書名 「仙台学Vol.8 特集岩手・宮城内陸地震 山へ還る」
発行 別冊東北学編集質 出版年 2009年
毎回ぞんぶんに楽しませてもらっている『仙台学』であるが、今回の編集内容については、大げさかもしれないが感動した。よくぞやったと心底思う。
特集はふたつあり、ひとつは「仙台<食>散歩」。千葉由香が故郷登米を訪ねて、人が集まると餅をつくるというレポート「食の記憶 登米・南方町」などは、自分の田舎ではそんな習慣がなかったので、とても興味深かったし、いまもそうした食文化・風習というものが残っていることがうれしくもあった。ただ今号「仙台学」の最大の成果は、特集2の「山へ還る」である。岩手・宮城内陸地震から一年経ったいま、「仙台学」でしかできない特集をやりとげたことに本当に敬意を表したい。冒頭のカラーグラビア写真にまず息を呑まされる。地震の残した傷跡の深さ、山川徹がレポートしているが、山が消えてしまったというその凄さに思い知らされる。この特集の5本のレポート、ひとつひとつ大変読みごたえがあるし、なにより地震災害を忘れてしまってはならないという、書き手の強い意志を感じた。地震当時河北新報栗原支局に勤務していた古関良行が、本社に戻ってからも、被災地になんども足を運んで記事を書く。そんなとき被災者の人たちから「仮設住宅の暮らしって本当に辛いんです。精神的に参っています。全国の新聞が震災記事に飽きちゃっても、地元の河北新報は被災者の声、ちゃんと聞いてね。世に届けてね」と声をかけられる。こうした言葉に支えられ、襟を正ながら、復興の記事を書き続けようという意志に、ジャーナリストのひとつの生きる様があるようにも読めた。
滝沢真喜子の「開拓地<耕英>被災者たちの昭和史」を読むことで、被災地のひとつ栗原市栗駒沼倉耕英が、昭和22年に入植が始まった戦後開拓地であったこと、ここからこの特集はまち違う側面から山・農で生きる人たちの足跡を照らすことになるのである。その意味で白眉ともいえるのは、「聞き書き被災地<耕英>の昭和」である。満洲に土地を求めてた農家の次男や三男たちが、満洲崩壊と共に大陸から追われ、まさにすがるような思いでたどり着いた開拓地が<耕英>だった。そこで生きている10人三世代にわたる聞き書きを読みながら、なんどか目頭が熱くなってしまった。第一世代はまさに自分の両親と同じ世代、したがって第二世代は自分と同じになる。開拓地というなにもないところから農産品をつくりだすというのは大変だったに違いない。炭焼き、イワナの養殖、ナメコ、イチゴと工夫を重ねながら、ここで生を営むものたちがたがいに手を携えて生きていく、それも大変な苦労があったはずなのに、皆さん一様に明るく振り返る、その姿がなんとまぶしいことか。そして去年の地震である。どん底に落とされても、ここで語る人たちは、前を向いているのである。三代目にあたる熊谷さんは、イワナの養殖を生業にしていたが、そのほとんど失う。住む場所と仕事を一緒に失って、再開とか、やり直すとかいわれても、言葉に詰まったという。それがいろんなイベントでイワナの串焼きの出店を出す中で、少しずつ前向きになっていく。そして最後にこう〆る。「地震からひと冬を越して、祖父さんたちが開拓した耕英で生きていくという気持ちが強くなりました」と。
人間っていいなあと、本当に熱くなってしまった。「山に還る」というこの特集の表題の意味が浮かび上がってくる聞き書きであった。久しくこんな勇気をもらえた聞き書きに出会ったことはなかった。
ちょうどこれを読み終えた日に、駒ノ湯で行方不明になっていたふたりの従業員の方の遺体がみつかったというニュースが流れた。地震の被害のことも、亡くなった方のことも、いまも被災者が苦しんでいることも、自然の恐ろしさも、そして生きなくてはいけないということも忘れてはならない。
発行 別冊東北学編集質 出版年 2009年
毎回ぞんぶんに楽しませてもらっている『仙台学』であるが、今回の編集内容については、大げさかもしれないが感動した。よくぞやったと心底思う。
特集はふたつあり、ひとつは「仙台<食>散歩」。千葉由香が故郷登米を訪ねて、人が集まると餅をつくるというレポート「食の記憶 登米・南方町」などは、自分の田舎ではそんな習慣がなかったので、とても興味深かったし、いまもそうした食文化・風習というものが残っていることがうれしくもあった。ただ今号「仙台学」の最大の成果は、特集2の「山へ還る」である。岩手・宮城内陸地震から一年経ったいま、「仙台学」でしかできない特集をやりとげたことに本当に敬意を表したい。冒頭のカラーグラビア写真にまず息を呑まされる。地震の残した傷跡の深さ、山川徹がレポートしているが、山が消えてしまったというその凄さに思い知らされる。この特集の5本のレポート、ひとつひとつ大変読みごたえがあるし、なにより地震災害を忘れてしまってはならないという、書き手の強い意志を感じた。地震当時河北新報栗原支局に勤務していた古関良行が、本社に戻ってからも、被災地になんども足を運んで記事を書く。そんなとき被災者の人たちから「仮設住宅の暮らしって本当に辛いんです。精神的に参っています。全国の新聞が震災記事に飽きちゃっても、地元の河北新報は被災者の声、ちゃんと聞いてね。世に届けてね」と声をかけられる。こうした言葉に支えられ、襟を正ながら、復興の記事を書き続けようという意志に、ジャーナリストのひとつの生きる様があるようにも読めた。
滝沢真喜子の「開拓地<耕英>被災者たちの昭和史」を読むことで、被災地のひとつ栗原市栗駒沼倉耕英が、昭和22年に入植が始まった戦後開拓地であったこと、ここからこの特集はまち違う側面から山・農で生きる人たちの足跡を照らすことになるのである。その意味で白眉ともいえるのは、「聞き書き被災地<耕英>の昭和」である。満洲に土地を求めてた農家の次男や三男たちが、満洲崩壊と共に大陸から追われ、まさにすがるような思いでたどり着いた開拓地が<耕英>だった。そこで生きている10人三世代にわたる聞き書きを読みながら、なんどか目頭が熱くなってしまった。第一世代はまさに自分の両親と同じ世代、したがって第二世代は自分と同じになる。開拓地というなにもないところから農産品をつくりだすというのは大変だったに違いない。炭焼き、イワナの養殖、ナメコ、イチゴと工夫を重ねながら、ここで生を営むものたちがたがいに手を携えて生きていく、それも大変な苦労があったはずなのに、皆さん一様に明るく振り返る、その姿がなんとまぶしいことか。そして去年の地震である。どん底に落とされても、ここで語る人たちは、前を向いているのである。三代目にあたる熊谷さんは、イワナの養殖を生業にしていたが、そのほとんど失う。住む場所と仕事を一緒に失って、再開とか、やり直すとかいわれても、言葉に詰まったという。それがいろんなイベントでイワナの串焼きの出店を出す中で、少しずつ前向きになっていく。そして最後にこう〆る。「地震からひと冬を越して、祖父さんたちが開拓した耕英で生きていくという気持ちが強くなりました」と。
人間っていいなあと、本当に熱くなってしまった。「山に還る」というこの特集の表題の意味が浮かび上がってくる聞き書きであった。久しくこんな勇気をもらえた聞き書きに出会ったことはなかった。
ちょうどこれを読み終えた日に、駒ノ湯で行方不明になっていたふたりの従業員の方の遺体がみつかったというニュースが流れた。地震の被害のことも、亡くなった方のことも、いまも被災者が苦しんでいることも、自然の恐ろしさも、そして生きなくてはいけないということも忘れてはならない。
- 買った本・読んだ本 |
- URL |
- Comment [0] |
- Trackback [0]



