私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日とはいかないと思いますが、それに近いかたちで更新をしていくつもりです。

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追悼平岡正明 / 2009年07月16日(木)
 平岡さんとの付き合いは、野毛ではじまり野毛で終わったことになる。『海を渡ったサーカス芸人』を出す前、野毛が澤田豊の次男でドイツに住んでいたマンフレッド澤田を呼ぼうとした時に、野毛の大将こと福田さんに紹介されたのだと思う。そうすると15年以上の付き合いになる。と言ってもお会いするのは、福田さんが主催するアホな会、一千代ふぐ食い放題会、うな丼ライブ、大道芝居の打ち上げの場で、たわいもない馬鹿話をする程度であった。会う前は、書いている文章からみて、強面の気難しい人という印象があったが、実際の平岡さんは、いつも笑顔を絶やさない、温厚な人だった。
平岡正明といえば『山口百恵は菩薩である』に行き着いてしまうようだが、やはり自分には「野毛の平岡さん」であったし、平岡さんも野毛にたどり着いて、ずいぶんと創作にも広がりができたのではないかと思う。『大道芸および場末の自由』、『野毛的』、『横浜的』などは、野毛を拠点にすることで初めて生まれることができた本である。野毛に集まるちょっと変わった怪しげな人々との交流は、平岡さんに大きな創造エネルギーを与えたはずだ。歩くライブリアンの故大内順、横浜ジャズの中心人物柴田浩一、大道芝居の座長俳優高橋長英などなどがいつも集まるところに、平岡さんが好きそうなB級の話題がころがっていた。こんな中にいる平岡さんはいつもうれしそうだった。そんな意味で平岡さんは晩年(早過ぎた晩年になってしまったが)を野毛で過ごせて良かったと思う。同時にそれは野毛の集まりの中に、平岡人脈の流入をもたらすことになり、福田豊主宰の野毛サロンに新しい血を導入することになったし、そのシャッフル具合が、気取らず、自然だった。大将の福田さんは、平岡さんはオープンマインド、そしてイーブン、どんどん新しい友を連れてきてくれるとよく言っていたが、その通りだと思う。
そしてB級カストリ文化の最高のカクテルが、平岡さん編集の『ハマの毛』だった。平岡流シャッフルで、三波春夫も、井筒家小石丸も、荻野アンナも、飲み屋の親父も、大道芸人もみんな集まってわいわいやる雑誌をつくってしまった。自分も一度だけ書かしてもらったが、この雑誌だけには書きたいと思っていたので、話があったときは本当にうれしかった。いまでも全巻揃った『ハマの毛』は、私の大事な宝物である。
平岡さんは大学の先輩にもあたっているが、ただ平岡さんは花の早大露文中退組。「君は卒業しているから、ダメだね」とよく言われたものである。第一回目の「歌声食堂」の時、平岡さんにロシア語でインターを歌おうと言われて、そんなロシア語でなんて歌えないとひるんだ自分が情けなかった。
平岡さんとなにかやり残したことがあるとずっと気になっていた。今年の春ぐらいに、田中清玄がよく通っていた喫茶店が野毛にあり、そこで話し相手をしていた人と、対談しないかという話が福田さんから舞い込んだ。これは平岡さんがぜひ大島君にやってもらおうと強く言っていたということをあとから聞いた。田中清玄は、いま自分が追いかけている長谷川濬の函館時代の同級生でもあるので、とても興味ぶかい話だった。一度は自分のスケジュールの都合、そしてそのうちに取材すべき人の体調がすぐれず、そのままになってしまった。もうひとつ、「アートタイムス」の6号の特集は、「幻の『血と薔薇』4号」、責任編集は平岡さんと決めていた。『血と薔薇』はいうまでもなく、渋澤龍彦が責任編集をしていた60年代を代表する雑誌、そしてそのスポンサーは神彰であった。『血と薔薇』は当時おおいに話題になったものの、スポンサーである神彰の資金難のため、渋澤は責任編集をおりる。そこで新たに編集長に任命されたのが平岡さんだった。なんとか4号をつくったものの、神彰の会社が倒産、雑誌は印刷されたものの、すべて債権者によって回収されてしまう。平岡さん自身出来上がった4号は見ていないという。そこで、「アートタイムス」で、平岡さんに責任編集をしてもらい、その続きをやってもらおうかと秘かに考えていたのだ。この構想自体平岡さんには告げていない。ただ悔しいから、第6号は「野毛の平岡正明」という特集にしようかと思っている。そうしないとなにかやり残したようで気持ち悪くてしかたがない。


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