Hide out

September 15 [Sun], 2013, 3:27
もうしんどくてしんどくてたまらないからいい加減に病院にかかりたい。それで楽になるとも思えないけど。
何か診断を下されるかもしれないことが怖い。病名はいらない。只気分が落ち込んでるだけだと言ってほしい。

まあ、今は忙しいしかかったところでどうせ半年もすれば病院を変わらなきゃいけなくなるので、限界が来るまではこのまま押し通すつもり。2週間もすればまた皆に会えるのだし、それまでは我慢だ。



そういえば前記事の「施設の子みたい」って話、言葉は違うけど何人かに同じようなことを言われたことがある。
中2の担任と元彼二人。
刹那的なのは性格であって、愛情がなかったからではないと信じたい。

ハルカカナタ滲む空はただただ

September 15 [Sun], 2013, 2:28
1月ぶりくらいにパパと会った。1日空けてねと言われたのでその気でいたのだけど、ランチした後私の一言で彼を怒らせてしまったので途中で帰された。
まあ朝10時半の待ち合わせだったのに20分くらい遅れてしまったこともあるし仕方ないのかなとは思うけれど、かなり理不尽で未だにもやもやしている。

初めに会ったときから感じていたけれど、彼の傲慢な物言いが気に入らない。
よく知りもしないくせに主観だけで物を言うところとか、何の話題も結局損か得かで帰結するのが個人的にむかつく。
あと年寄りだから何度も同じことしか言わないし。
あと、物事に対してのスタンスや考え方が根本的に違う。40歳近く離れているので当然といえばそうなるけども。
私は私で話し始めると頭に血が上ってしまうところがあるし、どうでもいいところでバカ正直が出るので、正しくないと思う意見を黙ってスルーできないので、よく彼の発言にイライラして不機嫌になったり言い返してしまったりする。

そんな感じで今日もまた軽い論争になった。
話題はジェネレーションギャップ的な話。10代20代の自分たちのことを無差別に非難されるような言い方をされたので、同世代として腹が立ってまた言い返した。良くないことだってわかっていたけれど、言われっぱなしで我慢できるはずがなかった。
知りもしないくせに何でそんな事が言えるのか、生きてる時代が違うんだから結局世代間の考えの溝が埋まることはなくて当然、っていうのがこっちの言い分。
そしたら「じゃあそんなんじゃ学問だって必要ないね」と論点をずらされて私はまたイライラ。
確かに昔の人のやり方を研究して学ぶことが学問になっているけれど、それは今してる話と違うでしょう。
で、またそれに言い返して白熱。
もう何故そう言ったかも覚えてないけれど、「結局他人は他人なんだから放っておくしかない」って言ったら彼がキレた。というか見離されたのか。
それで、あんたは施設の子と一緒だ、と言われた。何言ったって無駄、って事だそうです。

まあ普通に両親の揃った家庭で育った子なら別に動揺することもないのかなと思うけど、自分は長らく父子家庭だったしその父親も私を祖父母に預けっきりで年に数えるほどしか会わないので、まあ施設の子って言われるのも確かなのかなって色々考えてしまった。
前に会ったときに自分の話をしたので、私が動揺することも見越して言ったんじゃないかなと思っている。
彼が言うには「バカが出過ぎたことを言うな」「自分の事を思って発言してくれる人(=親)には逆らうな」ということらしい。
仕事でもプライベートでも自分の意見の食い違いを主張してはいけない。言い返すんじゃなくて黙って考えて後から振り返るのが正しい。しかも1日や1週間や1年じゃなくて10年20年黙って考えてろ。
自分は親に何を言われても逆らったことがない、ずっと我慢して黙っていた。親族の前でしてもいないことを言われたことがあるけどその時も黙っていた。でもその時だって、後から親族は「今のことはお前の方が正しい、親は間違ってる」って言ってくれたし、どっちが正しいかは皆分かっていた。だって。くだらねー。

仕事において上の人に楯突くなというのはまあ間違いないけれど、友人関係や恋人関係が我慢ありきで成り立つのは間違っていると私は思う。綺麗事かもしれないけど対等にぶつかり合えるのが本当の友達や恋人じゃないのかな。
仕事は金銭や地位の見返りがあるから我慢できるとしても、友達や恋人に対して我慢して見返り求めたって何も返ってこないだろうに。
10年20年って、私はまだそれほど生きてないんですけども。そういう風に熟慮するのが大切だということは年齢を経てこそわかることなんじゃないんですかね。
それに、出会い系で出会った素性のよくわからないジジイに対して「自分の事を思ってくれてる」なんて気持ちが持てるとでも思ってるのだろうか。思ってるんだとしたら思い上がりもいいところだ本当に。
私はあんたの苗字しか知らないしあんたは私の名前さえ知らないくせに、そんな事平気で言えるのが笑える。
あと私のことをちゃんと思ってるよって言うけれど体はきっちり求めてくるのが笑える。

その場ではごめんなさい、って謝ったけれど振り返ってみたらマジで理不尽すぎてイライラしてきた。
自分は人格者だって思ってんのか知らないけどそういうのって明らかに間違った時代錯誤の考えだって気付かないのかな。私はそれが気に入らなくて言い返すんだけど。

まあ、売女のくせに何言ってんだって感じか。
彼からお金をもらっていることを違う方向から考えればわたしは被雇用者になる。その時点で彼に楯突いてはいけない義務が生じていたのかも。でも自分から恋人みたいな関係を望んでるって言ったくせになんなんだ。

全然関係ないけど私はいろんなところでBLOGを書いている。
ここは3ヵ月ぶりくらいかな?その間に違うところでもいろいろと書いている。
記憶の断片がいろんな場所に散らばっているようだなとふと思った。

サービスの優劣に飲み込まれて

June 23 [Sun], 2013, 2:48
SSS〜THE 5-FIVE-迄キディに通っていたけれど、I sing for youのインストの頃から熱が冷め始めていたんだなーと今になって思う。冬ツアーは惰性だった
やはりDIR復活が大きかったんだと思うけれども。

いつかDIRでもふっと熱が冷めてしまう瞬間がくるんだろうか。それともバンドがなくなってしまうのが先なんだろうか。

I ’ M D E A D

June 19 [Wed], 2013, 2:06
バンギャになってからいろんな経験をした。たぶんバンギャにならなかったらしていなかったであろうことも多いはず。
半分くらいは後悔しているけど、半分は良い経験になったこと。
恐らく今後えげつない(というか犯罪スレスレだが)話も出てくるけれど飽くまで自分の記録用なので良いことにする。
というか、ここくらいしか書けそうな場所がないのでここに書いている。
仕舞いこんでいると気が狂いそうだけれど、他人にそう軽く言えることではないし、忘れるという手もあるけれど、自戒という意味では忘れてしまってはいけない。

おやすみ。

2nd

June 19 [Wed], 2013, 0:45
2008年、中学1年生。
入学して3日くらいのとき、初めて眉毛を剃った。全剃り。その時から化粧を始めた。
Kissのパウダーとアイシャドウかな。それからアイブロウ、アイライナー、5月くらいまでは見よう見まねみたいな雑な化粧だった。
それから初めてピアスを開けたのもこのとき。右ロブに一つ。ピアスはこれからどんどん増えていくことになる。

初めて行ったライブは、hide memorial summit。勿論お目当てはDIRだったけれど、ムックやディスパも好きだったし、LUNA SEAやXも大御所なので興味があった。
スタンド席でモニター越しじゃないとメンバーは豆粒みたいだったけれど、初めてのライブと初めてのDIRに圧倒された記憶がある。heidi.から通しで見たけれど、一度もトイレに立たなかった。
その翌々日、DEATH OVER BLINDNESSの岡山公演に行った。ライブハウスって大体飲み屋の多い場所にあるし、二日前にライブに行ったばかりだったので、祖母にものすごく反対されて行かせないと言われ、ぎりぎりの時間まで号泣しながら押し問答して結局行けることになったライブ。だから遅刻して途中入場だった。ROTTING〜の途中から入ったのかな。一番後ろ、ド下手に居たけれど会場が狭いからToshiyaも京くんもしっかりと見えた。ヘドバンこそしなかったけれど、前のお姉さんが体全体でノっていたので見よう見まねでノった。天井に頭擦れ擦れの京くんを見たと書いてある。

学校はまだそれなりにうまくやっていた。眉毛全剃りの1年がいるという噂を聞いて、3年生から「全剃り」と呼ばれることがあったくらいかな。
中1で入っていた文化委員会(図書委員のような)で、2年次の担任に出会う。この人のことは後述するけれど、自分にとってだいぶ重要な人間だったと思う。

6月か7月に、某掲示板の友達募集スレで今一緒にライブに行っている子に出会う。以下R嬢。

それから、私は当時ふみコミュというサイトのバンギャの集まる板に入り浸っていたのだけれど、そこで仲良くなった子達と8月のガゼットに行った。あの時はチケットありがとうございました。

秋ツアーは広島初日、京都初日、追加公演に行った。Toshiya虜なのにずっと上手に居た。春ツアーではおとなしかったけれど、この頃にはもう立派なバンギャだった。
このツアーはどうも、会員番号の若い人からいい番号がいっていたみたいで、入会したばかりの私のチケットはキャパオーバーの番号ばかりだった。まだ若かったので前に容赦なく突っ込んでいったけれど。
広島は半分家出のような感じで家を出て行った。京都は、ラルクが好きな友達を連れて。この時不正乗車(子供料金)で駅員に捕まる(爆)しかし私の家に連絡が取れず、厳重注意で終わる。よく終われたな自分よ。駅員さんに迷惑かけてしまって申し訳ないと今は思ってる。
追加公演は完璧に家出だった。祖母の財布から一万円を抜いて、子供料金で新幹線に乗った。終演後に父が迎えにきた記憶があるけれどそれ以上は覚えていない。そして、この公演ではセンターに行ってしまい(流されて)初めて気絶した。
因みに追加公演は元々UROBOROSの視聴会?だったのだけれど、視聴会が追加公演になったみたいな発表があってチケットが激戦になった。視聴会にも申し込んでいたのにチケットは取れなかったので、ヤフオクで2000円くらいで発券の権利だけ落とした記憶がある。あのお金はどこから出たのか

11月、UROBOROS発売。学校が終わった後、制服のままチャリでタワレコまで行って、米袋みたいな重さのCDを抱えて帰った。

12月。BAJRA。これが初めてのノ限。秋ツアーとは裏腹に、整理番号が5番だった。
24日か25日の公演にも行きたかったけれどそれは父に諦めさせられた。そして、この日にR嬢と初めて会い、一緒に物販に並んだと思う。
開演前に震えていたら、「大丈夫?笑」って前に居たお姉さんが心配してくれたことも覚えている。あのお姉さんはまだ虜なのだろうか。
横鰤はクロークが出ておらず、整理番号は一ケタなのに最前ではなかった。でも、すごくいい思い出が出来たことを覚えている。
29日の大阪城ホールにも行った。R嬢にタオルの代行をしてもらったのかな。その節は本当にありがとう。
31日の年越しは落選で血眼になってオークションに張り付いてチケットを取ったけれど、またも祖母に大反対されて行けなかった。たぶん2倍くらいの値段で落札した…行けないかもしれないのは十二分に承知していたくせに、本当にバカだったと思う。

この年行ったライブ↓
5月4日 hide memorial summit
5月6日 DIR EN GREY
8月23日 the GazettE
9月20日 DIR EN GREY
9月27日 DIR EN GREY
10月18日 DIR EN GREY
12月26日 DIR EN GREY
12月29日 DIR EN GREY

June 15 [Sat], 2013, 0:05
大変愚かしい話だけれど、自分は頭がいいと思い込んでいた。実際はそんなことはなくて、ただ少し要領のいい子供だっただけ。
才能にも限界がある。大きな努力なしでもまっすぐな道を進んでいける人はほんの僅かだし、その僅かな人間も努力してないように見えるだけで実際は努力しているのかもしれない。それが努力といえるかは置いておいても。

探偵ナイトスクープ始まっちゃう。

1st

June 13 [Thu], 2013, 1:11
振り返れば後悔しかない私のバンギャル人生だけれど、忘れてしまってはいけないと思ったので、ここに残すことにした。


小4で雅に出会って、小5でアンカフェやガゼを知ってバンギャになった。
小5の3学期に蜉蝣を知った。まだ解散から間もない時で、また解散したその日は私の誕生日だったということを知って驚いた記憶がある。大佑が好きだった。
大佑繋がりで、京くんの存在を知った。初めて聴いたのは旧録の残だったかな。
Dir en grey、そして京くんの姿が見たくてオフィやYoutubeを見たけれど、京くんが不細工だと思ったことしか記憶にない。他のメンバーの印象はあまりなかった。

その春にthe studsが結成して、私は小6になった。
スタッズは格好よかったけど、私の中で蜉蝣には及ばなかった。
それから、みゅーじんにDIRが出ることをたぶんVサロで知って、また興味本位でみゅーじんを見た。その時もまだ京くんは不細工だと思っていた。Shinyaがやたらかっこよく見えたけど、今思えば単に映ってる時間が長かったからだと思う。笑
あとはVISUAL SHOCKが始まったのもこの春かな。Phantasmagoriaを知って地下線に興味を持ち始める。結成したばかりのメガマソも好きだった。
余談だが私は女形が好きらしい。当時から好きな麺は女形が多かった。

地下線に興味を持った影響から小学校の卒業アルバムはCureを持って撮った気がする。きぃ様のページを開けてwwwww
今振り返ると小学生だったから当然すっぴんだし黒髪メガネ芋ブサだったし、何やってんだとマジで思うけれど。
で、春〜秋くらいまではまあビジュアル系が好きって以外は普通の小学生って感じで過ごした。

そして2007年の秋かな。DOZING GREEN発売。
近所のCDショップでたまたま予約の取り扱いをやっていたので、何故かまた(とくに好きでもないのに)予約した。ここでディルにはまる。
最初はとくに何の感想もなかったけど、段々いい曲だと思うようになって、気が付いたらDIRが好きになっていた。そのときからToshiya虜。
小学生でライブに行かせてもらえなかったので、べったりとVサロのスレに貼りついていた。
それからDECADEの赤いのも買ったかな。初期Dirにもはまった。

年が明けて2月、その年のお年玉を使ってノットに入った。初めて手にした会報では、Shinyaが30歳になっていた。
あと、小学校のパソコンの授業でインターネットを使ったとき、懲りもせずまたDirを調べたらツアーの日程が載っていて、そこに地元のハコの名前があって授業中に歓喜したり。小学生の頃はこんな感じ。
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