コンパクトSUVのRVRも三菱らしさを残すヒット車

July 19 [Wed], 2017, 16:23
電動化とSUVの両輪で三菱が復活することを祈りたい。三菱自はなぜ、ここまでアイデンティティを失ってしまったのだろうか。歴史を紐解きながら考察してみよう。技術にこだわる三菱重工業は戦前からクルマづくりを手がけてきた企業で、三菱自は1970年にその三菱重工の自動車部門が分離・独立して発足したメーカーだ。が、ルーツは自動車だけではない。自動車部門は大東亜戦争終結まで「零式艦上戦闘機」をはじめ幾多の軍用機を生み出してきた航空機部門の流れをくんでいる。2代目社長の久保富夫氏は高速偵察機の設計主任者を務めた人物。3代目社長の東篠輝雄氏は零戦の機体設計に関わり、戦後は国産旅客機「Y5-n」の量産プロジェクトリーダーを務めた。その次の曽根嘉年社長は零戦の後継機である「烈風」の開発実務を手がけた。三菱自の社長室には長年、零戦の設計図が保管されていたことは、航空機の系譜に連なることを物語るエピソードだ。さて、その三菱自のクルマづくりの特徴は、とにもかくにも技術にこだわるというものだった。90年代半ばまではヒット商品を次から次へと送り出し、6代目の中村裕一社長が「(2位メーカーの)日産のテールランプが見えた」と一言うほどの勢いであった、が、当時の開発哲学のひとつに「世界初の技術がひとつもないクルマは新型車ではない」というものがあった。たとえば1984年に投入したエンジンでは、低回転と高回転でバルブを作動させるカムシャフトの山を切り替える機構を世界で初めて市販車に採用した。有名な「VTEC」をホンダが実用化する5年も前のことだ。もちろん、新型車を出すたびにそんな大物の世界初技術を出せるわけではない。エコカー減税に対する関心は相応に高いようだ。92年に発売したフルサイズ高級車、3代目「デボネア」では、世界初の技術として「オキシジェンリッチャー」を搭載した。室内の酸素濃度が低下したときに酸素濃度を高めて眠気を防止するという、いわば強制あくび装置のようなものだ。「これが世界初の技術とは強引すぎるだろう」と、失笑を買ったものだったが、そうまでして世界初にこだわる姿勢を貫いていたのはアッパレとも言えた。フルラインターボ戦略航空機出身の社長が続いたことの影響は、クルマづくりの細部にも見てとれた。三菱自は昭和時代、軽自動車から最上級モデルまですべてのクルマにターボエンジンを搭載する、フルラインターボ戦略をとったことがある。当時、他メーカーもターボ車を続々と投入していた、が、三菱自が使った三菱重工製の排気タービンは、軽自動車用でもチタニウム合金の軸受けを使っていた。
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