いのかこの時点で私にとって「笑いの品格」と言う問題点は、「何を笑うか」だったのだが、その後、少し興味を持ち、少し時間を割いて幾かのコンビの動画を見て新たな愕然とする問題点にぶち当たった。この年のゆっくりとした変化の結果なのだろうかそれとも、この一二年の急速な傾向かストレートな笑いが無くなって、驚く程繊細で微妙な一線や、偶然生じた隙間を見逃さない様な、ある種非常に高度に成長した「冷ややかな笑いのツボ」も分からないでもない。多少時間を割いての動画を幾か見れば、むしろ彼らはその先鋒なのかもしれない。このテーマは、正直あまり考えたくない。これが生じた土壌や風潮を考えて来た私にとって、考える事自体が虚しい。喩えは語弊があり、理解されないかもしれないが、腐った果実に湧くバクテリアや微生物を検証する様なことよりも、そもそも腐らせることの意味を考えて来たから。しかし、話の成り行き上、この「高度に成長した感性」を語るならば、「何がみっともない、何が格好良い」の自意識が更に発展し、「マジかボケか本気か芝居か」の域に達した結果だろうと思う。「みっともない」と言われ、思われても「芝居」とすればセーフ。自意識にさいなまれ、自分の本心を失った先の段階なのだろう。私が懸念し、しこく言って来た、「人生を逃げ切ろうとする」「人生をやり過ごそうとする」人種の先に現れた、より進化した人種。「人生を演じ切る」その意味では、私が大爆笑したコンビは、その「高度新人類」の笑いのツボにハマっている先鋒なのだろう。しかし、それでも。否、それだからこそ、「ブレない基本」が在る様に思う。思いたい。思いたかった。私たちの日常にごくごく普通に居る人間のおかしさや、キモさや哀れさを笑う。これは、タモリ氏にもあったし、小松政夫さんに至っては原点だ
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