追悼平岡正明

2009年07月 16日 (木) 22:43
 平岡さんとの付き合いは、野毛ではじまり野毛で終わったことになる。『海を渡ったサーカス芸人』を出す前、野毛が澤田豊の次男でドイツに住んでいたマンフレッド澤田を呼ぼうとした時に、野毛の大将こと福田さんに紹介されたのだと思う。そうすると15年以上の付き合いになる。と言ってもお会いするのは、福田さんが主催するアホな会、一千代ふぐ食い放題会、うな丼ライブ、大道芝居の打ち上げの場で、たわいもない馬鹿話をする程度であった。会う前は、書いている文章からみて、強面の気難しい人という印象があったが、実際の平岡さんは、いつも笑顔を絶やさない、温厚な人だった。
平岡正明といえば『山口百恵は菩薩である』に行き着いてしまうようだが、やはり自分には「野毛の平岡さん」であったし、平岡さんも野毛にたどり着いて、ずいぶんと創作にも広がりができたのではないかと思う。『大道芸および場末の自由』、『野毛的』、『横浜的』などは、野毛を拠点にすることで初めて生まれることができた本である。野毛に集まるちょっと変わった怪しげな人々との交流は、平岡さんに大きな創造エネルギーを与えたはずだ。歩くライブリアンの故大内順、横浜ジャズの中心人物柴田浩一、大道芝居の座長俳優高橋長英などなどがいつも集まるところに、平岡さんが好きそうなB級の話題がころがっていた。こんな中にいる平岡さんはいつもうれしそうだった。そんな意味で平岡さんは晩年(早過ぎた晩年になってしまったが)を野毛で過ごせて良かったと思う。同時にそれは野毛の集まりの中に、平岡人脈の流入をもたらすことになり、福田豊主宰の野毛サロンに新しい血を導入することになったし、そのシャッフル具合が、気取らず、自然だった。大将の福田さんは、平岡さんはオープンマインド、そしてイーブン、どんどん新しい友を連れてきてくれるとよく言っていたが、その通りだと思う。
そしてB級カストリ文化の最高のカクテルが、平岡さん編集の『ハマの毛』だった。平岡流シャッフルで、三波春夫も、井筒家小石丸も、荻野アンナも、飲み屋の親父も、大道芸人もみんな集まってわいわいやる雑誌をつくってしまった。自分も一度だけ書かしてもらったが、この雑誌だけには書きたいと思っていたので、話があったときは本当にうれしかった。いまでも全巻揃った『ハマの毛』は、私の大事な宝物である。
平岡さんは大学の先輩にもあたっているが、ただ平岡さんは花の早大露文中退組。「君は卒業しているから、ダメだね」とよく言われたものである。第一回目の「歌声食堂」の時、平岡さんにロシア語でインターを歌おうと言われて、そんなロシア語でなんて歌えないとひるんだ自分が情けなかった。
平岡さんとなにかやり残したことがあるとずっと気になっていた。今年の春ぐらいに、田中清玄がよく通っていた喫茶店が野毛にあり、そこで話し相手をしていた人と、対談しないかという話が福田さんから舞い込んだ。これは平岡さんがぜひ大島君にやってもらおうと強く言っていたということをあとから聞いた。田中清玄は、いま自分が追いかけている長谷川濬の函館時代の同級生でもあるので、とても興味ぶかい話だった。一度は自分のスケジュールの都合、そしてそのうちに取材すべき人の体調がすぐれず、そのままになってしまった。もうひとつ、「アートタイムス」の6号の特集は、「幻の『血と薔薇』4号」、責任編集は平岡さんと決めていた。『血と薔薇』はいうまでもなく、渋澤龍彦が責任編集をしていた60年代を代表する雑誌、そしてそのスポンサーは神彰であった。『血と薔薇』は当時おおいに話題になったものの、スポンサーである神彰の資金難のため、渋澤は責任編集をおりる。そこで新たに編集長に任命されたのが平岡さんだった。なんとか4号をつくったものの、神彰の会社が倒産、雑誌は印刷されたものの、すべて債権者によって回収されてしまう。平岡さん自身出来上がった4号は見ていないという。そこで、「アートタイムス」で、平岡さんに責任編集をしてもらい、その続きをやってもらおうかと秘かに考えていたのだ。この構想自体平岡さんには告げていない。ただ悔しいから、第6号は「野毛の平岡正明」という特集にしようかと思っている。そうしないとなにかやり残したようで気持ち悪くてしかたがない。

マン・オン・ワイヤー

2009年07月 16日 (木) 17:18
書名 「マン・オン・ワイヤー」(原題 To Reach the Cloud)
著者 フィリップ・プティ  訳 畔柳和代   出版社 白揚社 出版年 2009

映画の『マン・オン・ワイヤー』とは、また違う視点から書かれたものである。それはそうである、著者はあの時ワイヤーを渡っていた男、フィリップ・プティ自身。映画ではあくまでも出演者のひとりでしかない。その意味で映画と本を見比べると、この世紀の冒険の意味合いがはっきりとしてくるといえるかもしれない。
映画を見たときも思ったが、本書を読んで、これだけの冒険をよくこれだけの段取りでやっちゃったなということである。普通の冒険と一番違うところは、公然とやってはいけないこと、秘密裡にすべてを準備し、セッティングしてやらなくてはいけないことである。なにより最大の問題は重たいワイヤーをどうやって上まで持ち上げ、そしてそれをどう張るかということである。その段取りの甘さというか隙だらけだったんだということが、本書を読んでよくわかる。応援してくれる人を道端で勧誘するのと同じ手口で誘うということ事態、本気で考えているのといいたくなる。実際に当日いう事を聞かない奴もでてくる。この脇の甘さがあったからこそ、こんな冒険ができたのかなあと思う。とにかくこんなゆるゆるの段取りでも一大冒険をやり遂げてしまうところは凄いのである。準備のためほとんど身体を休めることも寝ることもできない、しかも着る予定だった服さえ忘れてしまったという状況のなかで、雲へ向かう第一歩踏み出す、そうした段取りだけでなく、身体が動く、そこのところがアートだよなという気もする。
映画ではワイヤーの上を歩きはじめて何分後かに、プティが見せる笑みがなんともいえず素晴らしかったのだが、正直プティ自身が渡っている時の感想を書き留めていることは理解不能に近い。空中を歩くことですっかりイッテしまっていたのだろう、その感覚を書くときにまで身体の中にそれが眠っていたといのうもある意味凄いし、それだけのこと、だったのだと思う。
高いところを渡るというのは、どうなんだろう。一度清水の芸人にでも聞いてみたいものである。
満足度 ★★★

メルマガの反応

2009年07月 16日 (木) 10:29
朝起きて、メールをチェックすると、昨日配信したメルマガへの返事。いずれも山本光洋が『笑点』に出演が決まったことへの反応であった。
最近名刺交換した方へも、メルマガを送っておく。
大阪のラルフに電話、元気そうだった。大阪も暑いとのこと。サハにもろもろメール。馴れてないことがあるんだろうなあ、初歩的なことから説明しないといけない。
9月に提案しなければならない案件について続けて調査。映像がないというのが、ネックだな。
帰りがけにサハから恐ろしいメールが・・・外国渡航用のパスポートが出来上がってきたのだが、一人の生年が1985年なのに、1958年になっているが、訂正した方がいいだろうかという質問。こんなことがあっちゃうんだねえ。とにかくすぐに訂正してもらえと返事。
帰宅して録画してあった知り合いがつくったカメラリポートを見る。今年大学を卒業したばかりなのだが、たいしたものである。本人も出演していたがなかなか堂々として立派なもの。なにより元気そうな顔だったのがいい。
今後が楽しみである。
クマのイチオシ公演
ダメじゃん小出「初めて世界一周した日本人 若宮丸 漂流」
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