構想. 

2011年12月28日(水) 16時08分
最近あることが一区切りついたので、これまで構想していた研究の具体化作業を少しずつ始めている。
スポーツ組織の腐敗が流行のようにメディアにあがる。その原因のほとんどが決定機関の在り方に求められ、企業の統治の在り方であるコーポレートガバナンスの概念を援用させようとしている。何かおかしい、というのが僕が20代前半から思い続けていることなのである。なぜ、組織の統治の在り方が決定者に委ねられているのだろうか。僕は頼んでいない。
今思い返してみると、そういう疑問を上手く研究に位置づけられなかったことが僕の問題だったし、試合をすることを楽しんでいるほとんど100%に近い末端者達は、組織に登録して試合をするだけであって、運営に口を出すことはできない、と理論上考えていたことにも問題があった。
例えば、少子化が進み、部活動の統廃合が進んで久しいが、埼玉県志木市であった学校合同での出場という制度は今では函館市でも当たり前のように進んでいる。末端の現状に対応しており、このメカニズムを把握する必要がある。
スポーツ組織は無数にあるが、まず僕にできそうなこと。@部活動の顧問として参与観察をする。競技性に関すること、教育に関することなど生徒の思いはいろいろあるが、特に制度に関する意見を調べる。1年生、2年生、3年生で要望が変わる可能性があるので、3年の追跡調査を行う。A@の調査でわかったことを同じ学校内の他の部活動の先生にインタビューをするB中体連の協力をあおぎ、質問紙調査を行うC所属種目の専門委員会の協力を仰ぎ、質問紙調査を行うDクラブチームに所属している生徒にインタビュー調査を行う。E学区内の少年団への調査を行う。

精神的な成長. 

2008年03月24日(月) 17時35分
浅田真央が世界選手権を制した。翌日の朝のニュースをみていると、精神的な成長が優勝につながった、との報道が連呼されている。僕も、演技後に思わず泣いてしまう浅田真央に、優勝を知り、喜びむせる彼女に、涙が流れてしまうほど感動してしまうのだが、そこには一つ問題がある。
例えば、ワンピースの感動場面を選べといわれたら、僕は、ナミの「助けてルフィ」や、ルフィがビビにいった「ちゃんと泣けるじゃねーか」のような気丈に振舞っていた姿に、ロビンの「生きたい!」などに感動してしまうのだが、ここには男性に対する、女性の精神的弱さの幻想がないとはいえず、ある種のフェミニストが、昔のガンダムの模型のように、首間接があめるほど頷きそうなエピソードだ。
この手の意見には、例えば、ロロノアが、サンジが、頭のために命を投げ出す姿、俗に言う、武士道にも同様に感動する、という意見だけで、ジェンダーを「文化的・社会的性差」と誤った理解をする人に対する反論としては十分であり、大国による、性に対する、人種に対する、国家に対するイメージを列挙されても困る。アラブ系の女性の民族衣装を、強制に着用させられているとフェミニストが解釈し、地元の人たちに、私たちは、自発的にそれを着用しているのであり、勝手な解釈を言わないで欲しい、といわれた話は有名だ。それに大して、歴史的にそう考えさせられている、という再反論を、その主義者は繰り返すわけだが、そういうのは言語学における命題の反証不可能性の事例として用いられる面白話のレベルでやめてもらいたい。「チョムスキーによれば、文というのは反証可能でなくてはならない」。
いずれにせよ、最近、僕の中では女性スポーツが特にあつい。

違い、以上のこと. 

2008年03月19日(水) 15時32分
僕の後輩がY大学からT大学大学院に進学した。別の後輩から聞いたそこであった逸話をここではなしてよいか悩むところだが、そこでなされている、違い、以上のものを他分野の人にも感じて欲しいので記そうと思う。
彼ははじめての、自分が発表するゼミで文書を作成した。そこには、指導教官をはじめ、博士課程、修士課程、きっと学部生もいたことだろう。そこで、その指導教官は、彼が作成した文書を手に取り、目を通し、その手を放したそうだ。もちろん、その文書はひらひらと落ちたことだろう。「ゼミにならない」という言葉を、その場に居合わせた学生に残し、そのゼミはものの数分で終えたそうだ。
僕の疑問は少なくとも一つある。多くの学生の前でなくとも、そういった文書に対する扱いをしたのだろうか。一対一でも、同じような行為をとったのであれば、それが尊重できるかどうかは置いておいて、彼のスタイルなのだと頷ける。仮にそうでないならば、外から聞くT大学の、外からみるT大学のあり方に、その行為は実に馴染む。
それらが学術的な成長を促すものであるならそれもまたよい。学生は、後に、その先生と大学に感謝することだろう。しかし、それらは単純に通過儀礼としていつも続けられ、またはいつまでも続けられようとしていることなら、他の学生の、下の学年の生徒へのギロチン効果を作用させようとするだけのものなら、学術的なコミュニケーションは内に閉じる。
そういったコミュニケーションから逃れるためには、外に自分の研究を晒すということしかありえないが、修士課程一年生だか、修士課程生は学会への発表を禁じられているらしい。その未熟な研究の発表が大学の、指導教官の名前を汚すから、という理由によることなのだろうか。「君の研究があまりにも稚拙だから発表をさせないと言っているだけであって、大学のあり方にけちをつけるなど、見当違いも甚だしい」。目を閉じて、自分がそこの学生でいることを想像してみると、このような声が聞こえてきそうで恐ろしい。
そういえば、僕が数年在籍したY大学でも、修士論文発表会になると、こぞって生徒の弁護をはかろうとやっきになる先生たちが数人いるし、思い出してみると、学部生時代を過ごしたY大学でもそういった先生がいた。絶対数から、その数は多くて当たり前なのだが、私が知っているそれらの先生たちは、全て、例外なく、T大学出身の先生たちだった。この手の人たちが、講演なんかでは、「うんこしたおしりは自分でふかせましょう」と自主性を促す発言をし、世の中の尊敬を浴びるのだろう。

第1回早稲田大学坪内逍遥大賞. 

2007年11月20日(火) 3時40分
村上春樹が受賞した。何が気持ち悪いかというと、この賞は、村上春樹のためにつくられたものであり、世界的な人気作家、村上春樹が早稲田大学生だった、ということを世にしらしめたい、大学側の意図が見え隠れするわけでもなしに、間接的に伝えられるからだ。暗に相互理解が成立したのか、確認の上でのことなのか知らないが、せめて、そういった思惑を作家側の口から言って欲しかった。「私の受賞が、早稲田大学の経営に役立てば幸いです」。
残念なことに、私は自分のいた大学に特に誇りを持っていない。勘違いして欲しくないのだが、大学の質を問題にしているのではない。よい大学、というより、よい先生と仲間だいたことが大切なのであって、大学名に拘りを持ちすぎると、本人がまま安っぽくなってしまうのが、またそれをみるのが悲しいから、そういうことをしないのだ。
そういえば、私が数年在籍した大学も、先日、横浜マリノスとなんらかの提携をしたみたいだった。へー。そのうち、早稲田大学に倣って、岩井俊二あたりに白羽の矢をたてるんじゃないだろうな。

短冊. 

2007年08月20日(月) 19時27分
最近最も刺激的だった問いは、Aの所属するチームが町に依頼された、短冊に吊るす願い事に何を書くか、というものだった。もちろん、Aの性質からして、凡庸なものを書くわけがなく、彼も試行錯誤を繰り返しているようだったが、いかんせん、張り合いのある相手もいないようだった。首脳陣から知的な芸風を持つ選手という印象をいただいているようだが、それがプレーに反映されているかは知らない。
僕はというと、ぼーっとしながら、きちんと考えた。Aには、「瓦版に大親分として出演したい」と返答した。これはこれで満足だったのだが、言い方については「大親分として、親分とハリさんに、喝したい」というのも考えられた。
その後もヒマなときに考えている僕がいて、こういうのもいいな、と思った。

「一週間に二回は肉を食えるようになりたい」

誰もが、少しだけネガティブな気持ちになる願い。球団も、まちも、ファンも、チームメイトも、誰もが、悲しいというわけでもなく、かわいそうというわけでもなく、少し現実的で、表現の仕様のない感情にすることができるはずだ。もちろん、真実ではないが(はずだが)、ベクトルの向きはさておき、相当強い力を持つ隠喩として、誰の心にも一番残リ続けるだろう、と思った。

バルセロナ. 

2007年07月08日(日) 3時16分
そういえば、チャンピオンズリーグにマンチェスターユナイテッドが勝ち残っていた頃は、クリスティアーノロナウドの移籍話で、メディアはもちきりだったが、しらないうちに、その波が去っている。これはきっと残留が決まったから、なのだろう。
いま、みなの目はバルセロナに注がれている。より正確には、エトーとロナウジーニョの動きだ。元バルサの会長という人が、ロナウジーニョの放出を促しているようだ。彼は今シーズンの不調を、高給に起因させているようで、リバウドの失敗を繰りかえてしてはいけない!というのだ。アーセナルの、アンリ移籍の容認も類似した理由による、と続けている。僕は彼の考えに、大いに賛同できる。僕がバルサの経営者だったら、ロナウジーニョは放出だ。アンリ、エトー、ロナウジーニョ、メッシ、一番役割が重なるのが、アンリとロナウジーニョだ。それは以前にあった移籍騒動の際に、アンリが残したコメントからも確認できる。アンリにはきっと、その危険性はいまも頭にあるはずだ。
しかし、僕はバルサの経営者ではなく、ただの一フットボールファンだ。当然、かれらの共存という夢がみたい。突出した個が集めるだけで勝てるほど、フットボールは単純ではないのは、歴史が証明している。シーズンを通して戦うためには、それこそ、素人の思いもよらないような、緻密な要因が必要なのだろう。しかし、そんなことは知ったことではない。4人のファンタジスタと呼ばれる彼らが、シーズンでたとえ一度でも輝くのなら・・・、よだれがとまらない。

詩. 

2007年07月03日(火) 21時45分
「蚊」で、クラスでの詩人としての地位を確たるものにした僕は、月末の仲間たちが去る際に、詩を求められることが習慣になった。詩は、ヨーロッパではウケルらしく、パン屋で働いていた友人が日本に帰国の際に、そこのパトロンや、従業員らとお茶をしたときに、スペイン女性に贈った詩を披露したところ、そのパトロンにとって僕の印象が強かったらしく、なにをしているのか、と気がけてくれているらしい。
正直なところ、そのお茶会の際に発表した詩は、書いたものと少し違っている(間違えている)上に、かっこよく語れたわけではないので、はっきりいって、彼は僕の詩を少しも覚えてはいないだろうが、公然と詩を語る日本人の姿はめずらしかったことだろう。そこにある、なんというか、ユニークさを感じ取ってくれたのだろう。
僕は言葉を人に贈る場合、方法論というものをもっている。方法論といったが、そんな大したものでは全くなく、どうすれば一般ウケするかというものを知っているだけなのだ。思うに最初が肝心だ。詩、というと、多くの人は、愛情などの、感情について書く。そういったことを、既に知っていたので、僕は「蚊」を書いたのだが、案の定、これが先生にうけたので、その後の別れの際に書くものは簡単なもので、感情的に、かっこつけて書いても、それが気取りすぎにならない。当然、ほかの人が書くと考えられる言葉をはずして、オリジナリティを出したので、自己満足はあるのだが、「文化的雪かき」のようなむなしさを感じないわけはない。
要は、常識をはずすこと、最低限の単純な世の中のからくりのようなものを知っていれば、そこそこにはウケルのだ。もちろん、僕の詩は、そこそこ以上に喜ばれた。そのうち、せっかくなので、書いて残してある紙切れを、こちらに移そうと思う。詩?当然僕は受け取りたくない。

フットボールの未来. 

2007年04月25日(水) 20時17分
ミランとマンチェスターの試合をみた。サッカーの未来に安心した(日本のサッカーの未来とは特に関係ないと思う)。ジダン、ロナウド、フィーゴ、ベッカムなどのスターのあと、ロナウジーニョが受け継ぎ、彼に負けずと新しい才能がその力を示した。たった一つの試合で彼らが示したパフォーマンスは、某に涙が出てきそうなほどの感動を与えた。
マンチェスターユナイテッドは強いだけではなく、魅せるといった意味においても、チャンピオンズリーグのセミファイナルに3チームを残す、プレミアシップリーグで首位を走るチームの意味を示した。全てのポジションが充実しており、個人突破といえばクリスティアーノ・ロナウドに目がいきがちだが、左右、中ともにパスとドリブルでくずす能力をそれぞれが持っている上に、彼らが左右に動き回るので、ミランはゴールにはりつけられる。後半の最後には、ディフェンスラインでボールをまわし、リスクを負いつつも、相手のディフェンスラインをひきつけ、ロナウドのスペースにボールを入れた戦術はフットサルのような狭いコートでなら可能だが、それをフィールドで実践できるような、万一の展開に隠しているセットプレーももっていることを示した(多くのチームのできることは、前線に大きな選手を置き、そこにロングボールを抛ることだ)。それにしても、きっとディフェンスならロナウドは視界から消えるほどにはやいだろう。ルーニーの2ゴールも非凡なものであり、彼の特徴を知っているからできたアシストという意味では、チーム戦術もたいしたものだし、2点目は、あのいち(ペナルティーエリアの数メートル外)からダイレクトで決められたら、例え二アをやぶられたとしても、ジダを攻めることも(ジダは決定的なシュートを何度も凌ぎ、あのグラウンダーのシュートをとめてみせた)、ディフェンスを責めることもしたくない。
それでもベストプレーヤーはカカだった。なぜか?ミランには首位を争っていたローマに7−1で買っているというデータがある。それは試合まで、数日にわたり彼らにプレッシャーを与えていただろう。そして間もなく先制点をとられた。カカも試合後に語っていたように、先制点は悪夢を思わせたらしい。その後もマンチェスターの攻撃を受けてばかりいたミランで、カカは得点した。それも困難な状況で。マイナスのボールをファーストタッチで3人の選手を振り切り、難しい体勢から、ディフェンダーの股を抜き、絶妙の強さで右隅に転がした(強くても、弱くても入っていなかったことだろう)。世間はクリスティアーノ・ロナウドの話で盛り上がり、開始まもない数プレーでおびえただろうが、俺たちにはカカがいる、という勇気をチームに与えた(僕はそれを想像して、泣きそうになったのだ)。2点目に至っては、猛者3人を相手に一人で得点してしまった。その後、同点に追いつくまでのマンチェスターの動揺のあからさまさをファンも感じていた。当然だ。たった一人に3人がかりで点をとられたら、4人でケアしなくてはならないし、結果、それはチーム全体のラインを下げることになり、それは先制点をとって、逆転されるまでのプレーではなくなることは全く異なることは素人でもみてとれる。ミランはアウェーでマンチェスターに恐れることなく、自分たちのサッカーであるパスゲームの展開を試み続けた。両チームには、ボールを下げずにラインを保つ技術もあり、それはサッカー界の進展を確認させた(ブログで書いたように、代表チームではアルゼンチンにその素養があった)。
ともあれ、クリスティアーノ・ロナウド、ルーニー、カカ、メッシ、次代のスター達が力を発揮し始めた。ロナウジーニョを先頭につくられる今のサッカー界は、少なくとも90年代のシステマチックで、ファンタジスタの墓場と形容される次代を思わせず、それは僕のフットボールへの興味をかきたてている。

実は. 

2007年02月28日(水) 21時20分
僕の友人が歯痛で苦しんでいる。コメントを残そうと思ったが、少しだけ(今の時点ではそれが少しになるかわからない)長くなりそうなので、改めて日記にしようと思う。
僕は他人の歯が痛い、という話を聞くのが好きだ。その感情はとても複雑で、こみあげてくる喜び、というのが僕にできる形容の限界だ。その喜びのもとにあるものは、100%経験であり、僕は以前、大学3年生の夏には、虫歯がI本あった。
授業をサボタージュして、部活の時間まで買い物と牛舌を食べるという定期的な行事を遂行するために、仙台へ向かった。僕を歯の治療に向かわせたものは、牛タンを食べられなかった、という絶望感である。誰にでも人生には後回しにして後悔するということがあると思うが、その例を示せといわれれば、経験から僕は歯痛を用いる。
(僕が理想とするおとなの条件の一つは、「どうして、もっとはやくに対応しないんだ!」と、後回しの結果を中傷するようにならない!ということだ。原因を認識しているのに、それを指摘するようなファシストにはなりたくないなあ、と思う。)
遅れた歯の治療をやり遂げるにはかなりの決意が必要だ。なんとなく、まあいっか、と思えてしまうのである。あとは、滑り落ちていくだけ。一年数ヶ月の歳月をかけ、僕は歯を完治させた。長い年月をかけての達成感というのは、まあいっか、と反対のベクトルをむく、意思の強さをつくると思った。僕と親しい人は、研究室で、フットボールの試合場でも、合間を縫って歯を磨いていることを知っている。他の試合を観戦しながら歯を磨いている人を僕はみたことがない。
そんなわけで、人の不幸ほどおもしろいものはない、という考えを、僕は歯痛については思うのである。

実現. 

2007年02月13日(火) 2時44分
僕の大学までの目標は、お金をもらいながらサッカーをすることだった。残念ながら、能力的に不足していたため、教員として指導者を目指すしかないと考えていた。いまは、スポーツに対するまた別のかかわり方を模索している最中だ。
僕の友人がお金をもらいながら野球をする環境に身をおけることになった。それはNPBではないが、それにつながる道だ。男性なら一度は想像してみる、パイロットという職業を断って選んだ道。ばかだなあ、と言う人は少なくないと思うが、彼もそれを多分に自覚しており、それを素で行く。バカにはいろいろな定義が当然あるが、僕の中で自分をバカと言っていい人は(自分をバカといえるのはとても幸せなことだ)、社会的地位に抗えた人に優先される。その意味では最近、某大手商社を辞めた、「死せる詩の会」の代表のN君はバカだ。僕もある道を断って、いま進んでいるが、自分でバカというには、まだまだ足りない。こういう種類のバカを、僕は好きだし、応援したいと思う。そんなわけで、おめでとう。
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