Real-estate  

February 02 [Thu], 2012, 15:44
ここ1ヶ月、プライベートな事情により不動産と真剣に向き合ってきた。そして不動産購入に関しては、マクロ経済、資産運用(ファイナンス)、人生設計、不動産市場・・・多くの問題が複雑に絡まり、紐解く事に非常に労を要したが、ひとまず自分なりの見解が出たと思う。

以下の3点が不動産購入に関する僕の見解である。

@不動産買うなら、なるべく若い時に買うべきである。
A不動産は売ってはいけない。
Bローンは変動金利ではなく、固定金利で組むべきである。

まず@は至極単純な話で、多くの人は不動産を買うにあたってが長期ローンを組む事になる。もしローンを組む際に30歳を超えていて、35年ローンを組むとなると、定年後も返済し続けなくてはならない状況になる。50代を過ぎて、まだ大きいローンを抱えているようでは、老後に大いに不安を残す事になる。

もし若いときに賃貸マンションで10年間暮らしたと仮定しよう。賃料が15万円の2LDKだとすると10年間で1800万円も支出してしまっている。加えて言えば敷金・礼金・更新料などもあるので、2000万円くらいの出費になる。例えば3000万円のローンを組んでいたとしたら、2000万円も払い続ければ金利分を含めても、半分近くの元金を減らせているわけで、いかに賃貸という選択肢が勿体無いかということである。

Aはいわば資産運用という意味において、このご時世、不動産を売るとすれば必ず購入金額を下回る事になる。不動産は売り抜けによって儲けることは、不可能だと考えた方がよい。仮に多額のローンをを組んで買ったとして、返済しきっていないにも関わらず売るとなれば、ローンの残り分に満たない額で売る事になってしまう可能性もあり、そうなると目も当てられない。

一方で売るのではなく、貸すと考えた場合、不動産はかなり魅力的な資産となる。たとえば3500万円の首都近郊の2LDKマンションは、築10年以内であれば月18万くらいで貸せる。そうすると(3500÷18×12=0.0617)ということで、利回りは6%程度になる。銀行に預けてても1%に満たない金利に比べて、6%の利回りは魅力的である。

もちろん築年数が立てばたつほど、不動産の魅力は無くなり、賃料は低下するわけだが、築30年であっても1981年以降の耐震基準を満たしている物件であれば、賃料が10万を割り込むことは考えにくい。そうするとやはり大きなキャッシュは生まないまでも、安定した収益源にはなるという意味で、不動産を手放すのは勿体無いことである。

Bこれは日本経済、不動産市場の明るくない未来を考えた場合、リスクヘッジの意味で固定金利を選択するべきだという考えである。

今後日本経済はどうなるのか・・・。財政は赤字に転じ、国債はすでに暴落する予兆を見せ始めており、ここ10年以内に大きな経済破綻がやってくるとも限らない深刻な状況にある、というのが経済学者たちの一般的な見方であるようだ。

単純に考えて、そりゃそうだろうと思う。人口が減って高齢化が進み、社会保障費は増える一方、税収は減るだけで、輸出産業も中国などの新興国の台頭や、長引く円高の影響から、あまり明るい未来は描きにくい。 財政が赤字になるのは、構造的に避けられない問題だといえる。

分かりやすいシミュレーションとして、財政赤字が続き、国債の信頼性が低くなると、国債価格は暴落し、長期国債の金利が一気に高まる。ギリシャやイタリアの国債と同じことが起こりうるということだ。そうなると国債を多く保有する銀行は、それにあわせて住宅ローンの固定金利を大きく引き上げざるを得なくなる。引きずられる形で変動金利も上昇するだろう。

仮にそういうことが近い将来起こり、金利が10%に跳ね上がったとする。そうなると3000万円の借り入れに対し、月々25万円も支払う必要が出てくる。(参考までに現在の固定金利が2%程度の状況では、月々の支払いは10万円程度である。)変動金利で借りている人でまだまだ多額のローンを抱えている人は、一気に返済額の金利割合が高まり、返済が進まない状況に見舞われてしまう。要するに、銀行からすれば、変動金利は安くお金を貸す代わりに、国債暴落などのリスクを個人に転化しているのである。

もしそうなってくると新たに不動産を買おうという人は、めっきり減ってしまうだろう。3000万円のマンションを買うには、ローンを組めば月々25万円も支払う必要が出てくる。そうすれば賃貸の方に目が行くのは必須である。 一方で現在でもそうであるが、住宅は供給過剰になっているので、借りようと思えばそれなりに住む場所はあるはずで、賃貸マーケット、リフォームマーケットは潤うことになると予想される。

そうすると持つもの、持たざるものの間で、明確に勝ち組、負け組に二分される事になる。

不動産を持つものは勝ち組である。賃貸マーケットは潤っており、今よりも高い賃金で貸せるだろう。先ほど論じた利回りがさらに高くなると想定されるからである。

一方で不動産を持っていない人は負け組である。不動産を持とうにも金利が高すぎて買うことが出来ず、また異様に高い価格で家を借りなくてはならなくなるからだ。社宅や実家があるなら、なんとかやっていけるだろうが、、そうでない場合は結構厳しい状況が予想される。

不動産を持っている人でも、ローンを完済していない人の明暗は、金利を変動にしているか固定にしているかで決まるだろう。固定にしている人は、それまでどおりの支払いで順当にローンを返済していくことが可能である。一方で変動で組んでいる人は前述の通り、ローン返済が進まず、最悪の場合売ってローン返済に充当させなくてはならないケースもあるかもしれない。そうなったらもう最悪である。

長々と述べてきたが、ローン金利が異常に低い今の状況で、これ以上金利が下がるリスクを考える必要は無い。もちろん、10年、20年たっても国の財政が破綻せず、この低金利が続くというシナリオも無いわけではなかろう。その可能性をどう判断するのかは、消費者1人1人の判断である。

現段階で不動産購入者の8〜9割の人は変動金利でローンを組んでいるそうだ。不動産営業も少しでも高い物件を売るために、変動金利を進めてくるし、実際に月々の支払いが2,3万円変わってくることを踏まえると、変動金利は魅力的に見える。

しかし将来の日本経済を客観的に見るならば、やはりリスクヘッジ出来るのなら、リスクヘッジすべきだと思う。

2011東北 

August 07 [Sun], 2011, 12:56
2泊3日で青森、岩手と旅行した。第何回目かは分からないが、10年近く続いている要領合宿である。出来事、思った事をつらつらと書き連ねる。

新幹線
となりの席のオッサンに絡まれる。僕が大人しい人だと思って文句をつければゴメンナサイと言うのだろうと踏んでいたのだと思われるが、僕は実は大人しい人ではないのでマジ切れしてしまう。「うるせえ!てめぇ、コラ!」とオッサンを睨みつけると、オッサンだんまり。反撃されて黙るくらいなら吠えるなって。こういうオッサンは社会悪。

八戸駅トヨタレンタカー
アットホームな手作り感満載のレンタカーオフィス。ザッケローニというあだ名をつけられた1年目社員が対応してくれる。なんでザッケローニかは本人も分からない様子。軽いイジメの現場を見た感じだが、まぁめげずにがんばって欲しいものだ。

十和田湖
湖のほとりでトンボを見ながら、まったりと時間を過ごす。何もしない、無為に時間を過ごす、というのが本当のバカンスだと思う。とはいえそれは1時間くらいで十分かな。まぁ大いに癒されました。

ねぶた祭り
今回の旅行で僕が一番感動したのはねぶた祭りだ。なんでか分からないけど涙が出た。たぶん人の営みに感動したんだと思う。震災だとか豪雨だとか人の力の及ばぬ部分での暗い話題が多い中で、それでも人間が負けずに一生懸命盛り上げていこうとするパワーに純粋に感銘を受けた。本当に青森に来てよかったなと心から思った。

白神山地
滝というのは不思議と神々しさを感じる。滝の近くでは気温が実際に何度か下がっていて、とてもひんやりとしている。滝に打たれて修行するというのは、直感的に分かる。なにか凄いパワーをいただける気がする。

きのこ屋
岩手県久慈市のきのこ屋という、簡保の宿を民営化した旅館に宿泊した。三陸海岸沿いにありながら海面から50M以上高い場所にあるので津波の際には無傷だったようだ。従業員はとても親切で、ご飯も美味しく、お風呂も良いので、かなりオススメ。

浄土ヶ浜
三陸海岸の観光名所。海が本当に透き通るほど綺麗で、まさに浄土って感じだ。沖縄の海に劣らない綺麗さであり、青の洞窟というスポットはなかなか神々しい。それとカッパエビセンを求めて人間に群がるうみねこがとてもかわいらしい。癒されスポットだ。
津波の直撃を受けて、レストハウスやトイレは全壊。エリア内の道路も通行禁止ゾーンがいくつかある。それでも仮設トイレを設置して、オープンできる場所では営業して、ダイバーが海中の瓦礫を掃除して、多くの人が働いていた。旅行を計画したときは物見遊山的に被災地に行くのは如何なものかと思っていたが、行ってみたらむしろ逆だと思った。こういう時だからこそ、行ってあげたら喜ばれる。

宮古市内
津波の大きな被害を受けた場所で、浄土ヶ浜のすぐ近くにある。大分瓦礫は片付けられていて、更地となっている所が多かった。一方で多くの道路は復旧していて、街の中心街などは被害も少なく、街としての機能は大部分が回復しているように見えた。それでもグチャグチャに破壊された建物などはいまだ多くのこされており、心が痛む。

じゃじゃ麺
盛岡名物ということで白龍「パイロン」という店に行ってみた。なかなかなボリュームと、手作りのラー油の辛さが印象的だった。最後に生卵を入れてスープにして貰う「ちぃたんたん」というサービスは、目新しく美味しかった。

家電
帰りの新幹線の中で家電について盛り上がった。僕は動画を極めたいと思った。mixiにもupしたいのだが50MB以下でないとup出来ないので、圧縮の仕方も含めて、今後の検討課題だ。友人はカメラを極めるそうだ。

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今回の反省点

@山登りする際には、着替え、タオル、帽子などが必要。あと虫よけ対策などもあるとベター。
A車内で聴く音楽は邦楽、洋楽、激しめ、控えめとバランスよくセレクトすべし。
B綺麗な動画が撮れるハンディカムみたいなものを用意したい。

Meta-Strategic Thinking 

July 15 [Fri], 2011, 17:56
一般的に「メタ思考」という言葉はあるようだが、調べる限り定義が曖昧であり、僕の考えているものと少し違うので、「メタ戦略思考」という言葉を用いることにする。「メタ」というのは「高次の」という意味であり、線に対しての平面・立体、平面に対しての立体が「メタ」である。

「メタ戦略思考」というのは、自分にとって何が好ましい戦略であるか考える上で、ひとつ上の次元から俯瞰して考えることである。ゲーム理論の思考法がまさに「メタ戦略思考」であるので、ゲーム理論を例にとりながら説明したい。

ゲームを構成する要素は、「プレイヤー」と「戦略」と「利得」の3つである。このたった3つの要素で世界を分析するのがゲーム理論である。(正確には非協力ゲーム理論)

さて現実社会に目を戻そう。人々が日常生活、社会生活において、自分がとるべき戦略を考えるシーンはよくある。

・明日までにやらなくてはならない仕事があるが、他にもやるべき事が幾つかあり、何から手を付けるべきか
・好きでもない人に告白されたのだが、どう断るべきか
・通したい企画があるけど、上司にいつ、どのタイミングで、どのように訴えればいいか
・安くテレビを買いたいが、店員にどうやって交渉するか

普通の戦略思考とは、「自分のとりうる戦略の中で何が自分にとって一番ベストか考える。」というシンプルなものだろう。特に自分だけの問題である場合、それで十分だし、それ以上の思考が必要とは思えない。

しかし多くの場合、自分だけの問題ではなく、誰か他人が絡んでいることが多い。そのとき自分を主軸とした上記の戦略思考だけでは、答えが出ない場合が多い。他の人が何を考え、どう動くのか・・・そんな事を考えながら、自分のベストな戦略をセレクトすることになる。

ここで有効なのが「メタ戦略思考」である。ビジネスにおいてはプレイヤーというよりステークホルダーと言う方が分かりやすいかもしれないが、利害が必ずしも一致しない複数のプレイヤー(ステークホルダー)が絡む場合の戦略的思考ということになる。

具体的にどういうことがといえば、自分も単なる1プレイヤーとして含めた上で状況を俯瞰的に捉えるということである。すなわち各々が好ましいと考える戦略をとった際に何が起こるのか。逆に、各々がどういう思考を経て、このような結果になったのか・・・、それを考えるのがメタ戦略思考である。

非常に単純な例を示すなら、、高速道路の渋滞が分かりやすい。

お盆に帰省する際にいつ帰るか考えている。平日に働いているので、土日に帰省したい。しかし他の人も同じような状況だろう。そうすると金曜の夜がきっと混雑のピークになり、大渋滞になる恐れがある。金曜の夜に出るのがベストだが、渋滞に巻き込まれるのは嫌なので、金曜は早めに仕事を切り上げて、午後に出発することにしよう・・・。

実はこの単純な思考の中に、こっそりとメタ戦略思考が含まれている。ここで「プレイヤー」とは自分を含む高速道路を利用する人々の事であり、「戦略」はプレイヤー各人が帰省する日時を選ぶこと、「利得」は渋滞に巻き込まれないよう、土日に帰省したいという各プレイヤーの欲求である。

ビジネスをやっていると、上記の問題などよりはるかに複雑で難しいシチュエーションが多く存在しており、このメタ戦略思考がうまく出来ずに、独善的な戦略になっていたり、誰かの都合に合わせさせられた戦略になっていたりする場合が多い。よく中国とのビジネスはメリットtoメリットでないと成り立たないと言われるが、まさにその典型的な例であり、日本企業の都合だけ、もしくは中国企業の要望だけで動いていたら絶対に失敗するのである。

ゲーム理論が直接的にビジネスに役立つとは思わないが、このメタ戦略思考はビジネスにおいて必須だと思われる。そういう意味でゲーム理論をビジネスマンが勉強するのは、思考訓練という意味でとてもプラスな事ではないかと考えている。

a sense of belonging 

April 06 [Wed], 2011, 20:40
今の日本人は「帰属意識」が薄くなりすぎたのではないかと思う。帰属意識というのは国家や企業などの自分が所属する組織への忠誠であり、古臭い言葉を使えば愛国心や愛社精神のようなものである。 僕は「帰属意識」を持つべきだとかいう倫理的な考えは持っていない。しかし個人的な欲求に基づいて行動するという原理だけでは、最近は少し限界を感じるようになってきた。

個人の欲求というのは、そこそこの給料をもらって、美味しいものを食べて、幸せな家庭でも気付いて、家族に看取られて幸せに死ぬ・・・高々その程度の欲望である。今の日本において達成する事がそこまで難しいものではないと思う。

それであれば、当然そこそこのお給料をもらって、クビにされない程度にそこそこの仕事をして、安定的な社会的地位を獲得するという事が合理的なものとなるのは疑いようがない。自己実現のためにバリバリ働くなんてナンセンスである。それによって結果として何が得られるというのだ。要は個人的欲求に基づいて頑張ろうと思ってもパワー不足、限界があるという事だ。

一方で組織の欲望というのは無限である。利益を出すために、世界を股にかけ、貪欲に収益を高めていくことが企業の目的である。その限りなき大きな欲求と自己を一体化できるなら、個人的欲求と比較してかなり大きな原動力、パワーに繋がる可能性を秘めていると思う。

例えば海外赴任するという単純な一例をとってみても、個人の欲求に基づいて考える限り、自ら海外赴任を望むなんてことはあり得ない事かもしれない。海外で働くという格好良さより気苦労の方がはるかに大きいのは明らかだからだ。しかし会社の今後の事を考えると、今海外に出ないと経営上明らかにマズい、しかも適した人材がそんなにいるわけではない・・・そんなときに「君に社運を託す」と言われた時どう思うか。人によっては思いきって挑戦するマインドが生まれてくる部分があるのではないか。

何が言いたいかと言えば、個人的欲求だけでは尻込みしてしまうような大きなチャンスであっても、「帰属意識」によって挑戦するモチベーションを得られるという意味において、変な倫理観は抜きにして「帰属意識」は長い目で見ればキャリアアップにも繋がるという意味で良い面があるという事だ。

帰属意識とキャリア志向の関連性についての研究について検索すると早稲田大学商学部の藤田誠氏の論文が見つかる。その論文の仮説では帰属意識とキャリア志向は矛盾するのではないか、というものだったが統計調査結果によれば、それらは矛盾せず、むしろ正の相関がある事が判明した。キャリアアップ志向の強い人ほど、会社への帰属意識が高かったのである。この結果は帰属意識を持った方が大きな挑戦をするモチベーションに繋がり結果としてキャリアを築ける、という僕の主張を裏付ける。

また最近新たに気付いた事としては、帰属意識というのはメンバーが組織に帰属するという面だけにとどまらず、リーダーが組織を率いるという面においても大きなモチベーションをもたらすという事だ。単独で自分の食いぶちは十分稼げる人間にとって、大きな挑戦をする、すなわち大きな稼ぎを得る上で、部下を持つということはとても有効であるという意見を聞いた。

結論として人間が生産的活動を行う上で、大きな原動力をもたらすのは個人的欲求というよりも、むしろ組織への帰属意識なのではないかと思う。日本がこれまで世界をアッと言わせてきたのは、強い愛国精神、愛社精神にあふれた個々の組織員によって構成される組織力であったのではないだろうか。国の為に死にに行き、企業の為に過労死するまで働く・・・そういう人間によって構成された組織が弱いはずがない。

もしも仮に今の日本において帰属意識が、意味の無いものとして葬り去られようとしているのであれば、大きく国力を損ないかねない危険な事なのではないかと思う。キャリアの為に、自己の為にも、したたかに組織を愛すべきではないかと思う。

Wonderful Mathmatics 

August 03 [Tue], 2010, 0:26
集合とは何かの集まり。例えば{四角いもの全て}という集合は、アリとあらゆる世の中の四角いものを集めた集合である。段ボールやビル、ノート、携帯電話、こんにゃくなどは四角いので要素としてこの集合に含まれる。一方でビー玉や、人間、音楽、数字はこの集合には含まれない。何故なら四角くないからである。

世の中には様々な集合が存在する。{日本人全て}という実在する集合もあれば、{0以上1未満の実数}という概念上の集合もある。{}の中に入っているものは可算名詞でも、非加算名詞でも構わない。有限でも無限でも構わない。はたまた何も入っていなくても構わない。

ここで、様々な集合が存在する中で、集合の特徴として「イカれてる」もしくは「まとも」という判断基準を用意する。

ある集合が自分自身を含んでいる場合、その集合は「イカれてる」と判断する、一方でそうでない場合は「まとも」と判断する。多くの集合は「まとも」な集合となる。例えば先ほどの{四角いもの全て}も「まとも」な集合である。何故ならこの集合それ自身は四角くないからである。{日本人全て}も{0以上1未満の実数}も「まとも」である。

一方で{四角いもの全て}の補集合、すなわち{四角くないもの全て}という集合は「イカれた」集合である。何故ならこの集合はありとあらゆる世の中の四角くないものを集めた集合であり、この集合自体、当然ながら四角くないからだ。このように無制限になんでも集める事が出来るとすると「イカれた」集合を作る事が出来る。

さてこのとき、{「まとも」な集合全て}という集合を考えたとする。この集合自体は果たして「イカれた」集合なのか、それとも「まとも」な集合なのか??このとき実に不思議で素敵な事が起こってしまう(論証は以下に・・・)

これが20世紀初頭に発見されたラッセルのパラドクスであり、数学界を震撼させた事件である。

注目すべきは、このパラドックス、中学や高校で習ったサイン、コサイン、微分、積分、行列、確率・・・それらの小難しい数学的知識は何一つ出てこない。しごく単純な集合の概念を用いて、小学生でも理解できる内容となっている。(無限集合という、ちょっと怪しげな世界に足を突っ込んではいるが・・・)それでいながら数学の根本を揺るがしたという事だ。

数学は地理学における測量や、自然科学の要求に応じて発展してきた経緯がある。したがって日常生活とはかけ離れた専門的な学術、というイメージが強いように思われる。特に中学や高校で習う数学はそういう一面が強い。しかしそういう数学は個人的にはあまり重要ではないと感じている。(自然科学や土木の測量の世界に進まない限りは・・・)

本当に重要なのは論理を組み立てたり、物事を抽象化する力、それは数学における論理学や集合論の分野の方がより近しい。日常生活とはかけ離れた専門的な学術によって数学嫌いを量産する前に、こういう話をしてあげたら良いのにって思う。

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以下、論証

Now we consider the set of all normal sets, R. Attempting to determine whether R is normal or abnormal is impossible: If R were a normal set, it would be contained in the set of normal sets (itself), and therefore be abnormal; and if it were abnormal, it would not be contained in the set of normal sets (itself), and therefore be normal. This leads to the conclusion that R is both normal and abnormal: Russell's paradox.

Solution of strategy 

February 07 [Sun], 2010, 11:40
経営にゲーム理論が役立つか?

この問いかけは様々なシチュエーションにおいて、学者、経営者など様々な立場の人間によってなされてきた。しかし未だにこれといった明確な答えが出ていないように思われる。何だかよくわからないけど役に立ちそうだ、ということで経営学の教科書の一部を割いてゲーム理論の基本的な解説をしているというのが現状だ。

これに対して僕の見解は2つある。

1つ目はゲーム理論の焦点が経営と少しずれているということ。ゲーム理論のフォーカスはナッシュ均衡や安定集合などの解概念にあり、社会を別次元から眺め、各プレイヤーが最適な行動を取ろうとした結果どのような戦略の組合わせ、利益の配分が安定であるか、といったことが興味の主対象になる。

しかし経営に関して必要なのは、そのような第三者的視点ではなく、プレイヤーとしての最適な行動がなんであるかという「How To」の視点である。ゲーム理論の用語でいえば最適反応だとか、支配戦略だとか、その部分に関する知見でなければ役に立たない。

だがそれだけをメインに考えるのでは非常に浅い。やはりゲームの先読み力というか、第三者的な社会全体を捉える視点があって初めて、最適な戦略を考えるという意味では社会全体に対する見方は必要不可欠であるし、その部分こそがゲーム理論の本質であるだろうと思う。

そういう意味では順番を逆にするべきなのかもしれない。ゲーム理論においては社会がプレイヤーより上位概念にあるが、経営においてはプレイヤーを社会よりも上位概念にする必要性があるのではないか。そのようにゲーム理論を再構築したならば、もう少し経営に役立つゲーム理論というものが見えてくるように思う。(これはジャストアイデアで、具体的にどのような理論体系になるか頭に浮かんでいるわけではない)


もう1つの見解としては、理論とリアリティーとの間を埋める必要性である。経済学者はそれを心理学や実験、実証経済の観点から埋めようと努力している。しかし根本的な問題として、理論的なアプローチはリアリティーと相反する部分がある。それは理論は一元的(答えは1つ)であるが、リアリティーは多元的(答えは1つでない)であるという事である。

もしもリアリティーに沿った形で理論をツールとして利用する場合、同じ理論からいくつも異なる帰結が出てくる事が求められる。しかし学者の立場からすると、これは受け入れにくい考え方だろうと思う。真実は1つという考え方からは、リアリティーにうまく対応することは難しい。

しかしゲーム理論において、その部分は「定式化」というプロセスで柔軟に対応すればいいと思われる。リアリティーとそれに沿った適切な答えを出すことができる定式化を行うことができれば、ゲーム理論はリアリティーに沿ったツールとして利用できそうである。非常に恣意的な利用の仕方になり、そういう意味では学問ではなくなってしまうかもしれないけれど、経営としてはそれで良いのである。学問は「定式化⇒解」という順番で考える必要があるが、経営においては「解⇒定式化」の順番のほうがやりやすいように思われる。


以上の2つの見解を踏まえた結果、まだまだゲーム理論が経営に役立つというレベルに来ているとは思えないが、役立たせることは必ずしも不可能ではないと思う。自分自身、そういう観点で役立つゲーム理論とは何か考え続けていきたいと思う。

Decreasing Population 

August 10 [Mon], 2009, 22:53
人口増加は新たな消費を生み、労働力の増加を促すので、人口増加率は経済成長モデルの説明変数として取り入れられる。友人のブログで人口増加を促す政策について論じていたので、そもそも何故先進国で人口増加率が下がるのかという点について考えた。

なぜ国が豊かになると、子供を産まなくなるのか。これは多くの先進国でおこっている現象であり、一般化して考えたいところであるが、残念ながら日本の社会情勢しか分からないので、日本のケースに特化して考えようと思う。

まず所得の増大よりも養育費の増大が大きいという点が上がるかもしれない。最近は子供一人育てるには、都心部のマンション物件を1つ持つのと同等の金がかかると言われている。よってその子供が独り立ちして働いて、親にキャッシュバックをしても、元を取るには何十年もかかる。(元が取れない場合もあるので、子供の事を負債と呼んだりすることもあるくらいだ)

もうひとつ女性の社会進出による晩婚化も大きいと思われる。社会進出によって出産・育児だけに専念できる専業主婦よりも、どうしても出産・育児にかけられる時間的コストなどは縮小される。その結果として一人当たりの出産人数が減少することが予想される。

そもそもこれらの養育費の増大や、女性の晩婚化には大学全入などの「高学歴化」の問題が根底にあるように思う。高等教育が当たり前になったからこそ、養育費は増大し、社会進出が遅れ、男女ともに結婚時期が遅くなるのだ。

大学教育は国家にとってどのような位置づけにあるべきか。士官学校は軍隊において幹部候補生を育てるための教育機関であり、非常に位置づけはわかりやすい。ほんの一握りの優秀な兵士だけが教育を受ければいい。それでは果たして大学が官庁や民間企業においての幹部候補生を育てるための機関として正しく機能しているだろうか。

確かに戦前、企業は大学卒の労働者を幹部候補として採用し、大学卒の労働者人口は非常に限られていた。しかし昨今の高学歴化により大学卒の割合は非常に増えてしまい、当然ながらそれに見合う幹部候補の需要など存在しない。よって企業の中で幹部候補を選別しなくてはならなくなってきた。反面、大学の有難味は大きく薄れてきた。


以上の推論から、日本において人口増加を促すには、暴論かもしれないが、大学を強制的にぶっ潰していくということを提言したい。国立大学は地方に1つくらいにして、入学年齢も制限を設けてみてはどうか。その代り高専や専門大学を増やし、手に技術を身につけさせていけばよいのではないか。

Reconsider Production Theory 2 

May 06 [Wed], 2009, 16:24
以前、生産者理論が十分ではない、といった仮説を述べた。Reconsider Production Theory その時は主に闘争の理論、企業のシェアの奪い合いの技術に関して抜け落ちている、といった論調であったと思う。しかしここでは別の視点で、より本質的な論点を提供する目的として生産者理論の再考を行う。

まず生産者理論について簡単にレビューしておくと、消費者が一定の予算のもとで効用を最大化するのに対して、企業は「利潤=価格*生産量−費用」として定義される利潤を最大化するように資本投入量を決定する。よって生産者は資本(リソース)をどこに投入するかが企業の意思決定となる。

しかし生産者と消費者では意思決定の時間スケールが異なっている。消費者はマーケットでの購買の意思決定にそんなに時間はかけないが、企業は3年〜5年のスパンで中期経営計画を作り、売上拡大や利益の確保、シェア向上などの定量目標を掲げ、それを実行するための投資やマーケティング計画を練り、どこに資本を投入するか決定するので、その点で消費者と大きく異なる。

一方でミクロ経済学の理論は企業にとって短期的な意思決定に限って議論しているにすぎない、という反論があり得る。中長期(3年〜5年)というタイムスパンは事業戦略(どんな事業を強化していくか)など企業にとってもっと大きな意思決定を行うものであり、仕入量や、生産量の短期的な調整こそが市場における企業活動の本質だろうという見方だ。

しかしその視点に立って生産者理論を見返すと、企業は利潤最大化という大きな目的を掲げて、生産量や仕入量を調整することになる。しかし現場は当面の受注に対応して生産量などを調整することはあれど、利潤の最大化といった考え方はしないように思う。実際にメーカーのコンサルティングを行った際に、利益率を高めるために考慮するのは生産量の調整などではなく、費用削減であり営業は売れるだけ売りたいという考え方が現実的だ。

また気になる点として、必ずしも売上=価格*生産量にはならないという事だ。即ちこのモデルでは生産しただけ売れるということを自ずと想定しているが、その仮定はかなり乱暴である。確かミクロ経済学ではまずは、この大雑把な仮定の下で供給曲線、消費者理論から需要曲線を導出し、均衡点を求めるという流れなので、最終的には販売(需要)と生産が合うようになるが、うーむ、やはりどこか納得がいかない。

正直なところ自分の中でまだ生産者の本質が見えているとは言い難い中での議論なので、不十分な部分が多いのは間違いない。またある程度、自分の中で企業活動の本質が見えてきたところでこの問題を再考しようと思う。

management 

February 05 [Thu], 2009, 23:45
すべての労働者が自律的労働者(与えられた仕事の意義や目的を考えながら働く労働者)になるということは理想的ではあるが、実際には不可能であり全労働者の3割も満たないといわれている。

自律的労働者はプロフェッショナルの条件であるとドラッカーは言っているが、確かに与えられた仕事をこなすだけではプロフェッショナルにはなれないだろう。ひたすら努力を積み重ねれば成長するなんてのは半ば嘘であり、自律的に成長を計画したうえで意味のある努力を行うことで初めて成長する。

会社における出世というのはマネジメント職(課長や部長、本部長・・・)に就くことだと一般的には考えられている。しかしながら会社に大きな利益をもたらす凄腕の営業マンや、大発明をおこなった研究者がマネジメント職に就くとは限らない。組織をマネジメントできる能力というのは必ずしも営業力や企画力、研究開発能力と要件は一致しないからである。

ではどうやってそういったマネジメント人材を育てていくのか。社員の中から優秀な人を選び、幹部候補生として、特別な教育プログラムでマネジメント能力を養成していくのが一般的である。日本では30代半ばくらいからそういった選別が始まる企業が多いが、欧米の企業では入社してすぐ選別が行われることも珍しくない。

間違いなく思うのは、マネジメント能力というのは自律的労働者にしか身に付かないだろうということだ。自分の仕事をマネジメントできずして組織をマネジメントなど出来るはずがない。よって自律的に働くということが、出世という面においても、楽しく仕事をするということにおいても、良いパフォーマンスを出すということにおいても非常に重要なファクターであると思うのだ。

しかしながら、そういった事実に無頓着な人が多すぎるような気がしている。大量の仕事(作業)を早くこなせる人、夜遅くまでハードに仕事する人、カッコよくプレゼンを決める人、なんでも自分一人でこなす人・・・が優秀な人だといったような錯覚が氾濫しているように思う。それは確かにスペシャリストとして能力が高い場合があるが、マネジメント能力からは程遠い。

またスペシャリストとしても、やはり部下を使って大きな仕事を出せる方が、付加価値は高いのである。一人で出来ることというのはたかが知れており、組織を運営して取り組んだ方が営業にせよ、企画にせよ、研究開発にせよ、生産性は高くなる。もちろん天才で尚且つ人の10倍働ける人であれば、凡人何百人の組織より生産性は高いかもしれない。しかし秀才10人の組織はマネジメント次第で天才1人よりも大きな結果を残すだろう。

emotional control 

October 26 [Sun], 2008, 22:14
感情というものは難しいものだなって思う。予想されうる感情的ダメージが思っていたよりも大きかったり小さかったり・・・経験とか思考に基づく想定など簡単に打破される。

でもだからこそ、人生は面白いのだろう。想定外の喜びや悲しみ、悔しさ怒り・・・そういうものを味わうからこそ、悩んで考え成長していくのかもしれない。


最近では、週末がとてつもなく恐ろしい。朝起きて何もやることがなく、少しでも刺激を求めて外に出るが、特にすることもなく、無駄な買い物をして、家でゴロゴロ・・・。旅とか面白そうだと思うが、一人で行くほどのバイタリティーもなく・・・。

働いているときの刺激に比べてなんと物足りないことか。唯一の楽しみと見出すものが酒や音楽、テレビ、漫画、ゲーム、ネット・・・。こんなものだったか、俺の人生?もっとエキサイティングな人生を送るんじゃなかったか?

仲の良い知人は逆だという。週末こそが楽しいのであって、月から金はつまらないと・・・。5対2とボリュームで考えれば自分のほうがマシだといえる。しかし人生のバランス的にいえば自分のほうが偏っているような気もする。

何かないものだろうか・・・。

それは文化?恋愛?合気道?ゲーム理論?旅行?新たな趣味?ゴルフ?
あ、もしかして、結婚?w

どれも正しいような気がするけど、ずれてるような気もする。

また恐怖の週末が6日後にやってくる・・・。
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