現状打破を考える

May 10 [Sun], 2009, 2:28
さて、メイン項目の「現状打破」ですが、これは中々難しいんです。
なぜか?それは人というものは理由や法則、因果関係によってそれぞれの位置がほとんど決まっている〜つまり運命にほぼ固定されているからです。

正式には運命というものを認めなくてもいいのですが、それは運命という言葉を使わないだけで、自分の居る場所・環境・位置などはその人のレベルや状態にあっているからその状態なのだ、ということです。
極端な例えですが、金持ちは大概金持ち、貧乏な人は多くの場合貧乏となる状態がほとんどです。

それは神様が決めたとかそういうことではなく、目には見えない因果関係があってその状態に人間というのは居る場合が多いのです。それは枠のようであり、籠・檻のようでもあります。

決して卑下して言っているのではなく、実際有る程度人生を生きて世の中を狭いながらも見ていると、そういうことに出くわす・観るものです。そして、その中で「まあ、こんなものか」とか「これで十分」という人は構いませんが、「こんなものじゃ嫌だ」とか「自由が欲しい」などという人はやはり現状打破を望む訳です。ただ、そのどちらかになるかは個人の考え如何だ、ということですね。

そして、そのおおよそ「決まった枠」にはまっている状態ではそこから通常では脱出できることはありません。
つまり、一生枠内で生まれ・死ぬ、というのが普通の人間の人生なのです。

そういうと「それじゃあ生きている意味はないし、人生もたかだか知れているな」と思われるでしょう。
有る反面そうだとも言えるし、また仮に枠が決まっている人生だとしてもその中でどう生きるか・感じるかが問題な訳で全く意味が無いとは言いません。ただ、無味に感じることは有るでしょうね。

人によって個人差というのがあります。なので、私の言うのは「現状に満足を感じている人で特に向上を持たない人」にはなんらつまらないブログなので、適当に読んでください。(というか途中で面白くなくなるでしょうけど)
ですが、そうじゃない。人生を良くしたい。自分を向上させたい。枠からでたい、という人は共に学んでゆきましょう、という趣旨ブログなのです。

で、長々と話しましたが、実は現状打破というのは憧れの項目であり、成就したら凄いことなのですが、それはかなり大変なんだよということを言っておかないと、「なんだペテン師か」と言われかねないので申した次第です。

前振りというか、プロローグはこんな感じですかね?
次回は、この続きから行きます。よろしくー。

方策と心と体〜体について 5

May 06 [Wed], 2009, 6:02
一番の発端は身内のものがガンになったことがきっかけでした。
見舞いにも数度行き、「そのうち良くなる」と思ってたのですが、医者がさじを投げてしまいました。
つまり、医学の限界が有るわけです。

かなりショックを受けました。抗がん剤が有るうちはまだいいが、もしそれも駄目となれば、死ぬのを待つだけです。抗がん剤は効く種類が限られており、それがどれも通用しなくなると終わりなのです。

それでいろんな方からアドバイスを貰い、気功やヒーリングも効く場合が有る、というのを知り、その辺りを勉強しました。しかし、必ず効くとは限りませんし、それなりに費用もかかります。
勉強してゆくうちに、「もしも自分がそれをできるようになればいいのでは?」と思うようになりました。
でも、そうそうできるものではないですよね。

でも、できる云々よりもその勉強をしてゆくうちに、自分が以前から模索していた「現状打破」に関わることに気が付きました。つまり、体に異常が起きるのは何らかの原因で肉体に不具合が起きる。その原因として生活習慣と心の問題が有ることに気が付きました。

それが今まで話してきた内容なわけです。

ですから、身内のものがガンになるのはやはりそういう因果関係が有るし、また自分もそのことは十分言えるわけです。逆発想で考えれば、ちゃんとしないと自分も身内の二の舞をするぞ、ということです。

いくら心を綺麗に、とか精神を鍛える、といっても体を動かさないで居たら不具合も起きるというものです。
実際、身内のものは入院中に体重が−20Kgも落ちて、全身の筋肉も落ち、たくましかった体も骨と皮に近い状態になっていたのです。

これではいつか早死にする・・・そう私は感じました。
廊下も歩くのが苦痛な身内・・・。その様を見て私は「何かに気づけ!」と促された気がしました。

で、色々考えたり学んで行った結果、現在に到るのです。

人はいつかは死にます。ですが、その観念はあっても「何もしないまま死ぬ」のは嫌なわけです。
まして、病気と闘っている身内をみて何も感じないのは愚の骨頂かと思います。

何か対策を採らないと次は自分の番だ。 本気でそう思いました。
又、自分は環境も体もあまり良くない。これを打開するためには方法が必要だ。
そう考えたのです。

実際、精神的なものはやってましたが、それだけではうまく行ってなかった。
その精神的なものの他に体との因果を忘れていた・抜けていたのがあったのです。
早めに気が付いて本当に良かったです。

ですので、体調を整え、心を整え、そして方策を練り、実行する。
こうやればおそらくうまく行く可能性は上がると見ています。

誰も教えないことなので悟るには時間がかかりましたが、そこからやってみる・這い上がるのも悪くは無いなあ、と思う次第です。

では、明日から最初に戻って徐々に深い考えに行って見ましょう。

今日は早く目が覚めたので04:30から運動を行いました。
体もちゃんと動いてくれました。ありがたい・・・。

命を今日もいただきました。全ての皆様、ありがとうございます。

方策と心と体〜体について 4

May 05 [Tue], 2009, 2:59
この世で要なのはやはり「継続」と言うものが大きな成果を挙げるようですね。
つまり、ほとんどの行いは、一夜漬けとか即効で叶う・効くというのは数が少ない。
全くないということではないが、やはり物事の多くは時間を要する・練を要する、のが多いですね。

なので、継続する姿勢、続けることに意味や意義が有るのだと思います。

まして、私は熱しやすく醒めやすい、と言う性格なので中途でやめることが非常に多いのです。
以来、この性格をどうにかしないといけないなあ、と思っていたのです。

でも、思うだけなら誰でもやるし、思うだけでは進まないんですね。
その私が続いているのはなぜか? 答えは「必要に迫られているのを感じた」と言うことです。

人が動くのは、感動したとか感ずるものがあったときとか、何かも目標に於いて成果を得たい、か、もしくは嫌でもやらされるのもあります。必要に迫られてやるのもあるでしょう。
今回の場合はみんながミックスされていますね。

特に一番比率が大きいのは「必要に迫られてやっている」のが大きいです。
それは、このままの生活を続けると、死期を早める恐れがあったからです。

本当に体がだるく、いくら寝ても疲れが取れず、これは私は「栄養」のせいだと思っていました。
ところが、栄養ではなく、運動不足と生活全般の見直しをすれば改善が見込める、というものがわかりました。
いまどき、栄養不足(失調)で体を壊す、と言う人は普通の生活で生きている人は、そうそういませんね。
食べるものを食べないで、またはかなり生活が切迫していてるのなら別です。
普通に生活や食事を取っているのなら、そんな極端な栄養不足になどならないのです。

よく考えればわかることなんですけどね・・・。

なので、毎朝6時には起きて各種運動を行っているのです。
それで実は気が付いたことが有るのです。それは、自分の体の衰えが激しいことです。
栄養云々よりも、体がなまりすぎて変調をきたしていたことです。

まず、基本としてラジオ体操をやりますが、今ではまあまあできるようになりましたが、この体操がマトモに出来ないのです。それこそ極端な表現ですが、自分で自分に拷問を課している様でしたね。
つまり、体が慣れるまでは、体が痛くて体操すらマトモに出来ないのです。

若いときは「何だこんなもの」と平気でやってのけた「ラジオ体操」。それこそいくらでも出来たものです。
それが第一体操一つやるだけで”めまい”がするのです。
また、体のあちこちがきしみ、「痛い!」の連続で、傍から観れば「何やってんの?」と言いたくなるくらい不甲斐ない行為に見えるほど老化と退化した自分が居ました。

これでは精気の出しようがないのも当然です。いつも寝たきりの状態でしたからね・・・。

いろんな書物も見たのと、ここ最近ですが身内がガンになったものが居るものですから、そのことがきっかけで体のことを考えるようになったのもあります。

実はそれが大きなきっかけで気づきを得て動くようになったのです。
それは明日のネタ、ということで、今日はこの辺で・・・。

今日は早く起きちゃったw これから6時にいつものように運動しますよ〜。
今日も命をいただきました。全ての皆様、ありがとうございます。

方策と心と体〜体について 3

May 04 [Mon], 2009, 12:12
よく「気合いだ!」とか「精神がたるんでいる」などという言葉と共に気持ちのダレを是正するのを見かけたり聞いたりします。最初は私もそれを真面目に受けていました。

しかし、どうしても途中でダレる。まあ、確かに自分に甘いと言うのもありますが、どうにかならないかなあ、と模索していたら、前の記事に書いたように「体が稼動しない・不健康な状態は精神も奮起ならない」と言うのがわかってまいりました。つまり、体と心はつながっていて連動もする部分が多いためなんです。

なので、体を動かす訓練と共に心も同様に訓練する、と言うのが理想的なようです。
ただ、恐ろしいのはそこまで行かない人です。
体も錆付いて、尚且つ心も奮起できない人です。これは非常に問題ですね。
そういう場合はかなり救いようが無いですね。

ですが、そうでない場合は何らかの策を自分に起こしてみる。自分のやりやすいように、また継続できるようにやれる方法を得なければいけませんね。

今、自分はそれをやっています。朝6時に起床し、体操と準備運動、そしてウォーキングの後、柔軟体操と筋トレをやり、その後下半身のツボを押してマッサージします。太陽光の瞑想も取り入れ、今までの自分と違う行動を楽しんでいます。

これを毎日一人でやるのですから、結構継続力の無い私にしては大変です。
というか、乱心したか?と言うくらいの出来事です。
よく自分でもやっているなあ、と思いますもの。

それについては明日のネタにすることにして、今日はここまでにします。

今日も元気でいられる。全ての皆様、ありがとうございます。

方策と心と体〜体について 2

May 03 [Sun], 2009, 1:42
昨日は体の状態(調子)と自分が得た気づきを書きました。今日も続きを書いてゆきたいと思います。

この世では心と体が一体であるために、重要な関係であると言うことを言いました。
その関係と言うか又密接なことがあります。それは「息」です。

呼吸は普段何気なくいつも行っている行動の一つです。
呼吸が面倒くさいとかやりたくないけど仕方なくやっている、と言う人は居ません。
なぜなら、生命活動には必要な行動だからです。

ある本でしたか、こういう言葉が書いているのをみました。

「この何でもない呼吸と言うものが5分も止めていられないほど重要で、無理に行ったら生命の危険が出ます。つまり、それほど呼吸と言うのは大事なものなのです」

まさにそのとおりですね。動物でも植物でも生きているものは皆、呼吸をしている。
ゴロあわせではないですが、生きているから「息」をするんだともいえます。
死者やロボット・機械・人形など生物でないのは呼吸をしませんよね。

そして、この呼吸が乱れると健康も害するのです。
無呼吸症候群や過呼吸、浅い呼吸は身体にかなり悪影響を及ぼすのです。
また、精神的なパニックや衝撃を与えると、やはり呼吸がおかしくなり具合が悪くなったりします。
ですから、普段何気なく行っている呼吸と言うのは本当に大事なのです。

その呼吸を逆に整えることで安定や調子を整えるのが、瞑想や体操、太極拳、気功、武術などがそうです。
これらは呼吸と言うものを大事にし、また効用を重視しています。

呼吸は2つあって、無意識・自動的にするものと、意識して呼吸の仕方を変えるものとあります。
呼吸法と言うものが存在するものは、意識して行う部類になるわけです。
これによって深い瞑想状態に入ったり、体の調子を整えるために行うなどの示唆をいたします。
つまり、意識して行う行為は「心」と言うものが自分の意思で呼吸を普段と変えて調整をしている、ということです。それによって体とのバランスや何かの目的にあった呼吸をし、調整を取っている、ということです。

これで心と体の関係も判ってきたと思います。

ですので、心が体に与える影響や因果関係がわかったところで「体」のほうは一旦終わり、全体的な模索へとまた入ってゆきます。

今日はここまで〜。

方策と心と体〜体について

May 02 [Sat], 2009, 9:02
心もまだ語れますが、長くなるので次の「体」に参ります。

体というのはこの世の存在物体です。肉体に魂が入ったのが今の自分達であり、死ぬと肉体を離れ精神体になります。つまり、この世は肉体というものをまとう世界なのです。そして、その肉体が有る限り肉体の影響と言うのが大きいわけです。

この体というのが健康であり、不自由でない限りはほとんどのことが出来ます。
ですが、体のどこか調子が悪いとか不健康で不具合が有る、肉体的にどこか不具合や損失が有ると色々支障をきたします。

先天的などうしようもない障害を持つ方は別として、普通の五体満足な場合のことを申しますが、そういう状況の人でも何か不具合を生じれば、これはかなりハンデが生じます。

心と体があるていど丈夫というか機能している状態ではほとんどのことが出来ますが、そうでない場合は中々思うようにことを運べない場合があります。ゆえに、体というものを無視しては事の成就は難しい、と言うことです。

また、心と体は一体の関係がありますので、心の状態が悪いと体にも影響し状態を悪くすることがあります。
また、逆に体が悪い場合は心がかなり頑張らないといけない状態もあります。

また、現状打破を望む人で心も体も大丈夫と言う人はチャンスがあります。
なぜなら、多くの人はどこか不具合を抱えているのが多いからです。

体は大丈夫なのだが心の持ち方が芳しくない人。逆に心はいいのだが体が悪い人。そして、どちらも悪い人が圧倒的に多いのです。

なので、心もよく体もいい、と言う人は非常に打破の可能性が望めます。

実際の話をしましょう。
自分はどちらかと言うとどっちも悪かったほうの部類です。
で、何をしたかというとまず「心」のほうから始めた。こころを修正していく行為を行ったのです。
次に、体を悪くしているのでそこを現在調整中です。

本当は自分は体がさほど悪いと思ってなかったのですが、それは錯覚でしたね。
いざ動こうとすると体の自由が以前ほど効かないのです。
つまり、自分の健康を損なう事を長年やってきたので、体が錆付いているのです。

これではいくら心を育てても、限度があります。それで気がついたのです。

よく現状打破を言う本などは「体が健康であることを前提に申してます」から、その気になって、みんな燃えて動くのです。しかし、まもなく消沈することが出てきます。それは何か?

体のことを無視しているからです。
体が健康であれば動けるものを、体が調子が悪いので挫折することが有るのを解説していないのです。

また、未病と言うものにも気をつけないといけない。
未病は完全な病的ではないが、深い場合にはほぼ病気に近い状態なのでやる気も行動も起こせない状態になります。また、努力している最中に不具合を起こし、挫折への引き金となります。

これで体が如何に大事なのかと、不具合への懸念が有るというのがお分かりいただけたかと思います。
端的に言えば、体が動くうちはまだマシなのです。

今日は一旦ここまで〜。

方策と心と体〜心について 2

May 01 [Fri], 2009, 8:58
誰が提唱したかわかりませんが、21世紀は「心の時代だ」と言う風に申した方がいるようですね。
TVでそういう風に言われているのを何度か見かけたことがあります。
私はそれには非常に同意ですね。

20世紀は本当に荒廃が酷かった。今もその余波が続いています。
もう、ここから立ち直るためには、心とサイエンスしかないのではないか、と思います。

そして、その心を病む人が非常に多くなった。私の周りにも結構居ます。
又、私も下手をすればその病んだ中に入るかもしれませんでした。
今、考えると恐ろしい次第です。

その、心と言うものに注目を置かれているわけですが、それに対する方策を身につけている人が少ないようです。ゆえに、まだまだ改善されて無い状況ですね。

ということは、逆を申せば現状打破が出来ないのも当然だ、と言うこともいえます。

社会がどんどん悪くなり、生活を誰も保障してくれないこの世の中。どうやって生きていったらいいのか、と言うことを考えていったら、やはり現状打破か自分と言うものを確立しなければ難しいのではないか、と思うわけです。

ある言葉なのですが、こういう言葉を目にしました。

「世の中の不合理を恨んでも仕方がない。自分をしっかりさせるしかない。如何に世の中が悪くても自分と言うものがちゃんとあれば、それほど苦にならないものだ」

なかなか世の中を見据えた言葉ですね。でも、正論かと思います。

人はお金を沢山持っていれば幸せだと思っています。
人はいまの地位や現状がいい状態なら、それが続くと幸せと思っています。

しかし、それが崩れたら貴方はどうするのか?ということです。

なぜ、それを言うかと言うと昔ならそういうことの危険性は少なかったのですが、今はリストラも当たり前の時代で、いつ何時崩壊するかわからないからです。

まして、安定した職業に就いている人はいいでしょう。でも、日ごろ不安定な職業に就いている人は毎日が戦いで毎日が不安な人もいるのです。
そういう人は現状と心をどうにかしないといけません。

で、現状を変える前の段階よりも早くできるのが「心」と言うわけです。
なので、先に・しかも多く説明しているのが理由ですね。

今日はここまで〜。

方策と心と体〜心について

April 30 [Thu], 2009, 8:16
方策についての概要は昨日述べましたので、次の「心」に参ります。
方策についての細分はかなり多いので、後日に徐々に書いてまいります。
(と言うか、一気に書いたらネタが無くなる・・・)

この心が実は一番大事ですね。心は車で言うと「エンジン」なようなもので、動力としての要です。
いくら最高のボディがあっても、燃料が満タンであってもエンジンが動かないと、どうにもならないのです。
又、エンジンが弱かったらこれも駄目です。

それと同様に、要の部分なのです。

方策と心と体は三身一体のようなものですから、どれが欠けても駄目なのですが、しいてどれが肝心?と言われれば「心」と言うことです。本当は3つとも大事なのです。

話を戻しますが、ではその「心」と言うものをどうするか?
最初の「方策」にも関わってきますが、心の置き方・持ち方、方向性などを確認し、しっかり持つことです。

ところが自分もそうですが、この心と言うのをきちっと、しかも長く一定に保つのが結構難しい。
例えで言うとダイエットをしたことが有る人は良くわかるでしょう。維持というのがかなり難しい。

また、方向性を決めるのも心です。特に中途挫折の傾向が有る人は方向転換や挫折が多いです。
いくら最初に心で決心しても、それを続けるのが困難なのです。

ゆえに、私は心を重視するのはここに有るのです。

現状からの回復には時間を要することが多いです。それゆえ、中途挫折はご破算の可能性が高いのです。
それは他から邪魔されるよりも、自己放棄のほうが確率が高いのです。
これに対する方法を取る・コツを掴まないと、一生挫折の繰り返しになります。

もう言ってしまいますが、実は現状回復というのは一種の運命改造・・・そう、プチ運命改造なのです。
ですから、それを講じるためには興味は抱いてもいいですが、やるとなったらかなりの覚悟と精進が必要です。

そうでしょう?タナボタで得られるものというのはこの世の中にどれだけありますでしょうか?
全く無い、とは言いませんが本当に皆無に近い。

といっても熱血青春ドラマのような暑苦しいものを提唱するわけではないのでご安心をw

結局は、自分自身がどれだけやったかのことに比例して、因果が出ると言うだけのことです。
100頑張れば100の結果。10なら10の結果、それだけです。

この世の中はあの世の精神世界と違い、物質が付いて回る世界です。なので、実際に行動しないと効果や結果が出ないのです。想うだけでは限度が有るのです。

よく、心に関する書物などを見れば、「願うだけでOOができた」とかありますが、あれは半分間違っています。
願うとか念のことをするほかに、実際に物事を組み立てないと物事の成就はありえません。
現状打破というのは、それだけ甘くは無いのです。
願うだけで変わる・成し得るのであれば朝から晩まで念じていればよろしい。そうでしょう?

じゃあ、念じなくても動けば叶うでしょう? そうです。ですが、念じて動いたら普通の行動だけより早く叶うのですよ。ここを説明してない人が本当に多い。

そういうのを説明しながら次へ進みたいと思います。

今日はここまで〜。

現状打破とは

April 29 [Wed], 2009, 6:47
ここに重要な問題がありますが、まずこれが出来るのか、というのとしなければいけないのか、と言うことです。

【 できるのか、について 】

実はこれはできる人とできない人がいます。大きく分けると2種あります。

@ 出来るのだがやり方や方法を知らない場合
A 出来ても返ってやらないほうがいい場合

@はこれは結構多いパターンです。つまり、方法を知らないがためにやれないでいるのが多い。
又、方法があっても時間や手間の関係で棒に振る場合もありますが、うまく運ばないパターンです。

Aは自分の希望や夢はあってやれば出来るのだが、やる(成就)することによってマイナスになる場合です。
これではやらないほうが幸せであった、という結果になります。

なので、何でも闇雲に現状打破だけをすれば良い、と言うわけでないのが人生の難しいとところです。

ですので、いずれにしても物事を行う前には、しっかりとした分析と計画の下に行わなければいけません。
そして、行ったら不退転の心と行動でやり通す覚悟と実際の行動が必須です。

また、前の項でも触れましたが、現状が良いのにもかかわらず「もっと上を」とやるのは貪りです。
その場合は返って不幸になる場合があります。
なので、困窮している人限定、と言ったのはそこにあります。
例え、つつましい生活でも感謝できる人は、その状態が満足であり、幸福なのです。
それを超えて「もっともっと」とやると、うまく行かないことがあります。

現状が芳しくない人は、最初にやらなければいけないことは「ベストを尽くす」ことと、活路を見出すことです。
また、人によっては何も策が効かず、撤退がベストの場合があります。
例えば、事業をしている人がいたとします。それが時代の流れやその人の運気の限界があり、努力しても無理な場合などです。こういった場合は方向転換か、おとなしく廃業のほうが良い場合もあります。
過去に成功したからといってそれを継続できれば言うことはないですが、限りと言う場合もありますのでそこも注意が必要です。

また、現状が苦しい人はなかなかいきなり復活、と言うわけには行かない場合が多いです。
そういう場合は時間をかける必要もあります。そこも忘れてはいけません。
苦しい人ほど渇望し、焦るのです。

そういった点に注意し、分析と計画を立てて実行すれば余程異常なものでない限り達成の可能性はあるのです。

今日はここまでにします。

人生云々の前に

April 28 [Tue], 2009, 16:11
皆さんは人生と言うものを考えたことがありますか。
出来るなら、自分の人生をいいものにしたい・・・誰もが抱く希望と言えるでしょう。
しかし、満たされている人はそう思うことは無く、むしろ不満を抱えている人が思うことが多いようです。

その不満は大きく分けて2つ有ると見ています。
一つは、自分の欲望過多・感謝が足りない我がままからの欲求
もう一つは、本当に困窮している人が抱く欲求 です。

貴方はどちらでしょうか?
もし、困窮のほうならいいのですが、そうでない場合はよく自分と言うものや立場を顧みる必要があります。

では、これからは困窮している人のことを指して言っているとお考えください。

まず、人生を向上するためには何が必要か、と言うことです。
それにはまず「方策と心と体」と言うことが上げられます。

どういうことか?それはまず方策です。
これは自分が今いる環境や境遇からの脱出です。
よほどのことが無い限り、乞食から大富豪にいきなりなる事は稀です。
なので、段階を経て上がってゆくのが通常の様相です。

ですが、どうも多くの場合は少ししか段階をあげることが出来ないのが現状です。
または現状維持か。

私が今まで見てきた感じですと、その人のレベルが上がらないうちは上の環境に
上がれないようです。もしもそういうのを与えても脱落するか自分から拒否したり
逸脱します。つまり、辛抱や我慢、忍耐や努力と言うのはレベルを上げるのに必要な
要素で有るようです。ただ、それも闇雲にやっていても効果も無いのもあります。

つまり、次へのステップと言うものを踏まないと上には上がれないようです。
なので、かなり・長年辛抱した、と言う人で上に上がれないのはそこが原因です。

すると、何をどうしたらいいのか、と言うのがあります。それをやらない限り現状維持が
待っている、と言うことです。
現状維持で満足できる人なら、それは申し分ありません。
しかし、もし現状に不満があるのなら、何か対策を採らないといけません。

それをすることによって、自分の現状打破というのが可能になってきます。
それを追々書いてゆきたいと思います。

今日はここまで。
P R
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