[悪魔の辞典:け]「ゲゲゲのげ」から「スターウォーズ」

2006年06月18日(日) 18時10分
 昨日6/17(土)、グループ虎+現代制作舎プロデュース公演
昭和傑作戯曲選 Vol.IV「ゲゲゲのげ」の昼公演を観て参りました。

 とは言いましてもこの作品には「デビルマン」の役者さんは
どなたも出演されていません。
 ちょっとこのブログの本旨から外れます。

 なのですがはらりはらりと縁が重なるようなことがありまして
そこいら辺の諸々をちょこっと書いてみようかと思います。

 まず最初のご縁は平瀬美紀さん。
 「ゲゲゲのげ」は平瀬さんが4月に客演した
「おい!オヤジ。」の劇団3LDK佐藤秀一さんが演出し、
蒼井のぞみさんが出演されています。

 そもそも今回私が「ゲゲゲのげ」を観に行く気になった
のは、「おい!オヤジ。」を気に入ってしまい、その3LDK
お二人が演出、出演と聞いたからでした。

 ところでこの昭和傑作戯曲選のプロデュースをしている
現代制作舎は平瀬さんの所属事務所です。
 なので平瀬さんも受付や公演のお手伝い等されたそうで
平瀬さんのブログ「Pink Road」のここここでも紹介されて
います。


 さて続いての縁は茶谷英司朗さん。
 とは言いましてもご本人は全くあずかり知らぬこと、
ただ私個人の体験の中だけでの縁です。

 先日、茶谷さんが出演された「手放しの賞賛」を観た帰り
中野ブロードウェイをうろついていると一軒の古書店が
ありました。

 「だるまや」というその古書店は八畳ぐらいの小さな構えの
店なのですが、品揃えが日本文学から思想書、SFまで
多彩ながらも個性的、店のスペースが狭い分この本を並べたい
という店主の想いがひしひしと伝わってくるような古書店でした。

 こういう古本屋さんは好きです。

 自分の趣味に合う合わないは別として、棚に並んでいる
本の背表紙を眺めているだけで、ああこの本が置いてある
おやこういう本もあるのかと、楽しくなってしまうのです。

[悪魔の辞典:こ]ゴドーを待ちながら

2006年04月03日(月) 23時16分
「不動さんを待つんだ」
      (雨竜ハジメのセリフより)


 『ゴドーを待ちながら』は1953年にパリで初演された
サミュエル・ベケット作の戯曲です。

 舞台デビルマンのサブタイトル〜不動を待ちながら〜は、
この『ゴドーを待ちながら』から想を得て付けられたものだ
そうです。

 そういう話を聞いて少し『ゴドーを待ちながら』に興味を
持ったので図書館で借りて読んでみたら、これがまた
面白かったのです。

 面白いとは言ってもその面白さを説明するのは少々
困難です。

 そもそもストーリーらしきものがありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 二人の浮浪者、エストラゴン(ゴゴ)とヴラジーミル(ディディ)
が田舎道の木のそばで出会います。
 二人は靴をぬぎ、泥棒のことを話し、帽子を振り回し、
木について話し、沈黙し、待ち合わせについて話します。

 彼らはそこでゴドーを待っているのです。

 しかし、ゴドーが何者なのか、何のために待ち合わせて
いるのか、本当にそこが待ち合わせ場所なのか、肝心の
ことは何も語られないまま、ゴゴとディディは怒り、笑い、
驚きます。
 そんな二人の前に重いトランクを抱え首輪を付けて
歩くラッキーと首輪に付けた綱を引く主のポッツォが
現れさらに奇妙な世界が展開してきます・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 わけが分からないのですが、不思議と読んでいて
引き込まれるものがあります。
 刺激的です。
 面白いのです。

 ついでに言うと私が読んだのは白水社から出ている
「ベスト・オブ・ベケット1」に収録されていたものなの
ですが、巻末の「解題」と題された解説文がこれまた
面白いものでした。
 英文学者の高橋康也氏が書かれた解説なのですが
評論文のお手本のような素晴らしい文章でした。



 『ゴドーを待ちながら』の舞台は2002年ごろに
緒形拳さん出演で上演されたりしているようですが
機会があれば、ぜひ観てみたいお芝居です。

 [2006.03.21]

[悪魔の辞典:せ]世界は美しい その3

2006年04月02日(日) 23時12分
「人間は・・・死んだらどうなるんでしょうか」
            (牧村美樹のセリフより)

前回記事の続き)

 「世界は美しい」、雨竜ハジメの手にしている本とそこに
書き記されていたと思われる言葉。
 その周辺をふらりふらりとしているうちに、行き当たった
のは又もやマンガでした。
 手塚治虫作「ブッダ」です。

 「ブッダ」は古代インドを舞台に仏教の開祖ブッダの生涯を
描いた作品で、十年近く連載された長編マンガです。

 シッダルタ(後のブッダ)はシャカ族の王子として生まれ
何不自由なく育てられます。
 しかし、幼くして母親と死に別れ、身体が弱く病気がち
だった彼は人が背負う苦しみ、人の死について深く思い
悩んでゆきます。
 まだ幼いシッダルタは訊ねます。

 「人間って死んだら どこへ行くんだろう?」

 僧侶や召使など王子の周りにいる人々は様々な答えを
返しますが、シッダルタはそのどれにも納得することは
できませんでした。
 人は死んだらどこへ行くのか、この疑問がシッダルタを
長い修行の道へと導いてゆきます。

 シッダルタに限らず「ブッダ」に登場する人々は死の
恐怖に怯え、別れの痛みに身もだえしながら繰り返し同じ
疑問を投げかけます。

 そして、牧村邸で不動を待っている牧村美樹もまた問い
かけます。

 「人間は・・・死んだらどうなるんでしょうか」

 別の時間、別の国、別の世界に生きてはいても
人は生の危さに直面した時、死の先に何があるのか
知りたいと願います。

 しかし、美樹のこの問いは誰もそれに答えないまま、
あっさりと流されてしまいます。

 それも仕方ありません。きっとこの問いは他人に聞いても
仕方の無いこと。
 自分自身に尋ね、自分自身が答えなければ意味のない
質問なのでしょうから。

 「ブッダ」の世界に戻ります。

[悪魔の辞典:せ]世界は美しい その2

2006年03月29日(水) 23時50分
「いいだろう、全世界と戦って、最後に生き残るのが
 出会い系サイトのオーナーだってのも」
        (大郷リョウのセリフより)

前回記事の続き)

 「ごらん、世界はこんなにも美しい」
 この言葉が雨竜ハジメの手にしている本に書かれていたと
するならば、その本とは原作マンガ「デビルマン」の最終巻では
ないのか、私は最初そう目星を付けていました。

 原作の衝撃の最終回、終末を迎えた世界で無言のまま
横たわる不動明に、飛鳥了が語りかけるセリフとしてこれほど
ふさわしいものはないと思ったのです。

 しかし、マンガの最終回を読み返して見てもこのセリフは出て
来ません。完全な見込み違いでした。

 ちなみに飛鳥了は原作に登場する重要なキャラクタですが
舞台には一切登場しません。
 なので、これまで意識して了には触れずにいました。
 触れずとも舞台を語る上で何の支障も無かったのですが、
ついに名前を出してしまいました。
 とは言えやっぱり彼について語りだすと長くなるので特に
これ以上説明はしません。あしからず。

 さて、マンガ「デビルマン」にはあのセリフが出る場面こそ
ありませんが、美しいという言葉は作品を彩る重要な要素と
して何度か立ち現れてきます。

 特に妖鳥シレーヌの最期は原作の中でも屈指の名場面です。
 悪魔最強の女戦士、翼を持つ悪魔シレーヌは不動明を抹殺
すべく、互いの肉を抉り、骨を砕く凄絶な死闘を繰り広げます。
 そして腕を失い片翼をねじ切られながらも、不動に止めを刺す
ところまで追い詰めたシレーヌは勝利を確信します。
 しかし、極限まで燃え上がっていた彼女の命の炎はあと一歩
及ばず、そこで燃え尽きてしまいます。

 かろうじて生き延びた不動明は、夕日を浴びて原野に仁王
立ちし歓喜の表情のまま事切れているシレーヌの横顔を見て
思わず美しいとつぶやきます。

 醜く、怖ろしいはずの悪魔の姿が美しく、かぎりなく美しく
感じられてならなかった・・・、そう言って不動はこの恐るべき
敵の死を見送ります。

 敵か味方か、善か悪か、そんな線引きを軽々と飛び越えて
ただ美しいと感嘆をもって見ることしかできない、そうした
生き様をシレーヌの姿は語っているかのようでした。

(まだつづく)

 [2005.03.29]

[悪魔の辞典:せ]世界は美しい その1

2006年03月27日(月) 22時55分
「ごらん、世界はこんなにも美しい」
        (雨竜ハジメのセリフより)

 上のセリフはラストシーンで雨竜ハジメが口にするセリフです。

 美しい、そう言い置いてハジメはまばゆい光の中へ熔けてゆき
お芝居はエンディングを迎えます。

 これから全世界を敵に回して戦おうとしているハジメが言ったこの
最後のセリフは強い印象を残して舞台を締めくくってくれました。

 ところで最後の言葉を口にしたそのとき、ハジメは一冊の本を
手にしていました。

 少し時間を遡ります。
 自己紹介の後、全員が持ち場へと散ってゆき、不穏な静寂の中で
暴徒を待ち構えるハジメは、ふと放り出されていた一冊の本を手に
とります。

 カバーのつけられたその本が一体何なのか、観客には何も知らされ
ません。

 ハジメは本を開きページをめくりながら傍らに腰を下ろします。

 そしてジッと本に見入った後、おもむろに顔を上げ遥かな天を見据え
るようにして冒頭のセリフを口にするのです。

 まず確認しておきますと、最後のセリフはオリジナルの台本には書か
れていません。同様に本についても一切記載はありません。

 ですから、この本とセリフは今回の上演で独自に加えられた演出なの
でしょう。

 ところでこの本、実は舞台の一番最初から登場しています。お芝居の
開始早々DEMONでは城野アツシが、SATANでは柴咲ヤマトが手に
取っています(別記事「話の出だし」参照)。

 また、劇中でもこの本を何人もの登場人物が手にとっていました。
 私が確認できただけでも、アツシ、ジュンヤの他に白石エリカ、
北浦ヒトミがこの本を手にして中を見ている場面がありましたが
直接本について言及することはありませんでした。

 本について探る手がかりは、世界は美しいというセリフしかありません。

 もちろんセリフと本に関係があると仮定しての話ですが、そう仮定
しないとことが先に進まないので、そういうことにしておきましょう。

 この本が何なのか、本当のところを知っているのは直接手に取り、
開いて見た登場人物達のみです。

 ですがまあ少しこの本とセリフの周辺をうろついてみたいと思います。

つづく

 [2006.03.27]

[悪魔の辞典:あ]足取り その3

2006年03月25日(土) 23時54分
「我々は不動さんに言われてここにきただけなんだよ。
        悪魔呼ばわりされて、行く場所がなくてね」
                (大郷リョウのセリフより)

前回記事のつづき)

 悪魔として追われている者達にとって悪魔特捜隊は最大の脅威です。
 刈島ゴンにしてみれば元隊員という過去は隠しておきたいことだった
はずです。

 それにもかかわらず出会ったばかりの大郷リョウ、荒野バク、白石エリカ
の三人に、ゴンがそれを打ち明けたのは、そうしなければ彼の持っている
情報を信じてもらえそうに無かったからではないでしょうか。
 
 ゴンが持っていた悪魔特捜隊でなければ入手できないような情報、
捕らえたデビルマン達から得た情報、それこそ不動明がデビルマン達に
テレパシーで送ったメッセージだったのではないでしょうか。

 「牧村邸に集まり、牧村美樹達を守り、オレを待て」

 元悪魔特捜隊員だったというゴンの告白と共にもたらされたこのメッセージ
は、行き場を失っていたリョウ達にとって、生き残るためのたった一つの希望
となり彼らを次の行動へと駆り立てます。

 籠城の覚悟を固めコンビニを襲い食料を確保した四人は牧村邸へと向かい
ました。

 屋敷の周辺には既に牧村美樹達を悪魔として始末しようと考える者達が
集まり始めています。

 コンビニチームは群集の動向を慎重に見極めながら、牧村邸の周囲を
探ります。彼らが次にやろうとしているのは仲間を探すことでした。

 自分達と同様に不動のメッセージを受け取りここに来た仲間がいるに
違いない、彼らはそう信じて牧村邸に集まってくる者達を探ってゆきます。

[悪魔の辞典:あ]足取り その2

2006年03月23日(木) 4時56分
「自分らはまだ出会って二十四時間も経っていないんですよ」
                       (刈島ゴンのセリフより)

前回記事からつづき)

 ハジメがユカリの怪我を気遣う様子や、ススムと頻繁に相談をして
いる姿を見ると、彼らは牧村邸へ来ることになる以前から行動を共にし
ある程度気心の知れた間になっていたのではないかと思えます。

 ハジメ達と植木夫婦らは出会った後、協力して逃亡している途中で
不動明のメッセージを受け取り、牧村邸へとやってくることになった
のではないでしょうか。

 もちろんそうは言ってもシグレがデビルマンであることは植木夫妻達
にも隠していたことでしょう。

 シグレが不動のテレパシーを受け取った後、それを聞いたハジメは
情報源を隠したまま、牧村邸へ来て不動を待てというメッセージのことを
他の仲間に話します。
 彼らのグループには怪我を負ったユカリや妊婦のマチコがいます。
 メッセージを聞いた植木夫妻達は、その情報の出所に疑問を持ちながら
もハジメを信頼し、一縷の望みを託す思いで不動の元へ集まることにした
のではないでしょうか。


 さて、最後のグループはコンビニチームの大郷リョウ、刈島ゴン、
荒野バク、白石エリカの四名です。
 彼らの足跡は四人でコンビニを襲ったこと以外、ほとんどが謎の
ままです。

 なので、ここは少々大胆に手前勝手な解釈を山盛りにして推測して
みたいと思います。

 四人はとにかく何らかのきっかけで籠城の二十四時間前までには
行動を共にしていたものとしましょう。この時、最後に合流したのが
ゴンだったのではないでしょうか。
 いずれにせよ、お互いのことを知る時間はさほど無かったのでは
ないかと思います。

 ここで、キーとなる人物が刈島ゴンです。
 ゴンは元悪魔特捜隊員です。重要なのは彼が元悪魔特捜隊員
だった事実を他の三人がどのように知ったかという点にあります。

 はたしてゴンはどんな状況で元悪魔特捜隊であることを打明け
たのでしょうか?

またつづく

 [2006.03.23]

[悪魔の辞典:あ]足取り その1

2006年03月22日(水) 23時47分
 「一人でずっと逃げてた人もいるから・・・」
              (北浦ヒトミのセリフより)

 不動明がデビルマンであることが世間に公表されてから
雨竜ハジメ達が牧村邸へ来るまではわずか半日ほどの
出来事だったようです。

 牧村邸に集まるまで彼らは数人のグループでかばい
合ったり、たった一人で逃げていたといいます。

 様々な事情で悪魔の汚名を着せられ逃亡生活を余儀なく
された者達。

 彼らはいったいどのようにして出会い、牧村邸へと集まって
きたのでしょうか?
 それを知る手がかりは決して多くはありません。

 しかし、どのような足取りで牧村邸に集まってきたのか、
多くの妄想で補いながら検討してみたいと思います。

 まず、確実なのは雨竜ハジメと月野シグレです。
 シグレから一緒に逃げて欲しいと言われたハジメが二人して
逃亡していたのは間違いありません。
 そして何らかのきっかけで彼らと最初に合流したのが北浦
ヒトミです。
 それまで彼女は一人きりで孤独な逃亡を続けていたものと
思われます。冒頭に挙げた彼女のセリフは自分自身に向けた
ものなのではないのでしょうか。

 ハジメ達と合流したヒトミは、シグレの発作を見て彼女がデビル
マンであることを知ったと言っていますから、ある程度の期間
三人だけで行動していたと思われます。

 次にグループで行動していたのは、植木夫妻と妊婦の早川
マチコです。夫が悪魔に変わってしまったマチコが周囲の人間に
殺されそうになっているところを植木夫妻が助け出します。
 しかし、植木夫妻も追われる立場となってしまい、三人で逃亡を
続けていたのでしょう。

 ところで、不動明が牧村邸に集まるようにテレパシーを発信
した時、それを直接受取ることができたのは、登場人物の
なかでデビルマンであるシグレだけです。

 そうだとすると、メッセージを受け取ったハジメチームが
牧村邸へ向かう途中で次々と植木チームやコンビニチームの
面々と出会い合流していったのでしょうか?

 人目を避けるように逃げていた彼らが、わずか半日で
合流できてしまうのは、少し無理があるような気がします。
 
 では彼らはいつ出会って行動を共にするようになったのでしょう?
 
つづく

 [2006.03.22]

[悪魔の辞典:さ]最後の晩餐

2006年03月20日(月) 17時25分
「みんなでずうっと一列に並んで食べてるんだって・・・」
                  (牧村美樹のセリフより)


 これは牧村美樹の弟タレちゃんが、高熱にうなされながら見た
夢の光景です。

 タレちゃんからみんなでご飯を食べている夢を見たと聞いた
美樹はてっきり自宅の食卓の夢かと思います。
 しかし、タレちゃんはみんながずうっと横一列に並んで食卓に
向かう光景だったと言うのです、まるで最後の晩餐のように・・・。

 ここでいう最後の晩餐はルネッサンス期の天才レオナルド・ダ・
ヴィンチが描いた有名な絵画をイメージしているのでしょう。

 夢の光景と絵を結び付けているのは横一列に並んで食卓に
向かっているという構図です。

 そもそも最後の晩餐とは聖書に書かれているキリストが十字架
にかけられる前に弟子達と過ごした最後の食事を指します。
 しかし、聖書には一列に並んで座ったとは特に書いてあり
ません。

 そのため、仏ウンターリンデン美術館にあるマルティン・
ショーンガウアーの作品のように、四角い食卓の周りを囲む
形で食事をする構図で描かれた「最後の晩餐」も存在します。

 横一列という一見不自然な食卓の風景は、一説によると
キリスト教初期時代の宗教劇において、舞台上で観客の方を
向いて一列に並んで演じた形式が元になっているそうです。

 この晩餐においてキリストは、弟子達に向かってこの中の
一人が私を裏切るだろうと言いユダの裏切りを予言します。
 ダ・ヴィンチの絵は最後の晩餐におけるこの衝撃の発言の
瞬間を捉えて描いたものです。

 さて、裏切り者の告発という点では「不動を待ちながら」でも
似たような場面があります。
 月野シグレがデビルマンであることが籠城者たちにバレたあと
荒野バクは他にも悪魔にとりつかれた者がいるのではないかと
疑惑を口にします。
 そしてバクが名前を挙げたのは、他ならぬタレちゃんでした。

 シグレの証言によりタレちゃんへの疑惑は晴れますが、バクが
少し前に出て、他の籠城者が横一列に並んでいる様は、さながら
「デビルマン版最後の晩餐」と言っても過言・・・ですね。

 十五人が全員いるこの場面では、どうしたって横一列になりますし、
たしかシグレやハジメも舞台中央寄りにいたはずですから、ちょっと
妄想が過ぎました。

 [2006.03.20]

[悪魔の辞典:ら]ライター

2006年03月13日(月) 23時15分
 =ライター=

 「火、ちょうだいよ」 (大郷リョウのセリフより)

 いざという時案外無くて困るもの。

 十五人もの人間が立て籠った成城の邸宅 牧村邸でも
探してみると、ライターは城野アツシが持っていたひとつきり
しかありませんでした。

 なお、アツシが持っていたのはTEAM SATANでは
百円ライター、TEAM DEMONではチャッカマンでした。
 百円ライターはともかく、何故アツシがポケットに
チャッカマンを入れて持ち歩いていたのかは不明です。

 さてところでしばしば"火"は様々な物語の中で、人類の文明を
象徴するものとして用いられます。
 例えばギリシア神話におけるプロメテウスの伝説しかり、
「風の谷のナウシカ」の火の七日間のエピソードしかりです。

 だとするならば、牧村邸において何度か強調される"ライター=火"の
不在は、牧村邸周辺で起こっている人々の無秩序化と、それに連なり
やがて来る人類文明の崩壊の時を暗示しているものとも考えられます。

 更にはラストシーンでの雨竜ハジメと大郷リョウがタバコの火を
もみ消すさまは、文明の消え去る荒廃した世界へと自らの決意で
踏み出そうとする彼らの強い意思の表れとも思えてきます。

 しかしまあ、こういったような深読みは、色々始めると楽しくもあり
又独りよがりの妄言と紙一重にもなってしまうものです。
 なのでここでは牧村家の方々に一言、地震や災害、非常時に
備えて非常持出し袋の中にライターのひとつぐらいは準備しておいた
方が良いですよ、と言っておくに留めましょう。

 [2006.03.13]

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