断食道場に到着!その2 

2005年09月13日(火) 17時38分
さて、夕食。出ました〜!待っていました〜!の【お粥+厚揚げ2枚+大根の煮物3つ】。旅行ならばさぞかし美味しい料理をたらふく食べられることであろう、あぁ、宿泊費とこの料理でこの値段。いい商売だぜ!と早速、逆恨みするアホである。お前は断食しに来て料理にカニに海老にお寿司が出ないことに本気で腹を立てている。ふと、私は自分が珍しい生き物ではないかとナルシスティックに考えてしまった。
しかし・・・、美味い。何だこの食べ物!お粥ってこんなに美味しかったっけ?厚揚げってこんな味?大根もこんなにジューシーだった?
まだ断食を始めてもいないのに何でこんなに美味いのだろう?また私の思い込みが始まったのか?・・・と思ったが、やはり美味いものは美味いのだ。単に料理を作る人が上手いのか、この療養所の空気がそうさせているのか?
箸が支給され、その箸袋にはこう書かれている。(意訳)
(食前)美しき素晴しい朝に願わくば我ら心身壮健にして正しき道に進まん。食べて真理を心の食とし、かみくだいて味わいます。いただきます。
(食後)飲食終わって身に力が満ち勇気は前の倍になり頑張れる、自分の道を精進します。ごちそうさま。
どうなることだろう。どきどきである。

断食道場に到着!その1 

2005年09月12日(月) 17時35分
新幹線で京都、そして鉄道で奈良へ。気付いたことが一つある。明らかに人のまわりにある空気が違う。東京の、あのどんよりとした諦めとやるせなさが混ざったあの空気がない。私は毎日往復2時間、あのどんよりとした空気を我慢しているのだ。まるで汚れた水の中にいる金魚のようだと思う。いくら金魚が努力しようにも汚れた水を飲まない限り生きられない。私もそうなのだ、あぁ、ストレスがたまるのも無理はないのだ。そんなストレスがたまりやすい自分を批判しようともそれは不毛なことなのだ。汚れた金魚に汚れるなというほうがおかしい。
生駒駅からタクシーで5分。静養院断食療養所がそこにあった。木造の古ぼけた建物。日本で最古の断食道場と謳われるだけあって歴史を感じさせる。70年以上もここで何千何万人もの人間を見てきたであろう、建物の壁そしてタイル、どれもが古ぼけているのに完成している、そんなカンジだ。あるがままとはこんな建物をいうのだなぁ・・・
「よく来たねぇ・・・」
その建物にふさわしい、いかにもなおばさんに案内され部屋に入る。4畳、トイレ・バス共用、7日で5万。有給やら交通費やらで15万くらいのお金が動くのだ。脂肪が1日1キロ落ちるといっているから1キロあたり2万円。我が脂肪もなかなか高値である。そりゃあそうだろう、いいもんたくさん食べているんだもの。

いざ、断食道場へ!その2 

2005年09月11日(日) 17時34分
突発性血小板減少性紫斑病−。国家指定の難病である。国から給付金までおりた。体中に青いポインター、つまり青たんができる病気である。原因不明の何らかの事情により血小板が減少してしまう病気なんだそうである。妙にダルくて、体中に青アザが絶えないことを、そんなエッチな趣味ないのにな〜と、笑いまじりに飲んでいたが友人の一人がそうゆう病気もあると心配そうに語っていた。私は他人事のように、そんな病気になる人もいるんだと思っていた。自分は偶然疲れやすく青あざを気付かないうちに作っていたのだと信じていた。私にはそんなことは起こらないと「特別な自分」は考えていたのだ。早稲田の学生職員であった私に、連絡が入った。面談したいとのこと。健康診断を受けたのだが何か問題があったのかと呑気に構えていたら、至急東京女子医大に行き検査を受けなければならない、あなたの血液検査から血小板が通常の10分の1であることが分かったと深刻な顔で医者に告げられた。
検査の結果、血小板が減ってしまう病気にかかったのが判明した。
私は狭いマンションの一室に横たわっていた。左右上下から音が聞こえてくる人が一人やっと住めるようなマンションであった。以前の住人がつけたタバコのヤニで茶色がかった天井を見つめながら私は布団に横たわる。正直、「死にたくない」と思った。生まれて初めてそう思った。そう思った自分に驚いた。死にたいと常々、そう10歳くらいからは思っていたであろう、その思いには強弱はあったが、そんな気持ちを抱いていた私から「死にたくない」とは。

ある意味、私の始まりではないかと思う。それから私は変わった。明らかに変わったと思う。生きることを究極のところで望んでいること、たとえそれが生存本能であろうと、私は生きたいのだ。これはあまりにも単純なそして深い発見であった。

私は仕事を辞めた。そして、マンションから貸間に移った。その場限りの友人知人を正直な話、切った。レポートもどこかの参考文献を適当に切り貼って提出することをやめた。とにかく生活が変わった。そして、ありきたりな話だがこの病気に感謝した。
それから7年−、生活はシンプルである。充分シンプルなのだが、私には降り積もるように少しずつストレスがたまってゆく。また基本に立ち戻りたい。人生至上最高の体重を抱え、私は12時過ぎに断食道場に向かうべく部屋を後にした。

いざ、断食道場へ!その1 

2005年09月10日(土) 17時29分
朝、10時に目覚めた。土曜日の10時に目覚めることなど皆無である。ここ数年、いや10年近くか、土曜日の午前中に目覚めたことはほとんどない。月曜から金曜にかけてのストレスを一気に解消すべく必ず10時間以上土曜日は眠るのである。
眠り−これが私のストレス解消法である。まず第一に、人に迷惑をかけることなく解消できる。そして、タダである。そしてそして、一番重要なコト、「太らない」である。それまでの私の主なストレス解消法はお酒を飲みながら友人と語り合うことであった。確かに癒されたし明日への励みとなった。しかし、飲むたびごとの不毛さ−というか、やるせなさが心の中にうっすらとたまってゆくことを感じていた。「飲んだからってなんになる?」ただ発散する為に人とまじわり何の未来も描けない消費的な行動。確かに語り合う中で得るものはあった。友とはより親密になれたとは思う。しかし、何かが違うと感じていたしそれは今でも変わりはない。
つまり、非生産的というか虚しさや、やるせなさがつきまとうのだ。数あるメニューの中から好きなものを注文し何百種類もある飲み物から好きなものを選び、友人との独特の間や距離感などを楽しむ−。確かに楽しかった。と同時にやるせなかった。
充実感というものであろうと、今なら分かる。多分、そんなにメニューもいらなかったし、何百種類ものお酒も必要なかった。私が望んでいたものは四畳半のボロアパートの一室でなけなしのお金で買った安酒と少しのつまみ、そして未来を語り合うことに喜びを感じる、そんな友人たちとの対話であり空間であったのだと思う。しかし現実には夜毎、カロリー過多な充分過ぎる食べ物と度数の高いアルコールの数々であった。一回飲むごとに1万円は消えていった。そんな日々を続けた。そして続ける不毛さに腹が立ちそれは毎日のこととなる。腹が立つほど飲みたくなった。まさしくストレス発散の為に働いているようなものであった。自嘲していた。しかし、現実としては働かなければならなかった。数々の奨学金を含めて月30〜40万あった時期がある。ハタチの女性にとってはなかなか稼げない金額だ。そして私は湯水のごとくお酒を飲む為に費やした。そして、私は発病した。

P R
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