無料のエッチな携帯小説 モバ☆ラブ 

2010年02月02日(火) 12時50分
お久しぶりの更新となります。

我が家のワンコとニャンコの近況報告でもしますか。

ポメラニアンのワンコちゃんは体重が6kgととってもオデブぎみ…

ダイエットをさせるのも飼い主の使命なんでしょうか。

心を鬼にしてエサをあげないことが大事だと思います。

で、雑種のニャンコちゃんは現在4kgと通常サイズで元気です。

ただし冬で寒いからか、いつも以上に甘えにきてくれて、かーわーいーい〜!

ほんっといつも寒ければ一緒にいてくれるのにな…

なんて思ってしまいます。




さてさて、話は変わるのですが

携帯小説などはお読みになったことはありますか?

近頃は無料のものでも読み応えがあり、良いサイトが増えてきていると思います。

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出会いたいワンコ ブービェ・デ・フランダース 

2008年04月29日(火) 13時18分


ブービェ・デ・フランダースはベルギーとフランスの国境地帯フランドル地方を中心に古くから飼育されていた牧畜犬である。
イギリスの女流作家ウィーダの小説「フランダースの犬」のパトラッシュとして一躍有名になった。
ブービェ・デ・フランダースは16世紀前後に、支配者であるスペイン人がフランドル地方に持ち込んだ犬が起源と考えられており、グリフォンの血を引く犬種である。
犬名のブービェは「牛追い犬」の意である。
ベルギーには多くのタイプの「ブービェ」が存在したが、ほとんどの種が絶滅し、ブービェ・デ・フランダースがベルギーのブービェの只一つの生き残りである。

ブービェ・デ・フランダースはベルギー、フランスではポピュラーな犬種となり、急速に人気を高めていった。
第1次世界大戦勃発により彼等の運命は一変する。
ブービェ・デ・フランダースはフランス軍の医療物資を運ぶ医療犬として戦場を走った。
この戦争でブービェ・デ・フランダースの故郷と言われた地方は焼け野と化し、ほとんどの犬が失われ、犬種存続の危機に直面した。
戦後生き残った数頭の犬により再生されたのが現在に伝わるブービェである。

使役用途の犬、特に牧畜犬は能力本位で作出される事が常であるため、サイズにはかなりの幅があり、大型のものは荷車曵きとして使われた。
彼等の飼い主は家畜商人や農夫であり、血統書付きの純粋種の繁殖に興味があったとは考えられない。
近年ブービェ・デ・フランダースのスタンダードが制定されるまでは毛色やサイズに統一性がなく、異なる多くのタイプが混在していた。
ブービェに限らず現役の使役犬種をドッグショーに出陳する場面では、サイズや被毛色などでクリアしなければならない問題も多い。

飼い主はこのサイズの牧畜犬には家畜の番以上の能力を期待した。
結果的にブービェ・デ・フランダースは外敵(獣)に対しては攻撃的で、時には家畜に対しても強い態度でのぞむ。
しかし主人や子供にはきわめて忠実であり、ウィーダはこの犬種の能力、穏やかな性格について小説「フランダースの犬」の中でたくみに描いている。

ブービェ・デ・フランダースも他の犬種と同様にヨーロッパやアメリカに渡り、ショー的な視点で評価されるようになり、洗練されて行った。
しかし現在でもベルギーの熱心なブービェ・デ・フランダースのブリーダーはこの犬種が古い時代の作業犬であった事を忘れる事はない。
彼等はブービェ・デ・フランダースの古い特性の維持を望んで作出を続けている。
ベルギー国内ではブービェ・デ・フランダースが警察犬や盲導犬、救護犬としてその能力によって賞を受ける事はあっても、ドッグショーでチャンピオンの称号を受ける事はない。
粗く硬い濃色のコートに乱れ髪のような眉毛、口髭、顎髭があり、外見は荒々しく近寄りがたい印象を受ける。
アニメや漫画に登場するパトラッシュが実際のブービェ・デ・フランダースの外貌と大きく異なる理由は、ネロやパトラッシュの友人たる少年、少女への配慮によるものと推察する。


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出会いたいワンコ ハリア 

2008年04月26日(土) 12時33分


ハリアは1頭ではなく群れを形成して獲物を追跡する事を得意とする、嗅覚ハウンドに属す猟犬である。
主としてウサギ狩りに使用されたが、訓練次第ではキツネ狩りでも能力を発揮した。
並外れた嗅覚力を備えており、条件の悪い荒れ地でも長時間追走を続けるスタミナをもっている。
ハリアがウサギを追跡する速度は、ハンターが歩いてついて行ける程度のスピードだったため、馬を所有しない労働者階級にもこの犬種は愛用された。

ハリアの犬名の由来はノルマン語の狩猟犬「harrier」からきており、ノルマン人がイギリスに連れて来たという説が有力である。
もともと「harrier」とは追跡ハウンド全体を指す語であったが、19世紀に入り当時優秀な追跡能力を示したハリアの祖先にあたる犬種に「harrier」の名称が与えられたと考えられる。

ハリアの起源については、サザン・ハウンドにグレーハウンドを交配して作出したという説があるが、他にも諸説あり、その詳細は不明である。
ハリアの外観からはブラッド・ハウンドやビーグルの祖先と密接な血縁があると言う説に説得力があるが、近年ではイングリッシュ・フォックス・ハウンドの小型のものを選択育種したものがハリアであるとする説が支持されている。
実際にハリアはイングリッシュ・フォックス・ハウンドに体形、毛色ともに酷似しており、やや小型である事を除いては両犬が混同される事が多い。
気質の点でもフォックス・ハウンドとビーグルの中間に位置すると言われる。
体高が標準を超えるものは、フォックス・ハウンドの影響が強いものとして、ハリアとして認められない。
ハリアにはフォックス・ハウンドにはないブルーの斑が現れる事がある。

この犬種の存在が歴史上明確になるのは、1260年頃のイギリス西部である。
その後の少なくとも500年間はこの地域で繁殖飼育されていたと言われ、ウェールズでは「ありふれた犬」であった。
19世紀に入り、ハリアは絶滅に近い状態となったため、フォックス・ハウンドの血統を入れて再生を果たしたいきさつがある。
イギリスにはハリアの単犬種団体が存在するため、ハリアはイギリスKCのドッグショーに出陳される事がほとんどなかった。
イギリスKCは1986年この犬種を公認犬種から削除している。
アメリカでは英国植民地時代より嗅覚ハウンドとして盛んに使用され知名度が高い。
ハリアは他犬にも友好的で集団飼育にも耐える。
近年では、猟犬としてだけでなく家庭犬としても愛されている。



出会い系

出会いたいワンコ オーストラリアンテリア 

2008年04月24日(木) 17時28分


オーストラリアン・テリアはオーストラリア大陸で初めて作出され、他の国で公認された最初の犬である。
19世紀イギリスからオーストラリアへの移住民が、多くのイギリス原産の犬種を持ち込んだ事は容易に想像できる。
オーストラリアでラフコーテッド・テリアと呼ばれていた地元のテリアと、イギリスから持ち込まれたテリア種を交配させ、進化固定されたものがオーストラリアン・テリアである。
オーストラリアの特異な気候や地形にも耐え、足が速く丈夫で豪胆、見知らぬ人物が近づくと吠えて知らせる番犬になる一方、時には愛玩犬にもなる小型犬として作出された。

この犬種に要求される望ましい特徴を強化するために、選択された多くのテリア犬種が異種交配された。
ダンディ・ディンモント・テリア、スカイ・テリア、ヨークシャー・テリア、今日のマンチェスター・テリアにつながるブラック・アンド・タン・テリア、アイリッシュ・テリア、ケアーン・テリアなどが使用されたと言われている。
当然の事ながらオーストラリアン・テリアはオーストラリアで非常に人気が高い犬種で、シルキー・テリアの祖先にあたる犬種でもある。
この犬種に期待された役割は「理想的な農家の犬」であった。
オーストラリアン・テリアは本質的に用途の広い使役犬として完成しており、聴力視力ともに優れ、丈夫で理解力があり賢い。
いかなる事変にも対応できる準備をしており、自信をもって自由に活動する。
農場ではネズミ、リス、ヘビなどを捕殺し、羊の番もした。
警戒心が強く、活動的で勇ましいテリア種の気質を備えている一方、陽気で、子供や老人にも親しみやすく、従順な良い家庭犬となる。
テリア犬種の中でも特に小型で、都市での飼育にも適している。
尾は断尾され、耳は直立している。
被毛色はブルータン、サンディー、レッドの3種類がある。
ブルーブラックの子犬が、成長に従いブルータンに変化する。
首の周りには特徴的なひだえり状の毛があり、胸の下には長い飾り毛がある。
頭頂には柔らかい絹状の長い房毛がある。耐候性の被毛はほとんど抜ける事がない。

1887年には「オーストラリア・テリア・ラフ・コーテッド」の名称でクラブがメルボルンで設立され、1896年までに犬種標準が確立された。
その後欧米に紹介され、1960年にAKCに登録された。


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出会いたいワンコ プーリー 

2008年04月22日(火) 16時59分


プーリーはハンガリーに於ける牧羊犬、家畜追い犬の代表的な犬種で、犬種名の「プーリー」はハンガリー語で「リーダー」の意。
プーリーはコモンドールと同様1000年以上前に中近東の遊牧民によってハンガリーに持ち込まれた。
コモンドールとプーリーは縄状の被毛や体形が似ているが、性質はかなり異なっている。
プーリーの方が作業意欲旺盛でテリアの気質も兼ね備えており、牧羊犬としての性能は高い。
プーリーは毛色や毛質を除けばチベタン・テリアとの類似点が多く、プーリーの始祖がチベタン・テリアであった可能性は高いと言われる。
プーリーは水中での活動を得意とし、とりわけリトリバーとしての性能が高い。
性能的にも体形的にも、プーリーがプードルの祖先にあたると言う説も信憑性が高い。
牧羊犬としてのプーリーは、群れから離れた羊を見つけると羊の背に飛び乗り、背を引っ掻いたり首筋を噛み、方向をコントロールして群れに戻すなど多才な犬である。

17世紀以降、ハンガリーでは西欧民族の流入によりフランスやドイツの牧羊犬とプーリーとの交雑が進み、プーミーが作出された。
プーリーとプーミーは長い期間区別する事なく扱われたために、結果としてプーリーが絶滅に近い状態となった。
1912年にプーリーの復元プログラムが実行され、1915年にプーリーのスタンダードが制定された。
1923年ブタペストのドッグショーで新しいプーリーが公開され、1924年に国際畜犬連盟により公認された。
1935年当時はプーリーのサイズが多様であったため、ハンガリーの犬籍簿ではサイズによって3〜4つのクラスに分類された。
大型のものは主として警察犬、中型がショー用で、小型がミニプーリーとされた。
この内、中型のプーリーが愛犬家の人気を得て定着したようである。
第2次大戦の戦渦によって、ハンガリーに於けるプーリーのブリードは再び壊滅状態に至ったが、主として北米のブリーダーによって系統が守られた。

プーリーの被毛色は一般に黒が多い。
プーリーの黒色被毛は純黒ではなく、光沢が失われている。
つまり、風雨にさらされ、炎天下で酷使されたくすんだ黒が、プーリーの独特の黒とされている。
プーリーにはグレーやホワイトもある。
ホワイトなど明るい毛色は夜間の羊の警護のためには視認性が良く好都合であったが、昼間は羊との区別がつきにくいため一般には黒が好まれた。
さらに羊は明るい毛色のプーリーよりもブラックのプーリーの指示に従いやすいと言う事情もあった。

プーリーは2枚毛でアンダーコートは柔らかい羊毛状で密生している。
オーバーコートは長く、波状又は巻き毛である。
プーリーの被毛は幼犬時には房状であるが、成長に従い自然にまかせた状態ではアンダーコートがオーバーコートにもつれ込み、縄状によじれて垂れ下がる。
この被毛がプーリーの環境に対する順応性を高めており「羊の群れを守る激しい労働に適したもの」と言われ、極寒の環境でも眠る事ができる。
プーリーは賢く、活発、機敏で瞬時に方向を変える事ができる。
近年、プーリーは牧羊犬としてよりも愛情細やかな番犬、家庭犬として人気を博している。


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出会いたいワンコ ビションフリーゼ 

2008年04月21日(月) 17時07分


フランス語の「愛くるしい・巻き毛」を意味するビション・フリーゼは純白のカールしたむく毛に包まれた陽気な小型犬である。
ビション・フリーゼはもとはアフリカ北西沖カナリア諸島テネリフェ島の古い土着犬であったと言われている。
この犬種がウォーター・スパニエルの系統を引き、プードルと近縁であるとする説は信頼に値する。

14世紀にイタリア人がカナリア諸島で発見し、ヨーロッパに持ち出したのがきっかけでこの犬種が知られるようになった。
当時、新しい犬種の国際間の移動に貢献したのは船員達で、地中海沿岸諸国でとりわけ海運国で知られたスペインへの上陸は早かった。
珍しい新犬種、特に貴婦人が好む「抱き犬」は交易品としての価値が高く、物々交換にも利用され、船員の副業以上のものとなっていた。
ビション・フリーゼがアフリカ絶海のテネリフェ島の産であるとするのは、取り引き上の付加価値を増すのに好都合であったとの見方もある。

以後ヨーロッパの貴族社会で「白い抱き犬」が注目を集め、破格の高値で取り引きされた。
ビション・フリーゼは16世紀の中頃フランスで一躍人気犬種となり、小型化が進むとともに貴族、貴婦人たちが競って飼育した。
ビション・フリーゼはリボンを付けられ、当時流行の香水を含む水でシャンプーされていたと言う。
ゴヤを始めとするヨーロッパの肖像絵画に貴族や王女とともに描かれる事も多かった。
ナポレオン3世時代以降は政治体制の変化、価値観の変化とともに「愛玩犬」は庶民レベルのものとなって行き、一般家庭でも飼育されるようになった。
19世紀後半になると多くの「愛玩犬」が街の中で普通に見られる犬となった。

1933年フランスで正式にビション・フリーゼと命名され、1934年フランスのケネル・クラブが公認した。
1956年にアメリカに渡り、AKCは1973年、ノン・スポーティング犬種として公認している。

第一次大戦後の混乱期には、純粋犬種の血統があいまいとなり、ビション・フリーゼは絶滅寸前と言われたが、フランスのブリーダー有志によって正統な血統の復元が行われ、現在ではヨーロッパを中心に安定した人気を保っている。
かつてビション・フリーゼはヨーロッパの宮廷でライオン・スタイルに刈られるのが普通であった。
現在のビション・フリーゼのトリミング・スタイルは近年になってアメリカ人のトリマーが考案したもので「パウダー・パフ」と呼ばれる。
この独特のカットの功績によってビション・フリーゼが注目されるようになり、世界的に認知されるようになった。

ビション・フリーゼが我が国に紹介されたのはさらに近年になってからである。 この時期は日本ではマルチーズの全盛時代で、「パウダー・パフ」に注目が集 まったものの、マルチーズと同タイプであるビション・フリーゼが特別に普及する事はなかった。
サイズではマルチーズよりやや大きく、被毛はマルチーズほど長くない。 飾り毛のある垂れ耳で、高く尾を背負い、いたって陽気、活気に満ちた小型犬である。


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出会いたいワンコ オーストラリアンキャトルドッグ 

2008年04月18日(金) 17時20分


オーストラリアン・キャトルドッグは19世紀の中頃、イギリスからオーストラリアに持ち込まれた牧羊犬を改良して作出された。
オーストラリアの主産業である牧畜に最も適す犬を作出する目的で多くの犬種と野生種が交配された事が背景にある。
牛を管理する能力を有する使役犬をヒーラーと呼ぶが、オーストラリアン・キャトルドッグこそまさしくこの目的のために作出された犬種である。

オーストラリアが植民地となった頃は比較的小規模な牧畜が人間の居住地(現在のシドニー付近)に近い所で行われており、牛は人や犬にも慣れており、入植者達は本国から連れて来た牧畜犬で一応の作業をこなす事ができた。
やがて牧畜規模の拡大とともに西部の広大な地域が放牧のために開拓され、想定していなかった牛の半野生化という事態に直面する。
ヒーラーは牛を寄せ集め、移動させる作業がこなせなければならないが、ヨーロッパ由来の牧畜犬では半野生の牛を制御するのは困難であった。
さらにオーストラリアでは牛の出荷に際して極めて遠距離の牛の誘導が必要で、ヒーラーには過酷な労働条件に耐え得る強靭な体力と不屈の精神力が求められた。
イギリスではかつてブルー・ヒーラー(絶滅種)と言う犬種が牛を船に積み込む際の追い立て役として使われていたが、オーストラリアン・キャトルドッグはブルー・ヒーラーの再現を意図して開拓者によって作出されるのである。
オーストラリア大陸で通用するブルー・ヒーラーに匹敵する牛追い犬の完成が課題であった。

オーストラリアン・キャトルドッグはスコットランドから輸入されたブルーマールの短毛ハイランド・コリーに野生犬ディンゴ、オーストラリアン・ケルピー、ダルメシアン、ブルテリアなどを異種交配して作出された。
特に野生犬ディンゴとの交配によるこの犬種特有の資質がオーストラリアの食肉産業の発展に大きく貢献したとする説は決して大げさではない。

牛の大集団の誘導はオーストラリアン・キャトルドッグにとっても危険な作業で、牛の進路から反射的に離れ、かつ制御する技術が必要であった。
低く身を伏せて危険を回避する能力は野生犬ディンゴ譲りのものである。
地中に穴を掘っての出産や、離乳が早い事もディンゴから受け継いだこの犬種の特徴となっている。
吠えずに作業をこなす事でも知られている。
オーストラリアン・キャトルドッグはディンゴの体力と、ハイランド・コリーの知恵、ダルメシアンの忠誠心の集大成である。
体全体が筋肉質で骨量豊か、よく均整がとれ、機敏な動作が頼もしい忍耐力に優れた犬種である。
オーストラリアン・ケルピーが牧羊犬であるのに対し、オーストラリアン・キャトルドッグは牛の管理が主任務であり、地域によってクイーンズランド・ヒーラー、オーストラリアン・ヒーラーなどの呼び名を持っていた。
中でもブルーの毛色のものはブルー・ヒーラーの再来と言われ人気を博した。

オーストラリアン・キャトルドッグの被毛色にはブルーマール・コリーの影響が強く残っている。
ダルメシアンの影響として出生時には白に近い色の個体もあり、成長に伴って毛色が明確になって行く。
忠誠心の強い犬種であるが警戒心が強く行動的な犬種であるため、家庭犬としての飼育に際しては攻撃的とも思われかねない性質を持っている。
幼犬時からの服従トレーニングが必須である。


出会い系

出会いたいワンコ ラサ・アプソ 

2008年04月17日(木) 17時12分


ラサは神秘の国チベットの首都で、インド国境を北に越えた山岳地帯である。アプソは黄金色の被毛を持つ山羊の意。
この犬がこの国の山羊に似た被毛を持つ事により、ラア・アプソと呼ばれる。
ラサ・アプソはチベットではアプソ・セン・カイと呼ばれており「吠えるライ オン」と言う意味のチベット語に由来すると言う説もあリ定かではない。

ラサ・アプソは2000年の歴史を持つ古い犬種で、人の死後「魂が宿る犬」と信じられ、ラマ教の僧侶の庇護を受けて飼育されていた。
数世紀にわたり高僧や貴族が独占して飼育し、信仰の対象として宗教儀式にも参加させ、門外不出の犬として扱って来た。

門外不出の犬が門を出る時、つまり外国への献上などの場合には、複製を防止する目的で雄犬に限られていた。
ラサ・アプソは中国の朝廷へ雄犬が献上された事があり、この犬がシーズーやペキニーズの祖先犬になったと考えられている。
ラサ・アプソは現在でも幸福をもたらす(魔除け)犬と信じられている。
ラサ・アプソがヨーロッパに渡ったのは20世紀に入ってからで、ロンドンのドッグショーでは「東洋の魔除け犬」として紹介された。
海外への普及過程でチベタン・テリアやシーズーと混同された経緯があり、シーズーとの混血も行われた事から被毛色にも混乱があり、高度に固定された犬種とは言い難い。
真のラサ・アプソは現在でもチベットでしか見られないとも言われる。
KCは1933年、AKCは1935年に公認している。

ラサ・アプソはチベット原産のチベタン・テリア、チベタン・スパニエルと共通した厚い被毛を持ち、飾り毛豊かな尾を背負っているのが特徴である。
硬く長い上毛と密生した下毛はこの地域の山羊とともに、山岳地の寒冷気象に適応したものである。

ラサ・アプソは聴覚がきわめて鋭く、遠くから知人と他人を見分ける能力に秀でている。
鋭い聴覚によって雪崩の予知も可能と言われ、現在でも雪山の登山に連れて行く慣わしがある。
チベット原産の犬に共通する性格として、主人に忠実で情愛深いが他人に対しては警戒心が強い事が挙げられる。
日本では問題行動とされがちな、警戒心が強くよく吠えると言うラサ・アプソの特質は往時のチベットでは長所とされていたのである。

欧米の愛玩犬の成り立ちとは異なった歴史をもつ事がラサ・アプソの気質に大きく影響しており、長毛小型のこの犬種がトイ・グループに分類されない理由と考えてよい。
現在でもラサ・アプソの愛好者は警戒心に基づくこの犬種の特質を容認しており、「無駄には吠えない」と応じている。
チベタン・テリアよりは小型で、白色被毛のものはマルチーズに似ている。



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出会いたいワンコ ロットワイラー 

2008年04月16日(水) 17時00分


ロットワイラーの祖先は、古代ローマ軍が現在のドイツに侵攻する際に同行した古い犬種と言われている。
いつの時代も軍の遠征には膨大な装備が必要で、特に兵士の食糧の補給は重要な課題であった。
冷凍技術の無い時代には、食肉は生きたまま輸送する必要があった。
ロットワイラーの祖先とされる犬は兵士の食糧となる家畜の追い犬として、軍の遠征に同行し、夜間は番犬としても役立ったのである。
ローマから中欧への進軍はアルプス越えが最も近い。
過酷な気候条件の中、ロットワイラーの活躍によって進軍が可能となったなどの逸話が多く残っている。
ロットワイラーは以後ドイツに定着して、牧羊犬、牧畜犬としても改良され、その能力を発揮した。

後年、古代ローマ軍が占拠していた地域の住居跡から赤いタイルの堆積が発掘された。
南ドイツのこの地方は、赤いタイル「ロット・ワイル」地方と呼ばれるようになり、ロットワイラーの犬種名はこれに由来すると言う。
地形に恵まれたロット・ワイル地方は交易の要衝と化し、家畜商人の多くもこの地に住んだ。
その結果、この地域で家畜移送のためのロットワイラーの需要が高まり、牛を市場まで追い立てる際には不可欠の犬となって行った。
ロットワイラーは主として家畜業者によって飼育されて来たために「肉屋の犬」と呼ばれていた。

19世紀の終わりになるとドイツは交通の妨げになる、犬による家畜の移送(追い立て)を禁止した。
ロットワイラーの仕事は鉄道や車両に奪われる事となり、ロットワイラーの存在が危ぶまれるようになる。
実際、この地方でロットワイラーの数は激減し犬種存亡の危機を迎えた。

近年、ロットワイラーは篤志家によって再現され、現在では世界中にファンも多い。
ロットワイラーはその優れた防護能力の故に「護身犬」としての知名度が先行し、薬物密売業者や犯罪者が好んで飼育した一時期があり、これらの用途に向けるためのトレーニング方法も伝承されたりした。
この犬種の高い知能と強い防衛本能が悪用された例と言える。
被毛色や顔貌、感情を表現しやすい特質など、いずれもが護衛犬のイメージに直結していると言える。

ロットワイラーはドーベルマンの作出に大きく貢献した犬としても知られる。
ドーベルマンに比べ首が太くたくましいのが特徴で重々しい印象を受ける。
ロットワイラーが過去も今日も高い評価を維持しているのは、ローマ時代から脈々と継承されるマスティフ系犬種に共通する特性によるものである。
近寄り難い印象は受けるが、家庭犬として飼育する場合に決して危険な犬ではない。
現在では有能で意思堅固な番犬としての人気が高い。
一般にロットワイラーの尾は第1尾椎を残して断尾される。


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出会いたいワンコ ハバニーズ 

2008年04月15日(火) 17時20分


ハバニーズはキューバ原産の唯一の犬種で、キューバの国犬となっている。
犬名はキューバの首都ハバナに由来する。
かつてはハバナシルクドッグ、スパニッシュシルクプードルという名前で呼ばれた事もあった。
イギリスではビション・ハバネロという名称で呼ばれる事もある。
ハバニーズの始祖犬はビション・フリーゼと同じ系統であると考えられ、改良の過程でマルチーズやプードルの混血も行われた。
ハバニーズの始祖犬となった犬がキューバに渡った経緯は定かではないが、16世紀前半に、スペインのカナリア諸島テネリフェ島からキューバに着いた貿易船に乗っていた犬が、キューバの上流階級の人々に渡ったと言う説が最も有力である。
キューバはスペインの植民地であったが、主要産物である砂糖の生産を独占していた上流階級の人々は特権的な生活をしていたようだ。
キューバはスペイン以外との交易を厳しく制限されていたため、結果的にハバニーズは閉鎖的な環境で繁殖される事になり、現在のハバニーズに発展したと考えられている。

当時のキューバではハバニーズが市場で売買される事はなく、上流社会で贈り物として譲渡されたので、庶民が手に入れることは不可能であった。
やがてハバニーズはヨーロッパに渡り、人気が高まる。
18世紀中頃のヨーローッパでは、ハバニーズがしばしばドッグショーに出陳され、王族や貴族にも飼育された。

20世紀に起きたキューバ革命とともにハバニーズは上流階級の人々の愛玩犬から庶民のペットに変わって行く。
二度の世界大戦の結果ハバニーズは他の犬種と同様に絶滅の危機を迎えた。
ヨーロッパはもちろん、原産国のキューバでも生き残ったものはほとんどいなかったと言われている。
今日アメリカで見られるハバニーズのほとんどはキューバ革命でアメリカに亡命した人々が連れて行った11匹のハバニーズの子孫だとされている。
歴史に翻弄されたハバニーズは、1999年142番目の犬種としてAKCに公認された。

ハバニーズの特徴的な被毛は、キューバの亜熱帯性気候の厳しい暑さから身を守るために適したものである。
強い太陽光線から眼を保護するために、伝統的に頭上の被毛を整える習慣がな い。


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