さようなら、私の嘘

2017年02月 20日 (月) 15:05
書名 「さようなら、私の嘘」
著者 ヒキタクニオ    出版社 光人社  出版年 2010

「ロシア芸術の現在U」という私が担当している大学の講義のレポートの課題が、ある作品をとりあげてサーカス学的に考察せよということだったのだが、そこで学生のひとりがとりあげたのが、この小説であった。レポート自体とてもいい出来だったということもあり、小説そのものが読みたくなり、読むことになった。その意味では学生に感謝しないといけない。タイトルに、まったくサーカスを思わせるものがないから、よほどのことがない限り、この本を知ることはなかったろう。立派なサーカス小説であった。サーカスに生きる人たちの群像も描いてはいるが、PR会社につとめていた女性が社長から疎まれ、子会社のサーカス団の社長となり、サーカス団を立て直しながらも、逆にそれがまた社長の癪の種となり、社長の謀略で他のサーカス団と吸収合併されてしまいそうになり、それをなんとか防ごうとするということがストーリーとなっている。興味深いのはサーカス経営という視点から描かれていること、企業の新製品やイベントのためにPRをしていった主人公が、一目でサーカスが好きになり、その魅力をダイレクトに伝えるためにさまざまなアイディアを提示していくというところがひとつの読み所となっている。面白かった。こういう捉え方というのもありかなということと、小さな仕掛け、外タレの空中ブランコの三人がゲイで、リトワニア出身であったところとか、団長ファミリーがかつての国際サーカスの団長さんの名前だったり、学生運動の名残であるバリケード封鎖とか、すみれnewサーカスは、いまはないキグレnewサーカスが思い出されたりと、いうところも楽しめた。
ひとつの読み方だと思うが、ここには実際のサーカスの売り出しかたとしていくつかの面白いアイディアがあった。ただのパブリシティではなく、手触りのあるPR方法でサーカスのビジネスはまだまだいくらでも可能性があるような気もしてきた。そうした意味でも楽しめた小説であった。

セカンドハンドの時代

2017年02月 14日 (火) 23:11
書名 「セカンドハンドの時代−「赤い国」を生きた人々」
著者 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ(松本妙子訳) 出版社 岩波書店 出版年 2016

600頁を越える大著、1キロ近くの重さ、通勤中に読むのに最もふさわしくない本である。しかし自分はいつもの習慣どおり、通勤中に読むことになった。読了するのに2週間以上かかってしまった。この間にぎっくり腰になったということもあり、この本を読むために、行きも帰りも極力座れるように各駅電車に乗ることにもなった。2週間、実に重かった。それは本の重さではなく、書いてある内容が伝える重みだった。読了するまでこれだけ時間がかかったのは、ここで語られるひとりひとりの話しの内容があまりにも重くて、ひとりのひと話しが終わったとき、とてもじゃないがすぐに次の人の話しを読むに気になれなかったからである。なぜかつてソ連という国に生まれた人たちは、こんな目にあわなくてはならないのか、37年にピークを迎える粛清の時代、身近な人たちから告発され収容所に送り込まれ、ドイツとの戦争でギリギリのなかで生き抜いてきた人たちにとって、ペレストロイカとはいったいなんだったのか、スターリン時代も第二次世界大戦も知らなかった人たちにとって、ペレストロイカの熱狂はなんだったのか、そしてゴルバチョフやエリツィンによって資本主義と自由の幻を見せられた民衆が、そのあとに見たものはなんだったか、そしてソ連という枠組みを失ったとき、民族や宗教や国境が立ち現れ、こうまでも人々は残酷に殺し合うことができるのか、そんな時代の渦のなかで、一度は夢を見た人たちの絶望がこれまで生々しく語られることのその重さに、読んでいる方が果てしなく落ち込んでしまうのだ。なぜこれほどまでに人間は過酷な運命に立ち向かわなければならないのか、そんな重い思いに打ちひしがれた2週間であった。ただ一度も読むのをやめようとはおもわなかった。むしろこの書は、我々ソ連やロシアを相手に仕事をしてきた、そこに多くの友人をもつ自分は絶対に読まなくてはならないものであった。
なぜアレクシェーヴィチは、このユートピアシリーズ5部作の最後に「セカンドハンド」というタイトルをつけなくてはならなかったのか。それほどまでに過酷な時代を、そのときは正義のために生きてきた人たちが目指した未来が、マヤコフスキイやメイエルホリドが「ミステリアブッフ」で見た輝かしい未来が、もろくもそして無残にもなくなり、かつての打倒しようとし知識人や民衆が目指した無情な権力が繰り返し現れてくるその虚しさがそこには投影されている。去年みたゲルマンの「ファウスト」のあのグロテスクな映像がかぶってくる。
この痛ましい現実を赤裸々に描きながら、この本がルポルタージュやノンフィクションではなく、文学にまで昇華しているのは、事実を明らかにすることだけで終わろうとしていないからである。ここに収められているたくさんの証言のひとつひとつは事実を語っているのだが、アレクシェーヴィチはそれをただ事実として書きとどめるのではなく、そこにしっかりとひとりひとりが生きた証をくみ取っている。ここには人間の生きざまが刻印されている。
未来が不在となったいま、どうやって「赤い国を生きた人たちは生きていくのか、それはわれわれの問題でもある。ここに集められている99%絶望に瀕した人たちの話しのなかに、まったく未来はないのだろうか。いまとんでもなく重苦しい読後のなか、それでもなにかかすかでも未来が見えたような気になっているのはなぜなのだろう。もしかしたらこの中で理不尽な恋のために捨てられたユーラという男がこんなことを語っているのがどこかで自分のなかでひっかかっているのかもしれない。
「これはだれにでも起きることなんです。うつうつとした気分、それはペストのように、みんなを襲う。汽車に乗って窓のそとをながめている、するとなんだかうつうつとした気分になる。まわりはうつくしい、目をそらすことができない、それなのに涙がこぼれて、自分をどうすればいいのか、わからない。そう、ロシア的なもの悲しさ・・・・。人はすべてを持っているでも、やっぱりなにかが不足していんです。それでも生きている。みんなはなんとか耐えているんです。」こんなロシア的な生への渇望がこの書の中に登場する人たちのなかにあったのではなかったのか。

デーモンの画家ミハイル・ヴルーベリ

2017年02月 08日 (水) 11:40
書名 「デーモンの画家ミハイル・ヴルーベリ その生涯と19世紀末ロシア」
著者 植田樹  出版社 彩流社  出版年 2016

モスクワのトレチャコフ美術館でなによりも圧倒されたのはヴルーベリの絵であった。圧倒的な色彩の迫力と描かれた人物たちのなんとも悲しげな目に心を奪われた。絵には圧倒されたが、この画家がどんな生涯をたどったかということまでには思いが及ばなかった。セロフやスジェイキンやフィローノフにつながっていくシンボリズムの画家なのだろうと思っていた。今回この評伝を読んで、彼が描いた絵をシンボリズムという流れに置くことがまったく無意味であることを思い知った。彼は心のプリズムを通していかに描くだけに一生を絵に賭けた男であった。そんな彼のいままで知ることがなかった生涯を、彼の描いた絵への著者の思いを交えた解説によってたどった非常に読みごたえのある評伝であった。移動派の絵が大きな潮流をなしていた時代に、独自の解釈から見出した美の世界の表現のために、心のプリズムを通した絵を描き続けたヴルーベリは、美術界からも世間からもまったく評価されることはなかった。晩年象徴主義が主流となって初めてまともに評価されるまでは、非難され続けていた彼の孤高の生涯は、彼が描き続けたデーモンの絵とかぶってくる。その意味で晩年に描かれた斃れたデーモンという絵は彼の人生というか、美を求め、生きようとしていた彼の生そのものを描いたものかもしれない。
この本にも彼の絵はたくさん収められているのだが、やはり画集でもいいからきちんと見てみたいと思った。
そしていい話しだなと思ったのは、彼がイタリアのサーカス一座に魅せられて、それまで暮らしていたキエフを離れ、一緒についてモスクワまで来たというエピソード。このエピソードだけで、私の世界でヴルーベリは、間違いなくツイルカッチとなってしまった。

北陸朝市紀行

2017年01月 17日 (火) 15:08
書名 「北陸朝市紀行」
著者 池田進一  出版社 こぶし書房  出版年 2016

前作は東北の朝市をめぐる旅だったが、今回は北陸。しばらく北陸に行っていないこともあるのだろうが、汽車や路線バスに揺られながら旅をしてみたいという気にさせられた。まだ辛うじて残っている各地の朝市に店を出すおばちゃん、おばあちゃんの知恵の蓄えに驚かされる。21世紀になってこれだけまだ食や生活の知恵が生きているということは奇跡と言ってもいいのではないだろうか。なんどうなづき、感嘆のため息をあげたことか、こうした知恵のひとつひとつがもしもこのおばあちゃんたちと一緒に消えていくのかと思うと、ほんとうに虚しくなる。だからこそこうした一冊の本が大事な意味をもつのかもしれない。インターネットではおさまりきれない知恵の数々を大事にしないといけない。
いま四季がなくなっていくなか、この朝市のおばあちゃんのところにはちゃんと四季が訪れている。これも知恵なのでばないだろうか。
年は北陸を旅してみよう。

五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後

2017年01月 16日 (月) 15:31
書名 「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」
著者 三浦英之  出版社 集英社 出版年 2015

満洲を舞台にしたノンフィクションを書いた一人として、建国大学の卒業生を追ったこの本はずっと気になっていた。しかも開高健ノンフィクション大賞を受賞した作品、気にならないわけがない。著者は朝日新聞の現役記者、企画連載の取材のため、海外で暮らす卒業生から直接話しを聞けた(聞けない時もあったが・・・・・)のは大きい。しかもその中には元首相などという大物もいる。新聞での連載記事がなければ出来なかった本だと言える。ここに登場してくる人たちの戦後は、ひとつひとつが重く、それだけでひとつのノンフィクションとして読めるものばかりだ。それをこのようにまとめるなかで、著者にはいろいろな葛藤があったのではないかと思っている。上手にまとめているし、取材もしっかりとしている、ある意味破綻のない本で読みごたえもあった。おそらくこのタイミングで取材しなければ、話しを聞くのは無理だろうというかなりギリギリのところで出た本である。ただなにかもの足りないような気がするのは何故なのだろう。満洲というキメラの象徴ともいえる建国大学が舞台なのに、妙に収まっている、キメラのもつ暗黒の部分をあっさりと通過しているからなのかもしれない。
自分がとりあげた長谷川濬は、満洲の地方で働く官吏を養成するための大同学院であった。建国大学の国際性と表現の自由とはまた対局の理念のもとで、若者たちは学んでいた。いったいどういう国をつくろうとしていたのか、それを支える理念はなんだったのか、そこが闇というか暗黒の部分と通底してくるところに、満洲という幻の国家の本質につながっていくところがあるような気がするのだが・・・・ただそこは、入ったらもう出てこれないような闇の世界でもある。

ロシア極東秘境を歩く  北千島・サハリン・オホーツク

2017年01月 12日 (木) 15:44
書名 「ロシア極東秘境を歩く 北千島・サハリン・オホーツク」
著者 相原秀起   出版社 北海道大学出版会  出版年 2016

タイトルに偽りなし、まさにロシア極東の秘境の奥深くまで入り込んで実際に自分の足で歩いた記録。しかも単なる紀行では終わらせずに、先の大戦や国境の問題、さらには光太夫とラックスマンの関係を通してみた日露関係の原点に迫っているので実に読みごたえのあるルポとなっている。
北千島の取材では、日ソ戦のいままで知らなかった実態を、島に残されている当時の戦車やトーチカ跡、銃弾などを通して物語らせている。北方領土のことばかり関心がいって、その上の北千島のことにはほとんど関心がむかなかった、しかし著者が最初に訪れたシュムシュ島はカムチャッカ半島のまさに目と鼻の先にある。したがってソ連が侵攻してきたときにここが最前線となった。ここでの戦闘については正直知らなかった。日本の領土でなくなったとはいえ、まだこの島には亡くなった日本人の人たちの遺骨が残っているのである。
サハリンの取材では、北緯50度線の国境にあった標識の石を追い求めてのルポとなった。
オホーツクはかつて光太夫や若宮丸漂流民たちがアリューシャンから連れられてきこところ、ここから長いイルクーツクまでの旅が始まった。なかなかこのオホーツクを訪れる人がいないので、ほとんど情報が入らなかったが、このルポを読んでずいぶんはっきりとしたイメージができあがった。そしてさらに著者は漂流民たちが立ち寄ったヤクーツクのさらに奥地まで行き、なかなか見れないであろう永久凍土が溶けて陥落している現場を目撃することになる。
新聞記者である著者が、これだけの取材をさせてもらっているのだ、きちんとした記事にしようという姿勢にもとても好感が持てた。次回作はないのかもしれないが、次のものを読んでみたい気がした。

サマルカンドへ ロング・マルシュ 長く歩くU

2017年01月 11日 (水) 5:26
書名 「サマルカンドへ ロング・マルシュ 長く歩くU」
著者 ベルナール・オリヴィエ  出版社 藤原書店 出版年 2016

シルクロードを歩破したフランス人の手記の第二弾。前作でテヘランを目前に病気のためリタイヤーを余儀なくされた著者が、わざわざリタイヤーしたところに戻って、イラン横断、トルクメニアの砂漠を渡り、今回の目的地サマルカンドにたどり着くまでが語られる。今回もさまざまな人たちとの出会いがあるのだが、あまり知られていないイランの人たちの旅人に対する寛容さ、必ずしも現体制に黙従するわけではない民衆の姿が浮き彫りにされる。興味深かったのはトルクメニアという、これもベールに覆われた国を通過したときのエピソードだったが、亡くなったあの暴君が支配していた当時にこんな外国の旅人の通過を許したのだと思う。メルヴという、のちにモンゴルに滅ぼされる大都市の跡を訪ねているが、この街の話しについては初めて知ることになったが、そそられる街である。ウズベキスタンに入ってから、シルクロードの要衝の中心といえるブハラと終点のサマルカンドを通るのだが、著者自身楽しみにしていたところのはずなのだが、意外にあっさりとした記述になっている。自分もサマルカンドに行ったが、確かに青いモザイクの寺院や神学校には感銘はしたが、観光地というのが全面にでていてちょっとはぐらかされたような気になったのは事実。著者がそんななかで感動しているバザールにも行ったが、物乞いの女性につきまとわれたことしか印象になく、そんなすごいバザールだとは思わなかった。
著者が旅してから15−6年経っているわけで、イスタンブールから西安まで歩破するという旅がいま可能かどうかわからない、おそらくは不可能なのではないかと思うのだが、この著者の旅のスタイルというか、哲学とでも言ったら言いだろうか、あまりにも原理主義ではないかという気がしてならないのも事実である。歩き通す、観光するのが目的ではないというその旅の方法が出会いをつくることになるのだ思う。その出会いを楽しみ、当然のことながらシルクロードの歴史をたどりながら、歩き続ける、その猛烈な歩き方についていけなくなる。彼は生き方を歩くことによって探ろうとしていたのだろう。次回作は西安までの旅、楽しみである。というか早く読みたい。

世界見世物づくし

2016年12月 31日 (土) 14:25
書名 「世界見世物づくし」
著者 金子光晴  出版社 中央公論社(中公文庫) 出版年 2008

タイトルみて、これは買わねばとすぐに通販で購入。なかなか見世物の話しがでてこないと思ったらこれは全集のなかの随想を集めた巻から改めて編集し直したものだということがわかる。たまたまエッセイの中にこのタイトルがあり、そのまま表題に使われたということだ。見世物に関しては短いエッセイが4つぐらい入っていて、タイトル倒れじゃないかと文句をもいいたくなるところなのかもしれないが、この短いエッセイが圧倒的に面白い。だから許しちゃうって感じだろうか。ジプシー系統の大道芸を見ているようなのだが、なかにはすごいのもある。蜂を呑み込んで鼻とか耳からだすなんていうのは、すごすぎるという感じだ。他は中国やバタビア、パリを放浪していたときの思い出が中心なのだが、透徹した視線でその風景をきりとってくれる。ひとつすごいなあと思ったのは、なにげに「メイエルホリドの舞台のような石の会議室」なんていうフレーズが出ているところ。メイエルホリド劇団のパリ公演なんかを見ているんだろうな。見世物に関するエッセイは全部あわせて20頁もなかったが、それでも十分楽しませてもらった。

近代はやり唄集

2016年12月 31日 (土) 14:11
書名 「近代はやり唄集」
編者 倉田喜弘  出版社 岩波書店(岩波文庫) 出版年 2016

はやり唄にはその時代の雰囲気がにじみ出てくる。そうした意味では唄を通じて庶民の生活史をたどることもできるのではないか。よくもまあ127曲もの唄をこれだけ掘り起こし集めたものだと思う。倉田さんだけしかできない、大変な労作である。
こうした唄をどのような切り口で見ていくかというのは、それぞれの方法 てということになるのだろうが、自分はロシアとか北を庶民たちはどう見ていったのか、そうした切り口から見ると面白いのではないかとも思った。

流星ひとつ

2016年12月 31日 (土) 12:29
書名 「流星ひとつ」
著者 沢木耕太郎 出版社 新潮社(新潮文庫) 出版年 2016

藤圭子が急死した直後に出たとき、なんとあざといことをと思い、嫌な感じを持った。眠っていた原稿を死後すぐに出すところが、死ぬの待っていたのかという気がした。ただ読書好きで信頼おける知人が薦めるので、旅先に持っていって読んだ。
沢木が「深夜特急」の旅から帰国した直後、藤が芸能界引退を発表した直後、それぞれ31歳と28歳の時のインタビューをもとにしている。すごいなあと思ったのは、このノンフィクションが地の文がまったくない、インタビューだけで構成されているノンフィクションとしては大変な意欲作であった。ノンフィクションライターとして新たな局面をつくろうというその方法論としての意欲のようなものを感じる。ただこれはそう簡単なことではなかったと思う。沢木がパリの空港で偶然藤を見たというあたりから、藤がだんだん乗ってきて、酒のピッチも速くなり、次第に饒舌に語りだすという対話のリズムのようなものが文体から出てくる。このあたりが書き手としての苦労があり、書いていて面白いところだったと思う。一度こんな風に書いてみたいなという気にはなった。
藤圭子を最初にとりあげたのは五木寛之ではないかと思うが、その時は彼女が歌っていた怨歌というイメージで描かれていた。この対話劇のなかでの藤はちょっと違う。生きることへアンニュイさや過去や父親に対するクールな視線を越えて、なにか明日を見つめるまなざしのようなものか感じられた。それはその後の彼女の人生が物語っているようにも思える。
クマのイチオシ
今度の桑野塾は、番外編@金の鈴!
桑野塾 番外編

NY暮らしで見える「ロシアの光と影」

●報告者:武隈 喜一

2017年4月1日(土)
@早稲田「金の鈴」

★詳細は桑野塾Webサイトで!


「石巻学」第2号!

「石巻学」Vol.2 港町シネマパラダイス

8月30日発売!
石巻と映画をテーマに、映画をつくっている人、映画を見せていた人、映画を見ていた人たちが集い、石巻・港町シネマパラダイスを浮き彫りにします!


アートタイムズ最新号!

アートタイムズ11号
『タキエさんがいた!』

デラシネ通信社 / 2014年4月25日発売
ドイツの肝っ玉母さん
ルジチカ多喜枝の生き方

ちょっと信じられないような、愛と豪快さに満ちた人生!


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