復活の日

January 12 [Mon], 2009, 0:33
僕の好きな本のひとつに小松左京氏の「復活の日」がある。
未知の病原菌に対する人類の呆気ない滅亡の描写が生々しく何度読み返しても背筋が凍る思いのする作品である。
さて、この作品では宇宙から採取されたウイルスが生物兵器転用のために継代培養された「MM-88」なるものが原因となる。
そのMM-88はインフルエンザウイルスなどに隠れて流行していく。だから人類は当初、いや滅びきったときまで「風邪に滅ぼされた」と思っていた。
そんなことがあるのだろうか?たかがインフルエンザで?人類はあれだけはやったペストでもスペイン風邪でも生き残った。その人類が風邪で?
僕はないとは言い切れないと思う。航空機の発達はスペイン風邪のはやった当時よりも世界を狭くしているし、物流も活発になっており、もはや世界との接触無くして個人の生活は成り立たなくなっているから。
それに政府が危惧している新型インフルエンザの犠牲者の統計は既に一世紀近く以前のスペイン風邪での被害が基になっている。
この一世紀で世界は劇的に変化した。
世界はこの一世紀近くの間、スペイン風邪ほどの伝染力と致死性を持つ感染症の流行をほとんど経験していない。今の人は感染症の恐ろしさを知らないのだ。
もちろん僕も知らない。SARSが流行したときもどこか遠くの世界の話だった。島国日本のおおきな欠点だろう。つまり、アジア人であるにもかかわらずあたかも自分は西欧人かのような錯覚にとらわれる。アジアの大波もこの国では細波にしかならない。
なにがいいたいか、つまりは何か大きな出来事に直面したとき気付かないうちに内側まで入り込まれている危険性がある。こと病気に関しては日本人の未経験と無関心さが生む悲劇。
だが、そんなに悲観的になることもないと思う。最初に言ったが僕は「絶滅するとは言い切れない」と言っただけである。
選ばれた1%という考え方がある。
これはどんな危険で致死率が高いウイルスが発生(最近テロでも戦争でも)しても人類の1%には免疫があり人類は生き残るという考え方だ。
確かに実証の仕様のないような荒唐無稽な考え方だ。しかし近いことはいえると思う。
例えばそれが発生した時点で何らかの偶発的事情により外気から隔離されていた、もしくは「無菌大陸」などの寒冷地にいた、などの事情で且つウイルス事故が発生したことを理解しうる環境にいる。
この理論は僕が小松氏に触発されて勝手に考えただけだ。しかし、選ばれた1%の考えよりは幾分もまし、または幾分も論理だっている気がする。
いかなることがあっても、人類は滅びない。ひとはそこまで弱くはない。
ただ、現状のままではどう転ぶかはわからない。大切なのは無関心をやめさせることではないだろうか?それは世界中から病気を根絶するよりも難しいかもしれない。しかし、たったそれだけで人類が生き残る可能性が格段に向上することを考えればたやすい。
人間は何百、何千、何万分の一の規模に減っても不死鳥のごとく蘇る、そう信じたい。
「復活の日」は最後にこう締める。
明日の朝、私たちは北へむかってたつ。"死者の国"にふたたび生をふきこむべく―。北方への道は、はるけく遠く、"復活の日"はさらに遠い。―そして、その日の物語は、私たちの時代のものではあるまい。

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